ごめん、もう食べちゃった

埴輪

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じゅうにー

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 苑子と秋が付き合ってからまだ一日しか経っていない。
 だが、勇気ある一年があの苑子に堂々と告白をし、そして見事にそれを成功させたという一種の武勇伝は苑子のクラスを中心にそれなりの話題を攫ったらしい。

 当の噂の勇気ある一年、もしくは毒牙にかかった哀れな一年は周りの好奇心に満ちた視線など気にもせずに苑子に話しかけている。
 他学年の教室にいるというのに気負う様子など微塵もない。
 意外でもなんでもなく、秋の神経は図太いのだ。
 大柄な体を一生懸命に縮ませ、机に両肘をつけて身を乗り出すようにして喋る様子は甘えたな大型犬そのものだ。
 その尻尾を高速で振っているのが分かる。

「秋くん、もうすぐHR始まるよ?」
「大丈夫です! 俺、足速いんで!」
「……あっそう」

 短いスカートにも関わらず大胆に脚を組む苑子にドキドキしながら、秋は少しでも苑子と同じ空気を吸いたい一心でまったく大丈夫ではない返事をした。
 そして当の苑子も後輩であり彼氏でもある秋が周りから好奇の目で見られたり、この後担任に怒られようがなんだろうが大して興味もなかったため適当な相槌を返すのみだ。
 別に秋がべったりと自分の机にしがみ付いていも特に不愉快でもなければ嬉しくもなく、朝からテンションの高い秋に反して苑子のテンションは凪いでいた。

(本当、犬みたい)

 きゃんきゃんっと主人に何か伝えようとする様子を見て苑子は今日何度目かの同じ感想を抱いた。
 自分よりもずっと上背があるのに必死に背中を丸めて上目遣いに苑子に話しかけるところは確かにポイントが高い。
 無意識にその短い髪の毛を撫でたり、頬っぺたを抓ったり、鼻を摘まんだり、唇を引っ張ったりと遊んでしまうぐらい。
 気まぐれに苑子が与える悪戯は秋にとっては心擽られる甘いご褒美であり、思わず股間の辺りをもぞもぞさせてしまうぐらいには下半身に迫るものがある。

(苑子先輩…… やっぱ、エロい)

 頬杖をつき、どこか気だるげにスマホを弄る横顔は憂いに満ちているように秋には見えた。
 実際はただ眠いだけなのだが、苑子レベルの容姿になるとどんな表情でも絵になってしまう。
 秋の場合は更にそこに恋心というピンクのフィルターがかかっているためか、とにかく苑子の動作一つ瞬き一つ見てもドキドキと馬鹿みたいに心臓が高鳴るのだ。

(俺、昨日、苑子先輩と…… エッチ、しちゃったんだよな……?)

 今でも、あれは都合の良い秋の夢だったのではないかと疑ってしまう。
 背中の爪痕や歯形、キスマークがなければ秋はただの妄想だと思ったかもしれない。
 それだけ、苑子とのエッチは「夢」のようだったのだ。

(ヤバい…… 幸せすぎるだろう、俺!) 

 目の前にいる誰もが認める可愛い自分の彼女。
 可愛くて最高にエロい彼女と、エッチをした。

(苑子先輩……)

 今朝も夢に出て来た厭らしい苑子の痴態。
 馬鹿みたいに抜いたはずなのに、思春期真っただ中の秋の性欲と妄想は留まることを知らない。
 なんせ、目の前に本物の苑子がいるのだから。
 その髪から、首筋から漂って来る甘い匂いに秋は興奮を抑えるのに必死だ。

(キス、したい……)

 昨日に比べるとだいぶ冷たい苑子の態度を気にすることもなく、秋の視線はチェリー色に色づく苑子の唇に集中している。
 あまりにも熱心に、気づけば机に身を乗り出すようにして苑子の顔に集中していた秋に、苑子はふっと唇の形を緩めた。

 当然のように秋の心臓が期待に飛び跳ねる。

「ねえ、秋くん?」
「はっ、はいっ!」

 そんな秋の不埒な思考を見抜いたようなタイミングの良さで苑子が声をかける。
 慌てたように身を屈めて苑子をわざわざ見上げるようにして体勢を変える秋。
 もぞもぞと膝を擦り合わせる秋を見下しながら、苑子は静まり返った教室で一人笑った。

「もう、HR始まってるから」

 教壇で疲れたように嘆息する担任に手を振りながら、苑子は別れの餞別とばかりに間抜けな顔でこちらを見上げてくる秋の額を小突いた。

「ハウス」

 惚れた欲目を抜きにしても、そのときの苑子の悪戯めいた笑みは最高に可愛くて、魅力的だった。






 さて、自身の教室にすごすごと戻った秋は担任の叱責に上の空で答えつつ、苑子のあの別れ際の可憐な笑顔を反復しながら窓の外を見て溜息をついた。

(あー…… 苑子先輩に会いたい……)

 まだ別れてから五分も経っていないのに、もう秋は苑子に会いたくて会いたくて仕方がなかった。
 後で職員室に来いと言われても秋の心は苑子を中心に回っていたためまったく聞いていない。
 ついこの前まで中学生だったとは思えないほどの立派な体格をした秋が無言でいるだけでなんだか威圧感がある。
 そのため担任もなかなか強く言えなかった。

(苑子先輩……)

 先輩は今何をしているのだろうか。
 流れる雲を見つめながら、秋は思いを馳せた。

(苑子先輩と……)

 もぞもぞと秋は机の下で狭そうに脚を組みながら、頬杖をつく。
 苑子の真似をしながら秋はぽっと頬を染めながら黄昏ている。
 秋は恋に溺れる青年特有の切ない溜息を吐き出していた。

(また、したいなぁ……)

 何を、とまで考えて慌てて雑念を振り払う。
 不埒な欲望を抱く自分を叱咤しながら、それでもどこか腰が浮くような感覚に若い下半身が反応しようとする。
 昨日の今日でがっつきすぎだろうと慌てながら、ふわふわと蕩けた脳がつい期待してしまう。
 いや、もうこの際我儘は言わない。

(……キス、俺からしても、嫌われない、よな?)

 せめて、あの唇の感触をもう一度味わいたい。

(苑子先輩と、キスしたい…… てか、会いたい。声、聴きたい……)

 頭の中の苑子が頬を染めてうっとりと秋の首に腕を回す。
 真っ白な裸で。

 また、昨日のあのシーンの数々を鮮明に思い返してしまった秋の顔は真っ赤だ。
 思わず内股になってしまう程度に、生々しく思い出してしまった。

(ごめんなさいっ、苑子先輩! 俺、やっぱ、先輩とまたエッチしたいっ 思い切りおっぱい揉んで、いっぱいキスしたいです! それから、あと……)

 あれやそれやと元童貞が精いっぱい思いつく限りのエロいことを考えて脳内苑子で妄想する秋は自己嫌悪と興奮の狭間にいた。
 むにむにと何かを揉もうとする両手を抑え、うわー、ごめんなさいっとあまりにも明け透けな自分の欲望に首まで赤くして一人悶絶する。
 体格の良い秋がそうすると迫力があり、密かに挙動不審な様子を注目していたクラスメート達はなんとも微妙な顔で見守っていた。

 ちなみにこの状態で秋は一限目を乗り越えた。
 担当の教師も関わりたくなかったのだ。

 そんな、一人でじたばたと見悶える秋に、恐る恐る声をかける者がいた。

「おーい…… 間宮?」

 挨拶する程度のクラスメートから声をかけられても、秋は自分の恥ずかしい妄想に夢中だった。
 軽く無視して腕を組んで顔を埋めている。

「なぁ…… 無視すんなよ。お前に客だって、二年の」
「苑子先輩っ!?」

 二年、という単語にがたっと椅子を倒して立ち上がった秋に、親切にも声をかけた同級生はびくっと怯えた。
 起き上がると改めて分かるが、秋はデカいのだ。
 平均身長のモブはその威圧感に完全に飲み込まれていた。

「えっ、どこっ!? 苑子先輩、どこにいんだよ!」
「ちょっ、いたっ」

 肩を掴まれてぶんぶんがくがくと揺さぶられながら、モブは背後の扉を指差す。
 慌てて満面の笑顔でそちらを向いた秋は、硬直した。
 一瞬後、恋に浮かれて潤んでいた目に苛立ちと敵意が浮かび上がる。

「ひぃっ……!?」

 間近で見ていたモブは軽く悲鳴を上げた。
 ギリギリと両肩もまた悲鳴を上げている。

「……なんの用だよ」

 爽やかなイケメンと知らぬ間に周囲からそう評価されている秋は爽やかとは程遠い嫌悪感を露に睨みつけた。

 秋とはまた違う、涼し気な顔立ちで春斗はそれを受け止めた。



* * 


 苑子は好奇心丸出しの友人達から質問攻めにあっていた。
 昨日の帰り際に比べて明らかに朝苑子達を注目する視線やこそこそ言う話声が多くなっている。
 友人もとい、苑子の取り巻きである彼女達が積極的に何か流したのだろう。

「ねぇっ! 一体どんな心境の変化なわけ? 朝から一緒に登校とか」

 身を乗り出してくる友人達に苑子は珍しくもまともに対応している。
 その変化にも彼女達は敏感だ。
 いつもならば気のない返事をするか無視して寝ているかのどちらかだというのに。
 今もスマホを弄ってはいるが、その視線がこちらを向いていることに彼女達のテンションは上がりまくる。
 苑子は基本的に嫌われているが、やはりその容姿のおかげか男子からの受けは良かったりする。
 その分女子からは陰口の対象となっているが、何分苑子は目立つ。
 世の中にはそんな苑子にある種のカリスマ性を見出して惹かれてしまうタイプの女子もいるのだ。
 それが苑子の友達もとい、取り巻き軍団である。
 一年の頃はもっと数が多かったが、苑子の性格に嫌気が差して一人二人と脱落した結果今の人数に落ち着いた。
 取り巻き達からすれば苑子を利用しようとしていた女子がただ単に苑子に利用価値がないと分かって勝手に離れただけにすぎない。

 意外なほど、苑子はごく一部の女子からは熱烈に支持されていた。
 その分、物凄く嫌われてもいる。

 そんな珍しい苑子の友人達は目をキラキラさせて苑子の珍しい行動に興味津々だ。

「もしかして、今回は本気だったりするの?」
「あの一年の子、顔いいもんねぇ~」

 わいわいきゃあきゃあとまだ苑子は一言も口を開いていないというのに、随分と盛り上がっている。
 自身の机周りを囲む面々に苑子は呆れながらも、いつもよりはだいぶ機嫌良く相手をしてやった。

「うん。そんな感じ」

 過去の事例を踏まえ、苑子は牽制も込めて軽く頷く。
 類は友を呼ぶというように、男にだらしない苑子の周りにはやはりだらしない女が群がるのだ。
 つまみ食いやちょっかいをかけさせないようにそれとなくアピールする苑子に、一層騒ぎが増した。
 それに軽く口角を釣り上げながら苑子はスマホ画面を操作し始める。
 その画面に写るやりとりの一部を見た友人の一人が目を輝かせた。

「噂の彼氏?」
「うん。そう。お昼のお誘い」

 どこか甘やかな声で肯定する苑子に、彼女達の好奇心はうなぎ登りである。
 苑子がこんな風に彼氏の誘いに乗ることは珍しい。
 また、女から見ても非常に整った顔に含むような笑みを浮かべて頷く様子はなんだかとっても色っぽいのだ。
 思わず頬を染める彼女達の視線は苑子のさらさらな髪の間からちらほら見える赤い痕につい行ってしまう。
 苑子の尻が軽いというのは有名な話だ。
 そして面食いであることも。
 苑子は飽き性なせいか、付き合ったと思ったらその翌日には別れたりと気まぐれに自分に好意を向ける男達を振り回す習性があった。
 そのせいか男関係のトラブルも多々あったりする。
 束縛を嫌う苑子と上手く付き合い、楽しむには適度な距離感が不可欠だ。
 だからこそ、彼女達は明確に敏感に苑子の異変を察していた。
 当の苑子もわざと今の彼氏が他の男とは違うのだと周囲に思わせている。
 普段は煩わしい取り巻き達にはぜひ面白おかしく噂を広めて欲しいと思った。

 その方がきっと楽しい。



* * *

 
「でも、意外じゃない? あの子顔はいいけど、一年でしょう? そのちゃんのタイプでもなかったし」

 ふわふわと髪を揺らしながら、友人の一人が不思議そうに呟く。

「漸く苑子にも本命が見つかったってことでいんじゃない?」
「でも、付き合ったのって昨日からでしょう?」

 横から苑子の肩に凭れるようにして、友人は意味深に囁く。

「ね? どこがそんなに良かったの? 他の男と何が違ったの?」 

 一年の頃から何かとくっついて来たその女友達は昨日苑子の可愛い恋人を慰めてやろう云々言っていたことを唐突に思い出す。
 もしかしたらまだ諦めていないのかもしれないが、苑子が望まない限りあの忠犬が他の女に目が行くとは思えなかった。
 なので苑子はなんの危機感もなく、のんびりとその質問を吟味した。

「良かったところ、か。……秋くんの良かったところ?」

 何故か首を傾げる苑子。
 真剣に答えようという気はあるみたいだ。
 苑子がこんなくだらない話に付き合おうと思う時点でそもそも色々と可笑しいのだが、本人に自覚はまだない。 

「意外と身体の相性が良かった、かな」
「…………え、早くない?」

 もうやっちゃったの?と、幾分声量を落として尋ねる友人に苑子は画面に視線を落としたまま頷く。
 どうやら付き合った初日でヤったらしい。
 苑子は貞操観念が低いが、それにしても早すぎる。
 なんとなく、昂っていたテンションが落ち着き、苑子を取り巻く彼女達は神妙な顔で視線を交わした。

「……他は?」
「あとは、煩いけど私に絶対に逆らわないとこ。なんでも馬鹿正直に言うこと聞いてくれるとことか?」

 苑子らしいなと思いながら、黙って聞いていた内の一人がなんだか釈然としないような顔で呟く。

「今までの苑子の元カレ達も結構な下僕だったと思うけど……?」
「そうだっけ?」

 無言で頷く友人達に、苑子はもう飽きて来たのか話題の彼氏とのやり取りに今は集中しているらしい。
 それをいい事に小声で友人達は囁き合う。
 苑子にはしっかりと聞こえていたが、興味はないらしく放置していた。 

「……やっぱり、違うよね? 扱いが」
「あれ見ちゃうと、そのちゃんの元カレ達悲惨じゃない?」
「苑子の本気とか、ぶっちゃけ怖い……」
「浮かれてたけど、冷静に考えると確かに怖い」
「正直、想像つかないんだけど。最長三か月、最短三十分で男に飽きちゃう苑子の本気愛とか」
「その情報古いわ。最短三分だから」
「え。うちは最短三秒だって聞いたけど」

 きゃあきゃあと小声ながらもメンバー数はそれなりのためか、あまり忍べていない友人達のひそひそ話に苑子はよくもまあ、他人のあれやそれの話にそんな夢中になれるなと呆れつつも感心していた。
 ぴこぴこっと、ちょろっとメッセージを送っただけで返って来る彼氏の忠実っぷりに密かに口角を上げる苑子の様子に残念ながら友人達は気づけなかった。

「あーあー…… でも惜しいなぁ。私、絶対そのちゃんの本命は春斗君だと思ってた」

 ぴくっとタイムリーな名前が飛び出したことに一瞬苑子の指が止まる。

「それ、思った」
「春斗君マジイケメンだし。なんでバカ高ここたのかってくらい頭いいもんねぇ~ 一年のときは絶対に苑子を追いかけて来たんだって思ってたもん」
「幼馴染の美男美女カップルとかって。今考えるとうちら相当夢見てたよね」

 どこか遠くの出来事のように友人達の好き勝手な会話を聞きながら、苑子はなんとなく嫌な予感がした。
 別に信憑性のない噂や憶測で話している彼女達に怒っているのではない。
 無駄にハイスペックな幼馴染は高校でも苑子に対して無関心を装いつつ、そのクールな顔の裏でストーカーのように苑子を監視していた。
 苑子と春斗が付き合っているという噂は入学当初からあり、落ち着いたと思えばまたいつの間にか復活する、なんともしぶとく面倒なものだ。
 その度に批難されるのは素行の悪い苑子である。
 優等生として、また一年の頃から生徒会で活躍し、成績優秀で運動神経もよく、冷たくも見える整いすぎた顔でファンクラブまであるのではないかと噂される春斗。
 今も根強く囁かれている苑子と春斗の相思相愛説や、既に破局した説、どちらかの報われない片思い説など、苑子に新しい男ができるたびに面白おかしく噂が流されるのだ。
 その原因は間違いなく春斗のせいだろう。
 苑子にとってはいい迷惑でしかない。

「春斗君とそのちゃんのカップル…… 見たかったなぁ~」

 甘えるように苑子の首に腕を回そうとする友人に苑子は冷たかった。
 触れてこようとする手を軽く叩き、苑子は淡々と返す。

「絶対無理」

 春斗のことになると普段以上に冷たい反応をする苑子。
 取り巻き達も含めて苑子に春斗の話、または春斗に苑子の話は禁句であることは皆知っている。
 ある意味二人のその反応こそが周囲を誤解させる要因となっているのだが、生憎と忠告できる者はいなかった。



* * *


 桜咲く季節。
 桜の木から花びらが舞い落ちる体育倉庫の裏。
 桜色の絨毯の上を踏みしめる制服姿の男と男。
 傍から見れば、その険悪な雰囲気も相まって今から殴り合いが始まりそうである。

 秋は自分にとって特別な場所に呼び出した目の前の男を睨みつける。
 ちょうど昨日だ。
 この場所に苑子を呼んで告白し、晴れて両想いになったのは。
 だからここは秋にとってはとても意味深い場所なのだ。
 目に映る光景もまったく変わらず、より一層憎しみが増す。
 昨日、苑子がいるはずだった場所に今は物凄く気に食わない男が無表情で立っているのだから。
 既視感が湧くことにすら苛立つ。

「言いたいことあんなら、さっさと言えよ」

 元運動部の助っ人として活躍してきたせいか秋は上下関係に関しては弁えている方だったが、残念ながら春斗を敬う気持ちなどこれっぽちも湧かない。
 苑子のことについて話があると言われなければ素直にここまでついて来ることもなかっただろう。

 不機嫌どころか殺気すら隠そうとしない秋は普段の爽やかで人懐っこい顔を嘘のように歪ませている。
 高一が浮かべるには迫力のありすぎる嫌悪の表情に、春斗は一見無感動に見ている。
 その目にはどこか哀れむような、それでいて妬むような、嘲うような、耐えるような、複雑な色が滲んでいた。

「これは忠告だ。間宮 秋」

 厳かな言い出しに秋は馬鹿にしたように鼻で嗤った。
 その反応に春斗はどこか慣れたように話を続ける。
 実際に、こういった場面は初めてではない。 

「苑子と別れろ」
「……はぁ?」

 そして、秋のその反応も。
 春斗の台詞に一気にその場の空気が変わる。
 二人の間に漂っていた冷たい空気が、今にも破裂しそうな危険なものへと変貌した。

「お前は、あいつに騙されているんだ」
「……」

 意味が分からないと、秋の顔から表情が消える。
 代わりに春斗の顔には苛立たしいような色が浮かぶ。

 どこまでも二人は対照的だった。

「お前は都合よく利用されているだけなんだよ。苑子の、底意地の悪い糞みたいな企みのために、な」
「……黙れよ」

 春斗の予想と違い、秋は激高することなく、どこか冷静に話を聞いていた。
 だが、その額に浮かぶ青筋や、歪んだ唇から吐き出された唸り声には底冷えするような怒りが滲んでいる。
 苑子を侮辱し、始まったばかりの二人の関係を否定する春斗に対する怒りだ。

「これ以上苑子先輩を侮辱したら、ぶっ殺す」

 脅しでもなく、秋は本気でそう思った。
 見た目の通り直情型の秋はこれでもだいぶ我慢しているのだ。

 同じく本当は直情型である春斗もまた苛立っていた。
 何故、分かってくれないのだと、春斗の台詞に熱が入る。

「俺は、お前のために忠告してるんだ。あいつに、何夢見ているか知らねぇけど、さっさと目を覚ませ」
「うぜぇ」

 対して秋の返答はどこまでも冷たく、まったく動揺を見せない。
 春斗の秀麗な顔が歪む。

「お前は、なんも分かっていない…… 一年だから、まだあいつの噂も知らねぇから……! だから、あんな糞女なんかに惚れることができる。見た目だけ見て、あいつの本性も、内面もなんも知らねぇからな……」

 春斗の口は止まらない。
 桜の花びらが穏やかに舞い落ちる中、春斗の口から憎悪が吐き出される。
 まるで呪詛のようだ。

「野郎を誘惑して、当然のように遊んで捨てる淫乱だ。どんな色目使われたか知らねぇけど…… あいつがどれだけ最低で最悪か、その内嫌でも思い知る。その頃になって自分の見る目の無さを後悔しても遅い」

 春斗は秋がよりにもよって苑子に惚れたこと、そしてまんまと苑子の誘惑に堕ちてしまったことに強い憤りを感じていた。

「間宮 秋。お前は真性の馬鹿だ。その目はとんだ節穴だ」

 春斗は内心で血を吐き出すようにして叫んでいた。

(なんで、なんでこいつなんかが……!)

 プライドもなく、叫びたい気持ちをギリギリの理性で抑え込む。
 自分の嫉妬を誤魔化すように、春斗は髪を掻きむしる。

「苑子なんかに騙されて…… 本当に、大事なものが、綺麗なものが側にあることに気づいていねぇんだよ、お前は」

 落ち着けと自身に言い聞かせながらも、秋に対する負の感情が身の内で暴れまわる。
 ズキズキと痛む胸にも気づかないふりをした。

「……もう一度言うぞ」

 なんとか、息を整えながら、春斗は激情に燃え滾った眼差しを真っ直ぐ秋に向ける。
 対峙した秋はムカつくほど冷めた顔をしていた。
 だが、春斗と同じく怒りに燃えていることは、握りしめた拳と、興奮で浮き出た血管が証明している。

 一触即発な空気の中で、秋は春斗が次何を言っても殴ろうと決意し、準備していた。
 停学になろうが退学になろうがどうでもいい。
 春斗が苑子のことを好きなライバルだと思っていた今朝の自分すら許せないのだ。
 苑子のことをここまで侮辱した春斗を許せるはずもない。

「苑子と別れろ。いや、別れてくれ……!」

 だが、春斗のその台詞に含まれた身を切るような切実さに秋は一瞬の違和感を抱いた。
 よし、殴ろうと一歩足を踏み出したというのに、思わず動作を止めるほど、春斗は真っ直ぐに秋の目だけを見つめている。

「……なんで、俺がてめぇの言うことを聞かなきゃいけねぇんだよ」

 握りしめた拳をそのままに、秋は低く低く呟いた。
 秋には春斗の言動の唐突さや話の流れがよく分からなかった。
 苑子に対する侮辱は絶対に許せないが、どうも一見冷めているように見えるこの男は存外考えなしでその場その場で思っていることだけを好き勝手に吐き出しているようなのだ。
 だからこそ、真意が見えない。
 その目的も。

「……そうか。こんだけ言っても、目を覚ましてくれないんだな」

 春斗からすれば秋に言っていることは全て本音であり、揶揄もない。
 本当に思っていること、正しいと思っていること言っていないのだ。

 むしろ春斗は秋を救済しようと思い、行動している。
 秋を憎みながらも、その心は純粋で濁りがなかった。

「……なら、あいつの真意を教えてやるよ」

 不器用だからこそ、春斗はある意味で真っ直ぐだ。
 自分の行うことは全て正しいと、信じて疑わぬ純粋さがある。
 一つも、春斗は嘘をついていないことに秋は気づいてしまったのだ。

「苑子が、なんでお前と付き合ったか」

 だから、思わず秋は最後まで春斗の話を聞いてしまったのかもしれない。

「教えてやるよ。間宮 秋」

 これは、苑子が秋から昼食の誘いを受ける、ほんのちょっと前の出来事である。

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