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本編>第一綴:——
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しおりを挟む一夜が過ぎた。木曜、今朝の朝織は私の仕事でなかったので、時間のあった私は明け方からずっとアミュレットをいじっていた。普段は上着の内ポケットにしまっているものだ。何年か前に買ったそれの形状は懐中時計に近く、蓋を開けると内部構造がよく見えるようになっている。そこそこ値の張る代物で、自浄作用がついており、長期間の使用に耐えられるようになっていた。しかし自浄作用があるとはいえ劣化はしていくものだから、こうして時々見てやらねばならなかった。前はちょっとした事故があってこれの寿命が来る前に捨ててしまったのだが、今生ではもう少し長く使えると嬉しく思う。
部屋のカーテンはひとつを除いてすべて閉まっていた。日はとっくに昇っていて、ベッド近くの窓ひとつだけがそれを取り込み、薄暗い部屋のなかで唯一の光源となっている。午後まで特に用事はないから、そのままでいいだろう。
突然、自室の扉がノックされた。
「どうぞ」
どうぞではない。全く。だが言ってしまったので仕方がなかった。
「朝織の無い日はいつもこうなのかレーベンツァイト奏士」
「……奏術師長」
アルノ・アールステッド奏術師長。顎髭を生やした壮年の男。その髪は老いて白く、慣例に則り長く伸びた髪は、後ろで束ねられている。髪は即席の触媒として優秀で、魔術師連中も長髪が多かった。私も伸ばしている。別で携帯しやすいものを持ち歩いて髪は切っている奴もいたが、少数だった。ちなみに、アールステッド奏術師長の髪を束ねている青いリボンも、それ単体で触媒として用いることのできる素材だったはずだ。
「私の目に今のお前はひどく怠惰に見えるぞ」
「私の部屋には日光に弱い物もありますので」
そういった品は棚の中あるいは日の当たらない場所に置いてあるが。
いつもはこうではない。いつもは。そう思って少し腹が立ったが、そう見られても仕方がない有様なのでそれ以上は言わず口を閉じる。
「なにかございましたか奏術師長」
私はアミュレットの蓋を閉め、アールステッド奏術師長に相対する。
「今月の末、メーヘムも出ることになった」
「テフティカン祭ですか」
四月末から五月の頭にかかる魔法の祭典。人類最初の魔法使いが誕生した、その夜を祝う祭典だ。奏術師長は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、そうだと言った。
「王太子殿下がそのようにおっしゃったのですか」
またもそうだと言った。
「殿下はあれをいたく気に入っているようだが、祭事では伝統が重んじられなければならない」
わかっているな、と。
「あれは伝統を愚弄している。殿下直々に呼んだものでなければすぐにでも追い出していたというのに。殿下の決定であれば私は逆らえん。どうにかして、あれが馬鹿なことをしないようにしろ。いいな」
「メーヘムはもうそれを聞いたのでしょうね」
「ああ、ああ。書簡がすでに行っているだろう。私からも伝えねばならんが」
はあ、と長いため息を残し、奏術師長は去っていった。頭を抱え、眉根にしわを寄せ、一度目と全くもって変わらない。
一度この生を歩みきったゆえ、これが来ることは知っていた。どうすべきか。前生では奏術師長の言ったことに従った。そのせいでエリオとの確執は大きくなったが、彼の宮廷奏術師としての立場は守られた。それを彼が望んだかと言われれば、微妙なところだろう。今生、もし奏術師長の言うようにせず、彼の好きなようにさせたなら、他の宮廷奏術師らからの目は。私は知っている。私も彼らであったから。エリオのもつ探究心、思想、次期国王である王太子殿下からの寵愛、じきにすべての奏術師を凌駕するであろうその才、天才ゆえの傲慢さ。彼が宮廷に来たとき放った言葉はまだ覚えているし、奏術師長は根に持っていることだろう。そういうところさえなければと思うことは多々あった。そう、彼の好きなようにさせたなら、彼は確実に潰される。
あの暮れの言葉。彼は“私に”認められれば良いのだろうか。もしそうであるのなら、テフティカン祭では大人しくしてもらえたほうが嬉しいのだが。
「一度目で知っているだろう、そうもいかない……」
言うだけ言おうか。……いや、これではないか?数十年の蓄積が私の舌を雁字搦めにするのなら、行動で示せば良い。彼がやるというのなら、私はその名と立場でもって、彼を矢の雨から守る盾となろう。この生はお釣りみたいなものだ、それで追放されようが非難を受けようが構わない。私は腹をくくった。
✧
少し前から違和感があった。具体的にはこの宮廷付きの奏術師になってからだ。いわゆるデジャヴ。自分の選択とその結果に対する既視感。今思えば、僕は彼が目覚める前に、すでに意識を取り戻しつつあったのだろう。神は僕に投与する麻酔の量を誤った。ただ違和感の正体を理解したのは、それこそあの昼下がり、彼の目覚めとほぼ時を同じくしてのことだ。
やり直させてくれるというのなら最初から、せめて宮廷に入ったときからにしてくれればよかったものを。
テオドール・デュラン・レーベンツァイト。数多いる宮廷奏術師のなかで僕の師となってしまった可哀想な人。しかし伝統を過剰に祀り上げ、発展に慎重なこの宮廷で、僕を理解してくれる可能性のある唯一の人だった。前生でこそかなわなかった。だがあの昼下がりの言葉で、今生こそもしかするとと思ったのだ。
朝日が街並みから顔を出していた。朝識のおかげで叩き起こされてから、ずっとこの状態だ——ずきずきという頭痛に悩まされながら、脱ぎっぱなしの上着よろしくベッドに寄りかかっている。吐き気もした。完全にしくじった。
酩酊して記憶まで吹っ飛んでいたならエリオディアムは幸福だっただろう。過ちは忘れてしまいたいものだ。しかし残念ながら、一時的記憶喪失とまではいかなかったようだ。彼は覚えていた。馬車の揺れ、雨の音、すべてを覚えていた。そして失態を悔い、恥じていた。だがもしあの選択をやり直させてやると言っても、彼は酔ったままでいることを選ぶのだろう。心が二つあるようだった。失態を反省する自分の裏側で、前々から密かに抱いていた望みがかなったとでもいうように、もうひとりの自分が笑っていた。
メーヘムが独身のままに夭折したことは有名である。その理由には様々な憶測が飛び交った。自身の死期を悟っていたからだと言うものもあれば、天才的な魔法使いはえてして家族を持ちたがらないものだと言うものもいた。彼を知るものは特定の相手を作りたがらなかったからだと言い、公言していないだけで彼には愛人と隠し子がいたと主張した。事実はどれも異なっていた。彼はそれを必要としていなかったから結婚しなかった、それだけだ。生命を燃やして煌々と輝く星のそばには何者も寄り添えはしない。ただひとつ、同じように燃える星を別として。
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