7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)

文字の大きさ
165 / 202
第九章〈正義の目覚め〉編

9.22 ラ・ロシェル落下事件(2)事故現場

しおりを挟む
 人が多過ぎるのか、大広間の床はみしみしと音を立てていた。
 ぴしりと大きな亀裂が走り、大河の支流のように細いひびが部屋中に広がった。危険を察知したときにはもう遅かった。

 足元が崩れて轟音とともに奈落へ落ちながら、私は死を覚悟した。
 一瞬の後、静けさの中で私は起き上がった。白い煙がもうもうと立ち込めていて、あまりにも静かだったから、私はすでに天国に来たのかと思った。
 死ぬことは怖くなかった。ここが天国なら亡き兄に会えるかもしれない。物心がついた時から、ずっとそれが望みだったから。

「うぅ……」

 うめき声が聞こえてはっとした。瓦礫の下に人がいる。
 自力で這い出てくる者もいたが、血だらけで動かない者もいる。

「誰かいないか!」

 私は正気を取り戻すと助けを呼んだ。

「王太子殿下!」
「私は無事だ。人が埋まっているから気をつけて……ごほごほ」

 呼ぶまでもなく、外で待機していた護衛と、ラ・ロシェルに常駐する守備隊が事故現場に駆けつけた。石材がくだけた土煙を吸い込んだのか、のどがカラカラで咳き込んだ。身体中が軋んだが動けないほどではなかった。

 一時は、「王太子死す」と訃報が流れたが、私は奇跡的に生き残った。

 玉座から投げ出されて階下に落ち、全身をしたたかに打ち付けたが、天蓋の梁のおかげで頭上に降ってくる瓦礫から守られたのだ

 王太子の本拠地であるブールジュやポワティエを中心に、ラ・ロシェル周辺から救援の軍が派遣され、教会からも聖職者がやってきた。負傷者を手当てする軍医であると同時に、死者を弔うミサを執り行うためだ。

 私は手当てを受けると、よろめきながら立ち上がった。
 もはや議会どころではなかったが、根拠のない訃報や中傷が広まる前に、王太子が健在であることを示さなければならない。

「事故現場へ連れて行ってくれ」

 打撲と擦過傷で傷だらけだが、幸い骨は折れていなかった。
 教養として医学を学んでいたから、自分の状態はなんとなくわかる。
 ひどく痛むが、時間が経過すれば治る傷ばかりだ。

「ひどいな……」

 一歩踏み出すごとに、こまかい粉塵が舞い上がる。
 体の傷を隠すために、聖職者が着る分厚いマントを羽織ってきたが、粉塵から身を守る役目も果たしてくれた。

「え、殿下……?」

 私は口の前に人差し指を立ててジェスチャーを送ると、小声で「大義である」と労いの言葉をかけた。負傷者を収容する教会を訪れて、ざっと見渡してみたが、ほとんどの人は訪問者が何者かを気にするほど余裕がない。

 多少医学をかじったくらいでは本職の医師には及ばない。
 緊急時の現場に、王太子がのこのこ顔を出したらかえって邪魔になるだけだと察して、私はその場から離れた。

 次に、事故現場の片隅に設けられた死体安置所へ向かった。

 結婚する前に、律修司祭の資格を得ていてよかったと思う。
 自分の判断でミサをおこなうことができるからだ。

 子供の頃、私は王位継承と無縁だったから、生涯ずっと修道院で暮らすのだろうと思っていた。静かな生活が好きだったから全然構わなかった。次期フランス王になってもなれなくても、司祭になる道を残しておきたかった。一度でも結婚したらその道は閉ざされる。それに、司祭の資格と、教会とのつながりは何かと役に立った。

 死者のもとで膝をつき、血がこびりついた手を取り上げる。
 私は、最期のミサを——死の秘跡を執り行う。本来なら意識のあるうちにやる儀式だが、死後にやってはいけない決まりはない。打ちどころが悪くて即死した者は、自分が死んだことさえ気づいてないかもしれない。

 一人、二人、三人と看取っていき、次に向かう途中、足場が悪くて大きくよろめいた。自分も負傷していることを忘れて、普通に動こうとしたのがいけなかった。

「失礼」

 近くにいた兵士がとっさに手を伸ばして、ぶざまに転ぶ前に支えてくれた。

「ありがとう」

 マントを目深にかぶりながら礼を言った。

「見たところ、あなたも負傷しているようですが」
「ああ、大したことは……」

 手当てが済んでいると伝えたら、介助すると言ってついてこようとする。

「大丈夫だ」
「いけません。事故か暗殺未遂かもわからないのに」

 そのとき、マントがめくれて白地のサーコートが見えた。

(ブルターニュの紋章……?)

 マントのフードを下ろしているので顔は見えないが、救助のために駆けつけたブルターニュ軍の指揮官のようだ。ラ・ロシェルにくる途中、行きがかりで戦ったことを思い出して、少し申し訳ない気がした。

「あなたが無事でよかった」
「私を知っているのか?」

 ふと興味が湧いて、顔を覗き込もうとしたが相手はすばやく顔を伏せた。
 フードの影に隠れてはっきりしない。

「見ないでください」

 私が王太子だと気づいているならフードや帽子を取るのが筋だが、敵対者なら顔を見られたくないだろう。ブルターニュの兵ならどちらもあり得た。

「……アジャンクールで負った傷跡があるので」
「それは、申し訳なかった」
 
 傷跡は口実だと直感したが、それ以上踏み込む気にはなれなかった。
 素性に関係なく、ラ・ロシェル救援に来てくれたならありがたいと思ったからだ。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

征空決戦艦隊 ~多載空母打撃群 出撃!~

蒼 飛雲
歴史・時代
 ワシントン軍縮条約、さらにそれに続くロンドン軍縮条約によって帝国海軍は米英に対して砲戦力ならびに水雷戦力において、決定的とも言える劣勢に立たされてしまう。  その差を補うため、帝国海軍は航空戦力にその活路を見出す。  そして、昭和一六年一二月八日。  日本は米英蘭に対して宣戦を布告。  未曾有の国難を救うべく、帝国海軍の艨艟たちは抜錨。  多数の艦上機を搭載した新鋭空母群もまた、強大な敵に立ち向かっていく。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...