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第一章〈幼なじみ主従〉編

09 王弟のご落胤(1)

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 物心がついたとき、ジャンの父親はいなかった。
 母親は間もなく他界した。一通の紙切れを遺して。
 行きずりの母子を保護していた教区の司祭は、幼いジャンの代わりに書き付けを読み、「ひょっとしたら、とんでもない宝物を引き当てたかもしれない」と言った。

「たからもの?」
「お父さんに会えるよ」

 ジャンは、教会で雑用をしていた下僕に背負われてオルレアンという街へ連れて行かれた。
 フランス王国で一番長い川・ロワール川流域の中ほどに城壁に囲まれた大きな街があった。
 ジャンの父親はそこに住んでいるという。
 街で一番大きな建物——お城のようだった——で、陰気な貴婦人と対面した。

「ジャン・ダンギャンと言いましたね。あなたの母が遺したという文書を読みました。あなたのお父様は、この街の領主・オルレアン公で間違いないようです」

 貴婦人は続けて、「わたくしの夫です」と言った。
 父親とは会えなかった。少し前に他界していたからだ。
 オルレアン公の妻は服喪中で黒いドレスを着ていたが、陰気な雰囲気はそれだけが理由ではないようだった。
 母親がジャンに遺した紙切れには、正式な書式で「マリエット・ダンギャンが生んだ息子ジャンを、わが子と認める」という文章と、オルレアン公ルイの署名と印章が記されていた。

 ジャンの父と母は正式な婚姻関係ではなかったが、父親はジャンを息子として認知していた。
 そのことを証明する書き付けだった。
 母親が他界し、頼った父親もすでに他界していた。
 まともに顔を見ることさえなく。
 目の前にいるのは、ジャンの父でもなければ母でもない。
 父の本妻、オルレアン公夫人だった。



***



 正式な婚姻関係にある夫婦の子を「嫡子ちゃくし」、婚姻関係ではない男女の子を「庶子しょし」という。

「父親が誰か」

 それは、貴族や平民といった身分以上に重要だった。
 父親不明の子は「私生児」といわれ、あらゆる世界で嫌悪された。
 商業ギルドに登録する資格さえなかった。
 王国に奴隷制度はなかったが、私生児が生きる場所はどこにもなかった。
 行き着くところは、物乞いか娼婦か野盗である。
 身分制度の最下層で、文字通り「泥水をすする」ように生き、野垂れ死にするか、殺されるか。
 運が良ければ、死ぬ前に慈善教会に保護される。
 悪徳聖職者にただ同然でこき使われるか、慈悲深い聖職者に見守られながら短い生を全うする者が多かった。共同墓地に埋葬されればまだマシだ。

 ジャンは庶子である。
 嫡子に比べていくらか制限されるが、それでも法的に守られる身分である。
 父が書き、母が遺した一通の紙切れは、孤児となったジャンを守った。

「安心しなさい。あなたを見捨てたりしません」

 貴婦人は側近に指示して、何枚か書類をしたためた。
 オルレアン公が没したため、ジャンにも庶子として多少は遺産相続する権利があった。
 貴婦人はジャンに貴族の称号と領地を与えた。
 領地の収益がジャンの財産になる。これで路頭に迷う心配はなくなった。

「わたくしは、オルレアン公の妻として義務を果たします」

 陰気な貴婦人は、硬い表情でそう言った。

「だからあなたも、オルレアン公の息子として然るべき義務を果たしなさい」

 ジャンを背負ってオルレアンまで連れて来た下僕にはいくらかの金銭が渡され、教区へ戻っていった。以来、音沙汰はない。

 ジャンは貴族らしい礼節を学ぶため、王立修道院へ行くことになった。
 オルレアン公の息子として恥ずかしくない振る舞いを覚えたら、一族の末端貴族として迎えてくれるという。デュノワ伯という称号はまだ仮初めのものだ。

「王立修道院には、同じ年ごろの王子がいます。あなたは王子の従者となり、一緒に学んできなさい」

 陰気な貴婦人は有能だった。
 初めて会った夫の息子——血の繋がらない息子ジャンのために、表情ひとつ変えないで必要な準備を整えてくれた。
 たった一枚の紙切れ、ジャンの生死がかかった書き付けを処分することもできただろうに、貴婦人は冷静かつ合理的に義務を果たした。

「用事は済みましたね。さあ、お行きなさい」
「あの、ありがとうございました」

 ジャンが退室するときにちらりと振り返ると、扉の隙間から貴婦人の横顔が見えた。
 硬い表情は変わらなかったが、一筋光るものが流れたように見えた。



***



 ジャンの父・オルレアン公ルイは、狂人王シャルル六世の弟だった。
 統治能力のない兄王に代わって摂政となり、王都パリで宮廷政治を取り仕切っていた。
 本来の領地であるオルレアンには、ほとんど帰らなかった。

 1407年11月23日。ジャンが5歳の誕生日を迎えた日。
 権力闘争の果てに、王妃イザボー・ド・バヴィエールの愛人でフランス最大勢力の貴族・ブルゴーニュ公に暗殺された。
 狂人王は、王弟を殺した犯人を捕らえることも処罰することもしなかった。
 法も正義も失われた宮廷で、王妃の後ろ盾を得たブルゴーニュ公が権力をほしいままにしていた。
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