プリンセス諸国漫遊記

しおしお

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第1章 消えた娘たちの村 ――ベルクの闇と白銀の一閃――

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 真夏の陽光が王都セレスタの白壁を照らしていた。城下の石畳は熱を帯び、空気は陽炎のように揺らめく。そんな昼下がり、王宮の裏門から一台の幌馬車が静かに走り出た。御者台には栗色の髪の青年ガイアが立ち、片手で手綱を操りながら口笛を吹く。隣には長身痩躯の騎士ユリウスが腕を組んで座り、鋭い鷹の眼で往来を見張っている。荷台の奥には、白いメイド服を着た小柄な少女ベアトリスと、青い旅装束をまとった金髪の少女が身を寄せ合っていた。

 少女の名はアリシア・ルクレール。だが、今この旅のあいだだけは〈ルクレール商店の箱入り娘アリア〉を名乗る。彼女の正体はエルディア王国第一王女にして国王の愛娘。王都で政務を学び、舞踏会で賛辞を浴びるはずの姫君が、なぜ身分を隠して旅をするのか――それには二つの理由があった。

 一つは、王城に届かぬ民の声を自らの耳で聞くため。
 もう一つは、地方を蝕む悪政や汚職を暴き、正義を示すため。
 父王は病に伏し、摂政たちは都合のよい報告書だけを並べる。だが、城外では貴族や代官が私腹を肥やし、兵が賄賂で沈黙するという噂が絶えなかった。アリシアは机上の書面より自分の眼を信じると決め、忠臣たちの制止を振り切って諸国漫遊の旅に出たのである。

 馬車は三日かけて王都を遠く離れ、西方の商業都市ミーレンへと入った。石畳の大通りは広く、両脇には煉瓦造りの商館が並び、海から届く品々で賑わうはず――だった。しかし現実は違った。人々の足取りは速く、誰もが目を伏せ、子どもたちは母親の背に隠れて震えている。屋台の主人は客が近づくと身を引き、声を掛けるどころか背を向けた。

 「……おかしいわね。港町の昼下がりなら、荷馬車の呼び声や魚を焼く匂いで賑わうはずなのに」
 アリシアは馬車の窓から顔を出し、眉をひそめる。
 ガイアが片手で手綱を操りながら肩をすくめた。
 「道行く連中、みんな怯えた目をしてやがる。これじゃ商談どころじゃねぇな」

 ユリウスは答えず、街角に立つ衛兵を横目で見やった。鎧は磨かれているが背筋は緩み、腰の剣は錆びている。眼は泳ぎ、視線が合うと怯えたように逸らした。
 「兵が腐れば街が腐る。……嫌な匂いだ」
 騎士の独り言に、アリシアはそっと頷く。

 宿屋〈風鳴亭〉は大通りから一本裏へ入った静かな石造りの建物だった。女将はふくよかな体を小さく折り曲げるようにして迎え入れ、笑顔の奥に怯えを滲ませる。
 「長旅でお疲れでしょう。夕餉の支度をいたしますが、日が暮れましたら外出はお控えくださいませ。この町は夜になると、少々……物騒でございますから」
 女将はそこまで言って唇を噛み、視線を床へ落とした。
 アリシアが「物騒とは?」と尋ねると、女将は首を横に振り「旅のお嬢様には関わりのない話でございます」とだけ答えた。

 夕食後、ベアトリスは湯の手伝いを申し出て女将と二人きりになると、女将は湯気の向こうで声を震わせた。
 「若い娘が……この三か月で十人以上も行方知れずになっております。夜の鐘が鳴くと、黒い馬車が通り、人が消えるんです。代官所へ訴えても“家出”と相手にされず、口を開いた親は翌日には兵に捕らえられ……」
 ベアトリスは顔を強張らせながらも頷き、そっと懐紙に詳細を記した。

 翌朝。アリシアは市場へ出た。ガイアは青果の値を値切る商人を装い、ユリウスは荷馬車の車輪を直す修理工に化けて通りを歩く。
 「娘さんを見ませんでしたか」
 「……知らない。そんな話、聞いたこともない」
 果物屋の老人は震えながら答え、パン屋の若い妻は子を抱きしめて目を伏せた。
 正午の鐘が鳴り響くと、店主たちは蜘蛛の子を散らすように戸を閉め、通りは一瞬で無人になる。残ったのは吹き溜まる埃と、遠くで鳴くカラスの声だけだった。

 「町全体が恐怖で蓋をされているわ」
 宿に戻ったアリシアは地図を広げる。すると天井裏から黒装束の影が降り立った。忍びシグレである。
 「代官屋敷裏門、深夜に無紋の馬車が出入り。納屋床下に地下通路。警備は薄いが、兵舎の隊長が袖の下を受け取っている」
 簡潔な報告にユリウスが眉を寄せた。
 「兵が買収され、代官が黙認……。黒幕は代官か、それともその上にいる領主か」
 「どちらにせよ、娘たちは戻らないまま」アリシアはきっぱりと言う。「闇を暴かなければ」
 「姫様――」ガイアが口を開きかけたが、アリシアは首を振った。
 「私が囮になるわ」
 騎士と従者が同時に立ち上がった。
 「冗談じゃねぇ!」
 「姫様を危険に晒すわけには――」
 「狙われているのは若い娘。私が最も適しているのよ」
 ユリウスは深く息を吐き、静かに頷いた。
 「了解した。俺たちは影で支える。姫様、決して独断はなさらぬよう」

 夜。市場は昼よりも広く感じられ、闇は深かった。アリシアは一本の街灯の下に立ち、小さなランタンを掲げる。風鳴亭の屋根にはユリウスが伏せ、路地裏の影にはガイアが潜む。屋根の棟木にはシグレが張り付き、全ての視線が姫を見守っていた。

 石畳を軋ませて現れた漆黒の馬車。窓は布で覆われ、御者は黒布で顔を隠している。
 「お嬢さん、夜風は冷える。宿まで送ろう」
 甘く誘う声。
 「ありがとうございます……」
 アリシアが乗り込んだ瞬間、背後から布が被せられ、暗闇が視界を奪った。馬車は静かに動き出し、城壁の外へと向かう。

 馬車の揺れに身を任せながら、アリシアは心の中で呟いた。
 (ユリウス、ガイア、必ず来て。私は恐れない。王女として――民の盾であり続ける)

 やがて馬車は停まり、引きずり出された先は月も届かぬ裏門。地下へ続く石段を降りると、湿り気を帯びた空気が肌を刺した。
 暗闇の奥、鉄格子の向こうで怯える娘たちのすすり泣きが聞こえる。
 「おお、やっと来たか」
 響いた声は若い男のもの。松明が灯され、豪奢な衣装を纏った金髪の青年が現れた。
 「君が今夜の花嫁だ」
 領主の息子――リカルド・ド・ミーレン。

 アリシアは凛と顔を上げ、低く告げた。
 「あなたは自らの罪が見えないのね」
 リカルドは嘲笑い、顎を掴もうと手を伸ばす。その刹那、地下通路の奥で炸裂音。鉄扉が弾け飛び、ユリウスが白刃を閃かせて突入する――。




 爆音が地下牢に響き、鉄の扉が吹き飛んだ。
 煙の中から現れたのは、銀の剣を構えたユリウス。
 背後から飛び込んできたガイアが、リカルドの護衛兵たちを次々と薙ぎ払う。

 「控えおろうッ!」
 ユリウスの声が、重く地下に響いた。

 ガイアが手の中の小箱を高く掲げる。開かれたその中には、エルディア王家の正紋が輝いていた。

 「このお方をどなたと心得る! 恐れ多くもエルディア王国第一王女、アリシア・ルクレール様であらせられるぞ!」

 その一声に、リカルドは目を剥き、よろけた。
 「……う、嘘だ……王女様が……こんな場所にいるわけが……!」
 アリシアは、鎖に繋がれていた娘たちの前に膝をつき、優しく手を差し出す。

 「大丈夫。もう、怖くないわ。あなたたちは、私が守る」

 ベアトリスがすかさず駆け寄り、隠し持っていた鍵で鎖を外していく。
 「ひ、姫様……姫様が、どうして……!」
 震える少女の問いに、アリシアは微笑んだ。
 「民の声を聞きたくて、旅に出たの。でも、こんな声は……あってはならないわね」

 叫び声をあげて襲い掛かってきた護衛のひとりを、ユリウスが剣の柄で気絶させる。
 「生かして捕えろ。こいつらには裁きを受けさせねばならん」

 そのとき、地下室の奥に続く通路から慌ただしい足音が聞こえてきた。現れたのは、年老いた男――この地方を治める領主、ハウゼン男爵だった。

 「バ、バカ者ッ! なんということをッ!」
 男はリカルドに詰め寄り、その頬を平手打ちした。
 「愚か者! 貴様のせいで王女様にご迷惑をッ!」

 リカルドは床に崩れ落ち、歯を食いしばってうつむいた。
 「退屈だったんだ……父上がいつも、王都で取り合ってもらえないって文句ばかり……。僕だって、何か……王族の気分を味わいたかった……!」

 「黙れ。貴様に王族の資格などない!」
 ハウゼン男爵はアリシアの前にひざまずいた。
 「姫様、どうかお赦しを。この愚息が……このハウゼン、いかなる処罰も受ける覚悟でございます」

 アリシアは静かに立ち上がり、ゆっくりと紋章のついた封印文書を取り出した。
 「あなたにも、責任があります。見て見ぬふりをした、その罪もまた重いのです。……おって、父上より正式な沙汰が下されるでしょう。それまで、領主としての職務を停止し、王都からの使者を待ちなさい」

 「……は、ははーっ!」

 地下牢の娘たちは涙を流し、互いの名を呼び合って抱き合った。
 その光景に、アリシアは胸をなでおろした。

 「ユリウス、ベアトリス……全員を町の医師の元へ。家族のもとに帰れるよう手配して」
 「はい、姫様!」

 * * *

 翌朝――。
 市場に陽が差し込む頃、昨夜の騒動を知った人々が集まり始めた。
 兵士の一部が改心し、住民と共に広場の清掃を始める。
 アリシアたちが馬車を用意していると、昨日まで怯えていた果物屋の老人が、花束を手に駆け寄ってきた。
 「姫様……ありがとうござんした。……娘も……帰ってきやした……」

 続いて仕立屋の若奥さんや、年端も行かぬ少年までがアリシアの前に並び、次々と礼を述べる。

 「姫様は、本当にこの町に来てくださった……夢じゃなかったんだ……」
 「悪いことは全部、姫様が持ってってくれた……!」

 アリシアは膝をつき、子どもたちと視線を合わせて言った。
 「皆さん。私はたまたま通りかかっただけです。けれど、声を上げる勇気は、皆さんの中にずっとあったのです。どうか、この町を、これからは皆で守っていってください」

 ベアトリスがそっとハンカチで目元をぬぐいながら微笑む。
 「姫様は……やっぱり、どこまでも姫様でいらっしゃいますわね」

 「よし、準備完了だ」
 ガイアが御者台に登る。
 「次の町は……確か、山越えだったな?」
 「また坂か……背中が痛くなるな」ユリウスがぼやく。

 アリシアが笑いながら乗り込むと、馬車はゆっくりと広場を後にした。
 町の人々は道沿いに並び、手を振り続けていた。
 その姿にアリシアは、王女としての責務を再び噛みしめる。

 (私にできることは限られているかもしれない。でも、歩き続ける限り……誰かの力になれるはず)

 * * *

 その頃――。
 町外れの丘の上に、一人の旅人が馬を止めていた。
 黒衣をまとい、顔を隠さぬまま風を受ける男。
 琥珀の瞳が、遠ざかる馬車を静かに見つめていた。

 「……遅かったか。でも、無事に次の町へ向かわれたようで、よかった」
 彼は誰にも名乗らず、馬首を返す。
 その背は、まるで陽炎のように揺れ、朝靄に溶けていった。

 次の町へ向かう姫。
 その背後には、まだ誰も気づいていない影が――そっと寄り添っていた。




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