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佐々木さんと工藤くんの予定調和
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しおりを挟む「げ」
思わず口から飛び出た声はひどく嫌そうだ。
自分の声のはずなのにまったく知らない他人に思えるほど、その声はうんざりしていた。
「……うわ」
恐る恐ると鏡に映る自身の上半身をまじまじと見つめる。
正確には痛みもすっかり引いたはずの肩を、だ。
まだまだ記憶に新しいその傷は日に焼けていない肌にとてもよく目立っている。
昨日確認したときよりもずっと。
「……」
無言で今度は鏡に背中を向け、すぐに後悔した。
(……力入れすぎだろ)
文句を言っても仕方ない。
今になってから目立ちすぎる痕に気づいた自分も自分だ。
齧られたときも、爪で引っ掻けられたときも、気が逸れたのはほんの一瞬ですぐにまた行為に夢中になっていた。
だから工藤は特に佐々木さんを恨んではいなかった。
きっと彼女もわざとやったわけではない。
ただ、少し意外だとは思う。
短い付き合いだが、工藤の中の佐々木さんは基本真面目で明るくて、ちょっと頼りないイメージだ。
こんな痛々しく、生々しい痕をつけるなんて、想像もしていなかった。
(……必死だったもんな)
必死というよりも、夢中だった。
自分がではなく、佐々木さんが。
(結構…… いや、ずっとあの人、泣いてたし)
泣いているように見えた。
苦しくて泣きそうな表情で、涙を浮かべて。
体位を変えようと動いた瞬間にぽろっと零れ落ちた涙を工藤は覚えている。
汗で湿った皮膚を擦りつけるように、あの夜二人は抱き合った。
きっかけは冷静に振り返れるようになった今でも分からない。
こんなこと初めてだ。
佐々木さんがどうかは知らないが、少なくとも工藤は初めてだ。
恋人ではない女と寝るなんて。
好感はあっても特別な好意などなかった女をどうして抱いたのか。
鏡に映る憮然とした顔の男に視線で問いかけても答えは出ない。
むしろ苛立ちに近い、もやっとするような黒い何かが心臓の裏側に潜り込んだ。
イライラとモヤモヤが混ざり合った嫌な感情に工藤は舌打ちする。
「くそ……」
上半身裸のまま、ぼーっと脱衣所に突っ立っていたせいで妙に寒い。
一度脱いだシャツを羽織り直しながら工藤は呆れと苛立ちに溜息を繰り返した。
忘れようと決めたはずなのに。
何事もなかったように振る舞おうと思っていたのに。
気づくとずっと、あの夜のことを思い出している。
数時間前に隣り合って仕事をしていた佐々木さんの顔がぽやっと浮かんだと思えば、その次に起き抜けの無防備な顔が割り込む。
そして決まって最後は……と、またループしそうになるので工藤は慌てて頭を掻きむしった。
工藤はあの夜のことがまだ忘れられない。
薄れたと思えばちょっとしたことでまた思い返し、当の本人の顔を見た途端にまた生々しく蘇る。
気恥ずかしさとか、気まずさとか、色々なものが吹き出してしまうのは仕方がない。
酒とノリと空気に流されて抱いた女が、ちょっと動けば袖と袖が触れ合えそうな距離にいる。
顔が強張っていないか、変に力んでいないか、二人の間の空気、佐々木さんの態度に周りが不審に思ってしまうのではないか。
なんて、一瞬でも思ったのに。
『おはようございます』
自分に挨拶して来た佐々木さんの表情も声も、一瞬あの夜全てが性質の悪い夢だったと錯覚しそうになるほどいつも通りだった。
『工藤くんにも、いつも助けてもらってるし……』
あのとき心底申し訳なさそうに、そしてどこか照れたような声色に工藤はなんだか妙な感情を抱いた。
いや、抱いたというよりも引っかかったのだ。
あのとき、ほんの一瞬とはいえ工藤は「失望」した。
工藤とのあれこれのせいで今日の佐々木さんはもしかしたらいつも以上にミスしてしまうかもしれない、挙動不審な姿に周りに何か勘づかれるかもしれない。
そんな佐々木さんを想像し、覚悟して工藤は職場に行った。
それなのに、佐々木さんはいつも通り。
むしろいつもよりも落ち着いて仕事していたと思う。
不自然に工藤から離れるわけでも避けるわけでもなく、本当にいつも通り。
雑談して、二人で軽く笑って。
傍から見ても何も違和感がない。
それが工藤にすれば違和感だらけなのだ。
認めたくない。
佐々木さんのあの態度は工藤自身が望んだものなのに。
心のどこかで失望している。
自分といつも通りに話す、いつも通りにただの仕事仲間として接するその態度に若干ショックを受けていることに。
ようはプライドの問題だ。
矛盾しているからこそ、工藤のように冷静に自分を見つめ直せる男は余計にイラついてしまう。
「ムカつく……」
佐々木さんにではなく、振り回されている自分がとってもダサくてムカつく。
蓋を開けてみたらどうだ。
自分の方がずっとずっと余裕がない。
それがなんだかとても悔しくてムカつくのだ。
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