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第2章
緊急の手紙
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数日ぶりに、バルトとティナが剣術道場から戻ってきた。
ふたりとも汗と土にまみれた服のままだが、その顔には確かな充実が刻まれている。
「……いやぁ、鍛えられたよ。正直、最初の一週間は地獄だった」
そう言ってバルトは肩を回しながら笑う。
筋肉はさらに厚みを増し、動きにも無駄がない。
「……私も……剣、少しだけ得意になった……かも」
ティナは以前のような遠慮がちな表情を見せつつも、どこか誇らしげだ。
短剣から片手剣へと武器を変え、剣の型も安定してきている。
ユートはふたりを見て、満足げに頷いた。
「いい目をしてるな。そろそろ実戦に戻ってみるか。ギルドに行こう」
---
【王都・冒険者ギルド】
3人でギルドに足を運ぶと、広間はいつも通り賑わっていた。
依頼掲示板の前に行こうとしたその時――
「ユート様!」
受付の女性が慌てたように駆け寄ってくる。
手には上質な紙に封蝋が押された手紙が握られていた。
「先ほど使者の方がいらして、グレイス伯爵様からの“至急のお手紙”をお預かりしています」
「……伯爵から?」
ユートは眉をひそめつつも、受け取った手紙をその場で開く。
内容は簡潔だった。
---
> 至急、私の屋敷へお越しいただきたい。あなたに直接頼みたい件がある。
――グレイス伯爵
---
「ふむ……何か急な用件らしい」
バルトとティナがやや不安げな顔を向ける。
「どうする?」
「……とりあえず話を聞くだけ聞いてみるさ。
悪いが、今回は俺ひとりで行ってくる」
「わかった。気をつけてな」
「……危なくなったら逃げるんだよ」
ティナの言葉に、ユートは小さく笑った。
---
豪奢な石造りの屋敷。
ユートは応接間へと案内され、すぐに落ち着いた雰囲気の中年貴族――グレイス伯爵が現れた。
「来てくれて感謝する、ユート殿。……実は、急を要する話でな」
そう前置きしてから、伯爵は静かに説明を始めた。
「実は……隣領の伯爵家と“試合”を行うことになった。
私兵同士の一対一の勝負だ。表向きは“交流”だが、実際は――鉱山利権をかけた政治的な駆け引きだ」
伯爵は苦々しげに唇を噛む。
「勝てば、鉱山の出資契約は我が家が優先される。だが……雇っていた団長が突然、高熱で寝込んでしまってな。医師もお手上げで……」
「代わりの戦力が必要、というわけですね」
「……そうだ。明日の昼、試合の場で一対一の勝負が行われる。
そこで――君に頼みたい」
伯爵の視線は真剣だった。
庭園にて
その場で私兵団の副団長が呼ばれた。
筋骨隆々の戦士で、鎧に剣を提げた厳つい男。
「おい坊主、俺と試しにやってみろ。手加減はいらねえぞ」
「了解。じゃあ――いくよ」
合図と同時に、ユートは《身体強化》すら使わず、ただステップを踏んだだけで懐に入り、
副団長の剣を“指先で押し返すように”受け止めた。
「なっ――ぐっ、速っ……!」
そのまま、ユートの肘打ちが副団長の腹に食い込む。
「ぐえっ……っっ!!」
吹き飛ばされた副団長は芝の上に転がり、しばらく動けなかった。
伯爵は目を丸くしたまま、静かに立ち上がった。
「……すまない、改めて礼を言おう。君になら、任せられる」
---
試合は翌日の昼。
会場は王都の訓練場。
各地の貴族たちが見物に来るという。
ティナとバルトにその旨を簡単に伝え、ユートは一人準備に入った。
「……勝たなきゃならない勝負か。手加減は――ほどほどにしとくか」
【王都・中央訓練場】
観客席には、各地から集まった貴族や有力者たちが詰めかけていた。
その中でも一際偉そうに振る舞っていたのが、グレイス伯爵と対立する貴族――ヴォルニア伯爵。
薄く笑った唇。高慢な視線。そして遠慮のない侮辱。
「おや……グレイス伯。まさかそのような素人を使いに出すとは。
お困りですか? 貧しきグレイス伯爵家では優秀な戦士を雇う余裕もないのでしょうな」
「試してみればいいさ」
と、伯爵は静かに応じたが、隣で聞いていたユートは既に内心でうんざりしていた。
---
伯爵の陣営から現れたのは、一人の巨大な男。
筋骨隆々の獣人。鋭い眼光と、獣のような荒い呼吸。
「……俺は勝たねばならない。負ければ――」
言いかけたところで、ヴォルニア伯爵が口を挟んだ。
「負ければ……お前の家族がどうなるかは、分かっているな?」
会場が一瞬、静まり返った。
獣人の手がわずかに震えたが、目は揺るがない。
「……勝つ」
---
【第一戦】
合図の直後、獣人が強化魔法を自らにかけ、地を砕くような勢いで突進した。
音速にも近いスピード。圧倒的な踏み込みと剣の振り抜き。
だが。
ユートはそれを“半歩のステップ”で回避。
続けざまに、背中を一撃――肩を軽く叩く程度の衝撃。
「……っ!」
次の瞬間、獣人は地面に崩れ落ちた。
ざわめく観客。言葉を失う伯爵。
「立て」
ヴォルニア伯爵が冷たく命じると、獣人は震える手で懐から“赤黒い小瓶”を取り出した。
「……すまない」
そう呟きながら、それを一気に飲み干す。
直後、筋肉が盛り上がり、毛並みが逆立つ。
魔力が火柱のように吹き上がり、地面に亀裂が走る。
「ん?……」
ユートは肩を回し、軽く腰を落とした。
獣人は赤黒い液体を一気に飲み干すと、肩を震わせ、低く唸り声を上げた。
「グルルゥ……ッ!!」
ゴオオオオッ――!
魔力が噴き上がる。まるで業火のような圧力が周囲を圧倒する。
筋肉が不自然なほど膨れ上がり、血管が浮き出て、目が血のように赤く染まる。
「……なんだ、これは……」
ユートが思わず眉をひそめる。見たこともない。異常だ。
だが、それでも――逃げるつもりはなかった。
「こっちも、遠慮なくやらせてもらうか」
軽く足を構え、全身の筋肉を連動させて身体能力を一気に解放。
同時に、獣人が猛然と突進してくる!
――ズドン!!
拳と拳がぶつかり合い、衝撃波が地面を割った。
石畳が砕け、爆風が観客席まで吹き抜ける。
「ぐおおおおッ!!」
「ハッ――まだまだだッ!」
ユートの拳が獣人の脇腹に炸裂。
だが、獣人も即座に反撃。回し蹴りがユートの肩に食い込む!
「……ッ、いい蹴りだな」
「ッッらああああああああッ!!」
呻きながら獣人が連打を叩き込む。
それを正面から受けながら、ユートも一撃ずつ返す――
拳が、肘が、膝が、咆哮と共に交差する。
獣人の動きは明らかに限界を超えていた。
骨の軋む音が聞こえ、皮膚が裂け、血が噴き出しながら、それでも立ち向かってくる。
「俺は……負けるわけには……いかねぇッ!!」
その一発に、家族への想いが詰まっていた。
ユートは一瞬、拳を止めかけた。だが――
「だからって、俺も手は抜けねぇ!」
次の瞬間、ユートの膝が地を砕き、跳躍からの回転拳が獣人の肩口を砕くように叩き落とす!
獣人がぐらりとよろけるが、まだ立つ――その意志だけで。
「終わりにしよう。受けてみろ――全開だ」
ユートは踏み込み、最短距離から右ストレートを放った。
――ドンッ!!!
乾いた破裂音。空気が一瞬止まり、次の瞬間――
獣人の巨体が数メートル吹き飛び、観客の前で地面に倒れた。
今度こそ、動かなかった。
訓練場に静寂が戻る。
ヴォルニア侯爵は青ざめ、声を失っていた。
グレイス伯爵は静かに席を立ち、こう言った。
「これが……“実力”というものだ」
---
試合が終わって一晩が明けた朝。
ユートは再びグレイス伯爵の屋敷を訪れていた。
応接室には、疲れが残る表情の伯爵がいたが、その顔はどこか誇らしげでもあった。
「……昨日の勝利は、我が家の名声を大いに高めてくれた。改めて、感謝する。
報酬については、望むものを。いかなる金額でも応じよう」
そう告げられたユートは、ほんの少し考えたあと、静かに口を開いた。
「金はいらない。ただ――昨日の相手、あの獣人とその家族を、あなたの庇護下に置いてほしい。
それが、俺の報酬ってことでいい」
グレイス伯爵は少し目を見開いた。意外そうだったが、すぐに頷いた。
「……わかった。その程度で済むなら、むしろ私としても願ったりだ。
彼は優秀だった。鍛え直せば、我が家の有力な戦士にもなり得るだろう」
「ありがとう。彼は、自分の命を賭けてでも、家族を守ろうとしてた。そういう奴だよ」
---
【しばらく後──療養施設の一室】
獣人の名はグラズ=ドラン。
意識を取り戻したのは、試合から三日後だった。
体には未だ痛みが残るものの、治療を受け、少しずつ回復していた。
「あれ……俺、生きてんのか……?」
静かな部屋の天井を見つめながら、最初に出たのは、そんな弱々しい言葉だった。
「おう、生きてるぞ」
扉の隙間から入ってきたユートの声に、グラズは瞳を見開いた。
「……お前、なんで……」
「お前が死んだら、家族はどうするんだよ。俺は、ただ勝っただけだ」
ユートはグラズの枕元に立ち、笑った。
「それに、報酬代わりに、お前と家族をグレイス伯爵の庇護下に置いてもらった。
安心して休め。ここには、もうヴォルニアの手は届かない」
---
グラズの家族は、王都の端の屋敷へと移された。
妻と3人の子供。そのうちの1人、末の娘・ミィナは、深刻な病を抱えていた。
ミィナの病は先天的なもので、長くは生きられないとされていた。
だが、グラズがヴォルニア伯爵の私兵として忠誠を誓っていたのも、
その病のため、ヴォルニアがお抱えの優秀な医師をつけてくれる――という“取引”があったからだった。
「……情けねぇ話だが、俺はあいつらのために、なんでもやるつもりだった。命だって……」
---
グラズ=ドランが目を覚ましてから、数日。
まだ寝たきりではあるが、傷は癒えつつあり、顔色も幾分か良くなってきていた。
そんなある日、ユートが再び彼の元を訪れる。
手には、小さな木箱をひとつ――静かに差し出す。
「これは……?」
グラズが訝しげに見上げると、ユートは真剣な表情のまま、短く言った。
「中身は《万能薬》だ。……お前の娘に飲ませてやれ」
その言葉を聞いた瞬間、グラズの表情が強張る。
「……本気か? あの娘の病は、どんな医者にも無理だって……」
「わかってる。でもこれは“普通”の薬じゃない。
治るかどうか――信じるかは、お前に任せるよ」
ユートは微笑みながらそう告げると、そっと木箱を置いた。
「それに、これはお前のためでもあるんだよ」
「……俺の?」
「“父親として”……お前が、最後まで娘を守ったって胸を張れるようにな」
---
【その夜──】
グラズは、箱を震える手で開けた。
中には、淡く光を放つ銀色の小瓶。透き通った液体が、ほのかに温かい輝きを放っている。
妻と、上の子たちが見守る中――
ミィナの枕元で、グラズは小声で呟いた。
「……ミィナ。……お前を、守れるかもしれない」
「ん……お父さん……?」
そっと瓶を傾け、ミィナの口元に。
ごくり、と一口。
次の瞬間――
彼女の体が、微かに光を帯びたように見えた。
青白かった顔に、ほんのりと血の気が戻る。
呼吸が深くなり、苦しそうだった胸の上下が穏やかになる。
「……あ……楽になった、かも……」
「ミィナ……ミィナ……!!」
グラズは娘を抱きしめた。
こらえていた涙が、ぽろぽろと零れ落ちた。
---
【翌日・ユートと再会】
「……おい、ユート」
まだ完全には立ち上がれない体で、それでもグラズはベッドから半身を起こして言った。
「……恩に着る。命に代えても返しきれねぇ。……この借り、必ず返す」
ユートはいつもの調子で肩をすくめてみせた。
「返さなくていいさ。娘が元気になったなら、それで十分」
---
ふたりとも汗と土にまみれた服のままだが、その顔には確かな充実が刻まれている。
「……いやぁ、鍛えられたよ。正直、最初の一週間は地獄だった」
そう言ってバルトは肩を回しながら笑う。
筋肉はさらに厚みを増し、動きにも無駄がない。
「……私も……剣、少しだけ得意になった……かも」
ティナは以前のような遠慮がちな表情を見せつつも、どこか誇らしげだ。
短剣から片手剣へと武器を変え、剣の型も安定してきている。
ユートはふたりを見て、満足げに頷いた。
「いい目をしてるな。そろそろ実戦に戻ってみるか。ギルドに行こう」
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【王都・冒険者ギルド】
3人でギルドに足を運ぶと、広間はいつも通り賑わっていた。
依頼掲示板の前に行こうとしたその時――
「ユート様!」
受付の女性が慌てたように駆け寄ってくる。
手には上質な紙に封蝋が押された手紙が握られていた。
「先ほど使者の方がいらして、グレイス伯爵様からの“至急のお手紙”をお預かりしています」
「……伯爵から?」
ユートは眉をひそめつつも、受け取った手紙をその場で開く。
内容は簡潔だった。
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> 至急、私の屋敷へお越しいただきたい。あなたに直接頼みたい件がある。
――グレイス伯爵
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「ふむ……何か急な用件らしい」
バルトとティナがやや不安げな顔を向ける。
「どうする?」
「……とりあえず話を聞くだけ聞いてみるさ。
悪いが、今回は俺ひとりで行ってくる」
「わかった。気をつけてな」
「……危なくなったら逃げるんだよ」
ティナの言葉に、ユートは小さく笑った。
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豪奢な石造りの屋敷。
ユートは応接間へと案内され、すぐに落ち着いた雰囲気の中年貴族――グレイス伯爵が現れた。
「来てくれて感謝する、ユート殿。……実は、急を要する話でな」
そう前置きしてから、伯爵は静かに説明を始めた。
「実は……隣領の伯爵家と“試合”を行うことになった。
私兵同士の一対一の勝負だ。表向きは“交流”だが、実際は――鉱山利権をかけた政治的な駆け引きだ」
伯爵は苦々しげに唇を噛む。
「勝てば、鉱山の出資契約は我が家が優先される。だが……雇っていた団長が突然、高熱で寝込んでしまってな。医師もお手上げで……」
「代わりの戦力が必要、というわけですね」
「……そうだ。明日の昼、試合の場で一対一の勝負が行われる。
そこで――君に頼みたい」
伯爵の視線は真剣だった。
庭園にて
その場で私兵団の副団長が呼ばれた。
筋骨隆々の戦士で、鎧に剣を提げた厳つい男。
「おい坊主、俺と試しにやってみろ。手加減はいらねえぞ」
「了解。じゃあ――いくよ」
合図と同時に、ユートは《身体強化》すら使わず、ただステップを踏んだだけで懐に入り、
副団長の剣を“指先で押し返すように”受け止めた。
「なっ――ぐっ、速っ……!」
そのまま、ユートの肘打ちが副団長の腹に食い込む。
「ぐえっ……っっ!!」
吹き飛ばされた副団長は芝の上に転がり、しばらく動けなかった。
伯爵は目を丸くしたまま、静かに立ち上がった。
「……すまない、改めて礼を言おう。君になら、任せられる」
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試合は翌日の昼。
会場は王都の訓練場。
各地の貴族たちが見物に来るという。
ティナとバルトにその旨を簡単に伝え、ユートは一人準備に入った。
「……勝たなきゃならない勝負か。手加減は――ほどほどにしとくか」
【王都・中央訓練場】
観客席には、各地から集まった貴族や有力者たちが詰めかけていた。
その中でも一際偉そうに振る舞っていたのが、グレイス伯爵と対立する貴族――ヴォルニア伯爵。
薄く笑った唇。高慢な視線。そして遠慮のない侮辱。
「おや……グレイス伯。まさかそのような素人を使いに出すとは。
お困りですか? 貧しきグレイス伯爵家では優秀な戦士を雇う余裕もないのでしょうな」
「試してみればいいさ」
と、伯爵は静かに応じたが、隣で聞いていたユートは既に内心でうんざりしていた。
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伯爵の陣営から現れたのは、一人の巨大な男。
筋骨隆々の獣人。鋭い眼光と、獣のような荒い呼吸。
「……俺は勝たねばならない。負ければ――」
言いかけたところで、ヴォルニア伯爵が口を挟んだ。
「負ければ……お前の家族がどうなるかは、分かっているな?」
会場が一瞬、静まり返った。
獣人の手がわずかに震えたが、目は揺るがない。
「……勝つ」
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【第一戦】
合図の直後、獣人が強化魔法を自らにかけ、地を砕くような勢いで突進した。
音速にも近いスピード。圧倒的な踏み込みと剣の振り抜き。
だが。
ユートはそれを“半歩のステップ”で回避。
続けざまに、背中を一撃――肩を軽く叩く程度の衝撃。
「……っ!」
次の瞬間、獣人は地面に崩れ落ちた。
ざわめく観客。言葉を失う伯爵。
「立て」
ヴォルニア伯爵が冷たく命じると、獣人は震える手で懐から“赤黒い小瓶”を取り出した。
「……すまない」
そう呟きながら、それを一気に飲み干す。
直後、筋肉が盛り上がり、毛並みが逆立つ。
魔力が火柱のように吹き上がり、地面に亀裂が走る。
「ん?……」
ユートは肩を回し、軽く腰を落とした。
獣人は赤黒い液体を一気に飲み干すと、肩を震わせ、低く唸り声を上げた。
「グルルゥ……ッ!!」
ゴオオオオッ――!
魔力が噴き上がる。まるで業火のような圧力が周囲を圧倒する。
筋肉が不自然なほど膨れ上がり、血管が浮き出て、目が血のように赤く染まる。
「……なんだ、これは……」
ユートが思わず眉をひそめる。見たこともない。異常だ。
だが、それでも――逃げるつもりはなかった。
「こっちも、遠慮なくやらせてもらうか」
軽く足を構え、全身の筋肉を連動させて身体能力を一気に解放。
同時に、獣人が猛然と突進してくる!
――ズドン!!
拳と拳がぶつかり合い、衝撃波が地面を割った。
石畳が砕け、爆風が観客席まで吹き抜ける。
「ぐおおおおッ!!」
「ハッ――まだまだだッ!」
ユートの拳が獣人の脇腹に炸裂。
だが、獣人も即座に反撃。回し蹴りがユートの肩に食い込む!
「……ッ、いい蹴りだな」
「ッッらああああああああッ!!」
呻きながら獣人が連打を叩き込む。
それを正面から受けながら、ユートも一撃ずつ返す――
拳が、肘が、膝が、咆哮と共に交差する。
獣人の動きは明らかに限界を超えていた。
骨の軋む音が聞こえ、皮膚が裂け、血が噴き出しながら、それでも立ち向かってくる。
「俺は……負けるわけには……いかねぇッ!!」
その一発に、家族への想いが詰まっていた。
ユートは一瞬、拳を止めかけた。だが――
「だからって、俺も手は抜けねぇ!」
次の瞬間、ユートの膝が地を砕き、跳躍からの回転拳が獣人の肩口を砕くように叩き落とす!
獣人がぐらりとよろけるが、まだ立つ――その意志だけで。
「終わりにしよう。受けてみろ――全開だ」
ユートは踏み込み、最短距離から右ストレートを放った。
――ドンッ!!!
乾いた破裂音。空気が一瞬止まり、次の瞬間――
獣人の巨体が数メートル吹き飛び、観客の前で地面に倒れた。
今度こそ、動かなかった。
訓練場に静寂が戻る。
ヴォルニア侯爵は青ざめ、声を失っていた。
グレイス伯爵は静かに席を立ち、こう言った。
「これが……“実力”というものだ」
---
試合が終わって一晩が明けた朝。
ユートは再びグレイス伯爵の屋敷を訪れていた。
応接室には、疲れが残る表情の伯爵がいたが、その顔はどこか誇らしげでもあった。
「……昨日の勝利は、我が家の名声を大いに高めてくれた。改めて、感謝する。
報酬については、望むものを。いかなる金額でも応じよう」
そう告げられたユートは、ほんの少し考えたあと、静かに口を開いた。
「金はいらない。ただ――昨日の相手、あの獣人とその家族を、あなたの庇護下に置いてほしい。
それが、俺の報酬ってことでいい」
グレイス伯爵は少し目を見開いた。意外そうだったが、すぐに頷いた。
「……わかった。その程度で済むなら、むしろ私としても願ったりだ。
彼は優秀だった。鍛え直せば、我が家の有力な戦士にもなり得るだろう」
「ありがとう。彼は、自分の命を賭けてでも、家族を守ろうとしてた。そういう奴だよ」
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【しばらく後──療養施設の一室】
獣人の名はグラズ=ドラン。
意識を取り戻したのは、試合から三日後だった。
体には未だ痛みが残るものの、治療を受け、少しずつ回復していた。
「あれ……俺、生きてんのか……?」
静かな部屋の天井を見つめながら、最初に出たのは、そんな弱々しい言葉だった。
「おう、生きてるぞ」
扉の隙間から入ってきたユートの声に、グラズは瞳を見開いた。
「……お前、なんで……」
「お前が死んだら、家族はどうするんだよ。俺は、ただ勝っただけだ」
ユートはグラズの枕元に立ち、笑った。
「それに、報酬代わりに、お前と家族をグレイス伯爵の庇護下に置いてもらった。
安心して休め。ここには、もうヴォルニアの手は届かない」
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グラズの家族は、王都の端の屋敷へと移された。
妻と3人の子供。そのうちの1人、末の娘・ミィナは、深刻な病を抱えていた。
ミィナの病は先天的なもので、長くは生きられないとされていた。
だが、グラズがヴォルニア伯爵の私兵として忠誠を誓っていたのも、
その病のため、ヴォルニアがお抱えの優秀な医師をつけてくれる――という“取引”があったからだった。
「……情けねぇ話だが、俺はあいつらのために、なんでもやるつもりだった。命だって……」
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グラズ=ドランが目を覚ましてから、数日。
まだ寝たきりではあるが、傷は癒えつつあり、顔色も幾分か良くなってきていた。
そんなある日、ユートが再び彼の元を訪れる。
手には、小さな木箱をひとつ――静かに差し出す。
「これは……?」
グラズが訝しげに見上げると、ユートは真剣な表情のまま、短く言った。
「中身は《万能薬》だ。……お前の娘に飲ませてやれ」
その言葉を聞いた瞬間、グラズの表情が強張る。
「……本気か? あの娘の病は、どんな医者にも無理だって……」
「わかってる。でもこれは“普通”の薬じゃない。
治るかどうか――信じるかは、お前に任せるよ」
ユートは微笑みながらそう告げると、そっと木箱を置いた。
「それに、これはお前のためでもあるんだよ」
「……俺の?」
「“父親として”……お前が、最後まで娘を守ったって胸を張れるようにな」
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【その夜──】
グラズは、箱を震える手で開けた。
中には、淡く光を放つ銀色の小瓶。透き通った液体が、ほのかに温かい輝きを放っている。
妻と、上の子たちが見守る中――
ミィナの枕元で、グラズは小声で呟いた。
「……ミィナ。……お前を、守れるかもしれない」
「ん……お父さん……?」
そっと瓶を傾け、ミィナの口元に。
ごくり、と一口。
次の瞬間――
彼女の体が、微かに光を帯びたように見えた。
青白かった顔に、ほんのりと血の気が戻る。
呼吸が深くなり、苦しそうだった胸の上下が穏やかになる。
「……あ……楽になった、かも……」
「ミィナ……ミィナ……!!」
グラズは娘を抱きしめた。
こらえていた涙が、ぽろぽろと零れ落ちた。
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【翌日・ユートと再会】
「……おい、ユート」
まだ完全には立ち上がれない体で、それでもグラズはベッドから半身を起こして言った。
「……恩に着る。命に代えても返しきれねぇ。……この借り、必ず返す」
ユートはいつもの調子で肩をすくめてみせた。
「返さなくていいさ。娘が元気になったなら、それで十分」
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【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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