発狂小説 去年ニコタマバードで ４Kマジカルクラスター版

第二篇 魔界山怪の章

第13話 ブルドッグの牙

　ゴンドラが摩能山まのうさんに到着しました。
　ロープウェイの発着場を降り、山腹の療養所へと向かって歩きだします。
　西を目指し、芝草を踏んでしばらくゆくと、赤いレンガ屋根の石造りの建物がみえてきました。
　幅広い三階建ての建物が凹型に三棟並んでいます。
　わたしは中央の広場を突っ切り、正面玄関からなかに入ります。
　玄関横の事務室の入口で訪問の意を伝えました。

「あなたが三輪麻鈴みわ・まりんさんね。ようこそ美人病療養所トマス・サナトリアムへ」

　事務室長のカロニャックという年配のご婦人が席をたって迎えてくれます。
　カロニャックさんは北欧系の白人です。国際共通語のパミル語で話しかけてくれました。
　わたしもパミル語を解するので問題ありません。
「シグマさんからすべて聞いています。さっそくお部屋に案内しましょう」
「あの……”おにいさま”はどこに？」
「シグマさんはここにはいません」
　カロニャックさんは若干意地悪い目を光らせていいました。
　わたしは”おにいさま”が待っているとトギさんから聞いて、こんな辛気臭い場所へきたのです。”おにいさま”がここにいなければきた意味がありません。
「手紙を預かっています。まずは部屋へゆき、落ち着いてから今後のことを考えてみてはどうですか？」

　結局、わたしはカロニャックさんのいうとおりせざるを得ませんでした。どっちにしろ、もどるところはもう、ないのです。
　案内された部屋は簡素な居間と寝室の二間でキッチンスペースなどはありません。食事はこの療養所——トマス・サナトリアムの食堂で摂ることが決まりのようです。
　わたしはカロニャックさんから手渡された”おにいさま”の手紙を読みました。

『ぼくの愛する妹・麻鈴。ようこそ、トマス・サナトリアムへ。
　ぼくがいなくて、さぞ心細いことだろう。だけど我慢しておくれ。これから重要な任務を果たしにいかなければならない。なあに、そんなに時間はかからない。
　ぼくは１週間後にここへ帰ってくる。たった７日の辛抱だ。それまで、ここの暮らしに馴染んでおくんだ。いいね。
　あ、そうそう。ブルドッグの牙は鏡台の右側、一番上の引き出しの奥だ。サナトリアムの療養患者のなかにはきみの美に目がくらんで不埒ふらちな行いにでるものも当然いるだろう。
　そのときは遠慮なく牙をたててやるんだ。
　遠慮はいらない。いつもどおり自分の美は自分の手で守るんだ。それが三輪家の家訓だ。
　では、会える日を楽しみにしているよ。
　それまでどうか健やかで。
　　　　　　シグマ」

　わたしは周囲に目を配りました。
　カロニャックさんはもう部屋にはいません。わたしをここへ案内するとそそくさと事務室へもどっていきました。
　わたしは白いレースがかかった鏡台に歩み寄り、一番上の引き出しを開けてみます。
　そこには９ミリパラベラム弾の実包が20カートほどありました。”おにいさま”のおっしゃる『ブルドッグの牙』です。
　すぐさま、プラダのバッグに仕舞ったブルドッグ——ベレッタPX４サブコンパクトを取り出し、マガジンに装填します。
　手の中の無機物が小さく吠えた気がします。
　わたしは椅子に腰かけ、鏡台の扉を開きました。
　鏡のなかのわたしはなぜか笑みを浮かべていました。


　　　　第14話へつづく