7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)

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第二章〈王子と婚約者〉編

2.11 末弟シャルル(1)

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 ——親愛なる弟、ポンティユ伯シャルル

 むずかしい問題も多いが、ともに
 不屈の精神で乗り越えていこう
 ここへ帰ってくるときは、ぜひ
 うつくしい婚約者を紹介してほしい

 季節が巡り、君が
 大人になる日を待っている
 つつがなく日々を過ごせるように祈っている
 けして挫けてはいけない
 路傍の百合の如く、したたかに生きよ——



 私とマリー・ダンジューの婚約は、1413年10月に成立した。
 私がアンジェ城に迎えられる日に合わせて、王太子ルイ——兄は婚約祝いの贈り物と手紙を使者に託した。

 その少し前。

 同年3月、かつてイングランド王リチャード二世を餓死させて王位を簒奪したヘンリー四世が崩御し、息子のヘンリー五世が即位した。
 5月にパリで暴動が始まり、沈静化するまでひと夏ほど。
 8月、暴動を煽動した首謀者ブルゴーニュ公が逃亡し、王太子が追放を宣言した。
 そして、10月の婚約成立。

 背景から察するに、政略的な婚約だろう。
 私とマリー、それぞれ10歳と9歳では知るよしもないが——ブルゴーニュ公の力を削ぎ、反ブルゴーニュ派を抑え、王家と貴族の勢力安定を図るには、宮廷の争いに深入りしていないアンジュー公は適任だ。

 王太子が「婚約祝いの使者」を口実に、側近アルテュール・ド・リッシュモン伯をアンジューに送り出したことも無関係ではないだろう。
 王都で、王城で、宮廷で、いま何が起きているのか。起きようとしているのか。
 大諸侯も地方領主も生き残りをかけて、情報を欲していた。誰が味方で誰が敵なのか、見極めようとしていた。

 大人たちはいつも難しい話をしていたが、私の周囲はまだ平穏だった。


 ***


 マリーの父・アンジュー公が「そうだ、婚約旅行に行こう」と言い出した。
 私とマリーの婚約旅行だから、アンジュー公妃ヨランドとルネはアンジェ城に残った。ただし、言い出しっぺのアンジュー公は同行する。
 行き先は、フランス南東部のプロヴァンス地域にあるニースといって、アンジュー公の領地のひとつだ。

 私は修道院を出てアンジューへ来ただけでも一大イベントだったのに、あっという間に旅じたくが整えられて、気づいたら馬車に放り込まれていた。
 マリーは半ば呆れながら「お父様は旅行がお好きですからね」と言った。アンジュー家ではよくあることらしい。

「旅も立派な仕事だよ」

 アンジュー公はにこにこと目を細めて私たちを見ながら、そう言った。

「手紙の書き方を学んでいるそうだね」
「はい」

 幼くて失望されるかと思ったが、アンジュー公は真面目な顔でしきりにうなずいた。

「手紙の作法は奥が深い。とても大切な勉強になるだろう。そうだ、勉強を兼ねて、旅先からアンジューへ手紙を書いてみようか」
「お父様ったら、また思いつきでそんなことを……」

 いつもこんな調子らしく、マリーはますます呆れていた。

 アンジューからプロヴァンスまでの道のりは長く、途中でいくつかの町に数日間ずつ滞在した。
 アンジュー公はアンジェ城を本拠としていたが、飛び地の領地をたくさん持っていた。
 普段、地方の管理は城代と呼ばれる代理人に任せている。
 城代へのねぎらいと監視を兼ねて、定期的な視察は欠かせないのだという。
 本来の領主が存在感を示すことで、不正や裏切りを防止する効果がある。
 一部の領地で飢饉が起き、別の領地で豊作ならば、備蓄の食料をまわして融通を利かせることもできる。

 物見遊山という一面もなくはないが、「旅も立派な仕事」というのは嘘ではない。

 旅先で、私とマリーはアンジュー公から「手紙の書き方」を学んだ。
 アンジュー公が考案した暗号、署名サインの使い分けなど——つまり密書の作り方とその解読方法だ。

「この技術は、私からかわいいふたりへ秘密の贈り物だよ」

 その他大勢に伝わる必要はない。
 敵には絶対に伝わってはならない。
 だが、味方には確実に伝えなければいけない。

「王子もマリーも、自分だけの暗号と署名を考えておくといい。できたら、大切な人へあらかじめ教えておくこと」

 王侯貴族は華やかに見えるが、一皮むけば血と欲にまみれた謀略の世界だ。
 謀略を好む好まないに関係なく、このような身分に生まれついた私たちが生きていくために必要な処世術といえる。

「例えば、敵に捕まったとしよう。自分の意志に反することを強要されたとき、『はいウィ』と書きながら『これは私の本心ではない』と伝えることができるようにね」

 自分の意志に反することを強要されたとき。
 いままで安穏と暮らしていた私には、想像できない世界観だった。

「本当にそんなことがあり得るのかしら」
「いつだってあり得るよ」

 アンジュー公は優しいまなざしで、おそろしい例え話をした。

「いま、アンジューが占領されたとしよう。敵は、私をおびき寄せるためにルネを盾にしてヨランドを脅し、手紙を書かせようとするかもしれない。ヨランドはルネと自分の命を守るために、敵の言いなりになって手紙を書くだろう。でも、私たちだけが知っているサイン——暗号と署名があれば、私はヨランドの本当のメッセージに気がつく。私は、二人を取り戻すための策を講じながらアンジューへ帰還するだろう」

 私とマリーは何も言えなかった。
 王国の歴史を少しでも知っていれば、そんなことはあり得ないと言い切れなかったから。

「飽くまでも例え話だよ。アンジューの防衛は万全で、アンジェ城は強固な城だ。そう簡単に落ちないよ」

 アンジュー公はくすくすと笑った。

「ふたりともそんな深刻にならないでくれ。暗号や署名は、言葉遊び・パズル遊びの一種だと思えばいい。秘密の恋人と密会するときにも役に立つぞ!」
「お父様ったら! フキンシンだわ」

 愛娘とその婚約者の前で、秘密の恋人と密会する手紙の書き方を教える義父がいるだろうか。
 マリーは完全に呆れていたが、緊張感がいくらか薄らいだのも事実だ。

「失礼致します。アンジェ城から、公妃ヨランドさまのメッセージを携えた急使が来訪しています」

 私とマリーは思わず顔を見合わせた。タイミングが良すぎる。
 アンジュー公は急使から手紙を受け取ると、旅を中止して帰還する旨を伝えた。

「予定より早かったな」

 アンジュー公は、私とマリーがいることを忘れたかのように、手紙を愛おしそうに見つめていた。

「お父様、お母様は何とおっしゃって?」
「まさか本当に敵が?」

 私とマリーは不安を募らせていたが、アンジュー公は飄々としていた。

「いや、そうじゃないよ」

 アンジュー公はにっこり笑うと、両手を広げて私たちを抱きしめた。

「ふたりには申し訳ないけど、婚約旅行の続きはまたの機会にしよう」
「手紙には何て?」
「赤ちゃんが生まれた。男の子だそうだよ」
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