ドSワンコとクズ眼鏡

うさき

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「どういうことっすか。俺が祭りに誘ったら行かないって言いましたよね。なんでカミヤンといるんですか」

 俺を見下ろす七海の瞳は明らかに怒っていて、さっきまで楽しそうに笑っていた表情はどこにもなかった。

「そ、それは生徒指導で巡回があったから行かないと言っただけで――」
「は?カミヤンは生徒指導じゃないですよね」

 なんでそんなに怒っているんだ。
 ギリギリと掴み上げられる手首に慄いたが、横から伸びてきた手が俺から七海の手を引き剥がす。
 見兼ねたように神谷が俺と七海の間に割って入ってきた。

「七海。行き過ぎた行動は許さないと言ったはずだ」
「許さなくていいっすよ。俺と紺野先生の問題なんで少し黙っていて下さい」
「――なに?」

 神谷が低い声を出す。
 怒気を含んだ声にゾッと背筋が凍りつく。

 ダメだ。
 神谷を敵に回すのは絶対にダメだ。
 これから受験を控えているこの大事な時期に、七海の評価が落ちるようなことだけは絶対に避けたい。

「みーちゃん、俺と行きましょう。いいですよね」

 七海の視線は神谷ではなく俺だけを見下ろしていて、その表情はどう見ても苛立って見えた。
 酷く気持ちが動揺してしまう。

 七海と行くことは出来ない。
 生徒と一緒に堂々と祭りを歩くことなんて出来ないんだ。

 だがそれを七海に言ってガッカリした顔をされるのが、傷ついた顔をされるのが怖い。
 いつから俺はこんなにも七海に対して何も言えなくなってしまったんだ。

「七海、いい加減にしなさい」

 鋭い神谷の言葉が飛ぶ。
 いつのまにか心音は嫌な鼓動に変わっていて、見たことのない七海の表情に身体が強張る。

 こんな風に七海が俺に怒ることなど一度もなかった。
 祭りで少しでも会えたらと、あの笑顔を向けてくれたらと気持ちが浮ついていたが、こんなことになるなら結城と余計な示し合わせをするのではなかった。

 このまま七海と神谷が言い争いになってしまうのでは、と最悪のパターンを考えてしまう。
 だが酷く動揺する俺に、トンと神谷は俺の肩を叩くと息を吐き出して七海に向き直った。

「…七海。お前は自分のことだけ考えていればそれでいいだろう。だが後ろを見てみろ」

 そう言われて七海がハッとしたように肩を揺らす。
 神谷の言葉で視線を向ければ、一緒に来ていた結城やバスケ部の生徒が七海の行動に驚いたように目を丸くしていた。

「…お前の行動が紺野先生の立場を揺るがしていることにいい加減気付け。その行動一つで大人は簡単に辞職に追いやられる事だってあるんだ。一時の感情でお前より遥かに積み上げてきた人間の人生を台無しにするな」
「俺はそんなつもりじゃ――」
「自分で満足に責任すら取れないような子供が、大きな口を叩くなと言っているんだ」

 神谷の言っている言葉は至極正論だった。
 七海もそれが分かっているんだろう。
 これが世間を既に知っている大人と、まだこれからたくさんの事を学んでいかなければならない子供との埋められない大きな差だ。
 
 そう。コイツは高校生で、未成年で、生徒なんだ。
 一回りも年下の子供なんだ。
 関係を持って許される相手では絶対にない。
 
 七海はずっと俺から視線を外さなかった。
 だが苦虫を噛み潰したような顔をしたあと、何も言わず踵を返す。

「な、七海…っ」

 不穏な態度に思わず呼び止めてしまう。
 呼び止めたって一緒に行くことは出来ないが、無意識の行動だった。
 七海は一度足を止めたが、こちらを振り向くこともせず口を開く。

「…ガキですいませんでした。頭冷やします」

 背を向けたまま呟くようにそう言うと、仲間の元へと戻っていった。
 七海の視線は最初から最後までずっと俺に向けられていたのに、俺は結局最後までマトモな言葉一つ七海にかけてやることが出来なかった。
 


 去っていくその背中を呆然と眺める。
 周りの女生徒に「どうしたのー?」と驚いたように聞かれているが、七海はいつもと変わらぬニッコリ笑顔で「じゃれてただけー」と明るく返している。
 アイツはあんなふうに笑顔を使うことも出来る奴なのか。

 立ち尽くしていると、様子を見て結城がタタッと小走りで俺に近づいてきた。

「…びっくりしたぁ。七海先輩ガチギレじゃないですか。あんな姿初めて見ましたよ」

 俺だって初めて見た。
 生徒に逆ギレされることは生徒指導をやっていれば何度もあったが、こんなに何も言い返せなかったこともこっちが慄いてしまったことも一度もない。
 
「てゆーか七海先輩に巡回でお祭り行くって言わなかったんですか。完全にカミヤンと来たって誤解されてたじゃないですか」
「…い、言ってない。誤解されるなんて思わなかったんだ」

 結城が舐めた口を聞いているのは分かっているが、とてもじゃないが今それを咎める気になれなかった。
 それより愕然と気落ちしてしまう。

「あー、もう。眼鏡センセーそんな顔しないで下さいよ。…俺も言っておけば良かったなぁ。とりあえずフォロー入れとくんで、後でちゃんと仲直りしてくださいねっ」
「――ああ。すまないな」

 落ちてきた言葉に目を瞬く。
 今結城の言葉に返事をしたのは俺ではない。

 隣を見上げると、神谷が困ったように俺を見下ろして微笑んでいた。

「何やら事情を結城は知っているみたいですね」

 ぽかんとする俺に安定の読心術を発揮して、神谷は結城に向き直る。
 結城の顔が分かりやすくぶわっと赤く染まっていくのが分かった。

「結城、七海は場の空気が読めない奴では決してないんだ。それどころかいつも雰囲気作りをしてくれているし、ああ見えて人の顔色をよく伺っている」

 神谷の言葉に驚く。
 それと同時に、神谷が七海と言い争いをするのではないかと危惧した自分に恥ずかしさを覚える。

 やはりコイツは七海の担任で、大人で、ちゃんとアイツの事を見てくれている。
 浮ついているのは誰でもない、俺の方だ。

「…ただ人を楽しませるのが得意な反面、自分の弱い感情を人に伝えるのが下手くそな奴でな。吐き方を知らないから、勝手に溜め込んで今回のように爆発することもある。ことそれが紺野先生のことなら尚更――」

 そう言って神谷は俺をちらりと見下ろして、一つため息を吐き出した。
 七海の様子がどこかおかしいのは知っていた。
 ちゃんと分かっていたんだ。

 なのに俺はそれを上手く聞き出してやることも出来なければ、アイツのいつもの笑顔を見て安心して、気のせいだったのではないかとすら思い始めていた。
 俺には七海の笑顔の裏にあるものを、ちゃんと分かってやることが出来なかった。

「だから結城、すまないが七海をフォローしてやってくれないか。俺も言い過ぎた。子供と言ってしまったが、アイツは誰より子供としての感情を押し殺してきた奴だからな」
「…それはどういう――」

 神谷の言葉に眉を寄せて聞き返そうとしたが、ふわりとした微笑で返された。
 ここから先は結城には聞かせられない話、ということだろうか。
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