発狂小説 去年ニコタマバードで 4Kマジカルクラスター版

自由言論社

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第二篇 魔界山怪の章

第15話 淑女と仮面紳士

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 デレブイアさんの大声に食堂にいた人々がいっせいに振り返りました。

「あの女が……」
「地球滅亡の元凶……」

 ざわめきが非難の視線となってわたしに押し寄せます。
「そうだ、おまえのせいだ。おまえが地底王子との縁談を蹴ったばかりに、地上は滅茶苦茶になった。全部、この女のせいだ!」
 デレブイアさんがなおもわめき散らします。
 わたしに関する事柄が、巷間どこまで正確に伝わっているかは存じ上げません。でももう、そんなことはどうでもいいのです。
 いい加減、このオヤジがウザく面倒くさくなってきました。わたしはバッグの口金に手をかけ、ブルドッグを解き放とうとしました。

——と、そのときです、わたしの左足のすねがなにかに当たりました。なにかはわたしの足をすりすりしています。
「?!」
 みると、それは黒猫でした。黒猫がわたしに甘えているのです。
 わたしが思わずほっこりしていると、黒いイブニングドレスを着た淑女が淡い笑みを浮かべて近づいてきます。
 淑女が黒猫を抱きあげてわたしに目礼すると、食堂のカウンターへと静かな足取りで歩いていきました。
「レーヴァンタインさんよ。口がきけないの。でも、耳は聞こえるようだから」
 ヨアンナが淑女の説明をしてくれます。
 黒猫を抱いた淑女、ミランダ・レーヴァンタイン。
 背が高く、スタイルも抜群で細面の顔はまるでハリウッド女優のよう……。まさにこのひとこそ、『美人病』の代表格といっていいかもしれません。
 わたしは、食堂にいる人々を見渡してみました。
 どの方も美男美女と呼ぶにふさわしい容貌の持ち主です。ただひとり、デレブイアさんを除いて。
「おい、なんとかいったらどうだ!」
 無視されたと思ったのでしょう、デレブイアさんがしつこくからんできます。
 肉厚の頬が赤黒く染まって醜悪な面相がさらに歪んでみえます。このひとが『美人病』の罹患者りかんしゃだとは思えません。なにかの誤診ではないでしょうか?

「お静かに願えませんかな」

 デレブイアさんが際限なく奏でる雑音に休符を打った方がいました。
 金髪の巻き毛の下の双眸をアイマスクで隠した紳士……仮面紳士とでもお呼びすべきでしょうか? 灰色のツイードジャケットに赤と黒のレジメンタルタイを締めています。
 その身ごなしは由緒ある英国紳士のようです。
「この方は……」
 今度はわたしからヨアンナに人物紹介を求めました。
 ヨアンナが形のいい眉を垂れて困ったようにいいます。
「それが……あたしにもわからないの。
 みんな、あのひとのことをマジシャンと呼んでいるわ」
「そう、あなたもぼくのことをマジシャンと呼んでください」
 ひそひそ声が耳に入ったのでしょうか、自称マジシャンがわたしたちのテーブルに身を寄せてきました。
「ようこそ、トマス・サナトリアムへ」
 その指先から花がパッと咲きました。
 その花をわたしに手渡して彼はつづけます。
「ぼくたちはここで療養につとめる仲間です。お互い助けあい、親睦を深めようではありませんか。約一名を除いて」
 ちらりとデレブイアさんを一瞥して笑みを浮かべます。
「ふん。キザ野郎が!」
 どうやらデレブイアさんはこの仮面紳士が苦手のようです。
 小さく悪態をつくと、その場を去っていきました。

「ああっ、降ってきたぞ!!」

 突然、周囲が騒がしくなりました。
 食堂の窓を雨粒がたたいています。
 ここでは雨が降るのは珍しいのでしょうか?
 わたしが何気なしにそちらに目をやると——

「えっ?!」

 思わず声をあげてしまいました。
 中庭に面した窓が紫色に濡れています。
 サナトリアムに降る雨には色がついていました。
 禍々しい紫色の雨です。


    第16話につづく
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