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第三章〈アジャンクールの戦い〉編
3.5 略奪する者される者
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アジャンクールの戦いに参戦したとき、リッシュモンは正騎士に叙任されて二年目だった。
こまごました雑用は、下っ端の従騎士や小姓・その他従者の仕事だったが、その夜はリッシュモン自身が率先してやっていた。
雑念を振り払いたいときは何かに集中していた方が気が紛れるものだ。
周辺の村に、略奪の爪痕があった。
略奪者たちの目的は人命を奪うことではない。
だから、無駄に抵抗しないで食料を明け渡した方がいくらかマシだ。
それでも、若い女性がいれば襲われるのが常であり、戦闘で気が高ぶった男たちが余興として殺戮を楽しむこともよくあった。
村人は、地下室に隠れたり、家畜を連れて人里離れた山小屋へ避難した。
身を守るために自警団を結成し、時には農具を武器がわりにして戦いながら逃げる。
略奪者が去ると、人々は荒らされた村へ戻ってくる。
破壊された家、奪われた食料、逃げ遅れた知り合いの死体と対面することになる。
思ったより「収穫」が少ないと、略奪者は嫌がらせに火を放っていく。
一帯を治める領主や王侯貴族、あるいは教区の聖職者が、被害にあった村と村人を保護しなかった場合、人々は棄民となり、村は廃墟と化す。
イングランドが選んだ「焦土作戦」と「現地調達」は、それを積極的にやることを意味する。
***
もうすぐ10月が終わる。
この秋に収穫したばかりの作物を奪われ、寒さと風雨をしのぐ家屋を壊されて、村人たちはこの冬を越すことができるだろうか。
(しかも、今夜は嵐だ)
リッシュモンは若い騎士だが、年齢のわりに達観していた。
略奪被害を目の当たりにして気の毒に思うことはあっても、動揺したり感傷にふけることはなかった。
だが、自分が率いる小部隊では略奪を禁じた。
「食料や物資が必要なら、力づくで奪うのではなく買い取るように」
そのように言い含めて、対価の金銭を惜しまずに与えた。
部下がいつもの癖で物を盗んだときは叱責して取り上げた。
そして、リッシュモンみずから持ち主に返しに行き、部下の不始末を詫びた。
上官や同僚の騎士たちは、リッシュモンのことを「まじめすぎる変わり者」だと言ってからかった。
イングランド軍が特別に乱暴だったわけではなく、フランスでもその他の国でも戦地の略奪はどこでも見られた。
みずから率先して略奪しなくても、必要悪だと考える者が大半だった。
被害者でもないのに、自費を負担してまで略奪を止めようと考える者はいなかった。
この世は弱肉強食だ。
力を振るい、土地や物や女を奪い取ることは強者の証明だった。
騎士道物語は、騎士の乱暴狼藉を抑えこむために生まれたとも言える。
聖書と同じように道徳を説いたのだ。
リッシュモンは実力者だが変わり者だった。
誰に何を言われようと決して信条を曲げない。
そして、大義のために犠牲を厭わない。
私と出会う前から、そして再会した後もずっとそうだった。
***
武具の手入れが終わると、リッシュモンは馬の様子を見に行った。
戦場の近くでは馬泥棒がよく出没する。
調教された軍馬は高値で売れるから標的にされやすい。
もちろん、騎士たちも黙ってはいない。
馬泥棒の現行犯は裁判抜きで即刻処刑しても許された。
リッシュモンが急ごしらえの厩舎を覗くと、馬番として雇った老騎士が大酒を飲んで居眠りしていた。
雨の影響で飼い葉が湿気ていたが、特に異常は見られない。
「むにゃ……誰かと思えば、ブルターニュんとこの旦那ですかい」
「夜番、ご苦労」
「旦那こそ、こんな馬糞くせぇトコロまでご苦労なことで」
馬番はリッシュモンに気づくと、くさいげっぷを吐きながら「明日は晴れるでしょうよ」と言った。
「そうか」
「旦那はクソまじめでお高く止まっているように見えるが、根はいい人だな」
「何のことだ」
「へへ、旦那はイイ奴だからよぉ、人生の先輩たる俺さまがイイことを教えてやろう。『不名誉よりも死を』とかいう信条は捨てちまいな」
不名誉よりも死を。
これはブルターニュの家訓だった。
偉大な先祖の名誉に傷をつけるくらいなら死ねという苛烈なスローガンだ。
「……何のことだ」
「うぇっへっへっへ……」
馬番の老騎士は、生臭い息をわざとリッシュモンに吹きかけて笑った。
むせ返るようにくさいのは雨のせいだけではないだろう。
酒の匂いと汗の匂い、馬糞の匂いとゲロの匂いが立ちこめている。
戦いが始まれば、さらに血の匂いが混ざる。
「旦那よぉ、しらばっくれるんじゃねぇよ……」
酔っているせいか、老騎士は饒舌だった。
「名誉で腹が膨れるか? 足が治せるか? 腕はどうだ? 傷の痛みを消してくれるか? ……んなことはあり得ねぇ。名誉は医者じゃねぇんだ。名誉っていうのは、言葉だ。空気だ。見えやしねぇ。見えねぇモンを後生大事にしている奴は死人だけだ」
老騎士は、酒くさくて汗くさかった。
言葉づかいは汚く、舌足らずで、どことなくウェールズ訛りにも聞こえた。
「私は生きている」
「この先も生き延びてぇなら、名誉は捨てな」
うさんくさい老騎士はげらげら笑うと、げっぷと屁を置き土産にしてまた寝てしまった。
こまごました雑用は、下っ端の従騎士や小姓・その他従者の仕事だったが、その夜はリッシュモン自身が率先してやっていた。
雑念を振り払いたいときは何かに集中していた方が気が紛れるものだ。
周辺の村に、略奪の爪痕があった。
略奪者たちの目的は人命を奪うことではない。
だから、無駄に抵抗しないで食料を明け渡した方がいくらかマシだ。
それでも、若い女性がいれば襲われるのが常であり、戦闘で気が高ぶった男たちが余興として殺戮を楽しむこともよくあった。
村人は、地下室に隠れたり、家畜を連れて人里離れた山小屋へ避難した。
身を守るために自警団を結成し、時には農具を武器がわりにして戦いながら逃げる。
略奪者が去ると、人々は荒らされた村へ戻ってくる。
破壊された家、奪われた食料、逃げ遅れた知り合いの死体と対面することになる。
思ったより「収穫」が少ないと、略奪者は嫌がらせに火を放っていく。
一帯を治める領主や王侯貴族、あるいは教区の聖職者が、被害にあった村と村人を保護しなかった場合、人々は棄民となり、村は廃墟と化す。
イングランドが選んだ「焦土作戦」と「現地調達」は、それを積極的にやることを意味する。
***
もうすぐ10月が終わる。
この秋に収穫したばかりの作物を奪われ、寒さと風雨をしのぐ家屋を壊されて、村人たちはこの冬を越すことができるだろうか。
(しかも、今夜は嵐だ)
リッシュモンは若い騎士だが、年齢のわりに達観していた。
略奪被害を目の当たりにして気の毒に思うことはあっても、動揺したり感傷にふけることはなかった。
だが、自分が率いる小部隊では略奪を禁じた。
「食料や物資が必要なら、力づくで奪うのではなく買い取るように」
そのように言い含めて、対価の金銭を惜しまずに与えた。
部下がいつもの癖で物を盗んだときは叱責して取り上げた。
そして、リッシュモンみずから持ち主に返しに行き、部下の不始末を詫びた。
上官や同僚の騎士たちは、リッシュモンのことを「まじめすぎる変わり者」だと言ってからかった。
イングランド軍が特別に乱暴だったわけではなく、フランスでもその他の国でも戦地の略奪はどこでも見られた。
みずから率先して略奪しなくても、必要悪だと考える者が大半だった。
被害者でもないのに、自費を負担してまで略奪を止めようと考える者はいなかった。
この世は弱肉強食だ。
力を振るい、土地や物や女を奪い取ることは強者の証明だった。
騎士道物語は、騎士の乱暴狼藉を抑えこむために生まれたとも言える。
聖書と同じように道徳を説いたのだ。
リッシュモンは実力者だが変わり者だった。
誰に何を言われようと決して信条を曲げない。
そして、大義のために犠牲を厭わない。
私と出会う前から、そして再会した後もずっとそうだった。
***
武具の手入れが終わると、リッシュモンは馬の様子を見に行った。
戦場の近くでは馬泥棒がよく出没する。
調教された軍馬は高値で売れるから標的にされやすい。
もちろん、騎士たちも黙ってはいない。
馬泥棒の現行犯は裁判抜きで即刻処刑しても許された。
リッシュモンが急ごしらえの厩舎を覗くと、馬番として雇った老騎士が大酒を飲んで居眠りしていた。
雨の影響で飼い葉が湿気ていたが、特に異常は見られない。
「むにゃ……誰かと思えば、ブルターニュんとこの旦那ですかい」
「夜番、ご苦労」
「旦那こそ、こんな馬糞くせぇトコロまでご苦労なことで」
馬番はリッシュモンに気づくと、くさいげっぷを吐きながら「明日は晴れるでしょうよ」と言った。
「そうか」
「旦那はクソまじめでお高く止まっているように見えるが、根はいい人だな」
「何のことだ」
「へへ、旦那はイイ奴だからよぉ、人生の先輩たる俺さまがイイことを教えてやろう。『不名誉よりも死を』とかいう信条は捨てちまいな」
不名誉よりも死を。
これはブルターニュの家訓だった。
偉大な先祖の名誉に傷をつけるくらいなら死ねという苛烈なスローガンだ。
「……何のことだ」
「うぇっへっへっへ……」
馬番の老騎士は、生臭い息をわざとリッシュモンに吹きかけて笑った。
むせ返るようにくさいのは雨のせいだけではないだろう。
酒の匂いと汗の匂い、馬糞の匂いとゲロの匂いが立ちこめている。
戦いが始まれば、さらに血の匂いが混ざる。
「旦那よぉ、しらばっくれるんじゃねぇよ……」
酔っているせいか、老騎士は饒舌だった。
「名誉で腹が膨れるか? 足が治せるか? 腕はどうだ? 傷の痛みを消してくれるか? ……んなことはあり得ねぇ。名誉は医者じゃねぇんだ。名誉っていうのは、言葉だ。空気だ。見えやしねぇ。見えねぇモンを後生大事にしている奴は死人だけだ」
老騎士は、酒くさくて汗くさかった。
言葉づかいは汚く、舌足らずで、どことなくウェールズ訛りにも聞こえた。
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