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#007 『とげぬき地蔵』

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 15年くらい前の出来事であるそうだ。

 その日は みどりの日(※この当時、4月29日の祝日は『昭和の日』でなく『みどりの日』と呼ばれていた)で仕事が休みだったので、来栖くるすさんは家の縁側に腰掛け、爽やかな朝の庭を眺めながらひたすらボーッとしていたという。
 すると、来客を知らせるピンポーンというベル音。
 妻が出るだろうと放っておいたら、その奥方が慌てた様子で来栖さんに駆け寄ってきた。

「あなた、本家のお婆ちゃんがお出でになってるわよ」
「ええっ、連絡もなしにいきなりか?!」

 こちらも慌てて玄関に参じると、にこにこ笑顔の本家のお婆ちゃんが、よそ行きの上品な着物姿でちょこん、と頭を下げた。

「ごめんねぇ、近くに寄ったものだからねぇ、顔を出してみたの」

 急な用事だったからお土産もなくて心苦しいんだけど、と言って、ホホホと笑う。
 それはどうも、とにかく上がって下さい・・・と来栖さんは促したが、「いや直ぐにお暇するからここでいいわ」と お婆ちゃん。

「最近どうですね。こちらは変わりないけれど」

 ここでいいわ、と言ったわりに、お婆ちゃんは次々に話を投げかけてくる。
 お庭の松の木の枝ぶりがいいだの、○○ちゃんは今年中学生になるそうだねぇ早いねぇだの、そう言えば昇進なすったらしいねぇ おめでとう・・・だの。
 さすがに10分ほども立話が続き、お婆ちゃん お足の方は大丈夫だろうかと来栖さんや奥方が心配しはじめた頃、

「これからも息災でね、元気でね。あたしは何年か前、巣鴨のとげぬき地蔵さんにお参りしたおかげで、安らかに行けそうですよ。ほんにありがとう。世話になりました」

 お婆ちゃんはそう言うと、深々と頭を下げて、来たときと同じニコニコ顔で玄関を出て行った。その所作が、お年寄りとは思えないほど速やかで まるでDVDの早回しのようだったので、来栖さんはそこではじめてギョッとした。
「あ、お待ちになって下さい」
 何だか変な違和感をおぼえた奥方も、その後を追うようにして玄関の戸を開けた。
 お婆ちゃんは、影も形もなかった。
 いくら矍鑠かくしゃくとした足取りの人だからと言っても、これはおかしいと夫婦で顔を見合わせた。


 直ぐに本家へ連絡を入れてみると、お婆ちゃんは今朝、布団の中で冷たくなっていたと聞かされた。今すぐ連絡しようとしていたのに、電話を寄越すなんてすごいタイミングだ、と驚かれた。
 やはりなぁ、と思った。
 生前、律儀な人だったから挨拶に来てくれたんだよ、と来栖さんが言うと、奥方は顔を覆うようにして泣き崩れた。

 後日わかったことだが。驚いたことに、お婆ちゃんは三つある分家のいずれにも『最後の挨拶』をされる為に姿を見せたのだという。中には客間まで上がり込まれたところもあった。これには律儀も過ぎて、夫婦ともども絶句してしまった。
 お婆ちゃんの話題は家々によってまちまちだったようだが、「巣鴨のとげぬき地蔵さんの霊験はあらたかだ」というくだりだけは、三件ともピッタリ共通していたという。
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