7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)

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第六章〈王太子の受難〉編

6.3 皇帝の仲裁(1)

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 少し時間を戻そう。
 アジャンクールの戦い、すなわち百年戦争が再開して2年の月日が流れた。
 イングランドは戦勝国の権利としてあらためてフランス王位を要求したが、しばらく大きな動きを見せなかった。
 長すぎる戦いは西欧全体の懸念となり、第三勢力が仲裁に乗り出したのだ。

「いくら何でも、王位を要求するのはやり過ぎではないかね」

 フランスの西海岸の海峡を渡るとイングランドとスコットランドが、フランスの東の内陸を進むと神聖ローマ帝国がある。
 ときの皇帝の名はジギスムント。
 ルクセンブルク家出身の皇帝で、ローマ王、ルクセンブルク公、ブランデンブルク選帝侯、ハンガリー王、ボヘミア王などを兼任している。
 読者諸氏にとって神聖ローマ皇帝といえばハプスブルク家だろうが、このころはまだ一地方の貴族に過ぎない。
 皇帝ジギスムントは、フランスに同情的だった。

「もともとフランス王国と神聖ローマ帝国はひとつの国であった。余はフランス王の味方である。イングランド王に話をつけてこよう」

 西欧社会において、聖職者の最高権威がローマ教皇で、世俗君主の頂点に君臨するのが神聖ローマ皇帝だ。
 教皇と皇帝、二大権威を味方につけたら怖いものなしだ。
 皇帝ジギスムントは、親フランスを表明するとさっそくイングランドへ渡った。

「皇帝陛下におかれましては、このような辺境の島国まではるばるお越しいただき恐悦至極に存じます」

 イングランド王ヘンリー五世は恐縮してみずから皇帝一行を出迎え、宮廷の威信をかけて歓迎し、国を挙げてもてなした。
 帝国は内陸にあるから、海に囲まれた島国の風土が珍しかったのだろう。
 皇帝一行はずいぶん長く逗留し、連日の物見遊山に明け暮れた。
 フランス宮廷は、交渉のゆくえを固唾をのんで見守っていた。



***



「戻ったぞ!」
「ご帰還、お待ちしておりました!」

 イングランドから帝国へ帰るにはフランスを通過しなければならない。
 ジギスムントはパリへ立ち寄り、フランスの宮廷で接待を受けた。

「ヘンリーはな、思ったよりいい奴だったぞ!」
「……それはようございました」

 ジギスムントは機嫌がよく、饒舌によくしゃべった。
 だが、肝心の話がなかなか始まらない。

「恐れながら申し上げます」
「うむ、申してみよ。みやげ話ならたんとあるぞ」
「例の、仲裁交渉の首尾はいかがでしたか」
「え?」
「え?」

 ヘンリーの歓待にすっかり気を良くしたジギスムントは、なんと和平交渉の仲裁を完全に忘れていた。ひたすら贅沢にもてなされて、何もしないで帰ってきた。

「何もしなかった訳ではない。これを見よ!」

 ジギスムントが外套をはだけると、左足に真新しい勲章がついていた。
 青い生地に金糸の刺繍で「悪意を抱く者に災いあれ」と記してある。

「こ、これはガーター勲章ではありませんか!」
「いかにも!」

 14世紀に始まった騎士道物語ブームは西欧全体に広まり、子供から大人まで騎士の英雄譚にあこがれた。
 世俗君主の頂点に君臨するジギスムントも例外ではなかった。

「ヘンリーは余のために騎士団を遣わそうと約束してくれた。そして、同じ騎士団員の証しとしてこの勲章を授かったのだ!」

 ジギスムントは得意げだったが、フランス宮廷としては看過できない。
 イングランド王が率いるガーター騎士団と、騎士団員の証しであるガーター勲章は、アーサー王の円卓の騎士になぞらえて創設された。
 騎士団のスローガン「悪意を抱く者に災いあれ」とは、百年戦争を最初に吹っかけたエドワード三世がフランス王を名乗ることを「道理を踏み外した悪である」と批判する者に対して「災いあれ」と呪ったことが始まりであった。

「余は騎士になった!!」
「な、なんと!」
「驚いたか」
「驚きました……」

 ジギスムントに悪意がないとしても、ヘンリーはしたたかだった。
 言葉巧みに、皇帝にこのイワクツキの勲章を授けた。
 帰りにフランス宮廷へ立ち寄ることを見越した行為だろう。
 フランスを愚弄するに等しい。

「あぁ、次の十字軍遠征が楽しみだ……」

 ジギスムント自身も、帝国に自前の騎士団を創設している。
 ドラゴン騎士団と命名し、日ごろから「エルサレムに行く」と息巻いている。

「ヘンリーは次の十字軍遠征に参加すると言っていたぞ」
「ヘンリーが軍を率いて来ると?」
「うむ。そして、余のドラゴン騎士団とともに戦うと約束してくれた」

 つまり、ヘンリー五世は十字軍遠征を口実にフランスに侵入するとも解釈できる。
 最悪の想定としては、ヘンリーとジギスムントが共闘してフランスを東西から挟撃する可能性さえあり得る。
 フランス側の気も知らず、ジギスムントはのんきに話を続けた。

「こうなったからには、できるだけ早く教会大分裂シスマを解決しないとなぁ」

 このころ、複数の聖職者が「ローマ教皇」を名乗る異常事態になっていた。
 信徒たちは誰の言葉に耳を傾けるべきか大いに迷い、教会組織は分裂していた。
 近ごろは、十字軍を組織しようにも人数が分散してちっとも集まらない。
 ジギスムントは早くも、騎士道物語の英雄として語り継がれる未来を夢想していた。
 夢を叶えるには、教会の分裂と混乱を収めなければならない。

「ふぅ、英雄への道は険しいな……」

 ジギスムントはうっとりと悩ましげにため息をついた。
 一方で、皇帝の話を聞いているフランス宮廷の面々は青ざめ、息が詰まるようだった。

「いいことを思いついた。先に宮廷詩人を呼びつけて、余の英雄譚を書かせよう。誰か、巧みな詩をうたう詩人を知らぬか?」

 ジギスムントは能天気だった。
 おかげでヘンリーの巧妙なからくりに気づいていない。
 言いにくいことだが、誰かが言わなければならない。

「恐れながらお尋ねします」

 仲裁の交渉、王位のゆくえ、ロンドン塔の人質のこと。
 フランスとしては、言いたいことが山ほどある。
 だが、難しい話をしてジギスムントの機嫌を損ね、皇帝が親イングランドを表明したらフランスの立場はますます危うくなる。
 まずは、ヘンリーは油断ならない人物であると知らしめなければならない。

「皇帝陛下は、ヘンリーの騎士団に加入したのでしょうか」
「そうだ」
「剣を肩にぱしっと当てるアレ……」
「そう、アレだ」

 騎士道物語のお約束のアレ。
 臣従儀礼のひとつで、騎士に叙任するあの儀式は——

「つまり、皇帝陛下はヘンリーに臣従なさったのですか?」
「え?」

 騎士はみんなのあこがれ。英雄に違いないが忘れてはならない。
 騎士とは、君主に仕える「臣下」の身分である。
 イングランドが創設した騎士団の団員になり、ヘンリーから勲章を授けられるとは、すなわちイングランド王ヘンリー五世のもとに臣従したことを意味する。
 君主の頂点たる皇帝が、格下の王に臣従するなど前代未聞だ。

「なるほど、ヘンリーにしてやられたな。噂どおりの狡猾さだ」

 ジギスムントはそそくさと外套を着込み、ガーター勲章を隠した。

「この件は内密に願いたい。神聖ローマ皇帝の威厳に関わるのでな」
「そのようで……」
「詩人も呼ばなくていいから」
「御意……」

 神聖ローマ皇帝ジギスムントは、足早にフランスから去っていった。
 仲裁・和平交渉は失敗した。
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