只人であれば幸福だったか

継津 互

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 これではそういう趣味があると言ってくれたほうが良かった、僭主は思う。

「跡形もないな」

 そう言いながら狩人がなぞるのは僭主の背。数日前に狩人がつけたはずの傷は、その痕跡すら見当たらない。

 シャツは脱がれ、ベッドの端の方に置かれていた。狩人の指示だった。

「……おかげさまで」

 手は脊椎の凸をたどり、腰部へ下る。
 
「っ、……」

 羞恥心から握りこまれた手。シーツに刻まれるしわが増える。
 際どい。しかし狩人はなにも思っていないかのように、淡々と手を進める。

 引っかかりのないなめらかな肌の上を無骨な手が検めていく。腰から脇腹へ、そして上がってきた指は、肋骨の一本一本を確かめるようにしてその溝をなぞる。

 押し倒してきておいて狩人が言ったのは、傷の経過が知りたい、だった。拒否をすればよかったのにと気づいたのは、襟に手をかける狩人を制止し、自分で脱ぐからと言ってしまったあとでのこと。

「継ぎ目もないのか」

 そう呟きながら狩人が撫でるのは僭主の腕、数日前狩人のねじ切ったその腕だ。

「もう十分だろう……、その、っ」

 まただ。恥じ入っているのは僭主ただ一人。狩人にとってその行為は骨董品の鑑定作業や被検体の経過観察となんら変わりない。

 せめて触れ方を変えてくれ、そうとすら僭主は言えずにいた。言えば「今の触れ方ではなにか変なことを想起してしまう」などと告白するようなものだ、余計に恥ずかしい思いをする。

「痛みも感じないのか」
「感じ、ない」
 
 だからそう優しく触れないでくれ。

「再生の様子が見たいなら、斬りつけるなりなんなりしたらいいだろっ、ぁ」

 僭主は思い通りに黙らない自分の口へ、いそいで指を噛ませる。

「刃物がない」

 あったら斬るのか。

 狩人の手が離れる。終わりかと息をついたのもつかの間。

「腹側は」
「な……」

 傷の経過というから、自ら背をさらしたというのに。

「おれの記憶が正しければ、貴方は心臓付近に突きと、腹部に殴打を食らっているはずだ」
「そんなものとうに治ってる、あなたが日毎ひごと血を与えてくるせいで!」

 これ以上の辱めには耐えられない、そう思った僭主は空を掴み、虚から短剣を引き出す。

「死なない程度であればいいから……」

 僭主はそれを狩人に渡す。

 飾り気のない短剣だ。その刃の色は狩人の使う銀の暈ヴェラーゼルによく似ている。

 狩人はそれをまじまじと見、取り回しの具合を確認し——サイドテーブルに置いた。

「おれが見たいのはあの夜につけた傷の経過だ」
 
 なら、最初からそうと。

 抵抗も虚しく僭主の体は仰向けにされる。刺創も痣もない白磁の肌、やせて薄い腹と胸、わずかな肉体の凹凸が、薄闇のなかでおぼろげにうつる。

 僭主は片手で顔を覆い、もう一方の手で狩人の手を阻んだ。

「もう見ただろう、このくらいでッ」

 しかし狩人はその拒絶の手を絡め取る。

「もう少し触れさせてほしい」
「は、なぜ」
「さあ。ただ触れたいと思った、それだけだ」

 聞く人が聞けば底知れぬ愛でも幻視しそうな台詞だ。

 研磨された石材やら上質なシルクやら、そういったものは長く触れていたくなるだろう。狩人の感覚はそれに近かった。深層意識はどうであれ、少なくとも表層ではそういうことになっていた。

 ゆったりとした動きでその手が僭主の腹をなでる。脇腹から筋肉の筋に沿い、臍、下腹……。僭主にはその行為が淫らな意味をもつように感じられてしまう。盗み見る相手の表情からして、そのような意図は全くない。それが余計、僭主の顔を赤くさせる。

 指は鳩尾みぞおちから胸骨の上を這い上がり、鎖骨の形状を確かめて、心臓の方へ。

「ばか……ッ」

 僭主は顔を背けたまま、噛み潰しきれず漏れてしまったかのようにそう口にする。それは彼から狩人が初めて聞く直球な罵倒だった。

 手のひらに伝わる鼓動ははやい。絡め取ってからそのまま押さえつけている彼の手が汗ばんでいるのを感じる。
 彫刻のように美しいその肉体は、しかし生命の熱をもっている。
 不意に指のひとつが胸部の突起をかすめる、僭主の喉仏がにわかに動く。

――もういい、頭がおかしくなりそうだ。

「ッわたしは、人間でないとも身体のつくりが違うとも言ったが」

 狩人は手を止める。

「大まかなところは人とそう変わらない、だから」

 目を見る。

「あまり……そういうふうには、ふれないでくれ」

 消え入るような声。

 
 狩人とて。狩人とて、そういう行為を知らないわけではない。吸血鬼狩りの拠点となる酒場かその近くには、必ずそういったことを生業とする者がいた。それは狩りの昂りを冷まさせるため、意図的に配置された者たちだ。繰り返し言う、知らないわけではなかった。この僭主の言葉があるまで、今のこれとそういう行為の経験とが結びつかなかっただけで。

 娼婦の裸体、僭主の裸体。結んだ手、上下する胸、接触、体熱、呼吸、嬌声……。

「……悪い」

 僭主は顔を背けたまま、短く罵倒を返すだけ。

 朱に染まった頬、恥辱に震えるその姿。狩人は初めて気づく。己が薪の下でくすぶる、これまでに抱いたことのなかったような火種の存在を。




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