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番外編・没落王太子とマリー・ダンジューの結婚
マリー・ダンジューの政略結婚(2)
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マリー・ダンジューは上気した表情で、ほうっと息をついた。
「これで、わたくしたちは一蓮托生ですね……」
私はついに結婚を受け入れた。
マリー・ダンジューが提案した「妙案」を聞いて——私は、マリーがただ美貌と教養を誇るだけの令嬢ではなく、母譲りの優れた政治的センスの持ち主だと確信した。王妃・女王にふさわしい資質を持っている。
フランス王太子妃——ゆくゆくはフランス王妃となるが、栄誉を得るための結婚ではない。
私とともに王国が抱えた困難に立ち向かわなければならないのだから。
いや、理屈や理由はもう十分だろう。
私の心に「精いっぱい守ろう。幸せにしよう」という気持ちが広がっていた。
愛と敬意を込めて、マリーの肩をそっと抱き寄せた。
「おめでとうございます!」
義弟ルネ・ダンジューはいつも真っ先に、心から祝福してくれる。
「今だから言いますけど、これ以上焦らされるならこっそり媚薬でも盛ろうかと考えてました」
「……冗談だよね?」
ルネは、ぺろっと舌を出しておどけると「キシシ」と笑ってごまかした。
「実は、まだ材料が揃わなくて作れないんです」
マンドレイクが生えている場所を知らないかと聞かれた。もちろん私は知らない。
料理のレシピなら微笑ましいが、あやしい秘薬まで作っているとしたら、ヨランドがルネに呆れる心境がわかる気がする。
「なんて『おませさん』なのかしら」
あきれるマリーをよそに、ルネは「ぼく、もう既婚者ですし」と平然としている。
「頼れる義弟になりたいです。マリー姉様の次でいいので、たまには思い出してくださいね」
ルネは、ブルゴーニュ派の重鎮・ロレーヌ公の娘婿になっていたが、心は王太子派なのだと力説した。
「子供扱いは嫌ですよ。僕だって役に立ちたい!」
「じゃあ、私からひとつ頼み事を聞いてもらえるかな」
「いいんですか!」
この物語を読んでいる読者諸氏の時代では、アンジュー関係の功績はヨランド・ダラゴンひとりに集約されているようだが、マリーとルネ、そしてシャルル・ダンジュー姉弟はいつも私を支えてくれた。
義弟たちの活躍は、絶対に外せないのだ。
「僕にできることなら喜んで。兄様のためなら多少の無茶だってしますよ!」
「むちゃくちゃな難題は言わないよ。『ついで』の時でいいんだ」
「はい、何なりと!」
先ほど、ルネが交易品の中からレシピを見つけた話を聞いて、私はあることを思いついていた。
「黒い粉のレシピを探して欲しい」
没落王太子は、自前の兵も物資も乏しい。
神は困難ばかりを与えるが、運命を呪っているだけでは何も変わらない。
結婚するなら尚のこと、「知恵を絞らなければ」と決意を新たにした。
「黒い粉というと胡椒ですか?」
「いや……」
私は戦争も流血も嫌いだ。
以前、幼なじみのジャンと見た馬上槍試合には興味が湧かなかった。
退屈している私を見かねて、護衛隊長のシャステルが「知識がなくても、『これは!』と勘が働くこともございます」と言っていた。
あのときは、騎士道精神に欠ける王太子をフォローしてくれたのだと思っていたが——
「火薬のレシピを探している」
今なら、シャステルの言葉の意味がわかる。
大砲の火力を目の当たりにしたとき、私の心は確かに高揚していたのだから。
「イングランドもブルゴーニュ派も、王太子は没落まっしぐらだと思っているみたいだけどね」
イングランド自慢の長弓兵を攻略するには、プレートアーマーとクロスボウでは不完全だ。
対抗するために、イングランド並みの長弓兵を育成する時間も人材もない。
「それでも、私は勝算があると考えている。不利な戦況をひっくり返す、起死回生の方法は……」
ロングボウを上回る遠距離攻撃として、大砲と火薬の組み合わせは最有力候補だ。
だが、ロングボウ並みに気軽に運用するにはコストがかかりすぎる。
火薬の調達と量産化は、大きな課題のひとつだった。
「火薬は、硝石と硫黄と木炭でできていてね、混ぜる比率で爆発力がかなり違うんだ」
錬金術師を雇って、最適な調合について研究しているがわからないことが多かった。
別の素材を足すか、引くか。それとも素材は今のままで比率を変えるべきか。
他国で考案した火薬レシピがあるなら、何としてでも手に入れたい。
「了解しました!」
ルネは、「本物のマンドレイクよりは見つけやすいと思う」と予想した。
マンドレイクとは、錬金術の秘薬として有名な稀少植物のことで、採取方法を間違えるとショック死するらしい。
火薬の調合も、大砲の開発も、たしかに危険をともなう作業ではあるのだが。
私は一抹の不安を覚え、「くれぐれも無茶をしないように」と念を押した。
***
少しばかり余談をしよう。
私とマリーは一歳差だが、年齢の差のある政略結婚もよくあった。
大抵の場合、成人男性と少女の組み合わせだったが、逆パターンもある。
ルネ・ダンジューはわずか11歳で、20歳のロレーヌ公令嬢と結婚した。
結婚をきっかけにルネはブルゴーニュ公に臣従したが、ルネの年齢からして本人の意思が尊重されたとは思えない。アンジュー公妃とロレーヌ公の、巧みな政略の結果だろう。
数年後、私がランスの大聖堂でフランス王聖別式を挙行するときに、20歳になったルネ・ダンジューは真っ先に駆けつけて祝ってくれた。
自分の意志で「フランス王シャルル七世」に臣従を誓い、以来、生涯にわたる盟友となった。
愛すべき義弟にはゆかいなエピソードがたくさん残っているので、機会があればまた紹介しよう。
(※)ルネ・ダンジューはマンドレイク発掘はしませんが、のちに巡礼先でマグダラのマリアの付き人マリア・サロメとマリア・ヤコベの聖遺物を発掘します。映画「インディ・ジョーンズ」みたいなスピンオフとか、いつか書いてみたいですね。
「これで、わたくしたちは一蓮托生ですね……」
私はついに結婚を受け入れた。
マリー・ダンジューが提案した「妙案」を聞いて——私は、マリーがただ美貌と教養を誇るだけの令嬢ではなく、母譲りの優れた政治的センスの持ち主だと確信した。王妃・女王にふさわしい資質を持っている。
フランス王太子妃——ゆくゆくはフランス王妃となるが、栄誉を得るための結婚ではない。
私とともに王国が抱えた困難に立ち向かわなければならないのだから。
いや、理屈や理由はもう十分だろう。
私の心に「精いっぱい守ろう。幸せにしよう」という気持ちが広がっていた。
愛と敬意を込めて、マリーの肩をそっと抱き寄せた。
「おめでとうございます!」
義弟ルネ・ダンジューはいつも真っ先に、心から祝福してくれる。
「今だから言いますけど、これ以上焦らされるならこっそり媚薬でも盛ろうかと考えてました」
「……冗談だよね?」
ルネは、ぺろっと舌を出しておどけると「キシシ」と笑ってごまかした。
「実は、まだ材料が揃わなくて作れないんです」
マンドレイクが生えている場所を知らないかと聞かれた。もちろん私は知らない。
料理のレシピなら微笑ましいが、あやしい秘薬まで作っているとしたら、ヨランドがルネに呆れる心境がわかる気がする。
「なんて『おませさん』なのかしら」
あきれるマリーをよそに、ルネは「ぼく、もう既婚者ですし」と平然としている。
「頼れる義弟になりたいです。マリー姉様の次でいいので、たまには思い出してくださいね」
ルネは、ブルゴーニュ派の重鎮・ロレーヌ公の娘婿になっていたが、心は王太子派なのだと力説した。
「子供扱いは嫌ですよ。僕だって役に立ちたい!」
「じゃあ、私からひとつ頼み事を聞いてもらえるかな」
「いいんですか!」
この物語を読んでいる読者諸氏の時代では、アンジュー関係の功績はヨランド・ダラゴンひとりに集約されているようだが、マリーとルネ、そしてシャルル・ダンジュー姉弟はいつも私を支えてくれた。
義弟たちの活躍は、絶対に外せないのだ。
「僕にできることなら喜んで。兄様のためなら多少の無茶だってしますよ!」
「むちゃくちゃな難題は言わないよ。『ついで』の時でいいんだ」
「はい、何なりと!」
先ほど、ルネが交易品の中からレシピを見つけた話を聞いて、私はあることを思いついていた。
「黒い粉のレシピを探して欲しい」
没落王太子は、自前の兵も物資も乏しい。
神は困難ばかりを与えるが、運命を呪っているだけでは何も変わらない。
結婚するなら尚のこと、「知恵を絞らなければ」と決意を新たにした。
「黒い粉というと胡椒ですか?」
「いや……」
私は戦争も流血も嫌いだ。
以前、幼なじみのジャンと見た馬上槍試合には興味が湧かなかった。
退屈している私を見かねて、護衛隊長のシャステルが「知識がなくても、『これは!』と勘が働くこともございます」と言っていた。
あのときは、騎士道精神に欠ける王太子をフォローしてくれたのだと思っていたが——
「火薬のレシピを探している」
今なら、シャステルの言葉の意味がわかる。
大砲の火力を目の当たりにしたとき、私の心は確かに高揚していたのだから。
「イングランドもブルゴーニュ派も、王太子は没落まっしぐらだと思っているみたいだけどね」
イングランド自慢の長弓兵を攻略するには、プレートアーマーとクロスボウでは不完全だ。
対抗するために、イングランド並みの長弓兵を育成する時間も人材もない。
「それでも、私は勝算があると考えている。不利な戦況をひっくり返す、起死回生の方法は……」
ロングボウを上回る遠距離攻撃として、大砲と火薬の組み合わせは最有力候補だ。
だが、ロングボウ並みに気軽に運用するにはコストがかかりすぎる。
火薬の調達と量産化は、大きな課題のひとつだった。
「火薬は、硝石と硫黄と木炭でできていてね、混ぜる比率で爆発力がかなり違うんだ」
錬金術師を雇って、最適な調合について研究しているがわからないことが多かった。
別の素材を足すか、引くか。それとも素材は今のままで比率を変えるべきか。
他国で考案した火薬レシピがあるなら、何としてでも手に入れたい。
「了解しました!」
ルネは、「本物のマンドレイクよりは見つけやすいと思う」と予想した。
マンドレイクとは、錬金術の秘薬として有名な稀少植物のことで、採取方法を間違えるとショック死するらしい。
火薬の調合も、大砲の開発も、たしかに危険をともなう作業ではあるのだが。
私は一抹の不安を覚え、「くれぐれも無茶をしないように」と念を押した。
***
少しばかり余談をしよう。
私とマリーは一歳差だが、年齢の差のある政略結婚もよくあった。
大抵の場合、成人男性と少女の組み合わせだったが、逆パターンもある。
ルネ・ダンジューはわずか11歳で、20歳のロレーヌ公令嬢と結婚した。
結婚をきっかけにルネはブルゴーニュ公に臣従したが、ルネの年齢からして本人の意思が尊重されたとは思えない。アンジュー公妃とロレーヌ公の、巧みな政略の結果だろう。
数年後、私がランスの大聖堂でフランス王聖別式を挙行するときに、20歳になったルネ・ダンジューは真っ先に駆けつけて祝ってくれた。
自分の意志で「フランス王シャルル七世」に臣従を誓い、以来、生涯にわたる盟友となった。
愛すべき義弟にはゆかいなエピソードがたくさん残っているので、機会があればまた紹介しよう。
(※)ルネ・ダンジューはマンドレイク発掘はしませんが、のちに巡礼先でマグダラのマリアの付き人マリア・サロメとマリア・ヤコベの聖遺物を発掘します。映画「インディ・ジョーンズ」みたいなスピンオフとか、いつか書いてみたいですね。
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