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32. レリッサと魔術師3

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 夜中の間に雪は止んで、朝日が少しずつ雪を溶かしていく。
 お昼を過ぎた頃には、雪が残っているのは道の端くらいになっていた。

「…ここが、魔術師団…?」

 サマンサが呆気にとられた顔をして、馬車から降りた。
 それも無理もないというほどの、地味で、目立たない、薄汚れた建物だった。

 レリッサとリオネル、それからアイザックとエドで馬車一台。もう一台別の馬車に乗ってきたサマンサの後ろから、父とディートルが降りてきた。

 そこは大通りを南へと下り、平民が暮らす下町の入り組んだ脇道の中の、目立たない一角だった。
 本来なら、リオネルたちだけで行くはずだったところ、サマンサがどうしても魔術師団を見てみたいと、ついていくことになったのだ。レリッサはサマンサのお目付役である。

 レリッサは隣に立つリオネルを見上げた。
 今日は周囲から顔を隠すように、マントのフードを深くかぶっている。

「ほら、行くよ」

 ディートルが、薄汚れた扉に手をかけた。
 呼び鈴も何もない扉を、彼は躊躇うことなく押し開いた。
 入り口は狭く、扉を開けてすぐが階段になっていて、下へと降りるようになっている。

「あ、意外と広いんだ」

 階段を降りて行きながら、そう小さく漏らしたのはエドだった。

「簡単な空間魔法だよ。空間を広げてあるんだ」

 ディートルが声を抑えて説明する。
 その説明を、エドは周囲をキョロキョロと見回しながら「へぇ」と聞いている。
 建物の中を見回しているのはエドだけではなかった、レリッサはもちろん、そして護衛としてついてきたアイザックも興味深そうに、壁に刻まれた魔法陣や、少々気味の悪い絵を眺めている。
 対照的なのはサマンサで、先頭を行くディートルを追い越さんばかりに、目を輝かせてどんどん下へ降りていく。

 階段は抜けそうなくらいボロボロだったが、七人が一度に降りても軋むくらいでビクともしなかった。下へと降りていくごとに、照明が薄暗くなっていく。
 レリッサの手を引きながら階段を降りていたリオネルが、こちらを振り向いて「着いたよ」と囁いた。

 階段を降りた先は長い廊下だった。
 どう考えてもこの建物がある敷地の中に収まっていない。空間を広げてあるとは、そういうことなのだろう。

「お邪魔するよ」

 ディートルは迷わず、長い廊下を進んで行き、一番奥の扉を開いてそう言った。

「これはこれは…」

 レリッサたちを中で待っていたのは、灰がかった薄緑の髪をざんばらに切った、ひょろりと細長い男だった。黒いローブを身にまとっているが、彼の体格に合っていないのか、ローブはぶかぶかで、それでいて丈が全く足りていなかった。
 その瞳の色は、糸を引いたような細い目の、瞼の奥にあって判別できない。

 魔術師団団長、ジング・リング・エヴァン。彼がまさに、その人だった。

「ラローザ将軍。いかがされたかな」

 ジングは机から離れて父の前に立った。
 見た目以上にずっと大きな部屋の中は、総勢八人が立っていても狭さを感じない。壁にずらりと本棚が並び、床にまで積み上げられているにも関わらず、である。
 机の上には巻紙と本と、色とりどりのインク壺で溢れかえっている。

「エヴァン殿。実は…」
「いいよ、セドリック」

 話し出そうとした父を、ディートルが遮った。
 そして、彼が手を空間にかざすと、そこにはいつの間にか杖が出現していた。彼の背丈以上に大きなものだ。先端に、玉虫色の大きな宝玉がついている。

「僕らには、言葉はいらない」

 そう言うと、ディートルは杖の先で、とん、と床を軽く打った。

「わっ」

 エドが慌てて二歩たたらを踏んで下がった。
 ディートルを中心として、魔法陣が足元に広がったのだ。
 青白く発光した魔法陣の下に、やおら、星空が広がり始めた。それは魔法陣の外にまで侵食して、レリッサたちの足元を星空に変えていく。

 底が抜けるような、奇妙な浮遊感を覚える。
 リオネルが、レリッサを支えるように腰を抱き寄せた。

「これは…」

 誰かのつぶやきに、答える声はない。
 ディートルは無言で杖を振ると、周囲に人型の何かが現れた。
 赤、青、黄、緑の人の形を取った何かが、ディートルに纏わりつくように触れていって、やがて、弾けて消えた。

 その途端、レリッサたちは元いた場所に戻っていた。

「おお…」

 ジングが感嘆の声を漏らした。
 そして、ローブに手を入れ、ディートルの前にひざまづいた。

「十六魔色の使い手。深淵を覗く者。魔の精霊の唯一」

 深く深く、額が床につくほど頭を下げる。

「ディートル・マーレ・クライスト。ようこそスタッグランドへ」
「うん。よろしく頼むよ」

 ただ、それだけだった。

 ディートルはちらりと机の上に目を向けて、眉間に皺を寄せた。

「使役魔法か。趣味の悪い研究してるね」

 ディートルは、「じゃあ、また気が向いた時に来るから」と言って、いまだに頭を下げているジングに背を向けた。

「え、帰んの?」

 エドが驚いて、ディートルの背中に声をかける。

「話はついたからね。こんな空気の悪いところに、ずっといたいって言うなら好きにすれば?」

 ディートルは部屋を出て、廊下を戻っていく。
 レリッサたちも慌てて彼の後を追う。一番最後、父が扉を閉めるまで、ジングは頭を下げ続けていた。

「あー、息苦しかった」

 地上に出ると、ディートルはそう言ってグッと背伸びをした。
 手に握っていた杖はいつの間にかなくなっている。

「さ、聞きたいことがたくさんありそうだけど、まずは屋敷に帰るよ。こんなとこで立ち話するような話題じゃない」

 ディートルが待たせていた馬車に乗り込んでいく。
 父とサマンサがその後に続き、レリッサたちももう一台の馬車に乗り込んだ。

 屋敷に戻ると、サロンの暖炉のそばにゆったりとしたソファを出現させて、ディートルはお茶をサジでかき回しながら言った。

「言ったでしょ。魔術師に、言葉はいらない。完全才能主義だから」
「完全才能主義…」

 サマンサが目を瞬かせる。

「そうだよ。持って生まれた才能が全て。努力なんかじゃ覆しようがないのさ。一魔色しかない魔術師は、一生、一魔色しか得られない。どれだけ努力しても、魔色の数は増やすことはできない。だから僕は、自分の実力を彼に見せつけただけだ」

 つまり、とディートルは匙の先で、サマンサを指した。

「すでに君は、あの団長よりも立場が上にあると言うことになる。…国が違えば、拝まれて、崇めたてられて、聖女にでもなっていただろうね」
「さっきのあの団長の実力はどれくらいなんだ?」

 リオネルが尋ねた。

「せいぜい魔色の数は五色ってとこだね。まぁ、でも、なかなか良く研究してたんじゃないの? 彼、熱心ではあるようだね。魔術師の本分は、魔術の真理と世界の理、時空の深淵を解き明かすことにある。研究の成果は、その才能とは別問題だ。序列は下でも、研究で名を成す魔術師も多くいる。…そう考えれば、あの団長は、団長というだけあるんだろう」
「ねぇ」

 サマンサが、身を乗り出した。
 手元にあるお茶は、全く減っていない。

「あなたも研究をしているの?」
「当然でしょ。なに、魔術師が、ただ魔法をホイホイ使って、楽しているだけのお気楽者に見えた?」

 そう言いながらディートルは、またもや手を振っただけで、空間からクッキーの乗った皿を出現させて、クッキーをかじっている。
「説得力よ…」とエドがつぶやいた。

「どんな研究?」
「話すわけないでしょ。どうせ言ったって、まだ魔術師にもなっていないひよっこには、理解できないよ」

 サマンサがムッとした顔をする。

「じゃあ、教えてよ、魔法」
「サマンサ」

 父が、たしなめるようにサマンサの名を呼ぶ。

「だって! 魔術師団に入るの、待ってられないんだもの。それに、こんなにすごい魔術師が家にいるのよ? 私の魔力量が多いって言うなら、早くコントロールできるようになった方が良いんじゃないの?」
「一理あるな」

 リオネルが加勢すると、サマンサが表情を明るくして、リオネルに向かって、ウンウンと頷いている。

義兄にい様、もっと言って!」

 リオネルはディートルを見て、「ディートル」と名を呼んだ。
 たったそれだけだったが、ディートルは何かを理解したのか、小さくため息をついて、頷いた。

「りょーかい。良いよ。まずは瞑想千時間ね」
「千時間!?」

 サマンサがその瞑想の長さについて、ディートルに文句を言い始める。
 それを見届けて、リオネルは父とアイザックに業務上の指示を出してから、レリッサに向き直った。

「レリッサ、明後日、少し時間あるかな?」
「明後日?」

 レリッサは首を傾げた。

「特にこれといって予定はありませんが…」

 夜会に出なくなってからと言うもの、レリッサはめっきり外出する理由がなくなって、ほとんど家から出ていなかった。
 もともと、家で本さえ読めていれば、いくらでも時間を潰せるので、それで特に不自由もない。

「そっか、良かった。ちょっとデートしよう」
「デート…」

 その言葉の響きに、思わず頰が緩む。
 レリッサの表情に喜色が滲んでいたのか、リオネルが満足そうに頷いた。

「うん。見せたいものがあってね」

 と言うわけで、とリオネルはアイザックの方を見た。

「君もそのつもりで」
「…自分もですか」

 アイザックが驚いたように目を見開く。
 レリッサもてっきり二人きりだと思っていた。

「念のためね」

 リオネルは苦笑いをしながらそう言って、ぽんとレリッサの頭を撫でた。


**********


 エドはリオネルの後から馬車に乗り込んで、対面の席に座ると、「俺、同情する」と呆れながら言った。

「何が」
「いや、可哀想すぎでしょ。アイザック」

 先ほどのリオネルとレリッサたちの会話を、エドも聞いていた。
 アイザックは顔には出さなかったが、その胸中が複雑なのは、手に取るようにわかる。おそらく、分かっていないのはレリッサだけだろう。

「何が楽しくて、好きな女の子と、その婚約者のデート現場をつぶさに観察しなくちゃならないわけ?」
「仕方ないだろう。もし何かあった時、レリッサを守る人間が必要なんだから」
「そうだけどさぁ…」

 別に他の護衛だって良いじゃんか、とエドは独りごちる。

 リオネルを狙う暗殺者は、彼がスタッグランドに帰ってきてから全くと言うほどいなくなった。リオネルがことごとく返り討ちにしてしまうので、意味がないと思っているのか、それとも。

(なぁんか…嫌な感じなんだよなぁ…)

 エドは胸の中にたまる不快感を、ため息と共に吐き出す。
 暗殺者がいなくなったとは言え、用心するに越したことはない。そう言う意味では、リオネルが自分以外にレリッサを守る人間を必要としたのは、理解はできる。

「それに」

 馬車の窓枠に肘をつきながら、リオネルがつぶやくように言った。

「シンプトン少尉にも、見ておいて欲しいからね」

 その言葉に、エドは鼻の頭に皺を寄せる。
 明後日、リオネルがレリッサたちを連れて行こうとしているところは、エドにとっても思い入れのある場所だ。

「それにしても、随分仲良くなったんだな。お前らしいと言えば、お前らしいけど」

 アイザックのことだろう。
 数回ラローザ邸で顔を合わせた程度だが、いつものエドの持つ気安さで懐に入り込んで、だいぶ打ち解けたように自分でも思う。

「アイザックは良いやつだと思うよ」

 エドは言った。

 口数は少なく、無愛想に見えるが、義理堅く、真面目で、忠実だ。
 彼は想い人レリッサをリオネルに取られた後も、リオネルに対する忠誠は変わらずに持ち続けている。
 レリッサへの想いだって、そんなに軽いものではなかっただろうに、なかなかできることではない。

 リオネルは、エドの目を見て、ふっと笑った。

「俺もそう思う。だから余計に、知っていて欲しいんだ」
「…まぁ、俺はそれについては反対しませんけど? ただ、あんまりイチャイチャするの禁止な! 可哀想すぎるから!」

 分かってるよ、と笑うリオネルに、エドは「どうだか」と疑いの視線を向ける。

 何せリオネルときたら、無自覚にレリッサに甘い視線を送り、無自覚に甘い言葉を垂れ流すのだ。

(ま、幸せそうで何よりだけどさ)

 エドは過ぎ去る窓の外の景色に向かって、小さく息を吐いた。


**********


 一人で過ごすには余りに広く、静かな部屋の中に、扉をノックする音が響いた。
 セルリアンは、キャンバスから顔を上げて「入れ」と声をかける。

 今まさに、着色をし始めようと手に持っていた筆を置き、服が汚れないようにと纏っていたエプロンを外すと、ゆるりと扉が開いて、今日も無愛想な顔の、この国の宰相が手に書類を持って入ってきた。

 宰相はちらりとセルリアンが目の前にしていたキャンバスを見ると、「本日も精が出ますな」と言った。
 彼がセルリアンの部屋に、直接仕事を持ってくることはそんなにない。いつもは執務室にいる侍従に任せるのだが、今日はどういう風の吹きまわしか。
 そこまで考えて、セルリアンは「ああ…」と小さく呟いた。
 合点がいく。
 彼は、セルリアンが何を描いているのか気にしているのだ。

 宰相はキャンバスに薄く描かれた、果物の静物画をちらりと見た後、その向こうのイーゼルに立てられた絵に視線を移して、口元をわずかに歪ませた。

 そこには、女性の絵が描かれている。
 少女というには艶があり、女性というにはまだ幼い。
 その大人と子供の間の、曖昧模糊あいまいもことした魅力を放つ令嬢の姿。
 髪の色は薄い茶色。芯の強さを感じさせる瞳の色は、アメジスト。
 たおやかに、控えめに微笑んで、そっとカップに柔らかな唇を寄せるその姿。

 セルリアンが、彼女が帰った後からキャンバスに描いたものだ。
 我ながら秀作で、セルリアンが得意とする柔らかな光を使った筆致が、彼女の持つ品のある魅力を最大限に引き出している。
 気に入って、いつでも執務机から見られる位置においてあるのだが、そう言えば宰相は、これを描いている最中に一度この部屋を訪れたのではなかったか。

「上手く描けているだろう」
「…そのようですな」

 どうやら言葉通りには思っていないらしいと、その声色からセルリアンは察する。
 宰相は、先日、彼の娘に対してセルリアンが抗議したことを、いまだに気にしているのだろう。

「仕事なら机に置いておいてくれ。後で目を通す」
「いえ…殿下はお忙しいようですので、こちらは私の方で処理をいたします」
「そうか。それなら頼む」

 宰相は入ってきた時と同じように、書類を手にしたまま部屋を出て行く。
 セルリアンはその後ろ姿を見送って、筆に伸ばそうとした手を止めた。
 少し考え込み、執務机の引き出しから便箋を取り出す。スタッグランド王家の、薔薇と雄鹿の版が押されたそれを一枚取って、セルリアンは便箋の上にペンを走らせ始めた。


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