ごめん、もう食べちゃった

埴輪

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じゅうくー

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 唐突だが、幼馴染といっても意外と苑子と春斗の付き合い始めは遅い。
 古い記憶であり、また入退院を繰り返していた当時の雪子の記憶は曖昧だが、初めに春斗と知り合い仲良くなったのは雪子の方だ。
 より細かくいえば初めから苑子と春斗は一度も仲良くなったりしなかったのだが、因縁という名の腐れ縁の歴史はそれなりに古い。
 雪子の自意識の芽生えが遅すぎたのか、もしくは苑子と春斗が早熟すぎたのか。
 過去のあれこれを正確に覚えている苑子と春斗と違い、雪子の記憶はいつもどこかふんわりとしていた。
 真綿に包まれて宝箱の奥に大事に仕舞われるような、そんな幼少時代を過ごしたのが原因なのかもしれない。

 そんな、所謂幼馴染である三人の付き合いはまあまあありふれたものだ。



* 


 春斗は昔から周囲の人間から冷めていると認識されている。
 だが、それはまったくの誤解なのだ。
 本当の春斗は馬鹿がつくぐらい素直で、正直で、好き嫌いが激しい。
 春斗は周囲に無関心なのではなく、一と零しか知らない、ただそれだけの男なのだ。

 一つ、それと決めたことは何が何でも守り通す。
 一つ、気に入ったものはいつまでもいつまでも大事に大事に手元に置いておく。
 不器用であり、純粋すぎるほど一途な男だ。
 そんな春斗の内面を知る者は少ない。
 頑固親父、熱血漢、昭和どころか戦国時代の武将ばりの熱い内面に反し、笑えるぐらいに春斗の顔は少女漫画のヒーロー、それも冷たく心を閉ざし、過去にトラウマを抱える冷酷な美青年仕様なのだ。
 それは悲劇であり、喜劇でもある。
 だが、当の春斗は逆にこうも考えた。
 物心がつくかつかないかぐらいの年齢に、だ。
 皆が自分をいつも冷静沈着な人間だと思い込んでいる現状はさほど悪いものではない、と。
 元から人と会話するのは得意ではないし、正直煩わしい。
 優しい男よりも無言で全てを完璧に熟す男の方がカッコいい。
 リーダー格の熱血レッドやクールな青を通り超して春斗は敵か味方かも分からないミステリアスなブラックになりたかった。
 正義の味方が窮地に陥った時に颯爽と現れて皆を救い、無言で立ち去るようなそんな男に春斗はなりたかったのだ。

 だから春斗は人知れずに努力に努力を重ねて来た。
 吐きそうなぐらいに不味い牛乳を毎日飲み続け、愛犬のタイガーと毎朝トレーニングし、人気のない公園でこっそり逆上がりの練習などもした。
 人知れず(親を抜きにして)クールで知的なナイスガイを目指して頑張る春斗の計画は完璧だった。

 そんな春斗には年相応に好きな女の子がいた。

 春斗は髪の長い女の子が好きだった。
 髪の長い女の子は女の子らしいから、というのが春斗の主張である。
 当然のように一目惚れした女の子は綺麗な黒髪を長く伸ばしていた。
 春斗の知るどの女の子よりも綺麗な黒髪にはいつもキラキラ輝くアクセサリーが光っている。
 ひらひらふわふわとしたドレスのような服を来て、優しそうな母親にだっこされている姿はどこぞのお姫様のようだ。
 恥ずかしがり屋なのか、初めて公園で挨拶したときは雪のような白い肌を真っ赤にして今にも泣きそうな顔で母親の胸に顔を埋めていた。

「あらあら…… ごめんなさい。この子、身体が弱くてあまりお友達と遊んだことがないものだから、きっと怯えちゃったのね」

 よしよしと慈しむように小さな背中を撫でる女の子の母親の声はまるで子守歌のように柔らかく愛情に満ちていた。

「雪子っていうのよ。仲良くしてあげてね?」

 雪子。
 なるほど、確かに雪のように白くて儚い女の子にはぴったりの名だと思った。

「春斗君っていうの? この子、貴方のことが気に入ったみたい。春斗君、雪子のお気に入りの絵本に出て来る王子様とそっくりなんですもの」

 母親の言葉に反応するように、涙で潤んだ目でちらっと雪子は春斗の顔を盗み見し、慌ててまた目を伏せた。
 その仕草が小動物のようで春斗は胸の奥がむずむずするような感覚を抱いた。

「ね。お願い。これからも、雪子と仲良くしてくれないかしら?」

 雪子の母親の言葉に春斗は大きく頷いた。
 一瞬だけ見た、雪子のはにかんだような笑みに春斗は幼いながらも自分が恋におちたことをこのとき自覚した。

 母親経由で初対面を果たしたせいか、或いは春斗が不器用ながらも必死に雪子の恐怖を和らげようとあの手この手を使い機嫌をとったおかげか。
 人見知りが激しすぎる雪子だが、春斗にはとてもよく懐いた。
 それがより春斗の自尊心や優越感を煽ぎ、気づけば春斗は雪子に夢中だった。
 皆にカッコいいと思われる男になりたいという幼稚な春斗の願いはいつしか雪子に頼られる、好かれる男になりたいに変貌した。
 それだけ雪子は大層可愛らしく、幼いながらも儚げな艶があり、まだ色気云々が分からない春斗が思わず赤面してしまうような危うさがあったのだ。

 雪子は本当に身体が弱く、臆病な子だった。
 見慣れないお姫様のように着飾った子が公園に現れれば周りの注目を浴びる。
 実際に雪子に声をかけて一緒に遊ぼうと誘う女の子も多かった。
 だが、雪子は当時春斗がよく一緒に遊んでいた男子達とはまだなんとか会話をすることができたが、他の子の視線から逃げるようにいつも慌てて自分の母親か春斗の背に隠れてしまう。
 雪子の傍にはいつも彼女の母親がおり、病弱な娘の様子をいつもにこにこと見守っていた。
 その母親に泣きつく雪子をおろおろと不安そうに遊びに誘った女の子達が見ている。
 親切心で誘った彼女達に雪子の母親は心底申し訳ないような、哀し気な表情を浮かべて謝った。

「ごめんなさい。貴方達が悪いわけじゃないの。この子の…… 雪子には一つ年上のお姉ちゃんがいてね、そのお姉ちゃんがいつもいつも雪子のことを苛めるから…… だから、雪子はとても臆病になってしまったの。特に、貴方達みたいな年頃の女の子を怖がるようになっちゃったみたい……」

 傍で同じように雪子を慰めていた春斗はそのとき初めて雪子に姉がいることを知り、素直に驚いた。
 一つ年上ということは春斗と同い年のはずだ。
 でも、一度も春斗は雪子の姉を見たことがない。
 また、一度も雪子の母親が雪子から離れているのを見たことがなかったのだ。
 身体が弱い雪子は今は幼稚園にも通えずずっと家で母と二人きりだという。
 だから、雪子に姉がいるのも、雪子の母親が二児の母であることも、春斗には強い違和感があった。

「雪子ちゃんのお姉ちゃんってひどいんだね」
「かわいそう、ゆきこちゃん」

 だが、そんな春斗の思考も素直な女の子達の同情する声ですぐに消え去った。

「そうなのよ…… ひどいお姉ちゃんでしょう?」

 雪子の母親の言葉に、春斗がまだ会ったことのない「意地悪な姉」に敵対心を抱くのは当たり前のことだった。

 実際に雪子の姉、苑子との出会いは最悪だった。

 後から聞くと苑子の方は近所で有名だった春斗のことを一方的に知っていた。
 小学校だけではなく幼稚園も同じだったのだが、何事も興味関心の波が激しい春斗は当時の苑子をまったく意識していなかったのだ。

 春斗が苑子に苑子として出会ったのはある日の夕暮れのことだった。
 卒園し、漸く小学生になったばかりの春斗は毎日早く雪子が小学生になることを望み願っていた。
 気の早い話だが、会える時間が減ってしまったことに春斗は内心でひどく落ち込んでいた。
 雪子もまた哀しみ泣いていることが唯一の救いだ。

 その日、春斗は公園の一番高い鉄棒に挑戦しようと周囲に人気がなくなるのを確認してからこっそり逆上がりの練習を始めた。
 明日の体育は鉄棒をやるのだ。
 入学したばかりの一年生でこの高さをクリアできる者は当然ながらいない。
 そもそも低学年向けの高さではないのだから。
 そんなことは百も承知の上で春斗は自分がその一番にならなければならないと張り切っていた。
 見た目と違い春斗は無謀なチャレンジが大好きなのだ。
 そして雪子の尊敬するようなキラキラとした眼差しを思い浮かべ、何度も何度も挑戦する。
 気づけばもう空に月が見えるぐらい暗くなっており、さすがに夢中になりすぎたと汗でびしょびしょの額を撫でながら春斗はもう帰ろうと思った。
 門限はとっくに過ぎており、もしかしたら仕事帰りの母親が慌てて春斗を探しているかもしれない。
 さすがの春斗も親の雷はまだ怖いのだ。
 早く帰って謝ろうと思ったとき。

 そのとき、春斗は漸く気づいた。

 じっと、ブランコに座りながらこちらを見ていた存在に。
 視線が絡み合った直後、火照た体に冷水をぶっかけられたような錯覚を春斗は抱いた。

 見られた。
 よりにもよって雪子に。

 一瞬、春斗は雪子にカッコ悪いところを見られたと絶望したが、すぐにそれは雪子とはまったく違うものだと分かった。
 何故なら、雪子はそんな風ににたにたと笑わない。
 雪子はいつもはにかむように、野原に咲いた小さな花のような笑みを春斗に向けるのだから。

「もう止めちゃうの? あともうちょっとだったのに」

 思わずムッとしてしまうような、小馬鹿にするような見知らぬ女の子の台詞に春斗の表情筋は相変わらずいい仕事をしてくれた。
 誰だ、こいつというのが率直な感想だ。
 内心では悔しいやら恥ずかしいやら、誰かに言いふらされるのではないかと怯えたが、春斗が出した結論は無視だ。
 それに、その女の子は髪もぼさぼさで服も皺だらけで地味だった。
 男の春斗の服装の方が華やかな気さえする。
 頭の先から色褪せたスニーカーまで値踏みし、春斗は関わらないでおこうとその場を立ち去ろうとした。

「よっ、と」

 ブランコから飛び降りた女の子は春斗の冷たい態度を気にすることなく近づいて来る。
 立ち去ろうとした春斗だが元来の負けず嫌いが発動し、思わず睨みつけたままその行動を見守った。
 春斗の睨みはその顔立ちの良さも相まって年に似合ず大層迫力があったが、女の子はけろっとしている。
 そして、春斗が挑戦していた同じ高さの鉄棒に当然のようにほっそりとした両手を置く。
 訝し気な視線を向ける春斗に、女の子はにやっと笑った。
 そのとき春斗はどうしてこの女はこうも嫌な笑い方しかできないのか、と思ったそうだが、すぐにその思考は霧散した。

 春斗はいつもの無表情が嘘のようにぽかーんと目を丸くして女の子を、隣りの自分が挑戦していた鉄棒に捕まり軽々と一回転した女の子を凝視した。
 テレビで見たどこかの雑技団のような軽い身のこなしだ。
 一気に身長を抜かれ、上から見下ろされる形となった春斗は随分と気の抜けた表情を晒していたらしい。

 けらけらとそんな春斗の間抜け面を女の子は笑った。

「こんなのも出来ないなんて、噂の春斗君って本当は大したことないんだね」

 薄紫の空を背景に、無邪気に笑う女の子。
 無邪気というには聊か邪気が強い気もするが。

 これが苑子との、春斗の生涯の天敵との出会いである。



* * 


 なんだか今日は疲れたなと若干重たい下半身にもぞもぞしながら苑子はちらっと隣りでにこにこと楽しそうに話している秋を見やる。
 苑子の鞄を当たり前のように持ち、きゃんきゃんとはしゃぐ様は至って無邪気だ。
 ついこの前まで中学生だったと思うと、より一層幼く見える。
 あくまで内面の話であり、秋の身体はもうとっくに成人のそれを上回っていたが。

 歩きスマホでだらだらと歩く苑子を守る様に時折周囲を見やり、信号の点滅から向かいから来る自転車や歩行者まで秋は身を盾にするようにして苑子を守ろうとする。
 たかだか小石が苑子の前に転がっていただけで慌てて蹴り飛ばす様には若干呆れるが。

 呆れるが、嫌ではない。
 一歩間違えれば鬱陶しいその行動も秋相手だとまぁ、許してやろうという気になる。
 今は特にぶりっ子する必要もないため苑子の浮かべる表情はとにかく淡泊だ。
 時折見せる笑い顔もどこか人を小馬鹿にするよう軽薄なものが多い。
 そんな苑子に秋はきゅんきゅんするというのだから、どこで需要と供給が成り立っているのか分からないものである。

 当の苑子はこれまた機嫌がいい。
 サボりのことで色々と面倒な輩に捕まったのは痛かったが。
 いちいち秋とどうなったあーなったと詮索してくる友人達も鬱陶しかったが。
 それらを上回る程度に今は気分がいい。
 飼い始めたばかりの犬を自慢する飼い主のような。
 そんな心境が最も近い。

 何よりも校門を出る直前、面白いものが見れた。

 さんざん人の邪魔をした幼馴染のあの青褪めた顔。
 本当、見物だった。

 と、機嫌良くスライドしていた雪子の指にぽつっと滴が落ちる。

「あ、雨っすね」

 天気予報など見ない二人だ。

「傘、買って行きますか?」

 一気に曇ってくる空模様に秋は近くにあるコンビニを指差す。
 特に異論もない苑子は無言で頷き、自分よりもだいぶ長身の彼氏を見上げて揶揄った。

「ねぇ、秋くん」
「はい?」

 こてんと首を傾げる姿が妙に似合うに秋に対する苑子のちょっとしたお茶目だった。

「あとで相合傘してあげようか?」

 答えはもちろん決まっている。



* * * 


 破綻したはずの二人が寄り添うようにして帰るのを見た。
 目立つ容貌の二人を間違えるはずもなく。
 相変わらず歩きスマホを止めない苑子に楽し気に、頬を緩ませて話しかける秋。
 二人の距離感や、秋のでれでれとした顔。
 どこをどう見ても、恋人同士である。
 それも、彼氏の方が夢中になっているパターンの。

 何故という戸惑いと混乱はすぐに消え去った。
 悠長に理由を考えている暇などない。
 結果が大事なのだ。
 春斗の目に映る憎たらしい二人の背中。
 今朝のように連れ添って歩くことはもうないであろうと思っていた。
 元から歪な関係を春斗は修正したはずだったのに。

 失敗した。

 春斗の決意を、思い全てを嘲うかのように、秋を見上げた苑子の横顔に笑みが浮かぶのが見えた。
 なんの偶然か皮肉か。
 大勢の生徒がひしめき合う校門前で、苑子は何気なく後ろを振り向き、その目に春斗の姿を浮かべらせたのだ。
 無防備なその表情は久しぶりに見るものだ。

 その後に浮かぶ、苑子の勝ち誇ったような嘲り笑いに、春斗は全身が燃えるような錯覚を覚えた。
 苑子に、そして情けない顔で甘えるように顔を近づける男に殺意を抱くのは至極当たり前のことだ。

 だが結局春斗は二人を追いかけなかった。
 春斗が真っ先に気にかけなければならないのはあの二人ではない。

 雪子。
 そうだ、雪子だ。
 今、彼女はどこにいる、どこでどうしている?
 誰よりも繊細で壊れやすい幼馴染の泣き顔が目に浮かび、一気に全身が冷えた。

 雪子を探さなければ。

 それは一種の強迫観念だった。
 探して、見つけて。
 それで一体どうするのかも分からないまま。

 何も分からないまま、春斗は周囲の視線に構うことなく校内を走り回った。

 雪子、雪子。
 早く、見つけなければ。
 きっと、今も独りで泣いているあの子を。



* * * * 


 苑子は春斗のことが好きだった。
 何故好きなのか。
 どこが好きなのか。
 ぶっちゃけ顔が好みだったという一言に尽きる。
 具体的にいえば昔苑子のお気に入りだった絵本の中の王子様に春斗はそっくりだったのだ。
 その絵本はいつの間にか手元から消えてしまったが、苑子の記憶にはちゃんと残っている。
 初めて春斗を見たときは正直興奮して一晩中眠れなかったほどだ。

 なんとかして春斗とお近づきになりたい。
 男の子なんてものは訳も分からずちょっかいをかけてくるだけの面倒なものだと思っていた。
 ちょっと反撃すればすぐに泣くし、ちょっと優しくしてやれば鬱陶しいぐらいに纏わりついて来る。
 当時の苑子にとっては単純でつまらない生き物に思えたのだ。
 春斗という王子様男の子に出会う前は。 

 苑子の初恋は絵本の中の王子様だった。
 初恋の王子様にそっくりな春斗を気に入らないはずがなかった。
 あんな綺麗な男の子ならば、ずっと後を追いかけて欲しい。

 だが、現実は無情である。

 なんとかきっかけを探ろうとこそこそしている間に春斗は大嫌いな妹に獲られてしまったのだ。
 苑子、一生の不覚である。
 公園でキラキラとしたオーラを振りまく春斗。
 その春斗に尽くされ甘やかされ、綺麗なスカートを靡かせている雪子。
 そのまま絵本の世界に入って行けそうな二人の姿に苑子は愕然とした。
 仲睦まじく遊ぶ二人が羨ましく妬ましい。
 幼すぎた当時の苑子は自身の煮えたぎった感情を上手く制御できず、その晩一睡もできなかった。

 誰が見てもお似合いの二人だ。
 それでも諦めきれなかった。
 春斗が欲しい。
 だって初恋の王子様とはもう夢の中でしか会えないのだ。
 それにそっくりな春斗まで奪われるなんてあまりにも横暴だ。
 雪子とは姉妹なだけあって気味が悪いほど趣味嗜好が似ていることを苑子はこのときからなんとなく自覚していた。
 そしてそれこそが自身の不運であることも。
 苑子が気に入ったものは雪子のものに。
 その逆はありえないのだ。
 何故かは分からないし、そういうものだと当時の幼い苑子はそれが自然の摂理だと思っていた。
 姉である自分はとにかく我慢をして、妹は甘やかされる。
 それが世の中の常識なのだと信じていた。
 年齢が上がるにつれ少しずつ疑問が生じて行ったが、当時の苑子はただそういうものだと諦めるほかなかったのだ。

 でも春斗だけは諦められなかった。
 玩具でもお洋服でもお人形でもお菓子でもない生きた人間だったからかもしれない。
 幼くとも女としてのプライドが揺れ動いたのかもしれない。

 とにかく当時の苑子は春斗が欲しくて仕方がなかった。
 具体的にどう欲しいのかなど分からない。
 単純に仲良くなりたいとも違った。
 とにかく独占したかったのだ。
 春斗の意識を、心を独り占めしたい。
 当時の春斗はムカつくぐらいに苑子に無関心で、そのくせ雪子は目に入れても痛くないほどでろでろに甘やかしている。
 そしてそんな二人をにこにこと見守る母親。
 癪に障るとは正にこの事だ。
 もう手段など選んでいられない。
 とにかく苑子の存在をまず春斗に意識させなければならなかった。
 できればその後苑子のことが頭から離れなくなるようにしないと。
 だが、春斗の好きは雪子が独占し、よく分からないけどとにかく怖い母が常にガードしている。
 どうしようと苑子は悩み、そして幼いながらに考え付いたのだ。

 もうこの際、嫌われてしまえばどうだろう、と。

 春斗とごく普通に仲良くなりたい願望もあった。
 だが当時の苑子は贅沢は言ってられないと強引な手段に出ることにした。
 雪子の存在に重きを置く春斗に自身を強烈に印象付けなければ、姉妹格差は広がっていく一方だと。

 チャンスは割とすぐにやって来た。 

 運よく家から追い出されて公園で時間を潰していたときにこそこそと鉄棒の練習をしている春斗を発見したのだ。
 なんでもできる春斗の意外な姿に驚きはしたが、苑子はぶっちゃけ春斗の内面などどうでも良かった。
 春斗の顔しか興味がないのだから。

「こんなのも出来ないなんて、噂の春斗君って本当は大したことないんだね」

 苑子の理想ともいえる春斗の綺麗な顔。
 普段はまったく変化しないその綺麗な顔が苑子を見上げている。
 驚き目を丸くする顔の間抜け具合、その後に耳まで真っ赤にして悔しそうに睨みつけて来たときはちょっと驚いた。
 薄っすらと目に涙を浮かべながら必死に悔しさを我慢している春斗はちっとも怖くなかった。
 プライドを傷つけられたと言わんばかりの春斗の表情。
 その目に漸く自分が映り込んだとき、苑子はとても幸せな気持ちに包まれた。
 だからかもしれない。
 苑子は必死に虚勢を張るときの春斗が一番好きだった。

 春斗が忌み嫌う情けない彼が一番好きだった。

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