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【41】埋み火 ー喜んでなんかいないー

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 その日、ダニエルは幽霊よりも恐ろしいモノを目にした。
 雑巾をかけるため水を汲みに行こうと待合室を出た時、あの視線を感じたのだ。

 振り返ると、長い廊下の角に長身の男が佇んでおり、たじろぐ。
 まさか人がいるとはおもわなかったから。

 パット見、いい男だと思った。
 長い手足に、バランスの良い筋肉。
 軍服を盛り上げてる胸筋がセクシーね。

 バカンス以来、久しぶりにトキメク身体の男を見つけたとウキウキで顔を上げた。
「ーーーっ!!」
 が、男の顔を正面から捉え、ダニエルは驚愕で息を止め、後退あとずさった。


 な、なんで彼がここに……。
 目の前の光景が信じられず、顎が落ちそうなほど大きく口を開けマジマジと見つめた。

 小麦色の髪、鋼色の肌に、鎧の筋肉。
 夏の太陽のように眩しく、ダニエルを蕩けさせる人。
 間違いない、サニーだ。

 遠くて瞳の色や声まではわからないが、ダニエルの心が彼に見えた喜びで叫んでいた。

 ーー喜び?

 自分が喜んでいる事に気づき、ダニエルはまたも息をのむ。

 喜んでなんかいないわ!
 めんどくさいの間違いよ。
 慌てふためき、自分に言い訳する。

 まさか彼も軍人だったなんて。
 どうしよう、他人のふりしたほうがいいかな……あっ!!

 急に男は走り出し、廊下を曲がった。
「ま、待って!」
 ダニエルは自然と彼を追いかけた。

 長い廊下を走りダニエルも角を曲がると、誰もいない。
 丁度、廊下の角を掃除婦達が曲がってきたところだった。
 逃げ足の速い奴!!

 彼女達とすれ違いながら、その廊下も走り抜ける。
 角を曲がると、長い長い廊下にはやはり誰もいなかった。

 ダニエルは混乱する。
 この長い廊下をダニエルが来るまでに走り抜けるのは不可能だ。
 どんなに足が速くても、無理がある。
 それくらいその廊下は長かった。

 ということは、窓から飛び降りたの!?
 ダニエルは廊下の窓に張り付いた。

 窓の下は地面まで一直線に壁が続く。
 四階の高さ、降りるために掴まるものは何もない。
 裏庭の芝生はだだっ広く、隠れる場所もない。
 この窓から素早く降りるのは、無理があった。

 窓から降りたのではないということは……どこかの部屋に入ったのかしら?
 全ての部屋をしらみ潰しに開けて調べたいが、ダニエルは階級の低い軍人。
 上官のゆるしなく宮殿内を歩き回っていたのがバレたら、懲罰ものだ。

 そうだ!掃除婦達ならサニーがどの部屋に入ったかしっているかも。
「あ、あの!!」
 ダニエルは来た道を戻り、彼女達に声をかけた。

 ダニエルに話しかけられ、掃除婦達は警戒するような雰囲気になった。
 普段、宮殿内で軍人と話す機会はほぼないから、何事かといぶかしんだのだろう。

「あの、背の高い男性とすれ違いませんでしたか?茶色い隊服を着た、くすんだ金髪の……」
 掃除婦達は顔を見合わせ、「いいえ」と首を振る。

「そんな……」
 ダニエルは狐につままれたような気持ちになった。

 サニーほどのいい男とすれ違って、覚えていないはずはない。
 だが彼女達が嘘を言っているようにも見えない。

 ……ということは、どういうこと!?
 彼は消えてしまったの?

 それとも白昼夢をみたのだろうか。
 彼を恋しく思って!?
 そんなハズはない!


 ーーディディ、俺のお姫様


 サニーの声が、耳の裏に聞こえた気がした。
 魔法のようにダニエルを溶かす、艶やかな声。

 胸がドキドキと高鳴り、汗が滲んだ。
 灰の中に隠れた埋み火のように、忘れかけていた快楽を掘り起こされてしまった。
 名前を呼ぶ声を思い出しただけで、だ!


 思いに耽るダニエルを掃除婦達は不思議そうに見つめていたが、「もういいでしょうか」と言った。

「お、お時間をいただき、ありがとうございました」
 我に返りダニエルが会釈をすると、彼女達もお辞儀をして去っていく。

 頭に頭巾を被り、そろいの青いドレスエプロンを巻いた掃除婦達。
 彼女達を見送り、ダニエルは頭を捻る。


 ダニエルには知る由もない。
 ヴァリカレー宮殿には至る所に隠し通路があり、その中の一つにサニーが隠れ、ほくそ笑んでいるなんて。
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