ドSワンコとクズ眼鏡

うさき

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 朝からキリキリと胃が痛かった。
 原因は分かっている。

 中間テストも迫る時期だというのに忙しい中開かれた職員会議は、高校生への性犯罪を取り締まる内容だった。
 大事なことだが酷く心苦しい。
 生徒指導は今季で終えるものの、それでも今はちゃんと任期を全うすべくそういうことには積極的に参加しなければならない。
 酷い罪悪感に悩まされながらも会議を終えて、授業へと向かう。

 文化祭が終わった校内はあっという間に受験シーズン突入で、中間テストも相まってどこかピリピリとした雰囲気だった。
 昼休みも放課後も仕事は山積みで、教師も生徒も一様に忙しない。
 時間はなかったがそれでも七海への弁当は毎日作っていて、こっそり数学準備室で渡している。

 本当は迷惑だったらどうしようという気持ちもある。
 俺と過ごす時間は七海にとって勉強に繋がる時間ではなく、むしろ俺といないほうが勉強出来るとハッキリ言われてしまった。
 受験生に無駄な時間を自分が与えてしまっていると思うと、それはそれで胃が痛い。

 それでも七海と一緒にいる時間はすごく俺にとって大事になっていて、張り詰めている心がグズグズに緩んでしまう唯一の時間でもある。
 アイツのいっぱいの笑顔を見ると、こっちまで幸せな気持ちになる。

「みーちゃん、昨日のチーズ入りハンバーグとベーコン巻きめちゃくちゃうまかったです。あっ、あと卵焼きも。あとおにぎりもツナマヨだった!」
「おにぎりはツナマヨが好きなのか?昆布は嫌がっていただろう」
「えっ、別に嫌じゃないですけど…」

 言いながら七海は視線を逸らす。
 分かりやすい奴め。

 最近気付いたのが、若者にはおにぎりの具は昆布だとか梅だとかより、ツナマヨやタラコ、はたまた少し濃い目に味を付けた肉を入れてやると喜んでくれることに気付いた。
 そういうものにしてやると絶対大喜びして美味しかったと報告をしてくる。
 嬉しそうな笑顔を見ると、ドキドキして堪らなく夢心地のような気分にさせられる。

「それよりみーちゃん最近忙しいですけど、ちゃんとご飯食べてます?ここの所ゆっくり一緒にご飯食べれないし…つかなんか顔色悪くないですか」

 不意に頬に手を当てられる。
 まだ仕事は山積みで七海に構っている暇はないんだが、触れられると急激に心臓が速くなる。
 あっという間に顔に熱が昇って、七海は優しげに目を細めた。

「あれ、そんなことなかったですかね。真っ赤になっちゃいました」
「な、なってないっ。お、俺は忙しいんだ」
「分かってます。…でも少しだけ抱きしめてもいいですか」
「…ええと――」

 心が揺れてしまう。
 やらなければいけないことはきっと俺だけではなく七海も同じで、この頃の特進科はまるで競うように昼休みさえも勉強をしている。
 いくら忙しかろうが教師よりも当然一番大事なのは生徒で、気が抜ける時期ではない。

「す、少しだけなら…」

 それでも七海の言葉に惹かれてしまう。
 言っている途中にもう腕を掴まれて抱きしめられた。

 身体いっぱいに七海の匂いが広がって、頭がくらりとしてしまう。
 そうなれば少しと言ったくせに七海ももう我慢がきかず、俺を机に押し倒そうとしてくる。

 ――いけない。
 こんなことをしている場合ではない。
 きっと七海も分かっていて、それでも止められないのか俺を机に貼り付けて焦ったように口付けてくる。
 
「な…七海…っ。だ、ダメだ…っ」
「分かってます…っ。でも、あと少し――」

 口付けられるたびに身体が甘く痺れて堪らない。
 正常な判断ができなくなる。
 熱に浮かされて頭の芯が焼き切れてしまったかのように求めてしまう。

 今日は朝から胃が痛くて堪らなかったはずなのに、あっという間に頭が真っ白になって全て忘れてしまう。

 ――いけない、という罪悪感を強く感じながらも、七海の手のひらを受け入れる。
 触れられればどうしようもなく好きだと想って、罪悪感と隣合わせの気持ちに泣きたいような衝動が走る。

「好きです。…大好きです、みーちゃん」
「七海…っ」

 息が浅くなる。
 頭がくらくらとする。

 だがここにきて、一番恐れていた最悪の事態が起きた。


「失礼します。…おや」

 ガチャッと数学準備室の扉が開く。
 机に押し倒されそうになっている俺と、思い切り押し倒そうとしている七海。
 そしてそれを視界に入れた神谷。

 一瞬時間が止まったような気がしたが、神谷はなんでもないように七海の元へ歩くとその首根っこを掴み上げた。

「――ちょっ、なにするんすかカミヤンっ」
「お前は発情期の犬か。場所を弁えろ。こんな公共の場所で抱こうとするなど、紺野先生を何だと思っている。大切に扱えないのならお前を認めるわけにはいかない」
「わ、分かってますよっ。分かってますけど可愛いんですよっ。離してくださいっ」
「こんなところを見て黙っていられるか。お前みたいな駄犬はやはり首輪でもつけて監視しておくべきか」
「えっ、俺に首輪とか…まさかカミヤンそういうプレイが趣味っすか?」

 七海と神谷が何か言い合っているが、神谷に目撃されたことが衝撃的すぎて俺は何も頭に入ってこなかった。
 結城だけではなく、俺はついに神谷にまでもこんなところを見られてしまった。
 そのことにまたしても酷い罪悪感が込み上げ、胃が痛みだす。

 ――苦しい。

 そう思ったらここ最近ずっと傷んでいた胃に、急に激痛が走る。
 同時にゴホゴホと咳が漏れた。

 ヨロリと足がもつれ、それと同時に胃からせり上がってきたものが不意に口から漏れる。
 思わず手で抑えながら咳き込んだが、濡れた感触に目を見開いた。

「ちょ、みーちゃん大丈夫っすか?」
「紺野先生?体調が悪いようでしたら――」

 ――え、と自分でも驚く。
 咳き込んでから離した手のひら、赤い液体が指の隙間から漏れる。
 ゾッと足元から冷たいものが這い上がった。

「みー…」
「――七海、見るなっ」

 思わず叫んでから、ぐらりと頭が回る。

 そのまま意識が暗転した。
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