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1話 灰となりて地獄の門を開く【上】
些事
しおりを挟む人生は、無数の記憶で満ちている。
取るに足らない些細な記憶から、どれだけ時が経ってもきっと、忘れることのできない記憶まで。
記憶が、人間の中で知らずの知らずの内に淘汰されるものならば、失った記憶はどこへ消えていくのだろう。
僕たちは記憶を選んでいるのだろうか、記憶に選ばれているのだろうか、それとも────。
地獄三番街
1話「灰となりて地獄の門を開く」
「今日も朝ご飯食べないの?」
咎めるような母の声に斉木遥人は振り向いた。
「要らない」
「ちゃんと食べないと、昼まで持たないわよ」
「大丈夫」
スポーツバッグを肩に掛けながら短く答える。母がまったくもう……とため息を吐いた。その横で、バタートーストを口一杯に頬張った妹・花那が「あ、お兄ちゃん」とモゴモゴ口を動かす。
「今日は部活朝練だけでしょ?早く帰ってきてね。あたし今日友梨ちゃんと真依ちゃんと遊ぶから!」
「それ、俺と何の関係があるんだよ」
「2人が家に来るんだもん。女の子だけで留守番なんて危ないでしょ」
5つ歳下の妹はこの春小学5年生になってからというもの、急に大人びてきた気がする。物言いがいっそう生意気になったし、いつから自分のことを「花那」ではなく「あたし」と言うようになったのだろう。
遥人の両親は共働きだ。父・尚行は民間企業の研究員、母・美也子は近所のスーパーのパートとしてそれぞれ働いている。
心配性の母は子どもに1人で留守番させることを良しとせず、普段は午前から昼過ぎのシフトに入って花那が帰宅する頃には家に居るようにしている。……が、そういえば昨日、「明日は急遽欠員が出たから夕方も入ることになっちゃって」と言っていたか。
「たまたま遥人の部活が休みで助かったわ。お願いね」
「お願いねー」
「はいはい……」
軽い調子の声に曖昧に頷き、玄関へ向かう。扉を開けると外は晴天で、5月の清涼な風が頬を包んだ。今日は暑くなりそうだ、と思う。何の変哲もない日常だった。
*
教科書の一節を読み上げるクラスメイトの声が遠くに聞こえる。
サッカー部の朝練はハードなことで有名だ。グラウンドを駆け回った身体から汗が引くと、代わりに鉛のような疲労が押し寄せてくる。
疲れた。眠い。遥人はうなだれるように頬杖をつきながら、ぼんやりと授業を受けていた。
本当は母の言うように朝食をしっかり食べた方が良いのは分かっている。でも朝はどうしても食欲が湧かないし、無理矢理詰め込んで運動なんかしようものなら、逆に吐いてしまう気しかしないのだ。
1時間目は現代文の授業だった。どこかの外国の小説を日本語に訳した物語。その手の世界では有名なのかもしれないが、普段漫画くらいしか読まない遥人には聞いたこともない作者と作品だ。
その大して興味もない話を生徒たちは一文ずつ順番に朗読させられている。席順通りだともうすぐ自分の番だ。遥人は今にも閉じそうな目を擦りながら、教科書の文字を追い始めた。話のあらすじは大体こうだ。
主人公と無二の親友がいる。
2人は2人だけの秘密を共有し、絆を確かめる。
しかし主人公は些細な欲望から秘密を破り、更に親友に対して嘘を吐く。
当然のように親友には失望され、一瞬で絆は壊れる。
順番が回ってきた。抑揚のない声で文を読み上げると、これでしばらくぼーっとできると再び身体の力を抜く。
「なあ、ヨニゲって知ってる?」
小声で話しかけられたのはその時だ。
ふと目をやると、隣の席の岡村 俊亮が悪戯っぽい瞳でこちらを見つめていた。
同じクラス、同じサッカー部で家も近所、更には教室の席まで隣のこの友人は、授業中に退屈を持て余すとこうして遥人に話しかけてくることがよくある。遥人も声を落としひそひそと返事をした。
「夜逃げ?」
「そう、家具とか全部置いたまんまで家族皆でぱーって家出しちゃうこと」
「いや、意味は知ってるけど……」
何でまた急にそんなことを聞いてくるのか。
「驚け、俺の親戚の叔父ちゃん一家がさ、借金1000万作ってヨニゲしたんだってよ!すっげーよな、ドラマの世界」
「……へえ……」
心なしか興奮気味にエゲツないことを暴露してくる俊亮に、遥人はどうリアクションしたらいいか分からず引き攣った笑みを浮かべた。というか明らかに教室で、しかも授業中にする話ではない。
「もっと『マジで!?』とか『スゲー!』とかないわけ?相変わらずリアクション悪ぃなあ」
「おい、声でかいって」
教師の方にチラチラと目をやりながら、段々と声のトーンが上がってきた俊亮を宥める。2人は教科書にほとんど顔を埋めるようにして話を続けた。
「借金取りってさ、やっぱコエーのかな?ヤクザみたいなカッコしてさー」
「ヤクザみたいっていうか、ヤクザだろ」
「でも何か波乱万丈な人生って憧れるんだよなー、カッコよくて。なー遥人の周りにはいねーの?波乱万丈な人」
「別に……家族フツーだし、親戚関わりないし」
「ちぇー」
つまんねーの、と俊亮は口を尖らせるが、いないものはいないんだから仕方がない。
「でも、ここら辺も最近物騒になってきたよなあ。俺らが小さい頃はのどかだったのに」
「……そうかあ?」
「夜出前してる時によく見かけんだよ、暴走族みてーなギラギラした車とか、ギャーギャー騒いでる酔っ払いの集団とか……。ヨニゲ現場もそのうち見かける日が来ちゃったりして」
岡村家は中華店を営んでおり、俊亮も毎日のように店を手伝っているのだ。部活終わりによくやる、といつも思うが。
「ふーん……変なことに巻き込まれないように気をつけろよ」
「分かってるって」
「おい岡村、斉木!いつまでくっちゃべってる!」
突如響き渡った教師の声に遥人と俊亮はビクッと背筋を伸ばす。どうやら少し前からバレていたらしい。
お前のせいだぞ、と俊亮を軽く睨むと、俊亮は悪い悪いというように笑うと共にピースを返してきた。まったく反省していない。
黒板にはいつの間にか文字が増えていた。教師はチョークでトントンと一際大きく書かれた部分を指し、皆も考えてみなさい、と読み上げた。
"主人公は何故嘘を吐いたのか?"
自分を守るためだろう、と遥人は心の中で呟いた。
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