Shame,on me

埴輪

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工藤くんの言い分

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 なんとか迷わず駅に着き、工藤はバッテリーが危うくなっているスマホの時計を確認する。
 次の発車時刻までそこそこ時間があった。
 仕方なく自販機で適当な飲み物を買って近くのベンチに腰掛ける。
 珍しい早朝の駅は工藤の予想よりも人が多く、皆が皆忙しなく動いていた。
 その日常の群れを眺めながら、工藤は妙に苦く感じるカフェオレをちびちび飲む。

 昨夜は違う店舗に異動する社員の送別会で、工藤も佐々木さんも今日は休みを取っていた。
 午後から大学に行かなくてはならない工藤は今日はもうサボろうかと色々算段しながら、結局また昨夜のこと、さっきまでの佐々木さんとのやりとりのこと、これからのことを考えてしまう。
 無理に違うことを考えようとすると余計に意識してしまう自分に苛立つ。

 それでも工藤の思考はやはりコロコロと嫌な方に転がり落ちて行った。

 そもそもなんでこんなことになったのか。
 酷い酔い方をしたわけでもない。
 むしろいい感じにテンションは上がっていたが、あのときの工藤の意識はしっかりしていた。
 ただ、ちょっと理性が緩み、いかにもな感じで酔っている女の姿に悪戯心に近い何かが芽生えてしまったのだ。
 思い返しても工藤がまともに覚えているのは抱いた女の裸と喘ぎ声で、当の抱いている女の顔は途中までぼやけていた。
 今、自分が誰を抱いているのか。
 誰とセックスしているのかと意識したのは射精した後だ。

(佐々木さんとセックスしたんだよな…… 今更だけど)

 佐々木さんがイクときの顔もあまり思い出せない。
 元カノと別れてから三ヵ月。 
 その間生のセックスの気持ち良さを忘れかけていた工藤はただ夢中で腰を振った。
 セックスの味を覚えて夢中になっていた頃のように。

 女の部屋に入った時点で工藤はもうそういうことをする前提でいたし、酒と理性と男の性欲の狭間で悶々としつつ結局あのときはあれこれ言い訳しながら生々しい女の裸に興奮していた。
 部屋が散らかってるとか、壁が薄そうだとか気にしたり気づいたりする余裕もないほど。

(……俺、意外と溜まってたんだな)

 なんて、ゴムの中に吐き出してから工藤は自分がそこそこ欲求不満だったこと、明け透けに言えば女に飢えていたことを自覚した。
 そこそこ途切れることなく一定期間彼女がいたため、セックスに飢えるという経験があまりなかったせいもある。
 マスターベーションだけでは発散できない欲に気づかなかった。
 そうでなければ佐々木さんを抱いたりしない。
 手近にタイミング良く手頃に抱ける女がいた。
 それも酒が入って理性が緩み、性欲がむくむくと湧いていたときに。

 据え膳食わぬは男の恥だとかなんとか言うけど。
 あれはきっと遠い昔、自分と似たような失敗をした男達が考えた言い訳に違いない。

(……俺って若干最低、かも?)

 今更ながらちょっとだけ工藤は反省した。

 佐々木さんに悪いなと思う良心はある。
 けど、それ以上に工藤は万が一佐々木さんに好かれたり、逆に被害意識を持たれて後で面倒なことになるのではないかと、そっちの方を心配していた。
 最悪、責任を取れなんて言われたらどうしよう。

 そんな風に考えること自体最低だと分かっているが。

(だってあの人のことなんか何も知らないし……)

 だから佐々木さんがどんな反応をするのかまったく読めない。
 工藤は内心ビビっていた。
 男のプライドであの場はなんとか冷静さを保っていたが。
 面倒なことなんてしたくない。
 確かに佐々木さんとセックスした。
 けど、気持ち的に不本意というか、不可抗力だったと工藤は内心一人で言い訳する。
 男の性欲なんて不慮の事故みたいなものだ。
 無理矢理したわけでもないし、穏便に済ませたい。
 だから佐々木さんと真剣に真面目に話し合う気はなかった。
 どう話を有耶無耶にするか、佐々木さんの機嫌をとって、場をなんとか治めることだけに工藤は必死に脳みそを回転させていた。

 佐々木さんから謝って来たときは拍子抜けしたと同時に張りつめていた緊張が一気に緩んだ。

 助かったと思った。

 あとは佐々木さんの気が変わらない内に、さっさとその場から逃げる、逃げた。

(かっこわりー……)

 めちゃくちゃ無責任かつ、情けない。
 でも正直あの場で佐々木さんに責められたり、最悪泣かれたりしたら工藤は冷静ではいられなかっただろう。

 たぶん、イライラが爆発してもっと最悪な展開になっていた。

 工藤は自分が意外と沸点が低い男だということを自覚している。
 元カノと別れたのも子供の喧嘩みたいな理由だ。

(女って面倒くさいんだよなー すぐ感情的になるし)

 昨日のあれからまた更に訳の分からないノリであれな関係にならないために、こうして工藤は逃げている。
 逃げているという自覚はあったが、それを簡単に認めるには工藤のプライドは若干高かった。

 それも仕方がない。
 だって、相手はあの佐々木さんだ。
 人生がストーリーで、自分がその主人公だったら佐々木さんはモブどころか背景の挿絵レベルの存在でしかない。

 汗でべたべたぬるぬる、気持ち悪いほど生温かいリアルな肉感。
 生々しいそれらを掌に感じたとき、工藤は佐々木さんも生きている生身の人間なんだなー、この人もリアルな存在なんだなーっと、やっとその存在を認識した。

 すごく皮肉だ。

 特になんとも思っていなかった女の人。
 本当に、工藤は佐々木さんにまったく興味関心がなかった。
 好きか嫌いかなど考える必要もない。
 仕事が出来るか出来ないか、性格がいいか悪いかもまだ判別できないぐらいの浅く短い付き合いなのだ。

 立場上年下の工藤が後から入って来た佐々木さんに仕事を教えたりすることも何回かあった。
 シフトの都合上一緒になることも多いし、挨拶以外にちょっと一言二言話すこともある。

 けど、それだけだ。

 はっきり言って工藤の中で佐々木さんはまったくそういう対象ではなかった。
 アリかナシかと考える必要もないほど、ごく当たり前のようにそう認識している。
 いや、インプットされていた。

 外の空気を吸って少しずつだが冷静さを、普段通りの自分を取り戻し始めた工藤はもう一度深呼吸をする。

(余計なことは考えるな)

 そうだ。
 深刻に考えなくとも、もう終わったことだ。
 やってしまったものは仕方がない。
 忘れるしかない。

(忘れ…… られないけど)

 たぶん、しばらくオカズになる。
 でも建前として昨夜のことは忘れるべきだ。
 少なくとも明日佐々木さんと職場で会うときはいつも通りでいなければならない。

 そこでまた不安がぶり返して来た。

(大丈夫だよな?)

 自分は平気だ。
 こんなことは初めてだが、明日も明後日も、その後も表向き平気な顔で佐々木さんと接することができる。
 だっていくら一晩寝た相手とはいえ、元々工藤は佐々木さんになんの興味もないのだ。
 確かにしばらくは顔を見るたびに、その制服の下のおっぱいや喘ぎ声を思い出すだろうけど。
 でも、カワイイ子を見たらつい視線で追いかけたり、気になる子のエロい姿を想像したりは男として当然だ。

 だから、自分は大丈夫。

 宣言通り、約束通り、忘れることができる。

「……だりぃ」

 なんだか、もう全部が面倒くさい。
 午後からの講義、そして明日のシフト。

 空になった缶と一緒にそわそわとイライラするようなこの憂鬱と後悔も一緒に捨てたい。

 役得、ラッキーだと思う気持ちもなくもないし、実際に気持ち良かったし、発散もできたけど。
 それでも、もしも昨日に戻れるのなら工藤は絶対に酒は飲まない、そもそも飲み会自体に参加しない、佐々木さんと二人にならないことを迷うことなく選択する。

「……」

 なんて、考えている内に電車が来た。

 ゴミ箱に捨てた缶が奇妙に歪んでいることに気づき、工藤は溜息を吐くべきか自嘲を浮かべるべきか迷って、それにまた意味もなくイライラした。

 そこそこ順調な人生を歩んで来た工藤にとって佐々木さんとの一夜の過ちは正しく「過ち」なのだ。
 初めての本格的な失敗、人生の汚点だと思っている。 

 べたつく首筋を撫でると佐々木さんに噛まれた肩がひりひり痛んだ。
 ベタな感じに見えるところに噛み痕がつかなかっただけ幸いか。
 キスマークもたぶん無かったはずだ。

(いってぇ……) 

 とは言っても痛いものは痛い。
 肩の痛みを思い出すとついでに背中のひりひりも蘇ったような気がする。
 蚯蚓腫れになっていないかと心配だ。

(これが好きな女だったら……)

 痛いどころか、その痛みすら愛しいと思ったかもしれない。



 工藤は今、密かに好意を寄せている女がいた。

 
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