プリンセス諸国漫遊記

しおしお

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第2章 毒の沼と偽りの癒し

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 アリシアたちの馬車は、ミーレンの町を後にして北の山道を進んでいた。緩やかな坂道を登った先には、湖と沼に囲まれた小さな街、リーベルがあるという。伝承では“癒しの霧”に包まれた場所と呼ばれ、古くから温泉と薬草で知られる静養の地だ。

 「……このあたり、空気が重いな」
 ユリウスが馬車の外から呟いた。
 「霧がずっと晴れねぇな。まるで煙の中を走ってるみてぇだ」
 ガイアが御者台から煙る山道を眺めながら言った。

 馬車の中では、アリシアが静かに窓の外を見つめていた。街道沿いの草木はどれも茶色く枯れており、小鳥の声も聞こえない。虫一匹の気配さえもないのだ。

 「……妙ですね。温泉地ならもっと緑が濃いはずなのに」
 「はい、姫様。私も、何かこう……息苦しいような感じがいたします」
 ベアトリスが胸元を押さえて小さく咳き込んだ。

 そのとき、木陰から飛び出してきた一人の子どもが、馬車の進行を遮った。
 「た、たすけて! 母ちゃんが苦しんでるの!」
 突然のことで馬が驚き嘶くが、ガイアが素早く手綱を引いて馬車を止めた。

 子どもは髪も服もぼろぼろで、頬はこけていた。だが、その目は必死だった。

 「近くの村か?」
 「うん、ラグ村。お医者様に診てもらおうとしたけど、金がないとダメって……でも、母ちゃんが吐いて……!」

 アリシアはすぐに荷から薬箱を取り出し、子どもに言った。
 「案内してちょうだい。お母様のところまで」

 * * *

 ラグ村は、リーベルの外れにある湿地の村だった。家々の壁は黒く煤け、住民たちの顔色はどれも灰色じみている。住人のほとんどが家にこもっていて、外を歩く者はほぼいなかった。

 アリシアたちは、子どもに導かれて一軒の家へ入った。
 中にいたのは、咳に苦しむ一人の女性。目の下には隈があり、吐瀉物の痕が床に残っていた。

 「この症状……」
 アリシアは脈を取り、舌の色を確かめ、薬箱から乾燥させたアカヤナギの粉末を取り出して湯に溶かした。
 「恐らく毒性のある空気に長くさらされているわね。肺に炎症が……」

 薬を飲ませると、女性は少し落ち着いた表情を浮かべた。
 「ありがとう……お嬢さん……。でも、あんたたち、早くこの村から出たほうがいい。あの“先生”に見つかると、どんな目に遭うか……」

 「“先生”?」
 「街から来た医者を名乗る人よ。薬を配ってたけど、最近は高額を要求して……断ったら家族を連れてかれた人もいるの」

 「……ガイア」
 「よぉ。こりゃあ当たりだな」

 * * *

 一行はすぐにリーベルの中心街へ向かった。沼のほとりに建てられた木造の診療所には、“癒しの森医院”と大きく看板が掲げられている。中へ入ると、白衣を着た男が診察室で住民と話をしていた。

 「この薬は一回で二銀貨です」
 「せ、先生……そんなに、払えません……」
 「命の価値を考えれば安いでしょう?」

 男はニコリと笑うが、その眼は冷たい。
 アリシアが一歩踏み出そうとしたその瞬間、ユリウスが手で制止した。
 「奴は商人ではなく、詐欺師の目をしている」
 「おそらく薬は偽物か、あるいは……」
 「毒を混ぜて中毒を引き起こし、薬を売りつける。それが商売だな」

 ガイアが奥に目を凝らして言った。
 「診療所の裏に沼がある。あれ、自然の温泉じゃねぇな。色が死んでる。何か混ぜてやがる」

 「でも、証拠がなければ動けないわ」
 アリシアは静かに口元を押さえる。
 「ベアトリス、例の紅茶の粉、まだ残ってる?」
 「はい。姫様、まさか……!」

 「その“まさか”を確かめましょう」

 * * *

 その夜。
 アリシアは診療所に向かい、ふらつく足取りで扉を叩いた。
 「……たすけて……胸が……苦しくて……」

 男――“先生”と呼ばれる医師カレンベルは表情を変えず、診察台へアリシアを座らせた。
 「ほう。これはひどい。すぐに効く薬がありますよ。高価ですが……」
 「お金なら……あります……」

 アリシアが懐から銀貨を取り出した隙に、ユリウスが天井裏へ忍び込み、ガイアが裏口で待機する。

 カレンベルは薬瓶を渡し、笑みを浮かべる。
 「安心なさい。すぐに楽になります」
 アリシアがわざと震える手で瓶を受け取り、視線を落とす。

 「……この薬、何が入っているのかしら?」
 「は? 何を――」
 「残念ですわね。“癒し”とは程遠い成分でしたわ」

 アリシアの声が変わった。次の瞬間、隠し持っていた指笛が鳴る。
 ガイアが扉を蹴り破って突入し、ユリウスが天井裏から飛び降りる。

 「控えおろうッ! このお方をどなたと心得る!」
 ユリウスが紋章を掲げる。
 「このお方こそ、エルディア王国第一王女、アリシア様であらせられるぞ!」

 「な、なんだと……姫……さま……!?」
 カレンベルは膝を崩した。机の引き出しには毒草の粉末と偽薬の配合表が隠されており、動かぬ証拠となった。



お待たせしました。以下に第2章〈後編〉(約4,000文字)をラノベ小説としてお届けします。
姫による事件の解決、町の人々との別れ、そして静かに遠くから見守る“影”の登場までを描いています。

 診療所の床に崩れ落ちた男の肩が震える。
 アリシアは白衣を脱ぎ捨てたカレンベルの前に立ち、厳しい瞳で告げた。

 「あなたの薬には、毒草“フムロニア”の成分が含まれていました。これを摂取し続ければ、確かに症状は一時的に改善される……でも、それは錯覚。肺を蝕む毒でしかないわ」

 「な、何を証拠に……!」
 カレンベルはなおも言い逃れようとするが、その声は震えている。

 「証拠ならここに」
 ガイアが診療所の裏手から帳簿を携えて戻ってきた。
 「患者リスト、仕入れ記録、それと“使えなくなった村人”の名前まで書いてあったぜ。随分と悪趣味な管理だな」

 「そのうえ、あなたが投棄していた“排液”が沼を汚染していた証拠も、すでに王都に向けて送っています」
 ユリウスが冷ややかに告げる。

 「……ば、馬鹿な……! 私はこの町を救おうと……癒しを与え……」
 「あなたが与えたのは“恐怖”ですわ」
 アリシアの声が鋭くなる。
 「そしてその恐怖の中で、人々は家族を守るために必死に金を集め、命を削った。あなたはその犠牲で肥え太っていたのです。自分の罪を自覚しなさい」

 「くっ……!」
 カレンベルは力なく床にうつ伏せた。

 そのまま王国直轄の治安騎士団により、彼は拘束されることとなった。
 診療所の奥からは数々の偽薬と毒物、治験データ、そして衰弱した患者が保護される。
 ラグ村にいた女性たちも、無事に救出された。

 * * *

 事件の収束を迎えたリーベルの町では、変化の兆しが訪れていた。

 毒に侵された沼は封鎖され、王都から派遣された調査団が浄化作業を開始。
 診療所は一時閉鎖されるが、近隣の聖堂が無料の治療所として機能し始め、住民たちはようやく安心を取り戻しつつあった。

 広場では、数十人の住人たちが集まっていた。
 アリシアたちの出立に、感謝を伝えるためだ。

 「本当に……本当に、ありがとうございました」
 子どもたちが花束を抱えてアリシアに駆け寄ってくる。
 「母ちゃん、元気になったよ! 姫様のおかげだ!」

 「お礼が言えるようになっただけでも、町は変わり始めている証拠ですわね」
 ベアトリスが微笑みながら、そっと涙をぬぐった。

 「これからは、皆さんの手でこの町を守ってください。もう、誰かに頼る必要はないのです」
 アリシアはそう言って子どもたちを抱きしめた。

 彼女の言葉に、町の長老が膝をついて頭を垂れる。
 「姫様……生涯忘れません。どうか、どうかご無事で……!」

 「姫様は、もう行っちまうのか……?」
 ある少年が不安げに尋ねる。アリシアはそっと微笑んだ。
 「また来ます。次に会う時は、もう皆が笑って暮らせるような町になっているといいわね」

 * * *

 馬車が出発の準備を整え、アリシアたちが乗り込む頃――。
 遠く、リーベルの外れの山道にひとりの人影が立っていた。

 夜明けの光を浴びながら、風に翻る黒衣。
 顔を隠すこともなく、ただ静かに町の様子を見つめていた。

 その瞳には、どこか安堵と……寂しげな色が宿っていた。

 「……無事で、よかった」
 低く、誰に届くわけでもない言葉を呟くと、彼は再び馬に跨り、山道を登っていく。

 その背には、ただひとつの想いがある。
 ――守りたい者の背を、遠くから見つめることしかできないとしても。

 * * *

 その日、霧の町リーベルは、ようやく朝を迎えた。
 アリシアたちの馬車は光の中を走り出す。
 次なる街へ、次なる闇を晴らすために――。

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