毒殺された男

埴輪

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絶望

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「メリッサ、なのか……?」

 久しぶりに見るメリッサの姿に、ディエゴは目を見張った。
 戦で何か月も城を空けることもあり、帰還するたびにメリッサは成長していた。
 その成長を見るのが楽しみであり、自分がいない間にメリッサの成長を見ることができなかったことに密かな悔しさをディエゴはずっと感じていた。
 だが、今の目の前のメリッサはどうだろう。
 姿形が大きく変化したわけではない。
 なのに、自身の思いを自覚した途端、その美貌に改めてディエゴは魅了された。
 黒檀の黒髪に黒真珠のような瞳。
 長い睫毛に象牙色の肌。
 幼いながらも整った肢体。
 その全てが、輝いて見えた。
 色づき、甘やかな香りを放っているように見えた。
 何よりも無垢ともいえる無邪気なメリッサの雰囲気が随分と変わったとディエゴは惚けた思考で思った。

「……ご無事で何よりです」

 ディエゴに挨拶し、その回復を祝福する言葉。

「ご回復を心からお待ちしておりました」

 久方ぶりに目にする愛しい少女の顔に貼り付けられた冷笑に、ディエゴはまだ気づいていなかった。
 それだけ、彼は興奮し、感動さえしていたのだ。
 早く、愛しい婚約者の身を抱きしめ、その温もりを味わいたいと、そればかりを考えていた。

「……お前を残して死ぬわけにはいかないからな」

 ディエゴの擦れた声に、メリッサの目に不穏な色が宿る。

「会いたかった…… 会いたかったぞ、メリッサ……」

 高貴な身分の女性がする礼の仕草には洗練された優雅さと色気が含まれている。
 美しいとディエゴは純粋に思った。
 やはりメリッサこそが自分の妻に、未来の王妃に相応しいと思った。

 このとき王太子ディエゴはメリッサの姿に夢中で、その冷たい声色や頑なな表情に気づかなかった。
 周囲が二人の様子を痛まし気に見守っていることにも。

 ディエゴはメリッサしか見ていないのに、肝心のメリッサの拒絶に気づく余裕もないほど、いつものようにメリッサの体温と匂いを嗅いで生の実感と幾度も挫けそうになった拷問に耐えた自分への褒美を欲していた。
 欲は言わない。
 ただ、メリッサを抱きしめ、そして抱きしめ返されたかった。

「メリッサ……」

 そっと手を伸ばすディエゴ。
 意識しないまま、彼は右手を伸ばした。
 毒によって焼け爛れ、包帯に包まれたその右手を。

 近づくその手に、メリッサの眉間に皺が寄る。
 ついに耐えられないとばかりに、叫ぶようにして怒鳴った。

「触らないでっ!」






 汚らわしいとばかりに、メリッサはディエゴの手を叩いて拒絶した。
 メリッサの鋭くも冷たい声と予想もしていなかった手の甲の痛みに、ディエゴは目を見開いた。
 それはとても分かりやすい、明確な拒絶だった。

「メリッサ……?」

 ディエゴは怒りも悲しみも感じず、突然のことにただただ戸惑っていた。
 メリッサがディエゴを拒んだことなど、過去一度もないのだ。

「……勝手に私に触らないで」

 呆然とするディエゴに構わず、メリッサは吐き捨てる。
 そして心底気持ち悪いものを見たという嫌悪に染まった表情でディエゴを睨みつけた。
 動くディエゴを目の当たりにして、メリッサはやはり駄目だったと内心で落胆しながら、傲慢にディエゴを拒絶する。
 それしか、自分の身の内に湧き上がる、這い上がるような嫌悪感を拭い去る手段がなかった。
 ディエゴが近づくたびに、その焼け焦げた肉体から漂う腐臭を感じる。
 百足が足元から這い上がって来るような、生理的な嫌悪と恐怖を感じるのだ。
 それはまだ幼いメリッサの意識を呑み込むのに十分すぎる強い感情だ。

「メリッサ、一体どうした? 何故、そんな……」

 何故、自分を拒絶するのか。
 そして何故、そんな視線を自分に向けるのか。
 ディエゴは焦り、混乱した。
 状況を把握することなど出来ない。
 ただ、メリッサに拒絶されたこと、嫌悪の眼差しを向けられている事実が信じられなかった。

「メリッサ、メリッサって…… 従妹だからっていちいち私の名前を呼ばないで」
「何を言って…… 俺とお前は許嫁なんだぞ?」

 乾いた笑いが出る。
 まだ悪夢を見ているのだろうかと、混乱するディエゴを侍女達は見ていられないとばかりに俯く。
 メリッサだけが堂々と傲慢に哀れなディエゴを睨み、嘲笑していた。

「あら。お兄様はご存知なかったのね。陛下が出した勅令のことを」
「勅令……?」

 国王が出した勅令は絶対である。
 一体、自分が寝ている間にどんな勅令を出したというのだ。

 初めて見るディエゴの縋るような眼差しに嫌悪と落胆、そして少しの愉悦を感じてメリッサは微笑む。
 自分があまりにも人でなしであることを自覚し、それでも今はディエゴに対する情の一欠けらも残っていない事実が可笑しかった。

「残念だけど、私はもうお兄様の許嫁ではないの。それはもう解消されたのよ」

 心底可笑しいとばかりにくすくすと笑うメリッサの無邪気な笑顔は昔と同じである。
 だからこそ余計に、ディエゴは信じられなかった。
 信じたくなかった。
 あまりの衝撃で意味を理解することができず、ディエゴは崩れそうになりながらも、頭を抱えて首を振った。
 やはり、まだ自分は目覚めていないのだと。
 悪夢の中にいるのだと思いたかった。
 そんなディエゴに追い打ちをかけるように、メリッサは無邪気に話す。

「私がね、陛下にお願いしたの。お兄様との婚約を解消してくださいって」
「……メリッサが?」

 信じられないと、乾いた笑みを浮かべるディエゴ。
 ぐらぐらと揺れる頭の痛みに、涙が出そうだ。
 あまりにも苦しそうなディエゴの姿に、血相を変えた侍女達が急いで医者を呼ぼうとする。
 だが、一人冷酷なメリッサはもう二度とディエゴが自分に近づかないように止めを刺す。

「もう、お兄様と結婚するのが嫌なの。そんな、気持ちの悪い姿をしたお兄様の妃になんて、死んでもなりたくない」

 メリッサの胸に残酷な感情が宿る。
 ディエゴの、顔色がどんどん青くなり、見たことがないような暗い色に染まる片目を睨む。
 もっと傷つけばいいと、このときのメリッサは当たり前のように思った。

 もっと、傷ついて、傷ついて、絶望すればいい。
 そして、二度と自分に近づくな、目を向けるな、思い出すな。

(ずっと、目覚めなければ良かったのに)

 脳裏に蘇った苦しみ悶えるディエゴの姿を、メリッサは追い払う。
 胸に微かな痛みが過ったが、それはあまりにも些細なものだった。

(あのまま…… しんでしまえばよかったのに)

 それを言葉にしないだけの理性はまだ残っていた。
 だからこそメリッサは冷静に、冷徹にディエゴを傷つけることができた。



* *


 最早理屈ではないのだ。
 メリッサがディエゴを拒絶する理由など。

 それは、本能にとても近かった。

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