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第四章〈王太子デビュー〉編
53 宮廷の洗礼(5)侍従長の怪
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父王シャルル六世との面会が終わり、私はまた馬車に揺られていた。
王宮は建物ひとつではない。敷地内を馬車で移動しなければならないほど広大で、たくさんの城館があった。
(今日は、いろいろあったなぁ)
護衛隊長シャステルが同乗していたが、私は疲労困憊で人目を気にする余裕がなかった。
王宮入りしてから馬車の車窓を塞いでいないのに、景色を楽しむ気分になれない。
目に映る光景をただぼんやりと見ていた。
ぐったりとだらしない態度は、王太子にふさわしくない。
だが、シャステルは何も言わなかった。
王宮にはいくつも城館があり、白亜の外壁と青い屋根瓦で統一されている。
中でも、私の住まいとなる王太子専用の城館はひときわ新しかった。
以前はセーヌ川の中州・シテ島に建っていたが、暴動で荒らされた契機に安全面を見直して王宮内に移築したのだとか。
下車するとき、先に下りたシャステルが手を差し伸べてくれた。
私の足元が少々おぼつかないとしても、馬車の乗降くらい人手を借りなくてもできる。
だが、このときの私はよほど疲れていたらしい。男性にしては痩せているのに、なんだか体がとても重くて、誰かに支えて欲しい気分だった。
少し逡巡すると、私はシャステルの手を掴んだ。
「ありがとうございます」
気が緩みすぎたのか、アルマニャック伯から「丁寧すぎる態度を改めるように」と忠告されたのに、うっかり言ってしまった。
シャステルはふっと苦笑したが、咎めることはなく、気さくな口調で「今日はお疲れさまでした」とねぎらってくれた。
「旅の日程は順調でしたが、心身ともにさぞお疲れだろうと存じます。無理もありません。思いがけないハプニングもございましたから」
母妃のことを言っているのだろうか。それとも、父王だろうか。
私は力なく微笑んだ。
「今日からこの城館が王太子殿下のお住まいとなります。建物はもちろん、家具から小物まですべて王太子殿下のものですが、案内は明日以降にしましょう。今日のところは、ひとまず旅装を解いてごゆるりとなさいませ」
シャステルにそう言われて、心の底からほっとした。
「うん、そうさせてもらう」
「本日最後のお務めとして、侍従長と顔合わせだけしていただきます。もう少しだけご辛抱ください」
王太子専属の侍従長が待っているらしい。
これから生活全般の世話をしてもらうから、すぐに会っておかなくてはならない。
「わかった」
うなずきながらも、ため息が漏れた。
***
話題の侍従長は、すでに居室で待機していた。
「このたび、宰相アルマニャック伯より直々に侍従長のお役目を仰せつかりました。若輩者ですが、何とぞよろしくお願い申し上げます」
真新しいすみれ色の服を着ている。アルマニャック派のシンボルカラーだ。
侍従長と聞いて老執事のような人物を想像していたが、ずいぶんと若い。
私とあまり年齢が変わらないように見えた。
「出迎え、大義である……」
ねぎらいの定型文を言いかけて、私は用意された椅子に座るのも忘れてぽかんとした。
侍従長は、私の顔を見るとにやーっと含みのある笑みを浮かべ、まるで舞台役者のように大げさに一礼した。
「申し遅れました。私めの名前は、ジャン・ドルレアン、またの名をジャン・ダンギャンと申しますが、宮廷ではデュノワ伯とお呼びください」
顔を上げた侍従長デュノワ伯——ジャンは、いたずらっこのように笑った。
(※)第四章〈王太子デビュー〉編、完結。
王宮は建物ひとつではない。敷地内を馬車で移動しなければならないほど広大で、たくさんの城館があった。
(今日は、いろいろあったなぁ)
護衛隊長シャステルが同乗していたが、私は疲労困憊で人目を気にする余裕がなかった。
王宮入りしてから馬車の車窓を塞いでいないのに、景色を楽しむ気分になれない。
目に映る光景をただぼんやりと見ていた。
ぐったりとだらしない態度は、王太子にふさわしくない。
だが、シャステルは何も言わなかった。
王宮にはいくつも城館があり、白亜の外壁と青い屋根瓦で統一されている。
中でも、私の住まいとなる王太子専用の城館はひときわ新しかった。
以前はセーヌ川の中州・シテ島に建っていたが、暴動で荒らされた契機に安全面を見直して王宮内に移築したのだとか。
下車するとき、先に下りたシャステルが手を差し伸べてくれた。
私の足元が少々おぼつかないとしても、馬車の乗降くらい人手を借りなくてもできる。
だが、このときの私はよほど疲れていたらしい。男性にしては痩せているのに、なんだか体がとても重くて、誰かに支えて欲しい気分だった。
少し逡巡すると、私はシャステルの手を掴んだ。
「ありがとうございます」
気が緩みすぎたのか、アルマニャック伯から「丁寧すぎる態度を改めるように」と忠告されたのに、うっかり言ってしまった。
シャステルはふっと苦笑したが、咎めることはなく、気さくな口調で「今日はお疲れさまでした」とねぎらってくれた。
「旅の日程は順調でしたが、心身ともにさぞお疲れだろうと存じます。無理もありません。思いがけないハプニングもございましたから」
母妃のことを言っているのだろうか。それとも、父王だろうか。
私は力なく微笑んだ。
「今日からこの城館が王太子殿下のお住まいとなります。建物はもちろん、家具から小物まですべて王太子殿下のものですが、案内は明日以降にしましょう。今日のところは、ひとまず旅装を解いてごゆるりとなさいませ」
シャステルにそう言われて、心の底からほっとした。
「うん、そうさせてもらう」
「本日最後のお務めとして、侍従長と顔合わせだけしていただきます。もう少しだけご辛抱ください」
王太子専属の侍従長が待っているらしい。
これから生活全般の世話をしてもらうから、すぐに会っておかなくてはならない。
「わかった」
うなずきながらも、ため息が漏れた。
***
話題の侍従長は、すでに居室で待機していた。
「このたび、宰相アルマニャック伯より直々に侍従長のお役目を仰せつかりました。若輩者ですが、何とぞよろしくお願い申し上げます」
真新しいすみれ色の服を着ている。アルマニャック派のシンボルカラーだ。
侍従長と聞いて老執事のような人物を想像していたが、ずいぶんと若い。
私とあまり年齢が変わらないように見えた。
「出迎え、大義である……」
ねぎらいの定型文を言いかけて、私は用意された椅子に座るのも忘れてぽかんとした。
侍従長は、私の顔を見るとにやーっと含みのある笑みを浮かべ、まるで舞台役者のように大げさに一礼した。
「申し遅れました。私めの名前は、ジャン・ドルレアン、またの名をジャン・ダンギャンと申しますが、宮廷ではデュノワ伯とお呼びください」
顔を上げた侍従長デュノワ伯——ジャンは、いたずらっこのように笑った。
(※)第四章〈王太子デビュー〉編、完結。
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