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第9章 「帰還、そして選択」
しおりを挟む王都の空は、どこか色を失ったように鈍く曇っていた。凛と冷たい風が街を吹き抜け、アリシアの乗った馬車の帷子をばさりと揺らす。彼女は揺れる窓から懐かしい王都の姿を見つめながら、胸の奥に広がる複雑な感情を押し殺していた。
「……まさか、こんな形で戻ることになるなんてね」
幼き頃に駆け回った石畳の道。父と手をつないで歩いた城門前の並木道。その一つ一つが色あせた記憶となって蘇る中、彼女の心は揺れていた。
父王が病に倒れたという報せが届いたのは、東方の峡谷を越えた旅路の途中だった。急ぎ帰還の支度を整えたものの、その道のりは決して短くはなかった。そしていま、王都に到着した彼女を待っていたのは――歓迎の言葉ではなく、政治の渦だった。
「お帰りなさいませ、アリシア王女殿下」
彼女を出迎えたのは、王宮執務官長のマルテス老だった。深く礼を取るその顔には、長い間国を支えてきた者の疲れがにじんでいる。
「父の容態は?」「……陛下は、意識はございますが、お声を発することも難しく……」
言葉を濁す老臣に、アリシアはただ頷いた。
宮廷に戻ったその夜、彼女は緊急に招集された政務評議会へと出席した。部屋には保守派と改革派、それぞれの代表が集い、緊張した空気が張り詰めていた。
「アリシア殿下、この国の未来のためにも、摂政として政務を担っていただきたく――」 「王女には、帝国第三皇子との政略結婚もご検討いただきたい」
矢継ぎ早に発せられる声。それはまるで、父が倒れた隙を狙って己が望む未来へと国を誘導しようとするかのようだった。
「……私は、旅の途中で多くのものを見ました。民の暮らし、土地の苦悩、そして希望を」
アリシアの声は静かだったが、評議会の空気を一変させた。
「それらを記した『影の帳簿』を、私は本日より公開します。国の中心にいる私たちが、どれだけ民の実情から乖離していたかを、知っていただきたい」
書簡の束が机の上に置かれると、ざわめきが広がった。『影の帳簿』――アリシアが旅の中で綴った記録。それは単なる旅行記ではなく、各地の政治的課題、貧困、教育、そして地方官の腐敗にまで言及した綿密な報告書だった。
この帳簿の公開は、民衆の間で瞬く間に話題となり、王都中に広まっていった。アリシアの行動力と真摯な目線は、市民の共感を呼び、支持は急速に拡大した。
やがて、アリシアは一つの提案を示す。
「“王女が民と共に国を治める”体制を――これからの新しい政治の形として模索すべきです」
それは、従来の王権中心の体制からの大きな転換だった。
当然、反発の声も上がった。
「民に与すれば、貴族の立場はどうなる!」 「民衆に統治が理解できるはずがない!」
だがアリシアは引かなかった。
「この国は、王族と貴族のためだけにあるのではありません。民こそが、国の礎なのです」
議論は数日にわたり続いた。保守派の一部は徹底抗戦の構えを見せ、改革派はなお慎重な態度を崩さなかった。
そんな中、一通の文がアリシアのもとへ届いた。
差出人はアーヴィン・エクス・リューヴェン帝国皇子。かつての旅の道中で出会い、心を通わせた男だった。
『貴女の示した道に、私は深く共鳴しております。どうか、この先を共に歩む機会をいただけないでしょうか。』
添えられていたのは、正式な同盟提案書だった。条件はただ一つ――国と国、王と王女、対等の立場で手を取り合うこと。
アリシアは、再び空を見上げた。曇天のその奥に、微かに光る希望のようなものを感じながら。
「私たちの国に、本当の夜明けを」
それは、選ばれし王女が歩み始めた新たな未来への、一歩目だった。
王都の空は、どこか色を失ったように鈍く曇っていた。凛と冷たい風が街を吹き抜け、アリシアの乗った馬車の帷子をばさりと揺らす。彼女は揺れる窓から懐かしい王都の姿を見つめながら、胸の奥に広がる複雑な感情を押し殺していた。
「……まさか、こんな形で戻ることになるなんてね」
幼き頃に駆け回った石畳の道。父と手をつないで歩いた城門前の並木道。その一つ一つが色あせた記憶となって蘇る中、彼女の心は揺れていた。
父王が病に倒れたという報せが届いたのは、東方の峡谷を越えた旅路の途中だった。急ぎ帰還の支度を整えたものの、その道のりは決して短くはなかった。そしていま、王都に到着した彼女を待っていたのは――歓迎の言葉ではなく、政治の渦だった。
「お帰りなさいませ、アリシア王女殿下」
彼女を出迎えたのは、王宮執務官長のマルテス老だった。深く礼を取るその顔には、長い間国を支えてきた者の疲れがにじんでいる。
「父の容態は?」「……陛下は、意識はございますが、お声を発することも難しく……」
言葉を濁す老臣に、アリシアはただ頷いた。
宮廷に戻ったその夜、彼女は緊急に招集された政務評議会へと出席した。部屋には保守派と改革派、それぞれの代表が集い、緊張した空気が張り詰めていた。
「アリシア殿下、この国の未来のためにも、摂政として政務を担っていただきたく――」 「王女には、帝国第三皇子との政略結婚もご検討いただきたい」
矢継ぎ早に発せられる声。それはまるで、父が倒れた隙を狙って己が望む未来へと国を誘導しようとするかのようだった。
「……私は、旅の途中で多くのものを見ました。民の暮らし、土地の苦悩、そして希望を」
アリシアの声は静かだったが、評議会の空気を一変させた。
「それらを記した『影の帳簿』を、私は本日より公開します。国の中心にいる私たちが、どれだけ民の実情から乖離していたかを、知っていただきたい」
書簡の束が机の上に置かれると、ざわめきが広がった。『影の帳簿』――アリシアが旅の中で綴った記録。それは単なる旅行記ではなく、各地の政治的課題、貧困、教育、そして地方官の腐敗にまで言及した綿密な報告書だった。
この帳簿の公開は、民衆の間で瞬く間に話題となり、王都中に広まっていった。アリシアの行動力と真摯な目線は、市民の共感を呼び、支持は急速に拡大した。
やがて、アリシアは一つの提案を示す。
「“王女が民と共に国を治める”体制を――これからの新しい政治の形として模索すべきです」
それは、従来の王権中心の体制からの大きな転換だった。
当然、反発の声も上がった。
「民に与すれば、貴族の立場はどうなる!」 「民衆に統治が理解できるはずがない!」
だがアリシアは引かなかった。
「この国は、王族と貴族のためだけにあるのではありません。民こそが、国の礎なのです」
議論は数日にわたり続いた。保守派の一部は徹底抗戦の構えを見せ、改革派はなお慎重な態度を崩さなかった。
そして、ある日。
評議会を終えたアリシアが書庫に戻ると、机の上に一通の書簡が置かれていた。精緻な封蝋に刻まれた印章は、彼女にとって忘れようにも忘れられないものであった――リューヴェン帝国の皇子、アーヴィンからのものだ。
『貴女が歩んできた道に、私は深く心を動かされました。もし許されるならば、隣国の盟友として、そして……個として、共に未来を創る一助となりたく存じます』
その言葉は、誠実で力強く、そして温かかった。
同封されていたのは、帝国政府からの正式な同盟提案書。条件はただ一つ、「対等な立場での王室連携と、自由意志による婚姻関係」。
アリシアは窓の外を見上げた。夕暮れの王都に、薄明の光が差し込んでいる。心の中に広がったのは、これまでの孤独な戦いの道とは違う、新しい道の予感だった。
だがその一方で、王宮の裏手では不穏な動きが進行していた。
保守派の中でも特に過激な一派が、アリシアの排除を計画していたのだ。
「今動かなければ、この国は我々の手から完全に離れる……」
だが、その計画は既に察知されていた。
アリシアの忠臣にして影の双剣、ガイアとシグレが暗躍し、陰謀の中心人物を速やかに拘束。その夜、王宮の奥深くで起きた未遂のクーデターは、誰に知られることもなく鎮圧された。
「姫様の意思が、誰にも脅かされることのないように」
ガイアの低い声に、シグレが静かに頷いた。
そして――ついに、アリシアは決断を下した。
宮中広場に設けられた特設演壇。そこに立つアリシアの姿を見ようと、民衆と貴族の両方が詰めかけていた。
「私は、王女であると同時に、一人の旅人でした」
アリシアの演説は、静かに、だが力強く始まった。
「旅で見たもの、聞いた声。それは決して“遠い国の話”ではありません。この国の隅々に、希望と絶望が同時に存在していることを、私は知りました」
人々は息をのんで聞き入る。
「私は、王族として民に寄り添い、共に悩み、共に未来を築きたい。ゆえに、この日をもって、私アリシア・ルヴァンは、正式に摂政の座に就くことを宣言します。そして――」
彼女の隣に立った使節が、一歩前へ出る。
「リューヴェン帝国第三皇子、アーヴィン・エクス・リューヴェンの同盟提案を受け入れます。国と国、王と王、そして人として対等に手を取り合う、未来のために」
その言葉に、王都の空が歓声に包まれた。
次の瞬間、祝砲が空に轟いた。
だが、塔の窓はまだ開かれている。
アリシアはその窓辺に立ち、遠く地平を見つめる。
「私は王として歩む。でも、旅人の心は忘れない。いつかまた、世界をこの足で歩きたい。その時には、王ではなく、一人の人として」
そう呟いた彼女の目に、揺るぎない光が宿っていた。
選択は終わりではない。これは、新しい物語の始まりだった。
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