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第一章〈幼なじみ主従〉編

05 幼なじみ主従(2)

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 王立修道院はとても広いが、生活自体は質素だった。
 聖職者の「修道の場」と福祉施設を兼ねているため、基本的に自給自足なのだ。
 男子塔がある方面には力仕事をする作業小屋と、重い道具をしまっておく納屋があり、女子塔の裏手には日当たりの良い麦畑が広がっていた。
 子供たちにとって麦穂が生い茂っている季節は「かくれんぼ」に最適で、麦穂が刈り取られた季節は「かけっこ」する原っぱになった。
 私たちの遊び場には、ちょっとした秘密が隠されていた。

「ジャンは、聖ラドゴンドの伝説を知ってる?」
「ドラゴンの伝説ですか!」

 騎士道物語はジャンのバイブルだ。
 ドラゴンと聞いて、ジャンが食いついてきた。

「ううん、聖ラドゴンドさま。奇跡を起こして聖人になった立派な貴婦人だよ」
「なーんだ。俺は貴婦人の話には興味ないです」
「ラドゴンドさまはフランス王妃だったんだよ」
「ふーん」

 素っ気ない返事だったが、私は構わずに話を続けた。

「私の母上はフランス王妃なんだって。もしかしたら、ラドゴンドさまみたいな人かもしれないよ」

 王家由来の修道院において、麦畑は特別な意味があった。



====================

 ラドゴンドは、とある小国の王女だった。
 ラドゴンドの父はフランス王国との戦いで戦死し、祖国は滅亡した。
 王女と弟王子は捕虜となり、フランスへ連れて来られた。

 勝者のフランス王は、若く美しいラドゴンド王女を見初めて求婚した。
 王女は「弟を祖国の王位に就ける」ことを条件に結婚を承諾し、こうしてラドゴンドはフランス王妃となった。
 だが、フランス王はラドゴンドを妻にすると、約束を破って弟王子を殺害した。

 ラドゴンドは嘆き悲しみ、王妃の身分を捨てて尼僧となり、王のもとを去った。
 王は激怒し、王妃を取り戻すために追っ手を差し向けた。
 追いつめられたラドゴンドは麦畑へ逃げたが、すでに麦は収穫済みで身を隠すことができなかった。
 ラドゴンドは神に祈った。

「父と弟を弔うために生涯を捧げます。王のもとへは二度と戻りません。どうか、わたくしの姿を追っ手から見えないように隠してください」

 祈りは聞き届けられ、刈り取られたばかりの麦がみるみる伸びて生い茂った。
 またたく間に麦穂が豊かに実り、ラドゴンドの姿を覆い隠した。
 追っ手はラドゴンドを見つけることができず、諦めて帰っていった。
 ラドゴンドは父と弟の冥福を祈り、亡国に思いを馳せながら、貧しい人々のために生涯を捧げた。

 のちに麦穂の奇跡が認められて、元フランス王妃ラドゴンドは列聖され、聖人となった。

====================



「ね、すごいよね!」
「うん、そうかもしれませんね」

 私が得意げに昔話を語っている間、ジャンは剣の素振りをしていた。
 はあっ!とか、とうっ!とか、相槌だか気合いの掛け声だかよくわからない。

「ねえ、聞いてる?」
「聞いてますよ、ほあちゃーーー」
「ラドゴンド様はすごいよ! 刈り取った麦がすぐに伸びたらいっぱい食べれるもん」
「えぇっ、王子が言う『すごい』ってソコですか!」
「あ、よかった。ちゃんと聞いてた」

 半年ほど前、納屋に忍び込んで遊んでいたときに農具に混ざっていた小振りの剣を見つけた。
 刃を潰した練習用の剣だったが、ジャンはこっそり拝借して「騎士になる修行」をするようになった。
 ジャンは修行に熱中していると人の話をまるで聞いてないように見えたが、私がおかしなことを言うと鋭い返答つっこみが飛んでくる。案外ちゃんと耳を傾けてくれていた。

 納屋は男子塔の裏にあった。麦畑は女子塔の裏である。
 わざわざ遠回りして、男子塔の納屋まで剣を取りにいくことは面倒だった。
 剣を取り出してから女子塔の麦畑へ移動する途中、誰かに見つかる怖れもある。きっと没収されてしまうだろう。
 いまは麦畑の中に剣を放り込んで隠しているが、見つかるのは時間の問題だった。麦穂を刈り取ってしまえばすべて丸見えだ。

 日ごとに日没時間が早まっていた。
 つまり「秘密が見つかる日」は刻々と近づいていたから、ジャンは暇を惜しんで麦畑へ行きたがった。
 ジャンが修行をしている間、私は他愛ない話をしながら見張り番をしていた。
 私は剣よりも本を好んだが、友のために何か役に立ちたかった。

「その剣はジャンの宝物なんでしょ。神様に『麦穂がすぐに伸びて剣が見つかりませんように』ってお祈りしてみるよ」
「王子の気持ちはありがたいですが……」
「お祈り、神様に届くかな?」
「難しいでしょうね」

 修行中のジャンは相変わらず素っ気ない返事だったが、私も同じ思いだった。

「そうだね」

 私のささやかな祈りが、神に聞き届けられたことは一度もなかった。
 きっと今回も叶わないのだろう。凡人が奇跡を起こすことはとても難しいのだ。
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