終末世界と天使の扉

雫花

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春の国

白の門

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 天使と波瑠が白い門を潜ると、そこに広がる景色は先程までのものではなくなっていた。


「なんだろ、ここ。……天使さん?」

「……なぜ、こんな景色が」


 波瑠が天使の顔を覗き込む。
 その顔は、何かに怯えたような顔だった。

 目の前に広がるのは、暗く深い森と、大きな1本の木。
 その木は大きいと言っても足らず、木の端が遠く透ける程の大きさをしていた。


「でぇーっか……。んねぇ天使さんどしたの?ここ知ってるの?」

「知っているも何も。ここは、私の記憶の1番最初だ。私はここに捨てられていた。世界樹の根元に。故郷のようなものだ」

「え、……じゃあこれ、世界樹ってやつ?」

「あぁ。……だが、まがい物の様だ。あの一帯には独特の空気があるのだ。それを今は感じない。……幻影か……?」


 天使は腕を組み、そのまま歩き出した。振り返ってみると、今入ってきた門はどこにもなかった。
 無くなってしまったのなら致し方ない。波瑠は慌てているが、天使は何食わぬ顔をして世界樹の根元を歩いた。

 1周にも時間がかかる大きな木の根元を歩いていると、声がした。


「誰かいる?」

「しっ、……少し静かにしろ、何があるか分からない」


 言われた通り、波瑠は口を塞いだ。
 声に耳を澄ますと、それは女のような声だった。
 そして、その声を聞いた途端、また天使の顔が引き攣った。



「……哀れな子。世界樹の上にも生まれず、誰にも引き取っては貰えなかったのだな……。黒羽根の天使。それは引き取らんだろうなあ……。こんな私でもない限り、引き取るわけがないだろうから……」



 1人呟く女の声に、次第に天使の顔が暗くなった。



「名は与えられずとも、私の元へおいでなさい。……名実ともに、君はハズレモノだがね……」



 女は、誰かに話しかけているようだった。波瑠は位置が悪くあまり見えないが、天使は見ないようにしているようだった。


「ね、ねぇ天使さん。……もしかしてこれって」

「………私の。……1番初めの記憶だ」

「……もしかして、じゃあ、あの人は天使さんのお母さん?」

「……人間で言えばそうなるだろう。……だが、あの人は……天使では無い」

「え?天使じゃないの?じゃあ何?悪魔?人間?」


 その問いに、天使は顔を女の方に向けた。そして、遠くから彼女を懐かしむような目線を送りながら答える。


「……あの人は、人間の間で翼を失った天使として語り継がれている人だ」

「?……うんと……夏の国の宗教上の?」

「あぁ。その人だ。名はアリア。元は天使だったが、悪魔の子を見逃した罪人として翼をもがれた、優しすぎた天使だ」

「……実話なんだ」

「そうだ。……エデンではかなりの嫌われ者だがな。私にとっては唯一の理解者だった。……あの人に拾われなくとも、私は元よりハズレモノなのだからな。……そうか、これは記憶か。なんと憎たらしいことだろうな」

「……この記憶、きらい?」

「……いいや。嫌いでは無い」


 そう言うと、天使はアリアへと歩を進めた。記憶の中なのだとしたら、干渉はできるのだろうか。どっちであれ、この空間からどうやって抜け出したら良いのか。
 何も分からない以上、とにかくできることをしてみるしか無い。

 歩み寄るも、彼女がこちらに気がつく様子は無い。
 一向に気づく様子がないところを見ると、干渉は出来ないようだ。


「一体何なのだここは……。見たくもない記憶を…………そうか、あいつが言っていたのはこういうことか」

「あいつ?」

「春の守護天使だ。あいつ、ここに入る直前に何があっても自分のせいではないと言った。ここは要するに、入ったものの嫌な過去を見せるのだろう。そして、その機能はあの守護天使には何ら関係がないということだ」

「ぇ……なんでそんな機能ついてんのさ」

「守護目的だろう。嫌な記憶とは、忘れたいものだ。忘れたい理由は様々だが、思い出したら胸が苦しくなるからな……。それに耐えられる力がなければ、宝玉には触るなということだろう」


 波瑠は納得したのか、たしかに……と小さく呟いて俯いた。
 この先、もしかしたら自分の嫌な記憶も見ることになるのだろう。人に見られたくないものも……。
 俯いている波瑠の背中を、天使は1度軽く叩く。そして、無言で歩き出した。


「お前だって、私の記憶を見ても何も思わなかっただろ。同じだ、私だって何も思わない。気にするな」

「な、何も思わないわけじゃないよ!ただ、天使さんってもしかして……他の人と違うの?いじめられたりしてたの?気になるよ僕は」

「そうか?お人好しだな。別に、いじめなど毎日だ、慣れている。だが、1人だけ信頼出来る友が居る。それでいい」

「…………そっか。ねぇ、天使も人間と変わらないんだね」

「ん……。そうだな、そうかもしれない。さ、先に進むぞ。これから何を見ても引いたりはしない。お前は嫌われるのが怖いんだろう?安心しろ、どうでもいい」

「どうでもいいって……。まぁ、そのくらいが嬉しいよ、ありがと天使さん」



 波瑠が薄く笑みを浮かべると、天使はまた歩を進めた。

 どこに行けばいいのか検討はつかないが、移動する他無い。
 世界樹の端など、見えてくるはずもない。だとすれば、上に行くしか無い。

 だが、天使は飛べても波瑠は飛べないため、行くには波瑠を抱えなければならない。
 飛べないことも無いが、ただ成人したような男を抱くのは少々骨が折れる。


「おい波瑠、お前、体重はいくつだ」

「えっと……いくつだったっけな……だいたい60くらいかな……?65?とか?」

「チッ……重いな」

「失礼な!適正体重です!」


 しばらく考えるが、それ以外の方法が全く思いつかない。
 天使は面倒になり、波瑠を抱き抱えた。


「え!?なになに!?て、天使さん!?」

「黙れ、飛ぶだけだ。暴れると落ちるぞ」

「脅さないでよ!?怖いよ!!え?飛ぶの?どこに!?」

「世界樹の上だ。横に移動するより速い。上には天使が生まれる家が幾つかある。家とは言っても、居るとすれば天使産みの女神だけだが」

「へえ……って、わ、わ!?」


 合図も何も無く、天使は翼を広げて飛んだ。波瑠は驚きと恐怖で固まったため、暴れようと思っても無理そうだ。

 真っ直ぐに上へ向かって飛んでいき、木の中腹に到達する。
 世界樹はかなり大きく、天使界のどこからでも見える木だ。
 木の頂上に行けない訳では無いが、この中腹で休憩しなければどの道上までは行けない。

 中腹には木造の小屋がいくつか有り、そのどれもが細かな装飾を施された小綺麗なものだった。


「ここが、天使が生まれる場所?」

「ああ。…まぁ、用もなければ来ることも滅多にない。来るとすれば、生まれた天使を木から受け取りに来る時だけだ」

「ふぅん…。だれが?」

「天使庁の天使だ。私も所属しているが、担当部署があってな。その部署で一括して行っている。受け取った天使の住民登録をするためだ」

「本当に人間みたい…。いや、天使が先なのか…」

「人間にこんなことを話す日が来ようとはな。波留、お前は特別だ。本来であれば私たち天使が人間と話すことですら、ルール違反ギリギリなのだ」

「そうなんだ…!特別…!」


 目を輝かせる波留を1度降ろし、各小屋を見て回る。
 天使はそう沢山生まれるものでもない。基本的に常に生まれるのは最下級の自我が薄い天使だ。
 だが稀に、ここから上級の天使が生まれる。

 最後に入った小屋には、生まれたばかりの天使が布に包まり眠っているようだった。
 隣には、その天使を作った女神が座って居た。


「これ、女神様ってやつ?この人だけなの?」

「いいや、各家に1人だ。この女神…居眠りしてるな。余程力を使ったか…?となると…」


 眠っている天使を覗くと、顔に見覚えのある面影を感じた。


「ここまでの力を使ったとなると、名付けをしたはずだな…。どこかに命名札が…あった」


 天使は、生まれたばかりの天使の脇に名が書かれた札を見つけた。
 そこには「ジャス」と書いてある。


「…この女神、字が汚いな。…これが、ジャス殿…?…ということは、ジャス殿は私と同じ日に…」

「なに?知り合いです?たんじょび知らんかったの?」

「そんなもの誰も気にしないのだ。生まれたら滅多に死ぬことなどないからな、数えていたとて無駄だ。ジャス殿は、…私を友人と言ってくれた唯一の天使だ」

「へー!いい人じゃん!あ、天使か。なんでその人はこの旅に一緒に来なかったの?」

「彼は中位の一隊、能天使でな。…というかそもそも、人間界に来れるのは規則として私だけなのだ。だから、ジャス殿は居ない」

「ふぅん、規則がガチガチなんだね天使って。めんどくさぁい」

「…人間の社会生活だって、そんなようなものだろう。…とりあえず、こうしていても仕方ない。上に行くぞ」

「え、大丈夫ぼく死にません?」

「大丈夫だろう」


 天使と波瑠はその家を出る。そして、また木の上に向かって天使が波瑠を運ぶ形で飛ぶ。
 上に行くにつれて、影を作っていた木の葉が占める視界が開けていく。

 その葉がひとつも無くなった時、上空には、上に続く白い階段のようなものが見えてきたのだった。
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