宮廷奏術師の二度目

継津 互

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本編>第一綴:——

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 昼の偉大なる光を排し、彼方の色をそのままに映す天鵞絨ビロードの天幕。そこに瞬く星々は互いに互いの手をとって、地上の雑光を圧倒しにかかる。
 門灯が早帰りの馬車を照らしていた。低い位置にすら泥汚れひとつ見えないその車の前では、たてがみについた夜露を首を振るって落としながら、目に覆いのつけられた馬が走り出しを今かと待っている。

 手のなかにまだ魔法を行使した感覚が残っていた。想定以上に抵抗なく深部まで明け渡された彼の身体を自分の意思に沿った無生物が泳いでいくあの感覚。魔法を手足の拡張だと言う人がいる。であれば僕はついさっき、この手であの人の内に触れたと言えるだろう。熟れた柘榴、人肌ほどに温く、しとどに濡れた血色の果実。白磁の下にしまわれている——……不埓な妄想につなげようとする自分の顔を掌で覆うように打つ。それをテオドールが変なものを見るような目で眺めている。

「……気にしないでください。僕の奇行は今に始まったことじゃないでしょう」
「そうか?」

 首元、手首、背、布の隙間から入り込む夜の空気が体を冷やした。少なからず夜会の雰囲気に酔っていた、それが冷気によって急速に鎮められていく。
 今、僕とテオドールは外に出ていた。背後はまだ明るかったが、僕らはこれでもうおいとまするつもりでいた。

「すまない、お前まで帰らせることになってしまって」

 そう囁く声は時折かすれ、途切れている。

「むしろいいタイミングでした……いや、この言い方は良くないか。でも本当に、変な意味は何もなしに、いいタイミングだったと思います。これ以上は繕いきれなくなるところだった」

 解毒を終え、あの小室を出て、すぐに帰るかと思いきや変に義理堅いところのある彼はそれから三十分は夜会の照明の下に留まった。喉の痛みが悪化しなければ、まだ長居しようとしただろう。彼なりの配慮や立場に縛られての行動らしかったが、こうなるならわざと失敗してでも快復しきらないよう調整するべきだったと、そう思う。いや、でも人の体内を弄る魔法だ、下手をすればどうなるかわからない、ならば成功したことを大いに喜ぶべきなのだろう。僕の手で、僕の魔法で彼を殺すなんてことにはなりたくない。
 落ち着いたところに出てきたからか、蓄積された疲労があらわになってくる。肉体はそうでもないが、精神の摩耗が酷い。先ほどの言葉にしろ、頭があまりうまく働いていないのがなんとなくわかった。一日分として用意されている頭の回転数をもう使い切ってしまったらしい。

「風が寒いな」

 テオドールが静かにそう呟いた。向かい風に少し目を細めているその横顔を見る。ぼんやりと照らされた輪郭線、ややほつれた髪の、風の掬いとった細い一筋。

「僕が暖めて差し上げましょうか?」
「は?何——」
「冗談!冗談です」

 だめだもうずっと緊張状態にあったからか、頭がおかしくなってしまったみたいだ。
 それはこの口の緩んで勝手に溢れてしまった言葉だった。無意識のなした所業だ。

 急に大きな声を出したせいでか、テオドールが咳き込む。不安になって咄嗟に伸ばした手はしかし、躊躇いによって宙でとまって終ぞ触れることはなかった。

「……失礼しました」
「はあ……お前のそれは時々冗談に聞こえない」

 そうだろうな。僕も意図して言おうとしていない、予想外の言葉だったから。

「そんな調子でいるとまた死後に遺産相続で争われるぞ」
「は!?両親が全部持ってったんじゃないんですか?」

 聞き捨てならない言葉に思わず声が大きくなる。
 死後のことであるし今となっては過去とも言える出来事だから、別に気にしなくともいいはずだが、それにしたってだ。いったい誰が噛んだのか。親兄弟、あれらは血縁間でそう争いはしないはずだから、血縁以外で誰かが声を上げたのだろう。

「最終的にはおそらくそうだが……認知していなかったのか?愛人を名乗る女性が少なくとも三人、赤子を抱えていた人も」

 脱力した。

「遺産狙いの嘘ですよそれは!少なくとも僕の死ぬ前に子どもはいなかったし、僕の死後に生まれたと主張するならそれはおかしい。僕があの状態でできるとお思いですか!?」
「わかった、わかったから声を落とせ」

 御者は素知らぬ顔で空を見ている。
 愛人?とんでもない。一時期付き合いのあった人間はいたにしても、死ぬ前に全員縁は切れていたはずだ。それもほとんどが僕からでなく、向こうから言い出して。子どもなんてもっと考えにくい。

「本当に僕の子だったのなら責任くらいいくらでもとりますよ」

 二度目の今にはあまり関係のないことだが。
 呼吸を深くひとつ。心を落ち着け、目を伏せる。

「あの時期、ホルバイン夫人とその子を除けば、僕のもとに一番来ていたのはあなたでした、テオドール」
 
 風がこの身を冷やすに任せる。見ずにいれば。相手を見ずに話せば、独白に転じたそれはいとも容易たやすく舌のせきをこえてあふれてくる。

「僕がここに来てからここで死ぬまで、結局最期までそばにいたのはあなただった」

 しかしそのあなたですら、僕との間には遠い距離があった。最近接でありながら、最遠の人物。

「その三人が誰かは知りませんが、恋人だ愛人だと言われても、僕は認めはしなかったでしょう。死ぬまでの間に、そういった関係は断たれていたはずですから」

 風は冷たい。それは未だ来たらぬ過去の冬を想起させるかのようだ。

 恋人、愛人、僕が唯一そういった呼び名を許すことがあるのなら、それはあなただった。

 そこまでは言わなかった。僕の一方的な願望が歪曲され誇張された成れの果てがその言葉であるとわかっていたから。そしてそれを明かすべきでないと、少なくとも今、このタイミングで明かすべきでないと理解していたから。

 改めて向き直る。

「……行きましょう、体が冷え切る前に。それと冗談はさておいて、体温の低下を抑えるための呪文はいくつか覚えがあります。あなたの分も代わりに唱えましょうか?」

 ✧

 鞭が鳴る。合図に従い、脚が進み、車輪が回り始める。


 僕は僕を軽蔑する。あの小室を開くその一瞬で見てしまった、あなたの支配された姿を、冷静さを突き崩された姿を、そして静かに耐える姿を、この脳裏から引き剥がすことができないでいる僕を。
 あなたに対して特異な感情を抱いていることは自覚していた。しかしそれは純潔さをともなうプラトニックな感情だと信じていた。事実は異なっていた。それはしかと肉欲とつながっている。認めざるを得ないことだ。
 帰路、僕はその得たばかりの気づきを悟られないようにするので必死だった。人間の情欲によって汚されそうになったばかりのあなたには、特に悟られてはならないことだ。目を閉じて寝たふりをした。今はなにを喋ろうと悪いほうにしか転がらない気がしていたから。幸い、正当な疲労だと思われたのか、テオドールは王宮に着くまで話しかけてこず、床を伝ってくる車輪の回転の単調な音が、曇った窓の内側で反響するばかりだった。




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