7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)

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第八章〈殺人者シャルル〉編

8.2 訃報(2)沐浴と慰め

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 その晩は客間ゲストルームではなく、以前使っていた私室へ通された。
 ヨランドの計らいで、食事、着替え、沐浴の支度などが用意されていたが、私はベッドへ倒れ込むと意識を失い、泥のように眠った。

 目覚めると、かなり日が高い。

「おはようございます。奥様の提案で、沐浴をなさってはいかがかと」
「あぁ、うん……」

 何か考えるいとまもなく、世話役のボーボー夫人に促されるままに、長旅の疲れと汚れを落とすべく体を清めることにした。
 アンジェ城の近くにはメーヌ湖があり、この辺り一帯は水の豊富な地域だ。
 事前に準備していたのだろう、すぐに支度が整えられた。

(いい匂いがする)

 庭園の花を摘んだのか、水面には色とりどりの花びらが浮かんでいる。
 爽やかな水に体を沈めるとほのかに花の香りがした。

 この物語を読んでいる読者諸氏は、中世ヨーロッパに入浴習慣がないと思っているかもしれないが大きな誤解だ。
 教会には洗礼の習慣があり、特に昔ながらの浸水式洗礼では体全体を水に沈めて禊をおこなう。
 伝統的な教会施設には沐浴するための専用室があり、人ひとりが入れる大きさの洗礼盤もある。
 王侯貴族の城には教会が併設されているから、豊富な水があるならば入浴は可能だ。
 そういった道具を持たない一般民衆は、湖や川に見張りを立てて水浴びをし、水が希少な地域では熱した石に水をかけてその蒸気で汗を流す。
 都市には、大衆向けの蒸し風呂施設を商う者もいる。

 余談だが、水浴び中に服を持ち去る犯罪は通常の盗みより重罪だった。
 裸を見る・見られることは男女に関係なく宗教上のタブーで、服を盗むことは被害者を辱める行為だからだ。

 誤解されないように申し添えておこう。
 沐浴するとき、水面に花を浮かべるのは耽美趣味ではない。
 裸体をむやみに見せないための一般的なマナーである。

(べたべたする)

 体の汗が流れると顔のベタつきが気になる。水をすくって頭からかけた。
 汗は流れたが、頭と顔に花びらが張り付いて少しうっとおしい。
 両手で濡れた前髪をかき上げながら、伸びた髪の長さに時間の経過を実感する。

(あとで切ってもらおう)

 昨夜は、アンジュー公の不幸を知って「これ以上迷惑をかけられない」とすぐにアンジェ城を発とうと思ったのに、いまはすっかりくつろいでいる。
 落ち着いてよく考えてみると、あのとき城から飛び出したところで行く当てもなく、シャステルたちを困らせるだけだ。

(みんなよく働いてくれた。彼らにも休養が必要だ)

 自分のことだけでなく、臣下のことも考えるべきだった。
 取り乱した反動だろうか、水に浸かりながらぼうっとしていると。

「王太子さま!」

 ついたて越しに、声をかけられた。

「その声はルネ?」
「はい、ルネ・ダンジューです」

 婚約者マリー・ダンジューの弟ルネだ。
 ことしで私は15歳になり、マリーは14歳でルネは9歳。
 シャルロットの愛称で呼ばれる末っ子シャルル・ダンジューは4歳になる。

「おかえりなさい。シャルロットもいますよ!」
「シャルルにいさまー」

 ついたての向こうでルネが「違うぞ、いまは王太子さまだ」とシャルロットを諭している。

「おうたいしさまー」
「やあ、シャルロット。今までどおり兄様で構わないよ」
「おうたいしにいさまー」
「あっ、シャルロット!」

 ついたての横からシャルロットが飛び出した。
 ルネが引っ張るより早く、こちらへ駆けてきてしまった。

「しゃるるにいさま! ほんもの!」

 目を丸くしている。だいぶ驚かせてしまったようだ。

「うん、本物だよ。ただいま」
「にいさま、はだかんぼ!」
「うん……」

 面と向かって言われると恥ずかしい。

「にいさま、だっこ!」
「うん、あとでね」

 さすがに、いまの無防備な状態でシャルロットを抱っこして遊ぶことはできない。

「シャルロット、兄さまは取り込み中だからこっちに戻るんだ!」
「やだ、にいさまがだっこしてくれるまでここにいる!」

 ルネが呼びかけたがシャルロットに引き返す気はないようで、水面に手を伸ばしてぱしゃぱしゃと遊び始めた。

「おはないっぱい」
「うん、きれいだね」

 私は、花の原型をとどめている一輪をすくうとシャルロットに差し出した。

「これをあげるから、ルネ兄さまのところへ戻ろう」
「やだ」
「じゃあ、もう一輪あげるから片方をルネ兄さまに渡してきてくれるかい」
「えー」
「おつかいできるかな」
「できる!」

 シャルロットは、濡れた花を受け取るとついたての向こうへ消えた。

「王太子さまはシャルロットをあやすのが上手いな。ぼくはいつも弟に振り回されてばかりで大変ですよ」

 初めてマリーとルネ姉弟にあった時、マリーは9歳でルネは4歳だった。
 ちょうど今のルネとシャルロット兄弟と同じ年齢だ。
 私は、鼻水を垂らしてはしゃいでいるルネと、弟に振り回されているマリーを知っている。

「ルネも成長したね。見えないけどわかるよ」
「任せてください、ぼくは未来のアンジュー公ですからね!」

 なにげない一言に、胸が痛んだ。

「その花は、今朝マリー姉様が庭園から摘んできたばかりなんです。いい匂いでしょう」

 沐浴用に作られた木製の桶は、意外とゆったりしていて二人くらい入れそうだ。
 水面を埋め尽くすほどたくさんの花を摘むのは大変だっただろう。

「いま、姉様も途中まで一緒に来てたんですけど、部屋の前まで来たら遠慮したみたいで引き返しちゃって」
「そうか……」
「でも、本当は姉様が一番王太子さまのことを気にかけてたんですよ」

 昨夜はひどい姿を見せてしまった。
 顔を合わせるのは気まずいと思っていたが、マリーも同じ気持ちなのかもしれない。

「母様から、王太子様の心が癒えるように慰めて差し上げなさいと言われて、ぼくもいろいろ考えたんです」

 ついたての向こうからじゃらんと弦の音が聞こえた。

「それはハープ? いや、リュートか」
「当たりです」

 リュートは異教徒の楽器だからパリの宮廷で聞くことは滅多にないが、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンの故郷・アラゴン王国にはムスリムも住んでいる。
 アラゴン経由で入手したのだろう。

「ぼくは騎士道物語が好きだったから、シャルロットに読み聞かせながら弾き語りをしてたらだんだん楽しくなってきちゃって!」

 食後の余興で、楽師に混ざって弾き語りする日もあるという。
 アンジュー公が他界し、寂しくなった城内に明るさを取り戻したかったのだろうか。

「難しい勉強も、音楽のリズムに合わせて暗唱すると覚えやすいです」
「へぇ、すごいな」
「きょうは心を込めて王太子様のために歌います」
「私のために歌を?」
「切ない愛のバラッドです。泣いても知りませんからね」

 そう宣言すると、ルネがリュートをつま弾き始めた。
 ぽろん、ぽろんと前奏を搔き鳴らし、

「Dit de la Ange Marie amoureuse...」
「おぉ……」

 リュート弾きの師となる楽師を雇っているのだろうか、なかなか上手いと思ったのもつかの間。

「ルネ、ちょっと待って!!」

 自分が入浴中だということも忘れて、思わず立ち上がってしまった。
 その瞬間、絹を引き裂くような悲鳴が聞こえた。

(いまの声は、まさか……)

 ついたての向こうで、ルネがリュートを弾きながら「おや、マリー姉さまいたんですか」とうそぶき、「馬鹿!」と弟をなじるマリーの声と走り去る足音が聞こえた。
 シャルロットがついたての横からひょこっと顔を覗かせると、つぶらな瞳をまん丸に見開きながら「にいさま、はだかんぼ!」と私を指差した。

「うわあ!!」

 私は慌てふためきながら、水に体を沈めた。

「こら、シャルロット。見ちゃダメだぞ」

 リュートの音が止み、ルネがシャルロットを抱きかかえるように引っ込めた。
 しかし、時すでに遅く、シャルロットは「見ちゃった!」と言ってけらけらと笑った。

(見られた……)

 冷たい水に浸かっているのに、顔から火を吹きそうだ。
 ルネが歌おうとした「愛の歌」とは、私がマリーに送った詩人シャルティエ監修によるラブレターだったからだ。

(ラブレターだけじゃない)

 なんかもう、いろいろ見られてしまった。
 私は恥ずかしさのあまり、穴に隠れるような気分でぶくぶくと頭まで水没したが、火照った顔はなかなか冷えなかった。
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