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【38】クライン執務官 ー階級言ったっけ?ー

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 翌日の清掃はいつもと違っていた。
 仕事が終わったタイミングで、コンコンとノック音。
 清掃中に誰かが来ることは滅多にないので、ダニエルはちょっとドキドキしながら壁際で直立不動になった。

 扉が開き、柳のようにしなやかな雰囲気の男性が入室してくる。
 剣色の銀髪は前髪から横髪まで同じ長さで、パッツンと切り揃えられている。

「あぁ、すみません。使用中だったんですね」
 ダニエルは掌を額の前にかざし、敬礼した。
「ダニエル・マッキニー。陸軍近衛団近衛隊第二分隊所属であります」

「初めまして。私はユージン・クラインと申します」
 赤い唇で笑みを浮かべた男は、”徒桜あだざくら”という枕詞が似合いそうな、儚い雰囲気の美青年だった。

 長い睫毛に、影のある目元、グレー味を帯びた瞳はダイアモンドのよう。
 鼻先がツンと上を向き、赤い唇に、割れた顎をしていた。


「すみませんが、カフスボタンは落ちていませんでしか?昨夜、ここで落としたみたいで」

 鈴のような声の男は文官の証である紫のローブを羽織り、両手に本を抱えている。
 そんな状態では、転がったカフスボタンを探すのは難しいだろう。

「少々お待ちくださいませ」
 ダニエルは躊躇いもなく絨毯に膝をつき、カフスボタンを探した。

 一度掃除はしたので、落し物はない!はずだが、本棚やカーテンの影に隠れているかもしれない。
 再度、徹底的に探し回った。

「その辺りではなく、暖炉のほうで落としたと思うのですが…」
「承知しました」

 ダニエルは暖炉前に屈み込み、目を凝らす。
 暖炉の中が一番怪しいが、なにもなかった。

 壁と絨毯の隙間に入っているかもしれない。
 ハイハイする子どものように壁に沿って進むと、ユージンが「あぁ、いいですね」と呟いた。

「え?」
 四つん這いの体勢で、ダニエル振り返る。


「いえ、なんでもありません。彼方あちら側もお願いしていいですか?」
 ユージンはニッコリ笑って、反対側の壁を指差した。

「……承知しました」
 ダニエルは絨毯の上をくまなく調べたが、やはりボタンはない。

「少しこの辺りを探して下さいませんか?とても小さい物なので、屈んでないと見えないと思います。そのまま!!……そのままの姿で」

 立ち上がろうとしたダニエルに、おかしな注文をつけるユージン。
 ダニエルは首を傾げながらも、言われるまま絨毯の上を這いずり回った。


「何をしているんだ?」
 そこへハルボーン中佐がやってきた。

 ダニエルは飛び起きて、敬礼する。
 中佐はユージンを見つけると、僅かに面食らった。

「クライン執務官、いらしておりましたか」
 山のように大きなハルボーン中佐が、柳のように繊細なユージンに頭を下げる。

 ダニエルはまだ軍人と文官の間にある微妙な力関係を知らないが、少なくとも二人の間だと、ユージンの方が立場は上のようだ。
 変な人だとあしらわなくて良かった!

「落し物を探してもらっていたんです。しかし見つからないので……きっと別の場所に落としたんですね。マッキニー准尉、ありがとうございました」
「お役に立てて光栄です、クライン執務官」

「ハルボーン中佐は良い部下をお持ちですね」
 ユージンに褒められて、ダニエルは悦に浸った。

 執務官って、たぶん偉い職業よね。
 彼のローブには銀の刺繍で三本線が入っているし。
 きっとそこそこの役職の御方だわ。

 侯爵様の執務官だったら、どうしよう!
 そこから繋がって、宮殿内勤に取り立ててもらえりして。

 ウフフ、夢が広がるなぁ。
 ハルボーン中佐から始まった幸運が、もっともっと大きくなったりして!

 都合のいい空想は、ハルボーン中佐からの「もういいぞ。ご苦労だった」の一言に粉砕された。


 ダニエルは二人に頭を下げて、待合室を後にする。
 宮殿から宿舎までの帰り道、良き出会いにダニエルはルンルン気分だ。

「……あ!」
 目の前に、半分黄色く染まった銀杏の葉が落ちてきた。

 それを拾い上げ、夏の終わりが近づいてきたんだなぁとしみじみする。
 夏の日差しは和らぎ、秋の気配が迫っていた。


「……そういえば、あたし。階級言ったっけ?」
 クライン執務官に、”マッキニー准尉”と呼ばれた事を思い出し、ダニエルは呟いた。
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