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しおりを挟む花火に向けて人はどんどん密度を増していき、誰も男同士で手を繋いで歩いているなど気付かない。
引っ張っても全く外れない手に強引に連れられていたが、橋まできてようやくその手が離された。
「おい、どういうつもりだ。悠長に花火など見る気はない」
「俺はあなたと見たいです。どうしてもダメでしょうか」
「何を子供みたいなことを言っている」
イラッと目を細める。
さっきまでやはり神谷は大人だと見直していたのに、何を突然身勝手なことを言っているんだ。
神谷はどこか複雑な顔をしたが、それでも俺に合わせるつもりはないらしい。
神谷が俺に対してそんな態度を取るのは珍しい。
いつだって俺の意思を優先させてくれていたはずだ。
だが思いの外真剣な眼差しで見下ろされて、仕方なく橋の欄干に手を落とす。
一つ息を吐き出した。
「…お前そんなに花火が好きなのか?少しだけだからな」
「え…っ?あ、ありがとうございます」
俺の返答にかなり驚いているらしいが、何だその顔は。
自分がどうしても見たいと言ったんだろうが。
まあ神谷には七海の件でも世話になったし、少しくらい言うことを聞いてやってもいいだろう。
花火はまだ始まらないが、二人並んで橋の欄干から水に揺らぐ月を眺める。
先に口を開いたのは俺だった。
「…さっきはすまなかったな。七海のことで迷惑を掛けた」
俺と七海のことで神谷に迷惑を掛けている自覚はある。
この忙しい受験シーズンに生徒と教師の色恋沙汰など、迷惑以外の何者でもないだろう。
そう思って謝った言葉だったが、神谷はフ、と何でも無いように微笑した。
「紺野先生、それを謝るのは担任である俺の方なんですがね。俺のクラスの生徒が大変ご迷惑をお掛けしました」
「いや、アイツは別だ」
ハッキリとそう告げて夜空を見上げる。
周りが明るいため空に星は見えず、黒い色だけが広がっている。
だが数分後には色とりどりの花火が夜空を彩っていることだろう。
神谷は俺の言葉に一度押し黙ったが、再び口を開く。
「…紺野先生。もう一度落ち着いて考えてみませんか?」
「え?」
ちらりと隣に視線を向ければ、神谷が難しい顔をして俺を見下ろしていた。
「貴方ならちゃんと冷静になれば分かるはずです。七海はまだ子供で、生徒だと。ただ他の生徒より飛び抜けて人懐っこく愛嬌があり、人の心に入り込むのがとても上手い。あなたが今まで出会ったことのないタイプなだけなんです」
「…何を言っている」
突然諭すような口調に変わった神谷に眉を寄せる。
だが神谷は俺の様子に臆すること無く続けた。
「あなたは強引に好かれることを知らなかっただけです。現に今俺が花火を見たいとワガママを言ったら、最初は否定していたのにあなたは受け入れてくれたでしょう」
「それはお前が無理やり――」
「七海も最初はそうだったんじゃないですか?そして徐々に絆されてしまった」
神谷の言葉に息を飲む。
正直その通りだ。
アイツは突然現れて俺の心に入り込み、勉強を教えろだなんだと油断させておいて人の身体を無理やり奪った。
あの愛嬌のある笑顔で何度も人を振り回し、ダメだと言っているのに強引に迫ってきた。
俺はアイツを幾度となく突き放しては、ずっと断ってきたはずだ。
「たまたま七海が生徒だったから、うまく突き放すことが出来ず今の状況に陥ってしまったんです。正直七海が生徒であることを羨ましく思いますよ。俺の立場ではあなたの心を変える事はできない」
確かに神谷に同じように迫られていたら、容赦なく警察に突き出していただろう。
むしろストーカーということを知った時点で警察に突き出そうと思ったくらいだ。
「紺野先生、今ならまだ戻れます。七海が突き放せないのなら俺が協力します。俺のことを好きになってほしいなどとおこがましい事は言いません。ただ七海との未来はあまりにも現実的ではない」
きっぱりと当たり前のことを言われた。
神谷の言葉は本当に、何一つ間違っていない。
「俺はあなたがどれほど努力してきたかを知っています。一歩間違えればあなたの築き上げてきたものが全て無くなってしまうかもしれないのですよ」
必死に神谷は説得するように俺に訴えかける。
コイツは本当に俺の心配をしてくれているのだろう。
良心的とはいえストーカーをしているくらいの奴だから、きっとその心労は計り知れない。
それに神谷の言う通り、俺の気持ちが変わったきっかけなんて本当にその程度の事だったんだろう。
俺はそういうことに慣れていなくて、七海はひたすらに慣れていた。
ただそれに翻弄させられてしまった。
本当に自分は馬鹿だと思う。
たくさん悩んで胃がキリキリとして、それでもまだ七海を突き放せずにいる。
今だってアイツと話がしたい気持ちでいっぱいだ。
七海が今どこにいて、誰と話をして、何を思っているのか。
落ち込んでいないか、楽しんでいるのか、笑っているのか。
アイツのことを考えるだけで居ても立ってもいられない気持ちになる。
そしてこんな感情が間違っていることなんて、もうとっくに分かっている。
――ふ、と息が漏れる。
「お前に言われなくても、それくらい覚悟している」
俺の表情に、神谷がハッと目を見開く。
「もう俺は自分のことよりアイツの心配ばかりだ。俺と関わることでアイツの受験の方に響かないかとな」
「…七海は生徒だからどうとでもなります。でもあなたは――」
「自分のことは覚悟していると言っただろう。それよりアイツの行動が全く読めないから、そっちのほうが俺は手につかなくて困っている。本当に七海は困った奴なんだ」
七海のことを思い出せば、ふふ、と笑いが漏れてしまう。
アイツは無鉄砲で学校でもお構いなしに懐いてくるような馬鹿犬だ。
最近じゃ人の家まで上がり込んで、ちゃっかり晩飯までリクエストしてくる。
ならば叱ってやろうかと思えば、驚くほど真面目に勉強に取り組む。
本当にいつも堪らなくドキドキして、何をしでかすのか全く分からない。
さっきだって神谷に喧嘩を売るような真似をして、もし神谷が大人の対応をしていなければどうなっていたか分からない。
それでも周囲を忘れて怒った顔も、真っ直ぐに俺だけを求めてくる表情も、その全てが自分が原因と知っているからこそ、どうしようもなく放っておけない。
「――もう遅いんだ」
口に出しながら、改めて自分の中でも納得する。
俺はやはり最低の教師だ。
生徒にイラ眼鏡だウザ眼鏡だオニ眼鏡だと散々陰口を叩かれていたが、自分であえて付けるのなら俺は教師として本当に最低の『クズ眼鏡』だろう。
「俺はアイツを好きになってしまった」
人として酷く最悪な感情を抱いているのに、初めて口にした言葉に不思議と笑顔が零れてしまった。
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