178 / 187
最終章 人質でなくなった女王と忘れない王太子
22
しおりを挟む
「シャーロットちゃん?」
ライリー陛下の輝くばかりの笑顔に見惚れていると、フレッド様から声がかかる。
はっ!
ライリー陛下の満面の笑みなんて、数年ぶりに見たから、気持ちが高揚してしまって、身体が固まってしまっていたわ。
応接室にはいつものライリー陛下の側近の方々、ディリオン様、コンラッド様、ジェイミー様がいらっしゃるのに。
ゆっくりと、美しく見えるように、カーテシーをする。
「ライリー陛下。お久しぶりでございます。ようこそボナールへ」
これでも、今日のドレスは夜会用以外では一番上等なドレスを着てきた。
ライリー陛下の目に映る私は、少しだけでも綺麗でありたい。
「いいからいいから。シャーロットちゃん、こっちにおいで」
フレッド様が私を手招きするので、私はライリー陛下の向かい側、フレッド様の隣に輿を下ろした。
「シャーロットちゃんってば、久しぶりに会うのに他人行儀だなあ」
「だってフレッド様、今日は正式なご訪問だって……」
「いいじゃん。もうこの部屋の中は護衛にも外してもらって、オレたちしかいないんだし」
「そうですか……?」
おずおずとライリー陛下のお顔を見ると、ライリー陛下も微笑んで頷いてくれる。
それを見て、やっと私も笑顔になることができた。
私とライリー陛下の空気が、仲の良かった以前の時のものに戻ったのを見て、フレッド様は立ち上がった。
「じゃ、あとはお2人で!」
そう言って、ディリオン様とコンラッド様の腕を掴んで部屋を出て行こうとする。
え、ちょっと待って。いきなり2人きりにさせないで!
私が手を伸ばそうとすると、ディリオン様が先に反論する。
「ちょっと待て。結婚式はどうするのか、詳細な打ち合わせが必要なのだ」
「えー、いいじゃんいいじゃん。そんなの後回しでー。寂しい独り身のオレとしては、イチャイチャするところなんて見たくないんだよねぇ」
フレッド様は3人を部屋から押し出すようにして、「じゃ、シャーロットちゃん。また後でね」とウインクをして応接室を出て行った。
残されたのは、正真正銘私とライリー陛下の2人きり。
私は2人きりで緊張するより先に、ディリオン様が言った言葉の方が気になった。
結婚式って、ライリー陛下はいよいよご結婚されるのかしら。
そのご報告にいらしたのかしら。
ずきん、と胸が痛くなる。
そのための正式なご訪問なのか、早く訊かなきゃ。
「あ、あの。ライリー陛下。おめでとうございます」
ライリー陛下は私に視線を移した。
「ん? あぁ、シャーロット、ありがとう。でも、それは即位式の時に聞いたよ? そんなにかしこまって言わなくても大丈夫だよ」
ライリー陛下はくすくすと笑った。
私が今言ったのは、即位のではなく、ご結婚「おめでとう」だったのに……。
あ、もしかして即位された時には、もうご結婚が決まっていらっしゃったのかしら。
私が即位なさったことにお祝いを申し上げた時の「おめでとう」がご結婚のお祝いと取られていたのだわ。
私は気がつかないうちに、ライリー陛下のご結婚をお祝いしていたなんて。
ライリー陛下にお会いして高揚していた心が、だんだん沈んでいく。
恩人のライリー陛下のご結婚なのに、喜べない自分が嫌い。
それでも、表情を繕って、ライリー陛下に話しかけなければ。
「結婚生活も新しく始められるのでしょう? でしたら、喜ばしいことは、何度言っても言い足りません」
ライリー陛下が照れたように頭をかきながら赤くなる。
「え、あ、まあ。そうだね。……っていうか、シャーロットはそれでいいの?」
ライリー陛下は覗き込むように、頬を赤くして私を見つめる。
言いたくない。
言いたくないけれど、言わなきゃ。
「もちろんでございます。ライリー陛下のことを、お幸せを、いつでも思っておりましたもの」
ライリー陛下がお幸せであるようにと、いつも思ってた。
その気持ちには、嘘偽りはない。
私の肯定の言葉を聞き、ライリー陛下は光輝くように、ぱぁっと明るく笑った。
「嬉しいよ、シャーロット。本当のところ、少し自信がなかったんだ。断られたらどうしようかって。帝国のジルベール陛下とも親交を深めているという噂も聞いていたし。でも、ジルベール陛下のご結婚の話は聞かないから大丈夫かなーって思ったり。……どうしても諦めきれなかったんだ」
あぁ、ライリー陛下の奥様になられるお方は、ジルベール陛下もご執心の方だったのね。
でも、ジルベール陛下はお手紙では想い人がいらっしゃるなんて言ってなかったわ。
まあ、妹扱いの私にはそんなことまで言わないか。
でも、あの尊大なジルベール陛下がご執心ということは、とても素敵なお姫様に違いない。
ライリー陛下は、そんな方と想いを遂げられたのね。
「それでね、シャーロット。細かい手続きとかもあるんだけど、オレとしては一刻も早く一緒に暮らしたいと思ってるんだけど、いいかな。できれば、ランバラルド城の離宮をオレたちの新居として暮らせたらいいかなって。ほら、広い居室より近くにいられるしさ、建物はオレの親父の趣味だけど、なかなかに新婚っぽいし」
「そうですわね。離宮はとても素敵なところです。新婚生活を送れたら、とても幸せなことかと」
だんだんと、ちゃんとうまく笑えなくなってきた。
離宮でライリー陛下が奥様と新婚生活を送られる。
私がライと出掛けて、幸せな気分で過ごしたあの離宮で、ライが別の人と暮らす。
思っただけで、胸が引き裂かれるよう。
ダメよ。
シャーロット、ちゃんと笑って。
ライリー陛下のお幸せをいつも祈っていたじゃない。
笑顔でお祝いしなきゃ。
私が笑えないでいる間も、ライリー陛下が言葉を続ける。
「今回は書類も揃えて持ってきているから、ジルベール陛下に邪魔されないうちに早くサインしてもらって、」
照れながら顔を上げたライリー陛下が、私の顔を見て目を見開く。
「……シャーロット、どうしたの? もしかして、本心ではそんなに嫌だったの」
「何をおっしゃいますの? ライリー陛下。ライリー陛下のお心のままに」
書類、離縁届にサインします。
ライリー陛下が正妃をお迎えなられた時の、障害にならないように、きちんと離縁します。
そう言わなきゃいけないのに、言葉が続かない。
「シャーロット。オレ、無理強いはしないよ? そんなに嫌なら、無理しなくていいんだ。無理にサインする必要はないんだよ」
「だっ、大丈夫です。私っ、サインできます」
「だって、泣いてるじゃないか。ポロポロ、綺麗にしてきた、お化粧が落ちてしまうくらいに」
ライリー陛下が悲しそうなお顔でそう言うので、頬を触ると指がどうしようもないくらいに濡れていた。
ライリー陛下の輝くばかりの笑顔に見惚れていると、フレッド様から声がかかる。
はっ!
ライリー陛下の満面の笑みなんて、数年ぶりに見たから、気持ちが高揚してしまって、身体が固まってしまっていたわ。
応接室にはいつものライリー陛下の側近の方々、ディリオン様、コンラッド様、ジェイミー様がいらっしゃるのに。
ゆっくりと、美しく見えるように、カーテシーをする。
「ライリー陛下。お久しぶりでございます。ようこそボナールへ」
これでも、今日のドレスは夜会用以外では一番上等なドレスを着てきた。
ライリー陛下の目に映る私は、少しだけでも綺麗でありたい。
「いいからいいから。シャーロットちゃん、こっちにおいで」
フレッド様が私を手招きするので、私はライリー陛下の向かい側、フレッド様の隣に輿を下ろした。
「シャーロットちゃんってば、久しぶりに会うのに他人行儀だなあ」
「だってフレッド様、今日は正式なご訪問だって……」
「いいじゃん。もうこの部屋の中は護衛にも外してもらって、オレたちしかいないんだし」
「そうですか……?」
おずおずとライリー陛下のお顔を見ると、ライリー陛下も微笑んで頷いてくれる。
それを見て、やっと私も笑顔になることができた。
私とライリー陛下の空気が、仲の良かった以前の時のものに戻ったのを見て、フレッド様は立ち上がった。
「じゃ、あとはお2人で!」
そう言って、ディリオン様とコンラッド様の腕を掴んで部屋を出て行こうとする。
え、ちょっと待って。いきなり2人きりにさせないで!
私が手を伸ばそうとすると、ディリオン様が先に反論する。
「ちょっと待て。結婚式はどうするのか、詳細な打ち合わせが必要なのだ」
「えー、いいじゃんいいじゃん。そんなの後回しでー。寂しい独り身のオレとしては、イチャイチャするところなんて見たくないんだよねぇ」
フレッド様は3人を部屋から押し出すようにして、「じゃ、シャーロットちゃん。また後でね」とウインクをして応接室を出て行った。
残されたのは、正真正銘私とライリー陛下の2人きり。
私は2人きりで緊張するより先に、ディリオン様が言った言葉の方が気になった。
結婚式って、ライリー陛下はいよいよご結婚されるのかしら。
そのご報告にいらしたのかしら。
ずきん、と胸が痛くなる。
そのための正式なご訪問なのか、早く訊かなきゃ。
「あ、あの。ライリー陛下。おめでとうございます」
ライリー陛下は私に視線を移した。
「ん? あぁ、シャーロット、ありがとう。でも、それは即位式の時に聞いたよ? そんなにかしこまって言わなくても大丈夫だよ」
ライリー陛下はくすくすと笑った。
私が今言ったのは、即位のではなく、ご結婚「おめでとう」だったのに……。
あ、もしかして即位された時には、もうご結婚が決まっていらっしゃったのかしら。
私が即位なさったことにお祝いを申し上げた時の「おめでとう」がご結婚のお祝いと取られていたのだわ。
私は気がつかないうちに、ライリー陛下のご結婚をお祝いしていたなんて。
ライリー陛下にお会いして高揚していた心が、だんだん沈んでいく。
恩人のライリー陛下のご結婚なのに、喜べない自分が嫌い。
それでも、表情を繕って、ライリー陛下に話しかけなければ。
「結婚生活も新しく始められるのでしょう? でしたら、喜ばしいことは、何度言っても言い足りません」
ライリー陛下が照れたように頭をかきながら赤くなる。
「え、あ、まあ。そうだね。……っていうか、シャーロットはそれでいいの?」
ライリー陛下は覗き込むように、頬を赤くして私を見つめる。
言いたくない。
言いたくないけれど、言わなきゃ。
「もちろんでございます。ライリー陛下のことを、お幸せを、いつでも思っておりましたもの」
ライリー陛下がお幸せであるようにと、いつも思ってた。
その気持ちには、嘘偽りはない。
私の肯定の言葉を聞き、ライリー陛下は光輝くように、ぱぁっと明るく笑った。
「嬉しいよ、シャーロット。本当のところ、少し自信がなかったんだ。断られたらどうしようかって。帝国のジルベール陛下とも親交を深めているという噂も聞いていたし。でも、ジルベール陛下のご結婚の話は聞かないから大丈夫かなーって思ったり。……どうしても諦めきれなかったんだ」
あぁ、ライリー陛下の奥様になられるお方は、ジルベール陛下もご執心の方だったのね。
でも、ジルベール陛下はお手紙では想い人がいらっしゃるなんて言ってなかったわ。
まあ、妹扱いの私にはそんなことまで言わないか。
でも、あの尊大なジルベール陛下がご執心ということは、とても素敵なお姫様に違いない。
ライリー陛下は、そんな方と想いを遂げられたのね。
「それでね、シャーロット。細かい手続きとかもあるんだけど、オレとしては一刻も早く一緒に暮らしたいと思ってるんだけど、いいかな。できれば、ランバラルド城の離宮をオレたちの新居として暮らせたらいいかなって。ほら、広い居室より近くにいられるしさ、建物はオレの親父の趣味だけど、なかなかに新婚っぽいし」
「そうですわね。離宮はとても素敵なところです。新婚生活を送れたら、とても幸せなことかと」
だんだんと、ちゃんとうまく笑えなくなってきた。
離宮でライリー陛下が奥様と新婚生活を送られる。
私がライと出掛けて、幸せな気分で過ごしたあの離宮で、ライが別の人と暮らす。
思っただけで、胸が引き裂かれるよう。
ダメよ。
シャーロット、ちゃんと笑って。
ライリー陛下のお幸せをいつも祈っていたじゃない。
笑顔でお祝いしなきゃ。
私が笑えないでいる間も、ライリー陛下が言葉を続ける。
「今回は書類も揃えて持ってきているから、ジルベール陛下に邪魔されないうちに早くサインしてもらって、」
照れながら顔を上げたライリー陛下が、私の顔を見て目を見開く。
「……シャーロット、どうしたの? もしかして、本心ではそんなに嫌だったの」
「何をおっしゃいますの? ライリー陛下。ライリー陛下のお心のままに」
書類、離縁届にサインします。
ライリー陛下が正妃をお迎えなられた時の、障害にならないように、きちんと離縁します。
そう言わなきゃいけないのに、言葉が続かない。
「シャーロット。オレ、無理強いはしないよ? そんなに嫌なら、無理しなくていいんだ。無理にサインする必要はないんだよ」
「だっ、大丈夫です。私っ、サインできます」
「だって、泣いてるじゃないか。ポロポロ、綺麗にしてきた、お化粧が落ちてしまうくらいに」
ライリー陛下が悲しそうなお顔でそう言うので、頬を触ると指がどうしようもないくらいに濡れていた。
2
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
アンジェリーヌは一人じゃない
れもんぴーる
恋愛
義母からひどい扱いされても我慢をしているアンジェリーヌ。
メイドにも冷遇され、昔は仲が良かった婚約者にも冷たい態度をとられ居場所も逃げ場所もなくしていた。
そんな時、アルコール入りのチョコレートを口にしたアンジェリーヌの性格が激変した。
まるで別人になったように、言いたいことを言い、これまで自分に冷たかった家族や婚約者をこぎみよく切り捨てていく。
実は、アンジェリーヌの中にずっといた魂と入れ替わったのだ。
それはアンジェリーヌと一緒に生まれたが、この世に誕生できなかったアンジェリーヌの双子の魂だった。
新生アンジェリーヌはアンジェリーヌのため自由を求め、家を出る。
アンジェリーヌは満ち足りた生活を送り、愛する人にも出会うが、この身体は自分の物ではない。出来る事なら消えてしまった可哀そうな自分の半身に幸せになってもらいたい。でもそれは自分が消え、愛する人との別れの時。
果たしてアンジェリーヌの魂は戻ってくるのか。そしてその時もう一人の魂は・・・。
*タグに「平成の歌もあります」を追加しました。思っていたより歌に注目していただいたので(*´▽`*)
(なろうさま、カクヨムさまにも投稿予定です)
王宮侍女は穴に落ちる
斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された
アニエスは王宮で運良く職を得る。
呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き
の侍女として。
忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。
ところが、ある日ちょっとした諍いから
突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。
ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな
俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され
るお話です。
噂の悪女が妻になりました
はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。
国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。
その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。
花言葉は「私のものになって」
岬 空弥
恋愛
(婚約者様との会話など必要ありません。)
そうして今日もまた、見目麗しい婚約者様を前に、まるで人形のように微笑み、私は自分の世界に入ってゆくのでした。
その理由は、彼が私を利用して、私の姉を狙っているからなのです。
美しい姉を持つ思い込みの激しいユニーナと、少し考えの足りない美男子アレイドの拗れた恋愛。
青春ならではのちょっぴり恥ずかしい二人の言動を「気持ち悪い!」と吐き捨てる姉の婚約者にもご注目ください。
こんなに遠くまできてしまいました
ナツ
恋愛
ツイてない人生を細々と送る主人公が、ある日突然異世界にトリップ。
親切な鳥人に拾われてほのぼのスローライフが始まった!と思いきや、こちらの世界もなかなかハードなようで……。
可愛いがってた少年が実は見た目通りの歳じゃなかったり、頼れる魔法使いが実は食えない嘘つきだったり、恋が成就したと思ったら死にかけたりするお話。
(以前小説家になろうで掲載していたものと同じお話です)
※完結まで毎日更新します
【完結】地味な私と公爵様
ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。
端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。
そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。
...正直私も信じていません。
ラエル様が、私を溺愛しているなんて。
きっと、きっと、夢に違いありません。
お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)
婚約破棄されたトリノは、継母や姉たちや使用人からもいじめられているので、前世の記憶を思い出し、家から脱走して旅にでる!
山田 バルス
恋愛
この屋敷は、わたしの居場所じゃない。
薄明かりの差し込む天窓の下、トリノは古びた石床に敷かれた毛布の中で、静かに目を覚ました。肌寒さに身をすくめながら、昨日と変わらぬ粗末な日常が始まる。
かつては伯爵家の令嬢として、それなりに贅沢に暮らしていたはずだった。だけど、実の母が亡くなり、父が再婚してから、すべてが変わった。
「おい、灰かぶり。いつまで寝てんのよ、あんたは召使いのつもり?」
「ごめんなさい、すぐに……」
「ふーん、また寝癖ついてる。魔獣みたいな髪。鏡って知ってる?」
「……すみません」
トリノはペコリと頭を下げる。反論なんて、とうにあきらめた。
この世界は、魔法と剣が支配する王国《エルデラン》の北方領。名門リドグレイ伯爵家の屋敷には、魔道具や召使い、そして“偽りの家族”がそろっている。
彼女――トリノ・リドグレイは、この家の“戸籍上は三女”。けれど実態は、召使い以下の扱いだった。
「キッチン、昨日の灰がそのままだったわよ? ご主人様の食事を用意する手も、まるで泥人形ね」
「今朝の朝食、あなたの分はなし。ねえ、ミレイア? “灰かぶり令嬢”には、灰でも食べさせればいいのよ」
「賛成♪ ちょうど暖炉の掃除があるし、役立ててあげる」
三人がくすくすと笑うなか、トリノはただ小さくうなずいた。
夜。屋敷が静まり、誰もいない納戸で、トリノはひとり、こっそり木箱を開いた。中には小さな布包み。亡き母の形見――古びた銀のペンダントが眠っていた。
それだけが、彼女の“世界でただ一つの宝物”。
「……お母さま。わたし、がんばってるよ。ちゃんと、ひとりでも……」
声が震える。けれど、涙は流さなかった。
屋敷の誰にも必要とされない“灰かぶり令嬢”。
だけど、彼女の心だけは、まだ折れていない。
いつか、この冷たい塔を抜け出して、空の広い場所へ行くんだ。
そう、小さく、けれど確かに誓った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる