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本編>第一綴:——
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しおりを挟む「メーヘム」
ノックを繰り返す。もう二度目だった。
アールステッド奏術師長が去ってからしばらくの間、もう十分に整備された浄化のアミュレットの隅を意味もなく針でつっつき回していた私は、ようやく重い腰を上げて今、エリオの部屋の前まで来ていた。大分遅くにとった今朝の朝食は味がしなかった。どう切り出すか、どんな選択をするか、何と返すか、考えることが多く、嫌に緊張していたからだろう。あるいは単に料理人が調味料を入れ忘れただけかもしれないが。
「メーヘム、いるか?」
三度目。
正直なところ帰ってもよかった。ここまで呼びかけて返事がないのなら、いないかいないふりをしたいかだろう。しかし昨夜、行きの辻馬車で彼の死に際を思い出し、帰りで彼の危うさを見た私の頭には、嫌な可能性が浮かんでいた。彼は応えないのではなく、応えられないのではないか。もしや前生で彼を蝕んだ病が、今生ではより早くから彼に取り憑いたのではないか、と。
「開けるぞ」
私は一呼吸置き、エリオの部屋に侵入した。
相変わらず部屋は片付いていない。楽器、楽譜、ペン、インク。開けっ放しのワインボトル、ズレたテーブルクロス。壁には数点の絵画、魔導具、部屋の隅の鏡。エリオの姿はなかった。
不在なのだろう、また後で来るべきだと引き留める私と、いや、万が一があったらと考える私、二人が対立し、しばらく逡巡した後に後者が勝った。夢ともわからぬ二回目だ、後悔はなるべくしたくない。私は歩き回って他の部屋も覗き見たが、どこにもエリオの姿はなかった。最後に、彼の寝室が残った。
これでは彼のプライベートを侵害してはいないか?と私が私を非難する。人の部屋に勝手に入り歩き回るとは非常識だ!と私が私を非難する。だがここまで来て寝室を見ずに引き返すというのも、それはそれで筋が通っていない、というものではないか。
「……は」
寝室に入ってすぐだった。私は自分の顔が蒼白になるのを感じた。エリオはいた、ベッドの縁に倒れ込むような姿勢のまま、動かないで。
私の思考はただひとつ、死という単語に帰結していた。私は足早に近づき、彼の名を呼びながらその肩を揺すった。なんというか、取り乱していた。年甲斐にもなくだ。だから彼が体を起こした時、私はほっとするとともに、自分の慌てぶりを思い返して少し羞恥心を覚えることになる。
「?……テオドール奏、士?!!」
夢の中で名前を呼ばれ、弾かれたように飛び起きた。起きたというか頭を上げた。どうやら僕は布団に頭を突っ込んだまま、ベッドの縁に寄りかかって二度寝していたらしい。
「なぜ僕の部屋に?」
昨夜からの混乱続きで一瞬馬鹿げた妄想をしたが、流石に酔いも覚めてきた頃合いだったのでそれは口に出なかった。日はとうに高く昇っているようで、室内を舞う埃が窓の形に切り取られ、ちらちらと光っている。
問いに対してテオドールはばつの悪そうな顔をし、
「話があってな。声はかけた。返事がなかったから、なにかあったのではないかと」
と答えながら時計の方に目をやった。つられてそちらを見ると、十一時過ぎ。
「体調が悪いようなら明日にしよう」
去ろうとする裾をなんとか掴む。
「……いえ、向こうで待っていてください。すぐに支度しますから」
そう言った自分の声は、驚くほど体調が優れなそうだった。
✧
「具合はどうだ」
「どこでこんなの覚えてきたんです?」
反応を見るに、二日酔いの緩和は無事成功したらしい。前生では頻繁に酒を飲んでいたエリオにとって喉から手が出るほど知りたい魔法だろうが、少なくとも私から教えてやるつもりはなかった。酔っても治せばいいからと飲酒量が増えては困る。
「魔術師らに教えてもらった」
「ああ、理解した。教えたくないってことでしょう」
宮廷内の魔術師と奏術師の仲は良好とは言い難かった。魔法を教え合うなどもってのほかだ。だから「魔術師に教えてもらった」は非常にわかりやすい嘘である。
両者の不仲は魔術師に対する奏術師の態度が主な原因だった。大体の奏術師は魔術師を敵対視している。それは自分たちの立場を奪われたことへの怒り、また奪われることへの恐れからきていた。
私は咳払いをひとつした。さっさと本題に入ってしまおうという考えだった。
「あと三週間もすればテフティカン祭だろう」
「デートのお誘いですか?」
舌打ちはすんでのところで止まった。いつもの冗談のはずなのに、なぜだか上手くいなせなくて言葉に詰まる。昨夜のせいだ。
「……違う」
あんなことをしておきながらこうも堂々と冗談を言えるのはもうそういう才なのだろうなと微塵も気にとめていなそうなエリオの顔を見る。もしくは忘れているか。ちりちりと心臓を焦がすような謎の不快感、これを感じているのは自分だけなのだろう。酒に呑まれての戯れを軽く流せずにいる己が憎い。
「今朝方奏術師長が私の部屋に来た。お前も参加することになったそうじゃないか」
「ああ、なるほど、言いたいことがわかりました」
明らかに声のトーンが下がっている。
「僕は折れるつもりはありませんよ、奏士」
エリオの瞳の奥に見える意志は固かった。予想通りの答えだった。
「そうか」
茨の道が幻視される。エリオはそれをわかっていて進むのだろうか。その答えは本人しか知らない。いずれにせよ私は、同じ道に立ち、彼のために身を裂く枝を打たねばならなかった。前生の償いのため、また前生と同じことを繰り返さないため。
テフティカン祭において奏術師が担う役は主に二つ。夜、日をまたいで行われる儀式での演奏と、その前にある催事での演奏である。あらゆる人々が集まり、種々の魔法を用いて原初の魔法使いの誕生を祝すこの祭りは、同時に諸分野の魔法使いがその威信をかけて技術を披露する場でもあった。宮廷所属はなんとしてもその権威を示さねばならない。まして王宮である。だから奏術師長は、既存の奏術の価値観と相容れないエリオが表に立つことを嫌がっていた。王太子殿下と奏術師長の攻防は容易に想像できる。
宮廷奏術師は例年、幾人かが代表として出で、単独での演奏から数十人にも及ぶ大規模な編成まで、趣向を凝らした奏術を披露していた。曲はほとんどが祭りのため新たに創られたものだ。
「時間は少ないがどうするつもりだ」
そう、時間はあまりにも少なかった。
「ちょっと待ってください」
今後の身の振り方を考えていたところでエリオが声をあげる。
「それだけですか?」
「それだけというのは?」
エリオは戸惑っているようだった。聞き返してから納得した、どんな手を使ってでも自分を折りに来るだろうと思っていた者が「そうか」の一言で終わりにすればそうもなるだろう。
「あなたは……」
光を透かし、銀にも見えるその碧が。
「何をしようとも折れないのだろう?お前は」
良いさ、選んだならば折れてくれるなよと、私は碧から目を逸らした。
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