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第五噺『王の没落(後)』
二【劣等感】
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スクナは天井を向いて何かを考えていた焔夜叉に向かって微笑んだ。
「元気出して。あなたが、鈴鹿御前さんと、恋仲になった人間に、復讐出来るとても良い方法があるのよ」
「復讐?」
この可愛らしい外見の少女から物騒な単語が出てきたので、焔夜叉は驚いて聞き返した。
スクナは得意気に大きく頷くと、焔夜叉に悪戯っぽい目を向ける。
「あなたが誰よりも幸せになることよ」
朗らかに笑いながらこちらを見下ろしているスクナに焔夜叉は目を丸くした後、思わずぎこちなく口角を上げていた。
「幸せなど、私とは対極にある感情だな」
スクナの態度に絆されたのか、焔夜叉の態度もどこか和らいでいた。
「私は幸せになどなれぬ」
「頑固な鬼ね。他者の話くらい、素直に聞いたらどうなの」
頬を膨らませたスクナは、焔夜叉の目を見た。
紅蓮の色をした目の中には、何か揺るぎのない劣等感のようなものが渦巻いているような気がした。
鬼ヶ島では奉られているような強い鬼が、スクナには脆く思えてならない。
姉は焔夜叉のことをあまり良く言わない。自分たちの家族は外見に対して強い劣等感を抱えて生きている。
周囲からその外見のことで陰口を叩かれたり同情されたりしているのを知っている。
父は立派な鬼だったのに、何故子供たちはぱっとしないのだという目で見られる。
言われることに慣れているためか、呉葉も春日童子も、風評を聞き流すことがとても上手だ。
逆に、焔夜叉は世間の厳しい目に慣れていない。
だから、有事のときは脆くなってしまうのだろうか、とスクナは分析した。
「私は……私の母は、人間だ」
ぽつりぽつりと話し始めた焔夜叉に、スクナは多少の驚きを隠せないでいた。
煉獄門で初めて会話をした相手だったが、遠巻きに眺めている際はこのような脆弱な態度ではない。
怪我をして弱ってしまったのだろうか、とスクナは本気で心配になった。
「お父様は?」
「父は小物の鬼だ。仕えていた鬼に騙され死んだ。母もその際、私をかばって共に死んだ」
焔夜叉が苦しそうに話しているので、スクナは彼の汗を拭ってやる。
月夜草を煎じて飲んだ辺りから、かなり苦しそうにしている。効いている証拠なのだろうから、我慢してもらわなければならない。
「間の子だったのね。知らなかった」
「誰にも言ったことはないからな……」
スクナは体勢が疲れたので、近くの壁に寄りかかった。
そんな大切なことを、初めて会ったような鬼に打ち明けてしまって良いのだろうか。弱り過ぎて判断能力が低下しているのだろうか。
兄や姉が良く彼の侮蔑対象となっていることも耳に入ってきている。
そういうわけで初めから焔夜叉に対して悪い印象しか抱いていなかったためか、話してみて少し印象が変わったのも事実だった。
「鈴鹿御前と坂上が幸せそうに抱き合ったとき、私は自分の両親を思い出した」
鬼の父と人間の母。彼らもああやって偲びながら愛し合ったのだろうか。鬼と人間、どちらからも祝福されずに。
「異類婚姻など、誰も幸せにならないに決まっている。その子供など、鬼と人、どちらからも奇異の目で見られる。鈴鹿は……幸せにはなれないだろう」
同情的な焔夜叉の口調に、スクナは少し呆れた。
裏切られた鬼の心配をするとは、うちの兄には考えられないことだったからだ。
「思うんだけど、間の子だから幸せになれないってことはないんじゃないのかな」
スクナがふと呟いた。
「私には忌まわしき人間の血が半分流れている。幸せになれるはずがない。鈴鹿の子供だって、きっとそうだ」
「でも、お母様のことは嫌いじゃないんでしょ?」
スクナの指摘に、焔夜叉は思わず口を閉ざした。焔夜叉は優しかった母のことを思い出し、言葉に詰まった。
スクナはそんな彼の様子を眺めて、手を擦り合わせる。寒くなってきたのだ。
「人間は殺したい程嫌いだ。だが、母は……」
だが、母は別格だった。その言葉を伝えるのにどこか羞恥がし、焔夜叉は母への思いをスクナに隠した。
スクナはそんな焔夜叉を射抜くような視線でじっと見つめる。
「立派な角や髪の色を持って生を受けたことは、ご両親のおかげじゃないのかな? そんなに恨んでばかりいたら、焔夜叉さんを産んでくれたご両親に失礼だよ」
焔夜叉は目を丸くしてスクナを見た。スクナは彼と視線を合わせて、首を傾げる。
「私たち兄妹は角も歪んでいるし小さいし、髪の色だってくすんでいるし、全く鬼として立派とは言えないけれど、産んでくれた両親には感謝しているしね。焔夜叉さんのところなんて、鳶が鷹を産んだようなものでしょう? 恨むどころか、感謝しなくちゃ」
スクナが淡々と話している際、焔夜叉はスクナを見つめながら天地が逆転したかのような感覚がしていた。
逆転の発想と言えばそうだが、そういう考えをすることなど焔夜叉は考えも付かなかったことだった。
「感謝だと?」
「知らないの、感謝? ありがとうって、相手に親愛の情を伝えることよ」
今まで弱者を下に見過ぎて、感謝の感情を知らないのだろうとスクナは思って、丁寧に教えてあげた。
「あ、いや。それは知っているが……」
得意気に胸を張っているスクナに向かって、焔夜叉は困惑したように呟いた。こういう爛漫な鬼はどうも調子が狂う。
「私、焔夜叉さんがお兄ちゃんをかなり意識していることを不思議に思っていたのだけれど、あなたが容姿に拘っていたのは間の子だったからなのね」
焔夜叉はその言葉に鋭い視線をスクナに向けた。スクナはその視線に気付いていたが、軽くあしらうように無視をした。
「純血の鬼のくせにあの容姿で劣等感を持たず、悩みがなさそうに振舞う春日童子が、憎かったのかもな……」
「いや、さすがのお兄ちゃんでも悩みがないということはないだろうけれど」
焔夜叉は恐らく自分が間の子だということに劣等感を抱いていたのだ。
いくら角が小さく歪んでいて、髪の色が青くくすんでいるからと言ったところで、春日童子は純血の鬼なのだ。
そして焔夜叉は、いくら立派な外見を持ったとはいえ、所詮は間の子だ。
どこか不条理で、羨望の情も抱いていたのだろうかとスクナはぼんやりと思う。
「お兄ちゃんは鈍感だから、あなたの感情にはきっと気付いていないよ。気にしなさんな」
焔夜叉にも罪悪感があったのだ。その事実を知ってスクナは少し嬉しくなった。この強い鬼にも情というものが備わっているのだ。
「あなたは努力したからこそ実力を付けたとも言えるんじゃないかな。鬼の子だと過信していたら、ここまで努力をしなかったと思うわ。あなたの強みは鬼と人間、両者の弱さを知っていることね」
満面の笑みで微笑んだスクナの視線を反らしながら焔夜叉は眉を潜めた。
「さて、ようやく薬が効いてきたかな。とても眠そう」
「……ああ」
虚ろな目で瞬きをしたが、もう起きていられそうになかった。焔夜叉は静かに目を閉じる。
「お休みなさい。今はただ、良い夢を」
「……どこへ、行く」
ふと着擦れの音がしたので、目を閉じながら朦朧とした意識でスクナに尋ねる。スクナは立ち上がりながら焔夜叉を見下ろした。
「馬鹿なお兄ちゃんを回収してくる。そのついでに私も鈴鹿御前さんを一発殴ってくるよ」
スクナの言葉は、すでに目を瞑ってしまった焔夜叉に届いたかはわからなかったが、笑いながら片目を瞑ると、スクナは手を振って軽やかに小屋を飛び出した。
*続く*
「元気出して。あなたが、鈴鹿御前さんと、恋仲になった人間に、復讐出来るとても良い方法があるのよ」
「復讐?」
この可愛らしい外見の少女から物騒な単語が出てきたので、焔夜叉は驚いて聞き返した。
スクナは得意気に大きく頷くと、焔夜叉に悪戯っぽい目を向ける。
「あなたが誰よりも幸せになることよ」
朗らかに笑いながらこちらを見下ろしているスクナに焔夜叉は目を丸くした後、思わずぎこちなく口角を上げていた。
「幸せなど、私とは対極にある感情だな」
スクナの態度に絆されたのか、焔夜叉の態度もどこか和らいでいた。
「私は幸せになどなれぬ」
「頑固な鬼ね。他者の話くらい、素直に聞いたらどうなの」
頬を膨らませたスクナは、焔夜叉の目を見た。
紅蓮の色をした目の中には、何か揺るぎのない劣等感のようなものが渦巻いているような気がした。
鬼ヶ島では奉られているような強い鬼が、スクナには脆く思えてならない。
姉は焔夜叉のことをあまり良く言わない。自分たちの家族は外見に対して強い劣等感を抱えて生きている。
周囲からその外見のことで陰口を叩かれたり同情されたりしているのを知っている。
父は立派な鬼だったのに、何故子供たちはぱっとしないのだという目で見られる。
言われることに慣れているためか、呉葉も春日童子も、風評を聞き流すことがとても上手だ。
逆に、焔夜叉は世間の厳しい目に慣れていない。
だから、有事のときは脆くなってしまうのだろうか、とスクナは分析した。
「私は……私の母は、人間だ」
ぽつりぽつりと話し始めた焔夜叉に、スクナは多少の驚きを隠せないでいた。
煉獄門で初めて会話をした相手だったが、遠巻きに眺めている際はこのような脆弱な態度ではない。
怪我をして弱ってしまったのだろうか、とスクナは本気で心配になった。
「お父様は?」
「父は小物の鬼だ。仕えていた鬼に騙され死んだ。母もその際、私をかばって共に死んだ」
焔夜叉が苦しそうに話しているので、スクナは彼の汗を拭ってやる。
月夜草を煎じて飲んだ辺りから、かなり苦しそうにしている。効いている証拠なのだろうから、我慢してもらわなければならない。
「間の子だったのね。知らなかった」
「誰にも言ったことはないからな……」
スクナは体勢が疲れたので、近くの壁に寄りかかった。
そんな大切なことを、初めて会ったような鬼に打ち明けてしまって良いのだろうか。弱り過ぎて判断能力が低下しているのだろうか。
兄や姉が良く彼の侮蔑対象となっていることも耳に入ってきている。
そういうわけで初めから焔夜叉に対して悪い印象しか抱いていなかったためか、話してみて少し印象が変わったのも事実だった。
「鈴鹿御前と坂上が幸せそうに抱き合ったとき、私は自分の両親を思い出した」
鬼の父と人間の母。彼らもああやって偲びながら愛し合ったのだろうか。鬼と人間、どちらからも祝福されずに。
「異類婚姻など、誰も幸せにならないに決まっている。その子供など、鬼と人、どちらからも奇異の目で見られる。鈴鹿は……幸せにはなれないだろう」
同情的な焔夜叉の口調に、スクナは少し呆れた。
裏切られた鬼の心配をするとは、うちの兄には考えられないことだったからだ。
「思うんだけど、間の子だから幸せになれないってことはないんじゃないのかな」
スクナがふと呟いた。
「私には忌まわしき人間の血が半分流れている。幸せになれるはずがない。鈴鹿の子供だって、きっとそうだ」
「でも、お母様のことは嫌いじゃないんでしょ?」
スクナの指摘に、焔夜叉は思わず口を閉ざした。焔夜叉は優しかった母のことを思い出し、言葉に詰まった。
スクナはそんな彼の様子を眺めて、手を擦り合わせる。寒くなってきたのだ。
「人間は殺したい程嫌いだ。だが、母は……」
だが、母は別格だった。その言葉を伝えるのにどこか羞恥がし、焔夜叉は母への思いをスクナに隠した。
スクナはそんな焔夜叉を射抜くような視線でじっと見つめる。
「立派な角や髪の色を持って生を受けたことは、ご両親のおかげじゃないのかな? そんなに恨んでばかりいたら、焔夜叉さんを産んでくれたご両親に失礼だよ」
焔夜叉は目を丸くしてスクナを見た。スクナは彼と視線を合わせて、首を傾げる。
「私たち兄妹は角も歪んでいるし小さいし、髪の色だってくすんでいるし、全く鬼として立派とは言えないけれど、産んでくれた両親には感謝しているしね。焔夜叉さんのところなんて、鳶が鷹を産んだようなものでしょう? 恨むどころか、感謝しなくちゃ」
スクナが淡々と話している際、焔夜叉はスクナを見つめながら天地が逆転したかのような感覚がしていた。
逆転の発想と言えばそうだが、そういう考えをすることなど焔夜叉は考えも付かなかったことだった。
「感謝だと?」
「知らないの、感謝? ありがとうって、相手に親愛の情を伝えることよ」
今まで弱者を下に見過ぎて、感謝の感情を知らないのだろうとスクナは思って、丁寧に教えてあげた。
「あ、いや。それは知っているが……」
得意気に胸を張っているスクナに向かって、焔夜叉は困惑したように呟いた。こういう爛漫な鬼はどうも調子が狂う。
「私、焔夜叉さんがお兄ちゃんをかなり意識していることを不思議に思っていたのだけれど、あなたが容姿に拘っていたのは間の子だったからなのね」
焔夜叉はその言葉に鋭い視線をスクナに向けた。スクナはその視線に気付いていたが、軽くあしらうように無視をした。
「純血の鬼のくせにあの容姿で劣等感を持たず、悩みがなさそうに振舞う春日童子が、憎かったのかもな……」
「いや、さすがのお兄ちゃんでも悩みがないということはないだろうけれど」
焔夜叉は恐らく自分が間の子だということに劣等感を抱いていたのだ。
いくら角が小さく歪んでいて、髪の色が青くくすんでいるからと言ったところで、春日童子は純血の鬼なのだ。
そして焔夜叉は、いくら立派な外見を持ったとはいえ、所詮は間の子だ。
どこか不条理で、羨望の情も抱いていたのだろうかとスクナはぼんやりと思う。
「お兄ちゃんは鈍感だから、あなたの感情にはきっと気付いていないよ。気にしなさんな」
焔夜叉にも罪悪感があったのだ。その事実を知ってスクナは少し嬉しくなった。この強い鬼にも情というものが備わっているのだ。
「あなたは努力したからこそ実力を付けたとも言えるんじゃないかな。鬼の子だと過信していたら、ここまで努力をしなかったと思うわ。あなたの強みは鬼と人間、両者の弱さを知っていることね」
満面の笑みで微笑んだスクナの視線を反らしながら焔夜叉は眉を潜めた。
「さて、ようやく薬が効いてきたかな。とても眠そう」
「……ああ」
虚ろな目で瞬きをしたが、もう起きていられそうになかった。焔夜叉は静かに目を閉じる。
「お休みなさい。今はただ、良い夢を」
「……どこへ、行く」
ふと着擦れの音がしたので、目を閉じながら朦朧とした意識でスクナに尋ねる。スクナは立ち上がりながら焔夜叉を見下ろした。
「馬鹿なお兄ちゃんを回収してくる。そのついでに私も鈴鹿御前さんを一発殴ってくるよ」
スクナの言葉は、すでに目を瞑ってしまった焔夜叉に届いたかはわからなかったが、笑いながら片目を瞑ると、スクナは手を振って軽やかに小屋を飛び出した。
*続く*
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