婚約破棄は歓迎ですが司書解任は困ります――そう言っていた私ですが、図書館の地下で自堕落天国が完成しましたので、どうか放置してくださいませ』

しおしお

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第4話 「新司書サヴィ、初日から崩壊の予感」

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第4話 「新司書サヴィ、初日から崩壊の予感」

 

 無限魔導図書館。

 王国で最も膨大な知識を蓄えた“魔導の心臓部”。
 王宮よりも古く、王家よりも長くこの国を見てきたとされる、半ば伝説めいた施設。

 その、歴史と魔力がぎゅうぎゅうに詰まった場所の受付カウンターに――

 今日から新たな司書が座っていた。

 聖女サヴィ・ルミナス。

 柔らかな金髪は陽光を閉じ込めたように輝き、薔薇色の頬は見る者の庇護欲をそそり、
 涙ぐみそうな大きな瞳は、いかにも「守ってあげたい」側の美少女である。

 ……ただし、司書としての能力は、豪華な宝石箱のふたを勢いよく開けたら中身が空っぽだった、くらいの状態だった。

(ど、どうしましょう……もう帰りたいです……)

 開館時間、鐘が一度鳴り終わるころ。

 サヴィは、受付カウンターの前に並び始めた魔術師たちを見ながら、すでに泣きそうだった。

 彼女の手元には、見慣れない光る魔法端末が一枚。
 宙に浮かんだ透明な板に触れると、文字が浮かんだり消えたり、光が強くなったり弱くなったりする。

 本来は、貸し出しや蔵書検索を一括で管理する、王国最新式の便利道具である。

 ――はずなのだが。

「は、はい……いらっしゃいませ? でしたっけ?」

 サヴィは、カウンターの前に立つ初老の魔術師を見上げながら、自分の声に自信が持てなかった。

(挨拶って何て言うんでしたっけ……ソラーラ様、いつも自然に言ってらしたから、ちゃんと聞いてませんでした……!)

 「いらっしゃいませ」だったか、「ようこそお越しくださいました」だったか、
 あるいはもっと格式張った言い回しだった気もする。

 しかし、もう遅い。口から出てしまったものは戻らない。

「え、ええと……ご用件は……?」

「ああ、サヴィ司書様」

 魔術師はやや不安そうにしながらも、丁寧に礼をした。

「破級魔法の研究書《爆炎律式の深化》を探していてな。
 昨日もソラーラ嬢に案内していただいたのだが、続きを読みたくて」

「え、えっと……ば、爆炎……? 律式……? しんか……?」

 サヴィは、聞き取った単語をそのまま口の中で転がしてみた。
 しかし、意味はちっとも頭に入ってこない。

(爆炎? 爆発して炎が出る? 危なそうですし、そもそもそんな怖い本、私触りたくありません……)

 語尾がどんどん小さくなったところで、魔術師は少しだけ眉をひそめた。

「……棚番号の案内魔法は使えるのか?」

「あっ、はい! 多分!」

 ここだけは、なぜか胸を張って言えた。

 ――理由は簡単だ。
 「使えるかどうか確認する暇もなく、今日を迎えてしまった」からである。

(とにかく、触っておけば何とかなるはずです!)

 サヴィは気合いを入れ、端末をぺしぺし、と叩いた。

 ぺしっ ぺしっ ぺしぺしっ。

 端末の光がバチッ、と火花のように散り、魔術師が思わず一歩後ずさる。

「ちょっ……司書様、それ魔力出すぎ……!」

「だ、だってどうやって触ればいいのよ!?
 ソラーラ様みたいに、優しくなでる感じなんて分かりませんっ!」

 サヴィの魔力は聖女らしく豊かだ。
 だが、量が多いだけで「繊細な制御」はまったく得意ではない。

 端末はブゥンと低い音を立てた後、震えるように光を明滅させ――

 ぴたりと光を消した。

「……壊したな」

 魔術師の冷静なひと言。

「ちがいます! わたしのせいじゃありません!!
 絶対、この端末のほうが繊細すぎるのが悪いんです!!」

 サヴィが半泣きで端末をゆさゆさ揺らしていると、
 待っていた次の魔術師が容赦なく声をかけてきた。

「サヴィ司書様、古代魔法語辞典を探しているのだが」

「こ、こだい……? まほ……? 辞典……?
 は、はい、どこかに……ありますよね……?」

 完全に「自分は関係ありません」というテンションの回答だった。

「どこに?」

「それを聞かれると……えっと……」

 サヴィは、遠い目になった。

 ゆっくりと図書館の奥を見渡す。

 果てしなく続く書架の列。
 その一本一本が、生き物の背骨のようにじわり、じわりと動いている。

 通路だったはずの場所が影に飲まれ、本棚の影だった場所に新しい通路ができる。
 数秒前と数秒後で、景色が違う。

(な、なんで本棚が動くのよぉ……!
 誰よ、こんな怖い建物にしたの!!)

 もちろん、そんなものを「した」人はいない。
 この図書館は“生きている”。
 世界のどこかで新しい知識が生まれるたび、その呼吸に合わせて、内部構造を変化させていくのだ。

 そしてその呼吸をきちんと理解できる者は――
 今、この受付には、一人もいなかった。

「サヴィ司書様、精霊召喚術の基礎書は?」

「サヴィ司書様、幻影魔法の補助陣の研究書は?」

「サヴィ司書様、昨日借りた魔道書の延長をしたいのだが、どこで手続きできる?」

「サヴィ司書様、貸し出し記録はどこで閲覧できます?」

 次々と押し寄せる質問の嵐。

 サヴィの顔は、ついに青ざめ始めた。
 瞳は泳ぎ、息は浅くなり、声が上ずる。

「え、えええ、ちょっと待って!
 わたし一人でそんなに対応できませんっ! 順番に、順番にですっ!」

 その叫びにも、魔術師たちは容赦がない。

「普通の司書なら当然できることだ」

「ソラーラ嬢なら、棚番号も書名も全部頭に入っていて、一瞬だったぞ」

「むしろ、こちらが『あの、ええと……召喚術の……』と曖昧に言っただけで、
 『こちらですね』と本を持ってきてくださったのですが……」

「そ、そんなの聞いてませんっ!!
 司書って、もっとこう……窓辺で本をぱらぱらめくりながら、優雅にお茶を飲むお仕事じゃないの!?」

 違う。
 少なくとも、この図書館に関しては、まったく違う。

 ここは世界最高難度の“生きた図書館”であり、
 司書とは、その迷宮の心臓部と対話する、ほぼ唯一の存在なのだ。

 サヴィは、とうとう頭を抱え、半泣きで天井を仰いだ。

「本の場所なんて知らないわよぉ!!
 そもそも、本が勝手に動く図書館なんて聞いたことないのよ!!」

 その叫びが高い天井にこだまし、静寂が一瞬だけ場を支配した。

 魔術師たちは、一同、深い深いため息をつく。

「……これは、ひどい」

「いや、彼女が悪いというより……殿下の人事がひどい」

「ソラーラ嬢がどれほど優秀だったか、遅すぎるほど思い知りましたな……」

「お願いですから戻ってきてください、ソラーラ司書……」

 誰かがぽつりと呟き、他の魔術師たちが深く頷く。

「「「戻ってきてください、ソラーラ司書……」」」

 謎の小さな合唱が生まれた。

「こ、こら! 勝手に戻ってこいとか言わないでください!」

 サヴィは必死に否定するが、声は震え、目には今にも涙があふれそうだ。

 そのとき――

 後方から、堂々と響く声がした。

「サヴィ、気にするな!」

 アクトロス王太子だった。

 いつものように自信満々の笑みを浮かべ、
 いつものように状況をまったく理解していない足取りで、カウンターへと歩み寄ってくる。

 そして、彼女の肩にポンと手を置いた。

「司書など簡単な仕事だ」

 魔術師たち(心の声) (殿下……)

(今、この場でそのセリフを言える神経がすごい……)

(司書は宮廷魔術師より難しい職務なんですよ……?)

「お前は王太子妃になる身なのだ。
 こんな雑務に囚われず、気楽にやればよい」

(気楽にやっていい“雑務”だったら、ここまで混乱しません……!)

 魔術師たちの心のツッコミが、遠慮なくそろう。

 しかし、アクトロス本人には、そんな沈黙の叫びは一切届いていない。

 サヴィは、ぎゅっとアクトロスの袖をつかみ、涙目で訴えた。

「も、もう嫌ああああ!!
 わたし、王太子妃になるのが夢なのに、なんで図書館で怒られなきゃいけないのよ!!
 みんな本のことばっかり聞いてくるし、字ばっかりで頭が痛いし、
 棚は動くし、端末は光るし、怖いし!!」

 その声が、図書館中に響き渡る。

 書架の上で待機していた清掃用ゴーレムが、あまりの声量にひっくり返った。

 アクトロスは、そんなサヴィの頭をぽんぽんとなでながら言った。

「そうだな、サヴィは本来、こんな場所で働くべきではない。
 王妃教育に専念するべきだ」

 魔術師たち(心の声) (それは……正しいようで、最悪のタイミングの“正論”です殿下)

「さあサヴィ、王妃教育に専念するのだ。
 ……誰か、本を探してやれ!」

 唐突に投げつけられる丸投げ命令。

 魔術師たち 「「「は?」」」

 ぽかんとした顔が、何人もそろう。

(殿下、それを我々がやるなら、司書職とは……?)

(それ、つまり“司書の代わりを魔術師でやれ”という……?)

(いや、私たちも本職の仕事があるのですが……)

 場の空気が微妙な沈黙に包まれたその時――

 受付前には、すでに長蛇の列ができていた。

 貸し出し手続き待ち。
 蔵書案内待ち。
「迷子になったので出口への道を知りたい」待ち。

 端末は沈黙し、魔導書案内魔法はうんともすんとも言わず、
 利用者の不満は、いよいよ頂点に近づきつつあった。

(ソラーラ嬢……どうか戻ってきてください……)

 魔術師の一人が、心の中でそう祈る。

 ――その祈りに、かすかに応えるように。

 遠く、書架の奥の奥で。
 誰にも見えない場所で、本棚の影がふっと揺れた。

 そこにいる“影の司書”は、静かに小さく息を吐く。

(……初日から、ずいぶん賑やかですね)

 ソラーラは机の上の簡易地図に視線を落としながら、
 こっそりと「迷子防止用の誘導魔法陣」を一段階強めた。

(とりあえず、本当に命に関わる事故だけは防いでおきましょう)

 表向きには解任されたはずの元司書が、
 影からちゃっかり安全管理を続けているとは、誰も思いもしない。

 この“混乱の初日”は――
 まだ序章に過ぎない。

 後に続く大災害、すなわち王都中を震撼させることになる

 「魔導師行方不明事件」

 その幕が、静かに、しかし確実に上がりつつあった。
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