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1話 灰となりて地獄の門を開く【上】
呼鈴
しおりを挟むその日、家に帰ると花那が神妙な顔で玄関に立ち尽くしていた。「どうした?」と問いかけると花那はパッと振り向き、手に持っていた箱を軽く持ち上げた。その瞬間チリン、と乾いた音が響く。
「変な荷物が届いたの」
「変って?」
「これ」
見て、と言わんばかりにぐいぐいとその箱を胸元に押しやってくる。またチリチリ音が鳴った。手に取って見ると、素材は普通のダンボールのようだが、なぜか鈴が付いていた。箱の角に開けられた小さな穴から紐が通され、その先に銀色の鈴が揺れている。さっきから鳴っているのはこれか。
「鈴……?」
「宛名も変なの」
花那が箱に貼られたラベルを指差す。宛先にある名前こそ父だが、差出人名の欄には「三番街」とだけ書かれていた。住所も電話番号もない。品名を確認すると、「雑貨」となっている。
「何だこれ」
「ね?変でしょ?」
並んで靴を脱ぎ、居間へと移動しながら箱を軽く振ってみる。何かが入っているような感じがしなくもないが、大した重さはない。ただ鈴の音が耳につくだけだ。
「配達のお兄さんに『サンバンガイって何ですか?』って聞いたんだけど、『さあ……』ってしか答えてくれなくて」
そりゃ配送業者の人は知らないだろうよ、と声には出さず突っ込みながらも、考える。店の名前だろうか?仕事関係のもの?それとも単なるイタズラ?
一瞬、まさか教育的に良くないもの……いわゆる「大人の玩具」的な物じゃないだろうなという思考が頭を過ぎったが、すぐにいやいやと首を振る。あの堅物の父に限ってそれはあり得ないだろう。
花那は怪訝さと好奇心が入り混じった表情で遥人の顔を覗き込み、言う。
「……開けてみる?」
「いや、勝手に開けるのは駄目だろ……」
「えー」
不満げな声が上がったところでインターフォンが鳴った。朝言っていた友梨ちゃんと真依ちゃんとやらだろう。
「あ、来た来た、はーい」
その瞬間、花那は今し方まで興味津々だった怪しい荷物には目もくれず、上機嫌に玄関へと走って行った。切り替えの早いことだ。
遥人は暫しの間じっと箱を見つめていたが、やがて諦めたようにそれを無造作にテーブルに置いた。
まあいいや。いくら考えたところで分かる訳もないし、帰ってきた父に渡すしかないだろう。
そんなことより、今日は宿題がたくさん出たのだ。早く済ませてしまおう。廊下から何やらキャイキャイとはしゃぐ女子たちの声が近付いてくる。とりあえず手を洗わねばと洗面台に向かった。
*
「ちょっと、これ……」
帰宅した母が狼狽えたように呟いたのは、とっぷりと日も暮れてからのことだった。パートついでに買い物でもしてきたのだろう、スーパーの袋を床に落とす勢いで置くと、テーブルの上の箱を目を見開いて見つめる。
「あ、その荷物?あたしが受け取ったの。お父さんにって」
「いつ届いたの」
「えーと、帰ってきてすぐだから……15時くらい?」
「……どんな人だった?」
「え?」
花那の無邪気な声と、母の震えを抑えるかのような声が交互に耳に届く。居間でテレビを見ていた遥人はひっかかるものを感じ、ソファから身を乗り出した。何だか母の様子がおかしい。
母はおもむろに花那の両肩に手を置いた。そして怖いくらいに真っ直ぐ目を合わせると、ゆっくりと、確かめるように尋ねた。
「これ渡してきたの、どんな人だった?」
花那はきょとんとして、首を傾げた。長い三つ編みが揺れる。
「どんなって、いつも来る配達のお兄さんだよ?……ね、これ何で鈴が付いてると思う?三番街って、どこの三番街?」
「花那」
少し離れたところで様子を伺っていた遥人は、母の動揺にはまったく気づかない様子の妹を諌め2人の方に寄っていった。状況が理解できず、何よ、と眉をしかめる花那の横に立ち、先程自分が置いた箱と心なしか青ざめている母を交互に見やる。母は急に何かに気付いたかのように息を呑み、顔を上げた。
「遥人も、触ったの、これ」
「触っただけで開けてはいないけど……。何だよ母さん、この荷物のこと何か知ってるの?」
ハッと我に返ったような様子の母と目が合う。その時、母の顔に浮かんだ恐怖の色を遥人は見逃さなかった。しかしそれは刹那のことで、遥人が瞬きした次の瞬間には、その恐慌はぎこちない笑みにかき消されていた。
「ううん、違うのよ。ちょっと変わった荷物だったから2人に変なことがなかったか心配になっちゃって……」
嘘だ、と遥人の直感が告げる。今のは、今の表情は何だ?心配とかいう次元ではない。母は明らかに何かに怯えている。
「もう、いつまでも子供扱いして。あたしだって荷物くらい受け取れるよ」
「そうよね、花那はしっかり者だから大丈夫よね。ごめんね」
ぷっと頬を膨らませる花那に笑いかける母はいつもの落ち着きを取り戻したかのように見えた。しかし、
「これはお母さんからお父さんに渡しておくから。……ああもうこんな時間。ご飯にしましょう」
と、矢継ぎ早に告げた言葉には有無を言わせない響きがあった。それ以上荷物のことについては触れさせない、という意志を感じた遥人は黙って頷くことしかできなかった。
母は箱を手に取ると、さっさと階段を上がっていく。チリン、チリン、という音が、遠ざかっているはずなのに何故かどんどん近づいて来るような、そんな錯覚に襲われた。
食器棚から皿を取り出し、テーブルに並べる。手足こそ無意識で動くが、思考は完全に違うところへいっていた。
「お兄ちゃん違うよ。今日カレーだよ。カレー皿でしょ」と花那に嗜められ、あ、ごめん、と空返事をする。
胸に嫌なものがよぎる。鈴の音がいつまでも耳から離れない。
まるで何か得体の知れない、淀んだ黒い靄がそこから渦巻いて、烏のように羽を広げ、この家を丸ごと呑み込んでいくような、そんな言葉にし難い不安と焦燥感が遥人を包んでいた。
その夜、父はなかなか帰ってこなかった。
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