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じゅうさん
しおりを挟む春斗の心に渦巻いているものは実に複雑であり、強固なものだった。
目の前の男に対する嫉妬と、羨望。
それを必死に抑え込んでいるのはどこまでも一途な想いと春斗の人格の軸ともなっている一人の幼い少女との遠い記憶だ。
追憶の中で、春斗の心を今だ放さない、少女の涙で濡れた大きな瞳がちりちりと胸を焦がす。
そして、その甘酸っぱくもあり切なくもある情景に今は色が差し込んでいる。
記憶の中だけの情景に色が宿ったのはつい先ほど。
今朝の出来事だ。
今だ指に残る熱い涙の感触。
無粋な前髪とレンズの奥に隠れた儚げな瞳。
昔と何一つ変わらない涙に濡れた黒い瞳が春斗の心の奥底に大事にしまわれた情景と交差した。
それと共に忘れたくて仕方がない、春斗と春斗の大事な女の子を穢す忌々しい存在。
春斗の記憶の奥底に仕舞われた記憶が呪いのように蘇ろうとしている。
思い出してはいけない、と何度も何度も自分を戒めて来た過ち。
それを振り解こうと春斗は意を決して目の前の男を見据えた。
乾いた唇を舐め、口を開く。
「知りたいだろう? 苑子が、なんでお前と付き合っているのか」
「……」
男の目に浮かぶ感情がありありと手に取る様に分かる。
春斗が聡いのではなく、ただ男が単純すぎるのだ。
敵意と僅かな戸惑いと、好奇心。
なんとも分かりやすい男に対して理屈ではない苛立ちが生まれる。
「知りたいよな? あいつの噂、知ってるだろ? 次から次へと男をとっかえひっかえして、付き合う理由も期間も皆バラバラ。統一性もなけりゃ、節操もない、顔しか取柄のないビッチ女がお前に興味を示した理由」
「…………」
だから、思わず口から辛辣な、八つ当たりにも似た嘲笑が出た。
単純な男だから、すぐにでも手が出るかと思えば、意外なことに眉間に深い皺を寄せるだけで春斗の言葉を黙って聞いている。
噂ぐらいは承知の上で苑子に告ったのだろう。
過去、そういう男を春斗は腐るほど見た。
噂は所詮噂と、苑子に夢を見る者。
逆に自らの献身で苑子を更生させようとした者。
どうやら単細胞な目の前の男は後者らしい。
愛さえあれば、懸命に尽くせば苑子の心を手に入れられると自惚れているのだろう。
(だから馬鹿と自惚れは嫌いなんだ)
だが、そんな馬鹿に心を振り回されている可哀相な存在を春斗は知っている。
知ってしまったからには無視などできなかった。
繊細だからこそ、無神経な輩に傷つけられてきた想い人を春斗は助けたかった。
「あんた、なんでそんな苑子先輩のこと悪く言うんだよ。幼馴染なんだろ?」
「……っ」
だが、春斗の胸の内など知る由もない男は先ほどまでの敵意丸出しの表情を引っ込め、どこか訝し気に口を開く。
予想外に冷静な様子に、元来激情型の春斗は違和感を覚えるよりも怒りめいたものが沸き上がるのを抑えるのに必死だった。
「……幼馴染だから、こそだ。あいつのことは、俺が誰よりも知ってんだよ」
「……なんだよ、それ」
ふと、今まで不思議なほど素直に春斗の言葉を聞いていた男の纏う空気が変わる。
春斗の物言いが気に入らなかったのか、どこか温厚な大型犬のような爽やかな顔に不釣り合いな嘲笑が浮かんだ。
「つーか、もしかして……」
春斗の神経を逆撫でするように、男はゆっくりと口を開いた。
「あんた、苑子先輩に振られてんの?」
*
さて。
苑子が堂々と居眠りをしている内にいつの間にか昼休みとなっていた。
さすがに寝すぎたせいでどうも頭がぼんやりとしてしゃきっとしない。
まぁ、いつものことかと脳みそが溶けたような目覚めの感覚に身を委ねつつ、お昼は何にしようかと呑気に欠伸をしながら考えていたときだ。
(あー…… お昼約束したんだっけ。めんどい)
秋との約束を頭の片隅に思い浮かんでいた所にざわっと教室の空気が妙な揺れ方をした。
騒めきの中から自分の名前が出たため、待ち合わせを待てなかった駄犬がまたやって来たのかと入口の方を振り向き、目を瞬かせる。
眠たげな瞼が驚きのあまり跳ね上がるのが分かった。
気づくと複数の好奇心と驚嘆に満ちた視線が苑子と、入り口の方に注がれている。
人目に晒されることに慣れている苑子と違い、見ず知らずの上級生達から注目されたその人影は哀れなほどに震えていた。
「そのちゃん、そのちゃん!」
目を見開いたまま、珍しくも困惑を全面に出す苑子に気づかず、いつも苑子の周りに纏わりつく友人その一が興奮気味に震えるそれの腕を掴み、こちらに引っ張って来る。
「ねぇっ、この子! この眼鏡の子が、そのちゃんの妹って本当!?」
びしっと捉えた腕の主を指差し、目を好奇心で輝かせる友人に苑子は毒気を抜かれたような気持ちでそれを見た。
「……一応」
一応ってなんだよっと内心でツッコミながら、苑子は今にも泣きそうな顔で自分を見て、慌てて視線を反らし、そしてまた見て来る雪子に手を振った。
ざわめく教室に昼休みが終わる頃にはまた噂が広まるんだろうなと苑子は確定された未来を思った。
なんせ苑子は人気者なのだ。
これも有名税というか、自分が可愛過ぎるのがいけないんだろうなと冗談半分本気半分に苑子は思っている。
切り替えの早い苑子は初めの戸惑いなどもう忘れ、昨日の今日で自分にわざわざ会いに来た雪子に対する興味で頭が一杯になった。
どんな心境の変化だと、その顔を覗き込もうと犬を相手するように手招きする。
周囲の視線に縮こまっている雪子を引っ張って来たのはその腕を掴んだままの友人だ。
見た目よりも力があるらしい友人が喜々として獲物を引きずるようにして苑子の前に雪子を引っ張って来る。
有難い友人である。
「そのちゃんに妹がいるなんて初耳だよっ」
「ひぅっ」
「変な鳴き声~ 子豚ちゃんみたい~」
テンションの高い、おまけに見るからに自分とは違う人種に雪子の怯えは最高潮だ。
「一年ってことは、一個下だよね? 名前は? 組は? ねぇ、教えて教えてっ」
「あゆ、落ち着け」
「あはっ。何、この前髪。眼鏡もすっごいダサーい。本当にそのちゃんの妹? ぜんぜん似てなーい」
「……あゆ、ね、落ち着こう」
ずいっと雪子を至近距離で見つめ、髪の毛のようにふわふわとした口調でなかなか辛辣なことを悪びれもなく言う友人一ことあゆに苑子の周りに集まって来た他友人達からの制止がかかる。
どうどうと馬を宥めるようにあゆの手から雪子を引っ張り出そうとする友人達。
当事者の一人である苑子はまったく一切手伝う気はないようだ。
また雪子の方はあゆの何気ない率直な物言いに傷ついたのか、俯き今にも泣き出しそうな雰囲気である。
(めんどい……)
泣くことが専売特許のような妹にげんなりする。
今も無数の視線が苑子達に注目しているのだ。
泣いた妹を放置しても良かったが、後で面倒なことになりそうだ。
「マジ? あれが妹?」
「全然タイプ違うじゃん」
こそこそと耳に入る周囲の騒めきにいちいちびくびくと怯える雪子に溜息を吐き出したい気分だ。
何か面白いことをしてくれるのかと思ったが、どうやらここに来るまでが精いっぱいのようだ。
可哀相なぐらいに震える姿は男の庇護欲を掻き立て、いくら前髪が長かろうと、眼鏡が野暮かろうと、その潤んだ大きな瞳に気づく者は気づく。
「てか、妹も結構可愛くね?」
「な。姉と違ってめっちゃ清純そうじゃん。むしろビッチよりも断然いいよな」
「しかも、妹の方が胸大きいよな?」
「巨乳だ、巨乳」
好奇心と下心が混ざりに混ざった軽率な声に、苑子は表情一つ変えずに頭を掻く。
外野の言葉などどうでも良かったし、苑子と雪子を見比べてそんな感想が出るのは必然だと本人が一番よく分かっているのだ。
まぁ、最後に何か言った奴は後で何かしらの報復をするつもりだが。
「あゆ、いい加減放してやって」
今だしつこく雪子の顔を覗き込み、必死に苑子との共通点を探しているらしいあゆを諫める。
だが、普段ならば素直に苑子の言うことを聞くあゆはどこか不満気に口を尖らせて理不尽な文句を並べた。
「だって、だって、そのちゃんに妹がいるなんて聞いてないし。おまけに全然タイプ違うし、似てないし、似てないし、喋んないし。おまけに暗そうだし」
「そんな似てない?」
似てないをあえて二回言うあゆに苑子は首を傾げる。
まぁ、確かに似てないかと思いつつ、何故か妙なフィルターがかかった目で毎日鏡を見る妹の前髪を無造作に掴み上げる。
「ふぇっ……っ」
「何その声」
痛いのだろう。
痛くしているから当たり前か。
自分でも自覚している穏やかな笑みを浮かべて、苑子は雪子の額を露にさせる。
傍から見れば姉妹がじゃれているようにしか見えないはずだ。
たぶん。
「でも、ほら」
ぐいっと雪子の顎を掴み、まん丸に見開かれたあゆの視界によく映り込むように角度を変えてやる。
「ね? 結構似てるでしょ?」
「……おー」
同じ様にのぞき込んでいたらしい友人達の口から感嘆の声が漏れるのを聞き、苑子は歪に笑った。
* *
さて。
色々と騒ぎが大きくなる前に雪子を教室から連れ出した苑子だったが、雪子の手にあるお弁当を目にして昼食を買うのを忘れたことに気づいた。
舌を縺れさせ、こちらに目線を合わせずに一緒に昼食をとりたかったのだと言う雪子に嫌味かと思いつつ、仕方なしに自販機から適当なジュースを購入した。
今の時間売店に行っても人の波に巻き込まれるだけだと知っているのだ。
残り物に期待は持てないが、最悪友人達のお菓子やらなんやらを貰えばいい。
と、思考が逸れたところではたっと何かを忘れていることに気づいた。
学校という空間で実妹と対面している違和感が強すぎて何か忘れてしまったような気がする。
(あれ…… なんか忘れたような……)
ちょっと考えれば思い出せることだったが、それは残念ながら何か意を決したのか、上擦った声で呼びかける雪子の存在でまたまた胡散してしまった。
「お姉ちゃんっ」
「何」
だるそうに桜の花びらが散りばめられた段差の上に腰を下ろす姉に雪子は緊張を孕んだ険しい視線を向ける。
ちゅるちゅるとストローを啜る苑子は昼休みが潰れる前に早く事を終わらせたいとばかりに茶々も入れずに黙っていた。
「あ、秋くんと…… つ、付き合ったきっかけを、聞きたいっ」
「はぁ……?」
青褪めた決死の表情でふるふると桜色のハンカチに包まれたお弁当箱を握りしめる雪子に、苑子はなんだそんなことかと溜息を吐き出した。
「今更じゃない? 昨日聞けば良かったのに」
と、自分で言いつつ雪子にそんな度胸はないであろうと苑子は一人納得する。
だからこそ驚いたのだ。
馬鹿みたいに。
「わざわざそんなこと聞くために教室まで来たの?」
ありえないと苑子は思う。
苑子と姉妹であることを自ら公表するような真似を雪子が自主的にするとは思えなかった。
誰かに変な入れ知恵でもされたのかと冷静を装うのが極度に上手い男の顔が浮かんだが、それもまたすぐに否定する。
雪子をそれこそお姫様のように大事に大事に甘やかすことしかできないような男がわざわざ雪子を人目に晒すようなことをさせるはずがない。
ならばやはり雪子が自分の意志で苑子を誘いに来たということか。
「意味が分からない」
と、思わず思ったままの言葉が口から飛び出た。
* * *
どこか冷めたような苑子の声色にあからさまに怯える雪子。
突っ立たままの雪子と座っている苑子。
見下しているのは雪子のはずなのに、二人の心境も立場も状況もまったく逆だった。
少なくとも雪子はそう思っている。
苑子の目を直接見たわけではないが、今もきっと雪子という出来の悪い妹を見下し鼻で嗤っているのだろうと思っている。
先ほど無理矢理掴まれた前髪や顎が今もじんじんする。
あのとき、赤の他人に強制的に顔を曝け出されたときの雪子の恐怖を苑子は知らないのだ。
それとも、知っていて、あんな残酷なことをしたのか。
美しい姉と比べ、どこにも秀でたところがない、平凡な自分の顔をクラスメート達に見せつけて優越に浸る姉の性格の悪さに怒りを覚えることはなかった。
ただ、ただ哀しかった。
どこまでも雪子の気持ちを、心を踏みつける姉の残酷さが。
一層、そんな姉が哀れとも思えるほど。
(やっぱり、お姉ちゃんは人の気持ちが分からないんだ……)
全てを持っている者特有の傲慢さ。
そんな人の妹として生まれてしまった自分の不運を嘆き、俯こうとしたとき、雪子の脳裏に今朝の情景が浮かび上がる。
雪子が死ぬ気の思いで姉の苑子を連れ出したのは、連れ出せたのは、勇気が持てたのは憧れだった幼馴染の言葉があったからだ。
(春斗、くん)
目元に触れた、男らしい春斗の指の感触が、耳を擽る懐かしくも優しい声色が蘇る。
弱気な雪子の心に暖かな火が灯る。
昔、雪子を庇い、怖いものや嫌なもの全てから守ってくれた大好きなお兄ちゃんは今も変わっていなかった。
それを、雪子は今朝知った。
涙を零し、上手く言葉を紡げない雪子の話を必死に聞き、そして慰め怒ってくれた幼馴染。
世界にたった一人でいるような、ずっと独りぼっちだったと思い込んでいた孤独な雪子の心を温めてくれた。
昔と同じように、唯一雪子の味方をしてくれた。
雪子は悪くないのだと、よく頑張ったと、今まで辛かっただろうと労わってくれた。
初めて、自分自身の口から秋くんに対する想いを吐き出し、そしてまた大事な人を姉に盗られてしまう恐怖と絶望と悔しさを雪子はぶちまけた。
姉と違って何も持っていない、平凡な自分が秋くんと付き合えるはずがないと分かっていた。
それでも、あまりにもあまりにも、辛くて苦しくて、死にたいと口にした。
(何、考えてるんだろう、私。そんな、期待なんてしちゃ駄目っ。春斗くんは、ただ慰めてくれただけ…… 自惚れちゃ、駄目だよ……)
そんな雪子を、春斗は抱きしめてくれた。
抱きしめ、雪子のファーストキスを、奪ったのだ。
(春斗くん…… どうして、私にキス、したの?)
無意識に今だ生々しい感触が残る唇を撫でる雪子は年に似合わない色気を醸し出していた。
「すけべな顔」
はっと、ぼんやりと今朝の情景に酔っていた雪子は弾かれたように顔を上げる。
じっと雪子の表情を観察していた苑子は冷めた顔で唇を歪ませた。
「昨日の今日で随分変わったみたいじゃん。今にもいっちゃいそうな顔してる。何? いつの間にか男を知っちゃった系?」
「っ……」
苑子の揶揄いの意味を悟り、瞬時に顔を赤くする雪子に苑子は段々と馬鹿らしくなってきた。
頭の出来はあまり良くないが、要領と勘だけはいい方だ。
これでもムカつくぐらいよく知っている妹である。
本人以上に雪子を知り、またそれに気持ち悪いほどの恋慕を捧げている馬鹿な男の存在を知る苑子は今朝の玄関での遣り取りを思い出し、本気で馬鹿らしくなってきた。
それと同時につまらないという不満が芽吹く。
これでは何のために秋と付き合ったのか。
昨日のあの童貞に対する過剰サービスが全て無駄骨となったことに脱力しそうだ。
(……まあ、気持ち良かったし)
それなりに楽しかったからいいかと思うことにしよう。
苑子は飽き性だが、飽き性以前に物事を割り切るのが得意だ。
そうでもなければ図太く生きていけない。
「お盛んなことで。まぁ、『春』だから仕方ない、か」
わざとらしく春を強調すれば、手に持っていた弁当箱を落とすほど動揺する雪子に苑子はもう飽きていた。
雪子の幸せなんてなんの面白味もなければ、あえてぶち壊そうとも思わない。
なんせ、相手はあの幼馴染だ。
二人の間を裂く方法があっても、春斗に本気で恨まれて粘着質につき纏われるのは嫌だ。
割に合わなさすぎる。
さっさと退散しようと苑子は思った。
もうそろそろ売店も人が空く筈だ。
「で? 秋くんと付き合うことにした理由が知りたいんだっけ?」
そして律儀なところがある苑子は面倒臭そうに、雪子の質問を反芻する。
「その…… お姉ちゃんは、秋くんのどこを好きになったのかなって……」
「好きになった理由?」
何それ。
「バッカじゃないの?」
馬鹿じゃないのかこいつとつまらない呼び出しをして来たことに対する苛立ちがぶり返す。
苛立ちのまま、苑子はストローを噛みながら嗤った。
雪子の今更な質問の意図を始めは考えていたが、もうそれも馬鹿らしくなり、本人の望むまま真実を告げる。
特に不都合もなかった。
「別に好きじゃないよ」
雪子の質問が心底馬鹿馬鹿しいとこのとき思ったのだ。
* * * *
「え……」
顔を強張らせ、息を呑む雪子に僅かな愉悦を感じながら、苑子はもっとその顔を歪ませてやろうとわざとらしくゆっくりと、心底厭らしく嗤ってやった。
「利用しただけ。あんたの、雪子の好きな奴を奪ってセックスして、見せつけて、心底悔しがらせたかっただけ。ただそれだけ」
言葉を吐き出している最中、ふと苑子はもやっとしたものが晴れたことに気づいた。
「好きなわけないじゃん。だって、秋くん、」
今更ながら、秋と昼食の約束を、待ち合わせをしていたことを思い出したのだ。
「全然、私のタイプじゃないし」
場所はどこだっけとスマホを確認しようと手でポケットを探る。
「タイミング良かったから、利用させてもらっただけ」
「そ、そんなっ……! ひどいっ」
苑子のあまりな言い分に雪子は顔を歪め、涙を浮かべて拳を握る。
なんだ、もう春斗に鞍替えしたのかと思えばまだ秋に未練があるのかと苑子は思いつつ、淡々と言い放つ。
「秋くんのどこに惚れたのか知らないけど、正直苦手なんだよね。秋くんみたいな男って」
年下だし、暑苦しいしと苦手な所を思い出しながらも、本当はちょっとだけ気に入ってきていることを苑子は自覚していた。
そうでなければわざわざ今連絡しようと思わないだろう。
苑子がスマホを取り出したときだった。
侮蔑の籠った声が耳に入ったのは。
「本当に、てめぇはどうしようもない阿婆擦れだな」
* * * * *
桜の絨毯の上を乱暴に踏みつける男の足を見る前に、苑子は聞き覚えのあるその声に笑みを消した。
信じられないと、苑子の顔を見て震える雪子の背後から、見知った男の姿が現れるのを見て、苑子は最悪だと頭を抱えそうになった。
雪子に寄り添うようにして、冷めた眼差しでこちらを睨みつける幼馴染にげんなりとする。
二人のいちゃつく姿など見たくもないし、おまけに春斗の説教など聞きたくもない。
さっさと逃げるかと起き上がり、苑子の目にもう一人の大きな人影が写り込む。
「だから言ったろう」
さすがの苑子でも一瞬だけ、心臓が冷えた。
どこか勝ち誇ったような、それでいて疲れたような、呆れたような、憎らし気な春斗の言葉など耳に入らない。
朝から眠い眠いとぼんやりとしていた自身の頭を苑子は呪った。
今更ながら、思い出してしまったのだ。
秋と約束した待ち合わせ場所を。
「てめぇは利用されてるだけだって」
場所はそう、二人の思い出の場所。
始まりの場所である体育倉庫裏。
(なんで忘れてたんだろう…… 最悪てか、馬鹿すぎる自分)
思わず天を仰ぎたくなるが、視力の良い苑子の視界にはくっきりはっきりと見えていた。
「いい加減、目が覚めただろう。なぁ、間宮?」
春斗が振り返る。
雪子もまた。
「……苑子、先輩」
苑子は観念したように、秋と目を合わせた。
* * * * *
約束の場所はそう。
例の体育倉庫裏。
つまりは、ここである。
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