ドSワンコとクズ眼鏡

うさき

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 夏休み中で職員も少なく、人気のない職員室。
 今日一日の夏期講習や自分の仕事を終え、タイミングを見計らってそっと神谷の机へと向かう。
 一度キョロキョロと周りに誰もいないことを確認する。

 よし、誰もいない。

 さっと一番下の引き出しを開けると、ずらっと並んだファイルのラベルに視線を落とす。
 なにやら『MIHAYA☆ファイル』とか恐ろしいものを見た気がしたが、気付かないふりをして目的のものを取り出す。

 それは生徒の個人情報を纏めたファイル。
 パラパラとページを捲ると、すぐに目的の名前を見つけた。

『七海翔太』

 その名前を見るだけで、トクリと心臓が動き出す。
 が、慌ててもう一度キョロキョロと視線を周りに配る。

 個人情報とはいえ別に副担任であれば見ることは何も問題ない。
 だがアイツに関することになると、どうしても後ろめたい気持ちになってしまう。
 それでも知りたいと思ってしまったのは、アイツの発言に違和感を覚えてしまったからだ。

 今職員室には俺以外誰もいないし、神谷は部活に行っている。
 こっそり個人情報を知ろうとするとかひょっとしてこれがストーカーの気持ちなのだろうか。

 頭の中に神谷が浮かんできたが、いや俺は教師としての行動をしているんだと無理やり言い聞かせて書類に視線を落とす。

 生年月日や出身中学等当たり前の記述に目を通しながら、ふと視線を留める。

「家族構成…父、か」
 
 どうやらアイツは父子家庭らしい。
 片親は今のご時世珍しいものではないが、補足欄に所狭しと書かれている記述に眉をひそめる。

 何件も書き留められていたのは、三者面談の予定を決めるものだ。
 一番新しい日付は6月のもので、どうやら神谷が相手方と日付を合わせようとしていたらしいが、そのどれもが断念で終わっていた。

 父子家庭ということはもちろん仕事で都合がつかないことも多いだろう。
 だがまさか、一度も予定が合わないとは。

 家族構成を見るとどうやら父だけでなく兄もいるらしいが、既に家を出ているらしい。
 なんとなく嫌な予感がしたが、ふと一番下に付箋が貼られている事に気付いた。
 
『紺野先生へ。七海は少し複雑な事情を抱えていますので、入り用でしたらどうぞ直接お聞き下さい』

 やはりアイツの読心術はとどまる事を知らない。



 とはいえ神谷にわざわざ聞きに行くことはせず、モヤモヤとしたまま帰宅する。

 七海の発言で『家に基本誰もいない』や『時間を気にされたことがない』とか、そういえば中間テストで満点を取った七海を褒めてやったら『褒められたのは初めて』という発言もしていた。
 生徒の家庭環境に深入りするつもりはないが、それでも普段のアイツの天真爛漫さからは複雑な家庭環境なんて想像がつかない。

「――ちょ…っ、いきなり何をする」

 帰宅早々に、七海にガバッと抱き締められた。
 あまりに力強く抱きしめられて、足が床から浮き上がる。

 あれから合宿だなんだと言いながら、完全に七海は俺の家に入り浸っていた。
 とはいえちゃんと勉強はしているし、俺の部屋には受験にかなり有用な参考書が多いので一概にこの家に来るのが悪いとも言えない。
 つい数日前までもう七海には関わらないと決めていたはずだが、気付いたら家にまで入り込まれているとか一体どうしてこうなった。
 
「…おかえりなさい」

 だが何をするでもなく、七海はただギュッと俺を抱きしめる。
 バクバクと上がる心音に身体を硬直させてしまうが、ふとその様子がおかしいことに気付く。

 いつも抱きしめようものならあっという間に人を犯してくるくせに、どこか元気がない。
 うるさいくらいに快活な声音も今日に限ってはしょんぼりとしている。

 もしや家で何かあったのか。
 先程まで七海の家庭事情を調べていた事もあり、不安な気持ちがよぎってしまう。

「…ど、どうした?」

 さすがに心配になって口調を和らげると、七海は余計に力強く俺を抱きしめてきた。
 息が出来ないんだが。

 なんだかまるで落ち込んでいるみたいだ。
 元気なときは目一杯元気なくせに、落ち込むときは目一杯落ち込むらしい。
 引き剥がすことはせずしばらく待っていたら、ようやくぽつりと口を開いた。

「…みーちゃん、気付かなくてすみませんでした」
「ん?何がだ」

 あまりに落ち込んだ声音に心が揺れてしまう。
 よしよしと宥めるように大きな背中を撫でてやると、甘えるように俺の首に顔を埋めてきた。
 
「引退試合、見に来てくれてたんですよね」
「――はっ?」

 なぜそれを知っている。
 驚きに声をひっくり返らせると、七海は脱力したように余計に力を預けてきた。

「あー…やっぱりー」
「お、重いっ。それよりなぜそれを知っているっ。神谷か」
「もー…くっそー」

 俺の質問には答えず、上から思いきり体重をかけられる。
 受け止めきれず腰を落とすと、七海も合わせて身体を落としてきた。

 だが座り込んでなお俺を抱きしめたままで、全く人を離す気配がない。
 ひょっとしてコイツそんなことでこんなに落ち込んでいるのか。

「…別に俺が行かないと言ったのだから、気付かなくて当たり前だろう」 
「でも見つけられなかったの悔しいんです。…せっかく来てくれたのにすいませんでした」

 随分馬鹿なことで落ち込むんだなと思ったが、真っ直ぐすぎる愛情を感じて心がじわりと緩む。
 俺のことで落ち込んでいるのなら、その機嫌は俺が治せるのかもしれない。

 そっと七海の背を撫でながら、落ち着いた声音で語りかける。
 なるべく、少しでも口調が強くならないように。

「気にするな。それより目覚ましい活躍だったな。あんなにお前がすごい奴とは知らなかった」

 思い出しても観客の注目を浴びてプレーする七海は、どこまでも輝いて見えた。
 自信に満ちあふれた泰然たる態度に、どうしようもなく胸が掴まれて仕方なかった。

 思い出しながらそう言うと、ガバッと勢いよく身体が離される。

「えっ、俺カッコ良かったですか?ちょっとはドキドキしてくれました?俺の事好きですか?」

 みるみるうちにその瞳がキラキラと輝いていく。
 なんて単純な奴なんだ。

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