7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)

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第八章〈殺人者シャルル〉編

8.19 神も王も怖れない男(2)デュノワ伯救出作戦

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 無怖公ブルゴーニュ公と交わした密書は側近たちの知るところとなり、王太子ドーファンの宮廷は異論反論が噴出……ようするに、政略結婚による和平案は猛反対された。

「王太子殿下! どうかお考え直しください」
「もう決めたことだ。いまさら反故にできないよ」

 ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立はとても長く、私が生まれる以前——アルマニャック派がオルレアン派と呼ばれていた頃までさかのぼる。
 これまでに身近な縁者を犠牲にしていない者はなく、彼らは復讐を強く望んでいた。
 王太子はアルマニャック派だと思われているが、感情や意志を共有しているわけではなかった。
 私がパリの宮廷に入ってから2年も経っていないのだから。

「あぁ、アルマニャック伯が生きていればこんなことには……」

 そんな風に嘆かれると私も心が痛む。
 亡き宰相アルマニャック伯は私の話をよく聞いてくれた。
 諌められる日もあったが、基本的に私の意向を拒むことはなく、それでいて宮廷を円滑に取りまとめていた。

(いま、アルマニャック伯がここにいたらどうしていただろうか)

 私は宮廷の中心から居並ぶ重臣たちを見渡した。
 パリの宮廷と顔ぶれがだいぶ違う。アルマニャック伯に匹敵する者はいなかった。
 最終的な決定権は王太子が握っている。
 とはいえ、私は自分が若輩であることも自覚している。

「タンギ・デュ・シャステル殿!」

 和平案に賛成する者は少なかったが、王太子を直接非難するのは憚られたのだろう。
 代わりに、賛成者たちが槍玉に上がった。
 シャステルもその中のひとりだった。

「貴官は王太子殿下の護衛隊長であろう。お役目を忘れたか!」
「無怖公の甘言を諫めるべきところを……」
「殿下の身を危険にさらすなど狂気の沙汰であるぞ!」

 シャステルはアルマニャック派軍閥の古参だ。
 昔なじみの同志から非難されるのは本意ではないはずだ。
 それに、アンジェ城でアンジュー公妃ヨランド・ダラゴンと話し合った時に「ブルゴーニュ公へ報復すべきだ」と言っていた。
 そのシャステルが、無怖公との和平交渉に賛同したのは理由があった。

「まぁまぁ、皆さんどうか静粛に……」
「新参者の書記官ふぜいが口出しするな! 誰だ貴様は!」
「アラン・シャルティエと申します」
「あの詩人の? なぜ詩人が我々の宮廷にいるのだ!」

 シャルティエはアルマニャック派宮廷では新参で、保守的な重臣たちから嫌われたが、非常に有能で雄弁な書記官だった。

「シャルティエ、あれを」
「はっ!」

 シャルティエは新たな書簡を掲げた。
 和平交渉する相手はひとりではない。
 私のもとにはブルゴーニュ公以外にもいくつかの密書が届いていた。

「差出人は私の姉。ミシェル王女だ」

 父王と母妃の間にうまれた子は10人だったが、このとき生きていたのは姉王女4人と末弟の私1人だった。
 上からジャンヌ王女、マリー王女、ミシェル王女、カトリーヌ王女。
 私は親兄弟とあまり面識がないが、パリの王宮で姉王女4人と茶会をして親交を深めた。

 ミシェル王女は、ブルゴーニュ公の後継者フィリップ・ド・ブルゴーニュの妃だ。

 姉の手紙は、和平を望むという当たり障りのない内容だった。
 義父ブルゴーニュ公に命じられて、弟である王太子を懐柔するために書かれたのかと思ったが、最後に「借りたものをお返しします」と追伸が添えられていた。

「借りたものとは?」
「こちらを預かってまいりました」

 私には覚えがなかったが、ミシェル王女の使者は絹の布地を1枚差し出した。
 畳まれていた布を広げると特徴的な刺繍が施されていた。
 青地に金百合フルールドリス海獣イルカを組み合わせた紋章は、フランス王国王太子の身分をあらわす。
 絹の布地は、私の紋章入りのハンカチだった。
 私はもう一度手紙を読み返し、差出人の真意を理解した。

「パリを脱出するとき、デュノワ伯ジャンが私の代わりに王太子に成りすました。私たちは服を交換した。ポケットの中身は入れ替えていない」

 私はデュノワ伯の紋章入りハンカチを持っている。
 逃亡が終わって王太子の身分を隠す必要がなくなったので、ハンカチは大事にしまってある。
 いつか再会したときに返そうと思いながら、心のどこかで「親友の形見になるかもしれない」と悲観的なことも考えていた。

「ジャンは生きている!」

 パリで別れてから1年近く経つ。
 私と同じように、ジャンは王太子のハンカチを持っているはずだ。
 借りたものを返すとはそういう意味に違いない。
 ついに、生死不明だった親友の手がかりが見つかった。
 和平交渉の席で、私はデュノワ伯の引き渡しを求めるつもりでいた。

「水を差すようですが、デュノワ伯は本当に生きているのでしょうか」
「どういうことだ」
「殿下を呼び出すための罠かもしれません」

 ジャンはとっくに殺されていて、狡猾なブルゴーニュ公は遺品を駆け引きの材料にしているのかもしれない。あり得ない話ではなかった。

「殿下、希望的観測で判断を誤ってはなりません」
「希望的観測じゃない。証拠がある」

 ミシェル王女の手紙は、本文と追伸の筆跡が違っていた。
 重臣たちはなかなか信じられないようだったが、私は確信していた。
 幼いころから一緒に教育を受けてきた。
 ジャンの筆跡を見間違えるはずがない。

「ジャンを返してもらうためにも、ブルゴーニュ公に会わなければならない」

 先走る感情を抑えながら、できるだけ王太子らしく厳粛に語り続けた。
 デュノワ伯ジャンはシャルル・ドルレアンの異母弟で、シャルル・ドルレアンの妻はアルマニャック伯の娘ボンヌだ。

「私は私情のみで和平交渉を求めているのではない。危険だということも承知している。けれど、ジャンは——デュノワ伯はアルマニャック伯とオルレアン公の縁者でもある。生存していると知っていながら彼を見捨てることは、政略的にも道義的にも許されないだろう」

 言いたいことをすべて話して、ふぅと一息ついた。
 あらためて宮廷を見渡すと、先ほどより風向きが変わったように感じられた。

「殿下、我々にも覚えがあります。同志を救いたい思いも、救いきれない無念も……」

 アルマニャック派の重臣たちは、かねてよりオルレアン公の一族に同情的だった。
 私は彼らの復讐心になかなか共感できなかったが、その一方で、友の救出を望む切実な思いを確かに共有していた。

「しかし、無怖公には王族殺しの前科があります」
「王弟オルレアン公……」
「左様。殿下の叔父上であり、デュノワ伯の父君でもあります」

 宮廷の風向きは、元に戻りかけていた。

「当時の殿下はまだ幼く、事件のことを覚えていないのも無理からぬこと。賢明王譲りの才気には感服いたしますが、過去から教訓も学ばなければなりません」
「王国を二分して、敵対し続けることが教訓だと?」
「いいえ、王家から二度と犠牲を出さないことです。殿下の命を案じるからこそ、絶対に無怖公に近づいてはなりません」

 今いる重臣たちはアルマニャック伯に遠く及ばない。
 彼らを説得できなければ、ブルゴーニュ公と対等に交渉するなど土台無理な話だ。

(いや、説得する材料はまだある!)

 頭を切り替えようと思った矢先だった。

「私に妙案があります」

 ずっと黙っていたシャステルが口をひらいた。

「私は交渉内容について一切口出ししませんが、無怖公と会う価値はあると考えます。対面ではなく、対決になるかもしれませんが」
「対面ではなく対決?」
「備えは必要です。私を信じて一任していただけるならば」

 シャステルは武装して対面することを提案した。
 わざわざ言うまでもなく、私を守ることに関してシャステル以上の護衛はいない。
 護衛隊長にしてみれば、王太子とブルゴーニュ公が対面することはとてつもないプレッシャーなのだろう。
 何か大きな決意を秘めているような悲壮感さえ感じられた。

「もちろんだ。一緒に来て私を守ってほしい」
「シャステル殿、貴官の武功と忠誠心はみな知っているとも」
「御意のままに」

 ブルゴーニュ公が王太子を罠にかけ、和平交渉を進める意志がないならば対決も辞さない。
 武装することを条件に、重臣たちはついに折れた。


***


 和平交渉とジャン救出について、まだほんの入り口だが宮廷で賛同を得られたことは大きな成果だ。

「感動しました!」

 詩人で、いまは王太子の書記官を務めるアラン・シャルティエは、あいかわらず大げさな感激屋だった。

「あまり上手くいったとは思えない」
「結果だけ見れば、殿下が思い描いた通りではありませんか」
「何を言う、ぜんぶシャルティエが考えた脚本だろう」

 ブルゴーニュ公との和平交渉が猛反対されることは想像がついた。
 シャルティエが事前に模擬宮廷を想定して、説得力のある話の流れを考えてくれた。

「脚本に命を吹き込んだのは殿下の真心です」
「私は操り人形ではないし、詩人でも役者でもない」
「分かっておりますとも」
「最後はシャステルに助けられた」
「確かに、シャステル隊長には助演詩人賞を差し上げたい。ですが、この宮廷を主導している主役は間違いなく弱冠16歳の王太子、シャルル殿下でございます」

 王太子といっても宮廷では最年少だ。
 若さを褒める者もいるが、未熟だと言われているようでもあり、私にとって年齢はコンプレックスだった。

「嬉しくない。詩人のおべっかは聞き飽きた」
「職業柄、私は言葉を飾り立てますが、うそはつきませんよ。王国が進むべき方向を決めたのは殿下ご自身です。シャステル隊長は最後の一押しを、私は宮廷の舵取りをする話術を、ほんの少しばかり教えて差し上げただけです」

 シャルティエは「私は正直者ですからね」と前置きすると、「ほめ言葉は素直に受け取ってくれた方がお互いに気持ちが良いものです」と付け加えた。
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