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第3章
驚愕
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【地球・深夜・榊春都の部屋】
午後11時すぎ。
ユート――榊 春都の部屋の窓はすでにカーテンで閉ざされ、部屋の灯りも最低限に落とされていた。
その静寂の中に、ひとつ場違いなキャリーケースの音が響く。
「……本当にここから“異世界”に行くのか?」
スーツ姿の宮野 敬一は、表情こそ真面目だったが、心の中では冷ややかだった。
(異世界? まあ……変な海外の特殊プロジェクトか、秘密研究所の比喩だろう)
(少なくとも、常識の範囲を超えた“何か”があるんだろう。だが異世界って……)
そう割り切ったつもりだった。
「準備はいいか?」
「ええ、まあ。想定外の環境でも対応できるよう、装備は最低限まとめてきました。
もっとも、君の“異世界”とやらが、私の“想定”の中に収まっていればの話だけど」
「じゃあ、いくぞ。集中して、何があっても立ち上がれるように構えておいてくれ」
「わかった。……それで、飛行機のチケットはどこに?」
「そんなもん、ないよ」
ユートが静かに両手を組み、魔力を集中させる。
---
【転移】
空気が一瞬で変わる。
重力がきしむような圧迫感、視界が白に包まれ、耳鳴りが起こる。
「――っ……!」
言葉を発する間もなく、宮野の意識がぐらつく。
そして――次の瞬間、彼らの足元に広がったのは、
深い森と開けた土地、異様に澄んだ空気と、見上げるほどに大きな空。
野鳥の鳴き声。
どこか遠くから聞こえる水の音。
そして――魔力の気配。空気そのものが、異質。
---
【異世界・フィルデンの地】
「――うそ、だろ……?」
宮野はその場に立ち尽くした。
足元には、彼が知らない草。遠くには巨大な木。見上げれば、空に浮かぶ小さな月が三つ。
「これが……“異世界”? これが……?」
声が震える。
「比喩じゃ……ない……」
「ようこそ、フィルデンへ。
ここが、俺が“街を作る”って決めた場所だ」
ユートは淡々と告げた。
その背に、夕日と魔法の風が吹いていた。
---
宮野 敬一、建築学者。
世界の理を信じ、論理で測ることを信条とする男。
その常識は、今まさに――砕かれた。
---
【異世界・フィルデン・開拓地周辺】
まだ朝の光が淡いフィルデンの森に、鳥のさえずりと木々の揺れる音が響く。
ユートと宮野は、仮設拠点の周辺をゆっくり歩いていた。
遠くでは、職人たちが資材を運び、テントの周囲では数名が測量の真似事を始めている。
「……現実なんだな、これが」
宮野がぼそりと呟いた。
景色、空気、匂い、重力、すべてが“地球ではない”と肌で理解できる。
ユートは頷いた。
「こっちは、文字通り“剣と魔法の世界”だ。
人は魔力を使い、魔物がいて、国家は王制で回ってる」
「……ファンタジー小説かよ」
「俺も最初はそう思ったよ。信じたくなかった。でも……」
ユートは、腰に下げた革製の小さなポーチを開き、中から金属製の小さな指輪を見せた。
「これ、翻訳の指輪。この世界の人と話せる。
つけといてくれ。」
宮野がその“異物”に手を伸ばす。ほんのりと魔力を帯びた不思議な感触に、指先が震えた。
「……本当に、俺たちは“別世界”に来てるんだな」
---
【本音の会話】
「俺はこの世界じゃ“ユート”って名で通してる。
榊春都って名前は、誰にも言ってない。
――仲間たちにも、“異世界から来た”とは言ってないんだ」
「……なぜだ?」
ユートは少し黙ってから、静かに答えた。
「この世界で出会った奴らは、俺を“変わったヤツ”くらいに思ってる。
でも、誰も俺の過去を知らない。
だからこそ、対等に接してくれるんだ」
「なるほどな……“別世界の人間”って知ったら、距離を取られる可能性もある」
「そう。誰にも、上でも下でもなくいたい。
俺はここで、“一人の人間”として街を作りたいだけなんだ」
---
少し歩いた先に、緩やかな丘があった。
ユートはそこに登り、フィルデン全体を見下ろした。
「この場所に、“最初の広場”を作るつもりだ。
人が集まって、笑って、取引して――そんな場所を、まずは一つ」
「……いい景色だな。空も広い。
やりがいのあるプロジェクトだよ、これは」
宮野はスーツの上着を脱ぎ、草の上に腰を下ろした。
「……全力でやらせてもらうよ。“夢の街”を、現実にしてやる」
---
【フィルデン・開拓地・仮設拠点】
午後になると、空はすっかり晴れわたり、温かい日差しが丘の上に降り注いでいた。
仮設の簡易テーブルの上には地図用紙や筆記具が広がり、宮野は一心不乱にメモを取りながら、地形の起伏を図にしていく。
「……ここの斜面、雨季には土砂が流れるな。排水計画を立てないと」
独り言のようにぶつぶつ言いながら、記録と構想を積み重ねる。
すでに現地での作業に集中しており、多少の戸惑いは影を潜めていた。
そこへ――足音。
「ユートー、お客さん?」
陽気な声とともに現れたのは、バルト。
その後ろに、ティナが静かに歩いてくる。
「うん、今回の街づくりに協力してくれる人。名前は……えっと、ケイイチ・ミヤノ」
「けーいち? どこの国の名前? 初めて聞く響きだなぁ!」
バルトが興味津々に顔をのぞきこむ。
「……ちょ、ちょっと距離を……」
「ティナ、こっちは?」
「私はティナ。ユートと一緒に、この街を作ってるわ」
「えっと……どうも、はじめまして」
宮野は少しぎこちない笑みを浮かべ、頭を下げる。
(この人たち、本当に“現地の人間”……すごいな……あの指輪を着けるだけで言葉が通じる。)
そんなことを考えていると――
「ねぇユート、この人……なんか、私たちと“ちょっと違う感じ”するんだけど」
ティナがふと、目を細めて言った。
まるで、“空気”の違いに気づいたような鋭さだった。
「まぁ……ちょっと変わった出自でね。頼りになる人だよ」
ユートはさらりと流した。
ティナも深くは突っ込まなかったが、どこか納得していないような顔をしていた。
---
【夕方・仮設拠点】
開拓班が一日の作業を終え、仮設の飯場に人が集まり始める頃。
ユートは、丘の上でひとり夕日を眺めていた。
そこに、宮野が地図を手にやって来る。
「ある程度、仮配置と基礎導線は描けてきた。次は、地盤の確認と測量ポイントの設置に入る」
「ありがとう。無理はするなよ」
「……しかし、君の“街にかける熱意”は、ちょっと異常だな」
ユートは小さく笑う。
「俺にとって、ここが“始まりの場所”なんだ」
宮野はその横顔を見つめながら、ふと目を細めた。
その瞬間――
遠く、森の奥から、かすかに視線の気配が走った。
気のせいではない。誰かが“こちら”を見ている。
宮野ではなく、ユートが先に気づいていた。
「……気づいたか?」
「……ああ。気配、あるな。魔物じゃない……が、“人間”とも限らない」
---
【フィルデン・翌朝・仮設拠点外】
朝霧が地面を薄く覆う中、ユートは森の外周を一人歩いていた。
昨日感じた、あの“視線の気配”が忘れられない。
「……偶然にしては、動きが静かすぎるんだよな」
彼は地面に手をつき、低く呟いた。
「《アース・シェード》……」
土の中に魔力を染み込ませ、ごく浅く、見えない“起伏”をいくつか作る。
それは、地表をわずかに歪ませるトラップ――人が踏み込めば足音が変わり、土の揺れ方で感知できる仕掛けだった。
(これで、誰かが近づけばわかる。あとは……様子を見よう)
---
【同日・仮設拠点・設計テーブル】
「ユートくん、ここの傾斜、雨水が流れ込むルートになりそうなんだが」
宮野が地図上のポイントを指しながら言った。
「見た感じ、地盤も軟らかい。排水路か、土地を少しだけ削ってやる必要がある」
「それなら、俺の土魔法で削って排水用の溝を掘る。
水の流れを変えるくらいなら、すぐできる」
「魔法ってのは便利だな……人力じゃ何日もかかる作業が数分で済むとは」
「便利って言っても、万能じゃないよ。
岩盤まで削るには無理があるし、土質が崩れやすい場所だと手こずる。
でもこの土地なら、ある程度なら調整できる」
「ふむ……それなら、初期の住居エリアと水路計画は一段落つけられそうだな」
---
【フィルデン・深夜・仮設拠点外】
辺りはしんと静まり返っていた。
だが、ユートはテントの中で目を閉じたまま、周囲の“土の感覚”に意識を研ぎ澄ませていた。
(……きたな)
土の魔力に触れる“わずかな揺れ”。
それは、人の足音とは思えないほど軽く、しかし“明らかに意識して動いている者”の気配だった。
「《アース・ノッチ》」
ユートがそっと呟くと、周囲数十メートルの“踏み抜きゾーン”に微細な窪みが生じる。
誰かが動けば、そこに足が取られ、位置が割れる。
そして――“ズッ”という摩擦音が静かに響いた。
森の外れで、何かが足を取られた。
ユートは一気に駆け出し、音のした場所に向けて手を掲げる。
「――動くな。《グランド・グリップ》」
足元の地面が盛り上がり、膝下を包むように土が巻きつく。
それに捕らえられたのは、黒いマントを羽織った細身の人影――人間だ。
「……誰だ?」
静かに問いかけると、マントの中から低い声が返ってきた。
「……放してくれ。俺は戦うつもりはない」
「なら最初から姿を隠すなよ」
ユートは周囲を一瞬見回し、別方向にも土魔法を走らせる。
――もう一人の気配、すでに逃げていた。
(片方は捕らえた、もう片方は諦めて……)
「名を名乗れ」
捕えた者はしばし沈黙し、やがて観念したように呟いた。
「……レジン。レジン・ナセル。
この土地を“観察するよう”に言われた」
「誰に?」
「……答えられない。けど、君たちを敵視しているわけじゃない。
むしろ――警戒しているのは、俺たちの側だ」
---
ユートはしばし沈黙した。
敵意を見せず、ただ“動向を見張っていた”者――だが、だからこそ厄介だ。
「……とりあえず話は聞く。逃げようとすれば、次は本気で沈める」
レジンは小さく頷いた。
「……それでいい。
俺たちも、君たちの事が知りたかっただけだ」
膝下を土に拘束されたまま、レジンは一呼吸おいて静かに口を開いた。
「……俺は王都直属の者。王国の密偵だ」
その言葉に、ユートの視線が僅かに鋭くなる。
「スパイってことか?」
「……いや、そういう意図はない。俺の任務は――この開拓の進行状況を見守ること。
王太子殿下の命令だ。君のことは、殿下が“特別に注目している”」
「……なるほどな」
ユートは納得したように眉をひそめる。
(だから最初から、殿下は“自由にやれ”と許可してくれた。
でもその裏では……やっぱり“見張っている”ってわけだ)
「職業柄、気配を消すのは当然の動きだが……結果として、警戒させたなら謝る。
こちらから敵意を持って接近したわけではない。それだけは信じてほしい」
レジンの声は静かで、無駄のない誠実さを帯びていた。
「……わかった。もう逃げようとはしないな?」
「ああ。無意味だからな」
ユートは「グランド・グリップ」を解除し、土を静かに地面へ戻す。
レジンはすぐには動かず、姿勢を低く保ったまま、ユートに向き直る。
「――最後に、ひとつ頼みがある」
「言ってみろ」
「……俺の存在を、君の仲間たちには伏せておいてほしい。
彼らにとって、今の開拓に不必要な疑念や不安を与えたくはない」
ユートはしばらく黙った後、小さく息をついて頷いた。
「……了解だ。
でもひとつ、こっちからも言っておく。
――妙な動きがあれば、“容赦しない”。それだけは、伝えておけ」
「……十分だ。ありがとう」
---
森の奥へ戻るレジンの姿は、すぐに気配すら消えて見えなくなった。
しかしユートの警戒は解かれない。
監視されていると分かった今、むしろ――信頼と緊張の狭間が始まる。
---
午後11時すぎ。
ユート――榊 春都の部屋の窓はすでにカーテンで閉ざされ、部屋の灯りも最低限に落とされていた。
その静寂の中に、ひとつ場違いなキャリーケースの音が響く。
「……本当にここから“異世界”に行くのか?」
スーツ姿の宮野 敬一は、表情こそ真面目だったが、心の中では冷ややかだった。
(異世界? まあ……変な海外の特殊プロジェクトか、秘密研究所の比喩だろう)
(少なくとも、常識の範囲を超えた“何か”があるんだろう。だが異世界って……)
そう割り切ったつもりだった。
「準備はいいか?」
「ええ、まあ。想定外の環境でも対応できるよう、装備は最低限まとめてきました。
もっとも、君の“異世界”とやらが、私の“想定”の中に収まっていればの話だけど」
「じゃあ、いくぞ。集中して、何があっても立ち上がれるように構えておいてくれ」
「わかった。……それで、飛行機のチケットはどこに?」
「そんなもん、ないよ」
ユートが静かに両手を組み、魔力を集中させる。
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【転移】
空気が一瞬で変わる。
重力がきしむような圧迫感、視界が白に包まれ、耳鳴りが起こる。
「――っ……!」
言葉を発する間もなく、宮野の意識がぐらつく。
そして――次の瞬間、彼らの足元に広がったのは、
深い森と開けた土地、異様に澄んだ空気と、見上げるほどに大きな空。
野鳥の鳴き声。
どこか遠くから聞こえる水の音。
そして――魔力の気配。空気そのものが、異質。
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【異世界・フィルデンの地】
「――うそ、だろ……?」
宮野はその場に立ち尽くした。
足元には、彼が知らない草。遠くには巨大な木。見上げれば、空に浮かぶ小さな月が三つ。
「これが……“異世界”? これが……?」
声が震える。
「比喩じゃ……ない……」
「ようこそ、フィルデンへ。
ここが、俺が“街を作る”って決めた場所だ」
ユートは淡々と告げた。
その背に、夕日と魔法の風が吹いていた。
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宮野 敬一、建築学者。
世界の理を信じ、論理で測ることを信条とする男。
その常識は、今まさに――砕かれた。
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【異世界・フィルデン・開拓地周辺】
まだ朝の光が淡いフィルデンの森に、鳥のさえずりと木々の揺れる音が響く。
ユートと宮野は、仮設拠点の周辺をゆっくり歩いていた。
遠くでは、職人たちが資材を運び、テントの周囲では数名が測量の真似事を始めている。
「……現実なんだな、これが」
宮野がぼそりと呟いた。
景色、空気、匂い、重力、すべてが“地球ではない”と肌で理解できる。
ユートは頷いた。
「こっちは、文字通り“剣と魔法の世界”だ。
人は魔力を使い、魔物がいて、国家は王制で回ってる」
「……ファンタジー小説かよ」
「俺も最初はそう思ったよ。信じたくなかった。でも……」
ユートは、腰に下げた革製の小さなポーチを開き、中から金属製の小さな指輪を見せた。
「これ、翻訳の指輪。この世界の人と話せる。
つけといてくれ。」
宮野がその“異物”に手を伸ばす。ほんのりと魔力を帯びた不思議な感触に、指先が震えた。
「……本当に、俺たちは“別世界”に来てるんだな」
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【本音の会話】
「俺はこの世界じゃ“ユート”って名で通してる。
榊春都って名前は、誰にも言ってない。
――仲間たちにも、“異世界から来た”とは言ってないんだ」
「……なぜだ?」
ユートは少し黙ってから、静かに答えた。
「この世界で出会った奴らは、俺を“変わったヤツ”くらいに思ってる。
でも、誰も俺の過去を知らない。
だからこそ、対等に接してくれるんだ」
「なるほどな……“別世界の人間”って知ったら、距離を取られる可能性もある」
「そう。誰にも、上でも下でもなくいたい。
俺はここで、“一人の人間”として街を作りたいだけなんだ」
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少し歩いた先に、緩やかな丘があった。
ユートはそこに登り、フィルデン全体を見下ろした。
「この場所に、“最初の広場”を作るつもりだ。
人が集まって、笑って、取引して――そんな場所を、まずは一つ」
「……いい景色だな。空も広い。
やりがいのあるプロジェクトだよ、これは」
宮野はスーツの上着を脱ぎ、草の上に腰を下ろした。
「……全力でやらせてもらうよ。“夢の街”を、現実にしてやる」
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【フィルデン・開拓地・仮設拠点】
午後になると、空はすっかり晴れわたり、温かい日差しが丘の上に降り注いでいた。
仮設の簡易テーブルの上には地図用紙や筆記具が広がり、宮野は一心不乱にメモを取りながら、地形の起伏を図にしていく。
「……ここの斜面、雨季には土砂が流れるな。排水計画を立てないと」
独り言のようにぶつぶつ言いながら、記録と構想を積み重ねる。
すでに現地での作業に集中しており、多少の戸惑いは影を潜めていた。
そこへ――足音。
「ユートー、お客さん?」
陽気な声とともに現れたのは、バルト。
その後ろに、ティナが静かに歩いてくる。
「うん、今回の街づくりに協力してくれる人。名前は……えっと、ケイイチ・ミヤノ」
「けーいち? どこの国の名前? 初めて聞く響きだなぁ!」
バルトが興味津々に顔をのぞきこむ。
「……ちょ、ちょっと距離を……」
「ティナ、こっちは?」
「私はティナ。ユートと一緒に、この街を作ってるわ」
「えっと……どうも、はじめまして」
宮野は少しぎこちない笑みを浮かべ、頭を下げる。
(この人たち、本当に“現地の人間”……すごいな……あの指輪を着けるだけで言葉が通じる。)
そんなことを考えていると――
「ねぇユート、この人……なんか、私たちと“ちょっと違う感じ”するんだけど」
ティナがふと、目を細めて言った。
まるで、“空気”の違いに気づいたような鋭さだった。
「まぁ……ちょっと変わった出自でね。頼りになる人だよ」
ユートはさらりと流した。
ティナも深くは突っ込まなかったが、どこか納得していないような顔をしていた。
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【夕方・仮設拠点】
開拓班が一日の作業を終え、仮設の飯場に人が集まり始める頃。
ユートは、丘の上でひとり夕日を眺めていた。
そこに、宮野が地図を手にやって来る。
「ある程度、仮配置と基礎導線は描けてきた。次は、地盤の確認と測量ポイントの設置に入る」
「ありがとう。無理はするなよ」
「……しかし、君の“街にかける熱意”は、ちょっと異常だな」
ユートは小さく笑う。
「俺にとって、ここが“始まりの場所”なんだ」
宮野はその横顔を見つめながら、ふと目を細めた。
その瞬間――
遠く、森の奥から、かすかに視線の気配が走った。
気のせいではない。誰かが“こちら”を見ている。
宮野ではなく、ユートが先に気づいていた。
「……気づいたか?」
「……ああ。気配、あるな。魔物じゃない……が、“人間”とも限らない」
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【フィルデン・翌朝・仮設拠点外】
朝霧が地面を薄く覆う中、ユートは森の外周を一人歩いていた。
昨日感じた、あの“視線の気配”が忘れられない。
「……偶然にしては、動きが静かすぎるんだよな」
彼は地面に手をつき、低く呟いた。
「《アース・シェード》……」
土の中に魔力を染み込ませ、ごく浅く、見えない“起伏”をいくつか作る。
それは、地表をわずかに歪ませるトラップ――人が踏み込めば足音が変わり、土の揺れ方で感知できる仕掛けだった。
(これで、誰かが近づけばわかる。あとは……様子を見よう)
---
【同日・仮設拠点・設計テーブル】
「ユートくん、ここの傾斜、雨水が流れ込むルートになりそうなんだが」
宮野が地図上のポイントを指しながら言った。
「見た感じ、地盤も軟らかい。排水路か、土地を少しだけ削ってやる必要がある」
「それなら、俺の土魔法で削って排水用の溝を掘る。
水の流れを変えるくらいなら、すぐできる」
「魔法ってのは便利だな……人力じゃ何日もかかる作業が数分で済むとは」
「便利って言っても、万能じゃないよ。
岩盤まで削るには無理があるし、土質が崩れやすい場所だと手こずる。
でもこの土地なら、ある程度なら調整できる」
「ふむ……それなら、初期の住居エリアと水路計画は一段落つけられそうだな」
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【フィルデン・深夜・仮設拠点外】
辺りはしんと静まり返っていた。
だが、ユートはテントの中で目を閉じたまま、周囲の“土の感覚”に意識を研ぎ澄ませていた。
(……きたな)
土の魔力に触れる“わずかな揺れ”。
それは、人の足音とは思えないほど軽く、しかし“明らかに意識して動いている者”の気配だった。
「《アース・ノッチ》」
ユートがそっと呟くと、周囲数十メートルの“踏み抜きゾーン”に微細な窪みが生じる。
誰かが動けば、そこに足が取られ、位置が割れる。
そして――“ズッ”という摩擦音が静かに響いた。
森の外れで、何かが足を取られた。
ユートは一気に駆け出し、音のした場所に向けて手を掲げる。
「――動くな。《グランド・グリップ》」
足元の地面が盛り上がり、膝下を包むように土が巻きつく。
それに捕らえられたのは、黒いマントを羽織った細身の人影――人間だ。
「……誰だ?」
静かに問いかけると、マントの中から低い声が返ってきた。
「……放してくれ。俺は戦うつもりはない」
「なら最初から姿を隠すなよ」
ユートは周囲を一瞬見回し、別方向にも土魔法を走らせる。
――もう一人の気配、すでに逃げていた。
(片方は捕らえた、もう片方は諦めて……)
「名を名乗れ」
捕えた者はしばし沈黙し、やがて観念したように呟いた。
「……レジン。レジン・ナセル。
この土地を“観察するよう”に言われた」
「誰に?」
「……答えられない。けど、君たちを敵視しているわけじゃない。
むしろ――警戒しているのは、俺たちの側だ」
---
ユートはしばし沈黙した。
敵意を見せず、ただ“動向を見張っていた”者――だが、だからこそ厄介だ。
「……とりあえず話は聞く。逃げようとすれば、次は本気で沈める」
レジンは小さく頷いた。
「……それでいい。
俺たちも、君たちの事が知りたかっただけだ」
膝下を土に拘束されたまま、レジンは一呼吸おいて静かに口を開いた。
「……俺は王都直属の者。王国の密偵だ」
その言葉に、ユートの視線が僅かに鋭くなる。
「スパイってことか?」
「……いや、そういう意図はない。俺の任務は――この開拓の進行状況を見守ること。
王太子殿下の命令だ。君のことは、殿下が“特別に注目している”」
「……なるほどな」
ユートは納得したように眉をひそめる。
(だから最初から、殿下は“自由にやれ”と許可してくれた。
でもその裏では……やっぱり“見張っている”ってわけだ)
「職業柄、気配を消すのは当然の動きだが……結果として、警戒させたなら謝る。
こちらから敵意を持って接近したわけではない。それだけは信じてほしい」
レジンの声は静かで、無駄のない誠実さを帯びていた。
「……わかった。もう逃げようとはしないな?」
「ああ。無意味だからな」
ユートは「グランド・グリップ」を解除し、土を静かに地面へ戻す。
レジンはすぐには動かず、姿勢を低く保ったまま、ユートに向き直る。
「――最後に、ひとつ頼みがある」
「言ってみろ」
「……俺の存在を、君の仲間たちには伏せておいてほしい。
彼らにとって、今の開拓に不必要な疑念や不安を与えたくはない」
ユートはしばらく黙った後、小さく息をついて頷いた。
「……了解だ。
でもひとつ、こっちからも言っておく。
――妙な動きがあれば、“容赦しない”。それだけは、伝えておけ」
「……十分だ。ありがとう」
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森の奥へ戻るレジンの姿は、すぐに気配すら消えて見えなくなった。
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だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
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