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第七章〈王太子の都落ち〉編
7.10 宿屋の女将(1)貴族の見分け方
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夜は短く、昼が長い季節だったためか、ライルは晴れている日は野宿を好み、私とシャステルは宿に泊まった。
だが、町での交渉ごとはライルが引き受けた。
「よぅ、主人か女将はいるか」
「あんたは誰だい? ここらじゃ見ない顔だね」
兄たちがみな他界し、末弟の私が王太子となってアンジューからパリへ連れ戻された。一年前のことだ。
あのときは、王家の紋章フルール・ド・リスとイルカを模した王太子の紋章を掲げて、威厳を振りまきながら旅をした。
いまは身分を隠し、わずか二人の供に守られながら逆の道を辿っている。
クーデターの混乱で、地方貴族の動向は不透明だ。
本来なら味方のアルマニャック派貴族であっても、身内がブルゴーニュ派の人質になっていたら寝返るかもしれない。
「見てのとおり、しがない旅人ってやつだぜ」
「旅人ねぇ。あんたは商人にも吟遊詩人にも見えないけどねぇ」
「俺様は商人でも吟遊詩人でもねぇよ。いろいろワケありでよぉ……ところで、大衆食堂にしてはデカい建物だけどここって宿屋もやってんのかい?」
私たち一行は、地方貴族・領主が所有する城館に立ち寄ることを控えて、できるだけ町の宿を利用した。
もし城主がブルゴーニュ派に鞍替えしていたら、敵の手中に飛び込むも同然。
ならば、強固な城よりも町家の方がいくらか安全だ。
人が多い場所は隠れるのにうってつけ、目くらましにもなる。
「食事が目当てなら来るものは拒まず。宿もやってるけどね、あんたみたいに貧乏そうな奴と乱暴者はお断りだよ」
「あんだと? 犯すぞテメェ!」
「カラダ目的の商売はお断りだね。あたしを舐めんじゃないよ。おととい来やがれ!」
キレやすく遠慮を知らないライルの性格は、ときどき無用のトラブルを引き起こした。
「下僕が失礼いたしました」
「いてぇ! ガントレットつけたまんま殴るな!」
「いい気味だわよ。ご立派な騎士さま、従者を雇うときはよくよく選んだ方がいい」
結局、シャステルがあらためて交渉することになった。
「じつは、私どもの主人が今夜の宿をもとめている。空室があるならご用意願いたいのだが」
「そうそう、名前の言えない偉すぎる坊ちゃんがな!」
「やかましい!」
滞在中、シャステルの指示で私はできるだけ人目に触れぬように宿の個室に引きこもっていた。
シャステルとライルのどちらかが私の世話と護衛を務め、もうひとりは旅に必要な物資を調達しに出かけた。
食事の時は、必ずシャステルがついて給仕をしてくれた。
ライルは腕っぷしは確かだが、学がなく、礼節を知らず、こまやかな給仕の技能を持ち合わせていない。
町の宿屋は食堂を兼ねているため、ライルは外で気兼ねなく食事を摂っているようだ。
落ち着く暇がないのはシャステルだろう。
護衛は体力勝負なのだから、休めるときに休み、遠慮なく食べるようにと促しても、シャステルは私と同席して食事をしたり眠ることをことをかたくなに拒んだ。
人目がある所では普通の従者の振りをしたが、王太子と護衛隊長という一線を決してくずさなかった。
宿代を弾めば、宿屋の女将が給仕役をしてくれる。
シャステルにも休息が必要だと説得して、一度だけ世話役を頼んだ。
「ねぇ、坊ちゃんはどこかの名のある貴族サマの若君じゃないのかい?」
悪気はないのだろうが、ここの女将は給仕をしながらおしゃべりをする。
「女将、詮索はご無用願いたい」
「あたしには分かるんだよ。偉いご身分の貴族サマは食べ方からして違うからね」
シャステルが釘を刺してもおかまいなしで、根掘り葉掘りと素性を詮索しようとする。
女将が言うには、庶民はナイフを使うことさえ面倒くさがり、両手の五本指をつかって肉を引きちぎっては口に放り込み、肉汁と酒とツバを飛ばしながらがつがつと食らうらしい。
「だけどね、あたしは知ってるよ。うんと偉いホンモノの貴族サマは、ナイフで一口大に切り分けてから、三本の指だけで上品に召し上がる。指先をべろべろと舐めたりしないのに手を汚さないんだよ。ほら、坊ちゃんの食べ方がそのまんまだ」
私は話に耳を傾けながらも無言をつらぬいた。
女将は話好きらしく、構わずに喋り続けた。「汚い食べ方をされると後片付けが大変なんだよ」と愚痴をこぼしているが、いまは女将のツバが飛び交っていて気が気ではない。
「たまに自称貴族が来るけどね。あたしにかかれば、食べてるトコ見れば一発で分かるからね! ホンモノの貴族サマは気前がいいし、むやみに物を汚さないから大歓迎だよ」
女将の経験談によると、自称貴族は「お忍びの旅」だと言いながら、これ見よがしに紋章をひけらかし、貴族にふさわしい豪勢な食事と高価な酒を出すように要求し、宿代を「従者があとで払いにくる」と言って踏み倒すのがお決まりのパターンだとか。
だから、貴族を自称する客が来たときは詐欺師だと疑ってかかるそうだ。
「あのライルとかいう品のカケラもない男が『名前の言えない偉すぎる坊ちゃん』と言い出したときは、ニセ貴族の詐欺師一行だと思ったけどね。若い坊ちゃん、あんたは間違いなくホンモノだね!」
私たちは素性を隠しているから、詐欺師一行というのもあながち間違いではない。
普通の人々に紛れようとしているのに、あまり上手くいっていないようだ。
(五本指で肉を引きちぎってがつがつと……指先をべろべろ舐める……)
つい、食事の手が止まってしまった。
今さら食事の作法を変えても、かえって怪しまれるだけだろう。
シャステルが「もし、我々がニセ貴族だったらどうする」と女将に尋ねた。
「とっちめて、ふんじばって、朝になったら宿屋ギルドに引き渡してやるよ。あたしは坊ちゃんだって容赦しないよ。宿代がないなら売り飛ばしてやるさ」
さらりと恐ろしいことを言う。
食堂と宿屋を兼業しながら人身売買にもツテがあるとは恐れ入る。
だが、よくよく思い返してみれば、兄が王太子として健在だったときにパリの食肉ギルドが主導してカボシュの乱が起きている。
反乱の黒幕はブルゴーニュ公だが、どうやら職業ギルドは裏稼業にも通じているようだ。
「女将よ、さすがに冗談が過ぎる」
「あっはっは、どうだかねぇ。でもまぁ、宿代さえ気前よく払ってくれればホンモノでもニセモノでもどっちでもいいけどね」
女将はからからと笑った。人がいいのか、食えない人物なのか。
食後、シャステルは「部外者を給仕役にするのはこれきりにしましょう」と警戒心をあらわにした。
***
翌朝、身支度を済ませて出立しようとすると、シャステルと女将が何事か揉め始めた。
「ニセ貴族め! あやうくだまされるところだったよ!」
「言いがかりだ。だましているのはお前たちではないのか!」
「話にならない。ギルドまで来てもらおうか」
シャステルと女将と、あともうひとりは宿屋の主人の声だろうか。
突如、個室の扉が乱暴に開かれると、恐ろしい形相の女将が私を指差した。
「こんな年頃の子供まで使って! ずいぶんと手の込んだニセ貴族だよ!」
女将の背後から、宿屋の主人らしき男が手を伸ばしてきた。
「さあ、来るんだ。正体を暴いてやる」
「無礼者め!」
宿屋の使用人に阻まれながらも、シャステルが剣の柄に手をかけた。
「シャステル、控えるんだ!」
このような場所で流血騒ぎを起こしてはならない。とっさに叫んだ。
主君の命令に反応してシャステルの動作が一瞬遅れ、その隙に宿屋の主人は私の手首を捕まえた。
(どうやら、私の命運はここで尽きるようだ)
私は天を仰いだが、宿屋の天井しか見えなかった。
もしかしたら、トラブルメーカーはライルではなく私なのかもしれない。
早朝の宿屋は混乱を極めていた。
だが、町での交渉ごとはライルが引き受けた。
「よぅ、主人か女将はいるか」
「あんたは誰だい? ここらじゃ見ない顔だね」
兄たちがみな他界し、末弟の私が王太子となってアンジューからパリへ連れ戻された。一年前のことだ。
あのときは、王家の紋章フルール・ド・リスとイルカを模した王太子の紋章を掲げて、威厳を振りまきながら旅をした。
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クーデターの混乱で、地方貴族の動向は不透明だ。
本来なら味方のアルマニャック派貴族であっても、身内がブルゴーニュ派の人質になっていたら寝返るかもしれない。
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私たち一行は、地方貴族・領主が所有する城館に立ち寄ることを控えて、できるだけ町の宿を利用した。
もし城主がブルゴーニュ派に鞍替えしていたら、敵の手中に飛び込むも同然。
ならば、強固な城よりも町家の方がいくらか安全だ。
人が多い場所は隠れるのにうってつけ、目くらましにもなる。
「食事が目当てなら来るものは拒まず。宿もやってるけどね、あんたみたいに貧乏そうな奴と乱暴者はお断りだよ」
「あんだと? 犯すぞテメェ!」
「カラダ目的の商売はお断りだね。あたしを舐めんじゃないよ。おととい来やがれ!」
キレやすく遠慮を知らないライルの性格は、ときどき無用のトラブルを引き起こした。
「下僕が失礼いたしました」
「いてぇ! ガントレットつけたまんま殴るな!」
「いい気味だわよ。ご立派な騎士さま、従者を雇うときはよくよく選んだ方がいい」
結局、シャステルがあらためて交渉することになった。
「じつは、私どもの主人が今夜の宿をもとめている。空室があるならご用意願いたいのだが」
「そうそう、名前の言えない偉すぎる坊ちゃんがな!」
「やかましい!」
滞在中、シャステルの指示で私はできるだけ人目に触れぬように宿の個室に引きこもっていた。
シャステルとライルのどちらかが私の世話と護衛を務め、もうひとりは旅に必要な物資を調達しに出かけた。
食事の時は、必ずシャステルがついて給仕をしてくれた。
ライルは腕っぷしは確かだが、学がなく、礼節を知らず、こまやかな給仕の技能を持ち合わせていない。
町の宿屋は食堂を兼ねているため、ライルは外で気兼ねなく食事を摂っているようだ。
落ち着く暇がないのはシャステルだろう。
護衛は体力勝負なのだから、休めるときに休み、遠慮なく食べるようにと促しても、シャステルは私と同席して食事をしたり眠ることをことをかたくなに拒んだ。
人目がある所では普通の従者の振りをしたが、王太子と護衛隊長という一線を決してくずさなかった。
宿代を弾めば、宿屋の女将が給仕役をしてくれる。
シャステルにも休息が必要だと説得して、一度だけ世話役を頼んだ。
「ねぇ、坊ちゃんはどこかの名のある貴族サマの若君じゃないのかい?」
悪気はないのだろうが、ここの女将は給仕をしながらおしゃべりをする。
「女将、詮索はご無用願いたい」
「あたしには分かるんだよ。偉いご身分の貴族サマは食べ方からして違うからね」
シャステルが釘を刺してもおかまいなしで、根掘り葉掘りと素性を詮索しようとする。
女将が言うには、庶民はナイフを使うことさえ面倒くさがり、両手の五本指をつかって肉を引きちぎっては口に放り込み、肉汁と酒とツバを飛ばしながらがつがつと食らうらしい。
「だけどね、あたしは知ってるよ。うんと偉いホンモノの貴族サマは、ナイフで一口大に切り分けてから、三本の指だけで上品に召し上がる。指先をべろべろと舐めたりしないのに手を汚さないんだよ。ほら、坊ちゃんの食べ方がそのまんまだ」
私は話に耳を傾けながらも無言をつらぬいた。
女将は話好きらしく、構わずに喋り続けた。「汚い食べ方をされると後片付けが大変なんだよ」と愚痴をこぼしているが、いまは女将のツバが飛び交っていて気が気ではない。
「たまに自称貴族が来るけどね。あたしにかかれば、食べてるトコ見れば一発で分かるからね! ホンモノの貴族サマは気前がいいし、むやみに物を汚さないから大歓迎だよ」
女将の経験談によると、自称貴族は「お忍びの旅」だと言いながら、これ見よがしに紋章をひけらかし、貴族にふさわしい豪勢な食事と高価な酒を出すように要求し、宿代を「従者があとで払いにくる」と言って踏み倒すのがお決まりのパターンだとか。
だから、貴族を自称する客が来たときは詐欺師だと疑ってかかるそうだ。
「あのライルとかいう品のカケラもない男が『名前の言えない偉すぎる坊ちゃん』と言い出したときは、ニセ貴族の詐欺師一行だと思ったけどね。若い坊ちゃん、あんたは間違いなくホンモノだね!」
私たちは素性を隠しているから、詐欺師一行というのもあながち間違いではない。
普通の人々に紛れようとしているのに、あまり上手くいっていないようだ。
(五本指で肉を引きちぎってがつがつと……指先をべろべろ舐める……)
つい、食事の手が止まってしまった。
今さら食事の作法を変えても、かえって怪しまれるだけだろう。
シャステルが「もし、我々がニセ貴族だったらどうする」と女将に尋ねた。
「とっちめて、ふんじばって、朝になったら宿屋ギルドに引き渡してやるよ。あたしは坊ちゃんだって容赦しないよ。宿代がないなら売り飛ばしてやるさ」
さらりと恐ろしいことを言う。
食堂と宿屋を兼業しながら人身売買にもツテがあるとは恐れ入る。
だが、よくよく思い返してみれば、兄が王太子として健在だったときにパリの食肉ギルドが主導してカボシュの乱が起きている。
反乱の黒幕はブルゴーニュ公だが、どうやら職業ギルドは裏稼業にも通じているようだ。
「女将よ、さすがに冗談が過ぎる」
「あっはっは、どうだかねぇ。でもまぁ、宿代さえ気前よく払ってくれればホンモノでもニセモノでもどっちでもいいけどね」
女将はからからと笑った。人がいいのか、食えない人物なのか。
食後、シャステルは「部外者を給仕役にするのはこれきりにしましょう」と警戒心をあらわにした。
***
翌朝、身支度を済ませて出立しようとすると、シャステルと女将が何事か揉め始めた。
「ニセ貴族め! あやうくだまされるところだったよ!」
「言いがかりだ。だましているのはお前たちではないのか!」
「話にならない。ギルドまで来てもらおうか」
シャステルと女将と、あともうひとりは宿屋の主人の声だろうか。
突如、個室の扉が乱暴に開かれると、恐ろしい形相の女将が私を指差した。
「こんな年頃の子供まで使って! ずいぶんと手の込んだニセ貴族だよ!」
女将の背後から、宿屋の主人らしき男が手を伸ばしてきた。
「さあ、来るんだ。正体を暴いてやる」
「無礼者め!」
宿屋の使用人に阻まれながらも、シャステルが剣の柄に手をかけた。
「シャステル、控えるんだ!」
このような場所で流血騒ぎを起こしてはならない。とっさに叫んだ。
主君の命令に反応してシャステルの動作が一瞬遅れ、その隙に宿屋の主人は私の手首を捕まえた。
(どうやら、私の命運はここで尽きるようだ)
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