婚約破棄破棄されたので流行らない喫茶店をはじめました

しおしお

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第3章

15話 働かない店主、堂々と主張する

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働かない店主、堂々と主張する

 午後の光が、店内の床にやわらかく伸びていた。

 喫茶店「雪の庭」は、遅いながらも確かに営業中だった。
 席はすべて埋まっているわけではないが、空席が出ればすぐに誰かが腰を下ろす。甘い香りと静かな話し声が、穏やかな空間を形作っていた。

 忙しく動いているのは――忍と弥生の二人だけである。

「すみません、こちらのお皿お下げしますね」 「お水、足りますか?」

 忍は店内を行き来し、弥生は厨房と客席を何度も往復していた。
 プリンの追加を用意し、器具を洗い、次の提供に備える。

 一方で。

 カウンター席の中央に、まるで置物のように鎮座している人物がいた。

 店主・雪乃である。

 雪乃は、背筋を伸ばして椅子に座り、紅茶のカップを手にしていた。
 視線は店内全体を穏やかに見渡し、時折、満足そうに小さく頷く。

 ――だが、動かない。

 忍は、皿を抱えたまま一瞬立ち止まり、深く息を吸った。

「……お嬢様」

 なるべく穏やかな声を選ぶ。

「お客様、増えてきています」

「ええ」

 雪乃は当然のように答える。

「とてもいい流れね」

「……少しは、手伝っていただけませんか」

 言葉を選んだつもりだったが、語尾には抑えきれない感情が滲んだ。

 雪乃は、きょとんとした顔で忍を見る。

「どうして?」

 忍は一瞬、言葉を失った。

「どうして、って……」

「だって、ちゃんと回ってるでしょう?」

 雪乃は紅茶を一口含み、静かに続ける。

「忍も弥生も、とても優秀だもの」

 それは事実だった。
 だが、それとこれとは話が違う。

「お嬢様は……店主です」

「ええ」

「“店主”というのは、働く立場です」

「そうかしら?」

 雪乃は、少し首を傾げる。

「私は、この店の“空気”を管理しているのよ」

「……空気?」

「ええ」

 雪乃は、ゆっくりと店内を見渡した。

「皆、落ち着いているでしょう?  急かされていないし、騒がしくもない」

 確かに、客たちは穏やかな表情で過ごしている。

「私がバタバタ動いたら、この雰囲気は壊れるわ」

 忍は、反射的に言い返した。

「それは、ただ動きたくないだけでは……」

「違うわ」

 即答だった。

「“働きすぎない”のも、仕事よ」

 堂々と言い切られ、忍は思わず口を閉じた。

 その様子を見て、弥生が厨房から声をかける。

「忍さん……お客様、追加のプリンです」

「……はい」

 忍は返事をしながらも、内心ではぐらぐらしていた。

(理屈としては、納得できません……)

 だが。

 客の表情を見れば、完全に否定もできない。

「……不思議ですね」

 忍は、弥生に小さく呟いた。

「お嬢様、何もしてないのに……」

「でも、皆さん楽しそうです」

 弥生は苦笑しながら答える。

 雪乃は、その会話を聞きながら、満足そうに頷いた。

「ほら。ちゃんと伝わってるわ」

 忍は、額を押さえた。

(この人……本気で言ってる……)

 それでも、店内は穏やかに回っている。
 誰も怒らず、誰も急かされず、ただ甘味と茶を楽しんでいる。

 雪乃は、紅茶を置き、静かに言った。

「喫茶店はね、“効率”より“居心地”よ」

 その言葉に、忍は反論できなかった。

 忙しさの中で忘れかけていた何かを、突きつけられた気がしたからだ。

 店は、まだ開いている。
 客も、まだいる。

 そして――
 この平穏が、どれほど続くのかは、誰にもわからない。

 雪乃が、次に何を思いつくか次第なのだから。


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