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3元婚約者の破滅と、揺れ動く想い
しおりを挟む1.王都からの使者
静寂に包まれたルーヴェル王国の辺境、公爵ゼイン・ファーガスの別邸。朝晩の寒暖差が大きいこの地方では、春先でも夜になると肌寒く、暖炉の火が欠かせない。スカーレット・ヨークは、ここでの暮らしにも大分馴染みつつあった。
ゼインの計らいで用意された部屋に滞在し、手伝える範囲の雑務をしながら、図書室に並ぶ蔵書を読み耽る毎日。伯爵令嬢でありながら“追放者”になった彼女を、邸の使用人たちは分け隔てなく受け入れてくれる。かつて王都にいた頃よりも、むしろ肩の力を抜いて過ごせているとさえ思う。
そんな穏やかな日々が始まってから、数週間が経ったある日のこと――スカーレットは、館の正門へ駆け込んでいく騎士らしき人影を窓から見つけた。よく晴れた青空の下、硬い面持ちの男が馬を降り、公爵家の従者と何やら言葉を交わしている。
「……あれは、王都(ルーヴェル王国の王都)の騎士かしら。それとも、別の国の者……?」
スカーレットが不安混じりに窓外を覗いていると、ノックの音が聞こえる。ドアを開けると、執事がかしこまった態度で一礼した。
「スカーレット様、恐れ入りますが、今しばらくお部屋でお待ちいただけませんでしょうか。今、館に来客がありまして、公爵様が応対に出られます」
「来客……あの騎士の方ですか?」
「はい。どうも、“お隣の国”――つまりスカーレット様の故国であるグランフォード王国からの使者らしいのです」
予想外の言葉に、スカーレットの胸が強く波打つ。かつて自分が暮らしていたグランフォード王国。そこには愛すべき両親や、伯爵家の使用人がまだいる。しかし同時に、彼女を陥れた者たちが巣食う場所でもある。
「どうやら外交上の要件を携えているらしく、詳しいことはまだわかりませんが……。公爵様は“スカーレットを無闇に刺激しないように”とおっしゃられています。ご安心くださいませ」
「そう……わかりました」
スカーレットは緊張した面持ちで頷く。使者がなぜ、わざわざゼインの別邸まで来たのか。自分の存在を知って来たのか、それとも偶然にすぎないのか。
不安は尽きないが、とりあえず館の方針に従い、部屋で待機することを選んだ。ゼインなら、余計な詮索を受けないように取り計らってくれるだろう。
2.持ち込まれる噂――アメリアへの疑念
スカーレットが自室で待機していると、窓の外を騎士たちが慌ただしく行き来する気配が見える。玄関ホール付近では、ゼインが来客を応対しているらしい。時折、あちらから声を荒らげるような響きが届くが、言葉の内容までは聞き取れない。
少し時間が経ってから、部屋の扉が再びノックされ、執事が申し訳なさそうに姿を現した。
「スカーレット様、公爵様がお呼びです。ご準備でき次第、書斎へお越しくださいませ」
「わかりました。……あの、使者の方から、私のことを聞かれたりしていないでしょうか」
「わたくしにはわかりかねます。しかし、公爵様は“スカーレットを会わせる必要はない”とはっきり断言しておられますので、直接対面を求められることはないかと」
スカーレットはホッと胸を撫で下ろす。心のどこかで、故国への恐怖や警戒心が拭えない自分を感じる。アルバートやアメリアが放った刺客――などとまで考えるのは、さすがに被害妄想かもしれないが、万が一ということもある。
気を取り直して軽く身なりを整え、スカーレットは執事とともに館の奥にある書斎へと向かった。そこはゼインが普段、重要書類の管理や政務の相談を行う部屋だ。鍵の掛かる重厚な扉があり、中に入ると大きな机と壁一面の書類棚が整然と並んでいる。
「失礼します、ゼイン様」
「ああ、来たか。……座れ」
ゼインは机の向こう側に立ち、少しばかり疲れた表情を浮かべている。彼の傍らには騎士風の男が一人控えており、スカーレットが入るのを確認して恭しく頭を下げた。どうやらゼインの側近らしい。
「先ほど、グランフォード王国から使者が来た。表向きは“交易路の安全確保”や“国境付近の治安についての協力要請”などの要件だったが……もう一つ、興味深い話を持ってきていた」
「興味深い話……とは?」
ゼインが視線で合図すると、騎士が机の上に一通の書状を置いた。王国の紋章が押されているが、封は切られており、中身は確認済みのようだ。ゼインはそれをスカーレットに示す。
「これは正式な外交文書ではない。むしろ、王都のとある貴族が匿名で“ある噂”を告げてきたものだ。この使者によれば、例の“聖女”アメリアにまつわる不穏な話が王都で囁かれているらしい」
「アメリア……!」
スカーレットの胸がざわめく。あの平民出身の“自称・聖女”は、一体どうなったのか。自分が追放されてから、音沙汰もなく時が過ぎていたが……。
「どうやら、アメリアがやっている行為は“聖女の奇跡”などではなく、ただの薬物を使った詐術やマインドコントロールの類だという疑惑が出ているそうだ。しかも、王太子のアルバートをまるで操るように動かし、王宮の資金や権力を自分のものにしようとしているとのことだ」
「……やっぱり、そうだったんですね……」
スカーレットはかすかに息を吐く。自分を陥れるために捏造までしておきながら、アメリアが何も悪事を働いていないわけがない――そう薄々感じていた。しかし、“聖女”と崇められているからこそ、誰もが騙されていたのだ。
「今のところ、王太子はアメリアに心酔しているらしく、周囲がいかに疑いの目を向けようとも取り合わないようだ。むしろ、アメリアを誹謗する者を“国への反逆”と見なして処罰しかねない勢いだとか」
「アルバート様が……そこまで……」
王太子がアメリアを庇護する姿は想像に難くない。かつてスカーレットが受けた仕打ちも、まさにそういった過剰なまでの擁護の結果だった。しかし、その“守る”行為が実際にはアメリアの意のままに動かされているだけだとしたら? 王太子はまんまと罠にはまり、王宮の財産や政治的権力までも奪われているかもしれない。
「しかも、噂によれば、王都には奇妙な病が流行り始めているらしい。原因不明の発熱や倦怠感を訴える者が増え、それにかかった者は妙に“アメリアに寄り添いたい”などと口走るのだとか。まるで精神を冒される病のようで、さらにアメリアが近づくと症状が和らぐという。……まったく不可解な話だ」
ゼインの言葉に、スカーレットは背筋が寒くなる。もしこれが単なる流行病ではなく、アメリアによる“何らかの薬”の影響だとしたら? 王都の人々が彼女に依存するようになればなるほど、アメリアの権威は高まり、結果的に王宮も支配されていく――まさに恐ろしい陰謀だ。
「スカーレット、お前はアメリアを直接知らないと言っていたな。だが、彼女が平民出身であるにもかかわらず、その“奇跡”で王太子や宮廷を味方につけていることは知っているだろう。……おそらく、その裏には常軌を逸した手段があるのだろう」
「……はい。もしかしたら、その“手段”こそが、私を陥れた根本かもしれません。私が追放されるまでに、あまりにも多くの侍女や貴族が彼女の味方につきましたから」
まるで洗脳されているかのように、王都の人々がアメリアを崇拝し、スカーレットを悪役扱いした。確たる証拠もないのに多数の証言が捏造されていたのは、何かしらの薬や暗示効果が働いていたとしても不思議ではない。
「使者の話では、グランフォード王国の中でも、アメリアに疑念を抱く勢力が密かに動いているらしい。その者たちが、俺――ファーガス公爵ならば、何か手を打てるのではないかと期待している節がある。だからわざわざ国境を越えて打診に来たのだろうが……」
ゼインはそこで言葉を切り、ふと視線をスカーレットに向ける。
「グランフォード国内の内紛に、ルーヴェル王国の公爵としてどこまで介入するか……これは微妙な問題だ。表立って動けば“侵略”と捉えられかねないし、わずかでも軍を派遣すれば大きな外交問題になる。だが、放っておけば、あちらの国が混乱して国境地帯が危険になるかもしれない」
「…………」
スカーレットは唇を噛む。自分の国が、そんな危険に瀕しているかもしれない。それでも、今の彼女には“あの国を救う義理はあるのか”と自問してしまう。婚約を破棄され、罪を着せられ、追放されたのだ。正直なところ、王太子やアメリアがどれほど痛い目を見るかは自業自得だと思う。
だが、自分の両親や、伯爵家の使用人、王都で暮らす善良な市民までが、アメリアの陰謀に巻き込まれているかもしれないと考えると、居ても立ってもいられない。
(私にはもうどうすることもできないの……?)
そんな葛藤に沈むスカーレットを見て、ゼインは静かに続けた。
「俺はすぐにどうこうするつもりはない。ただ、いざとなれば動けるように情報を集めるつもりだ。それに……もしお前が、実家の両親や知人たちを気にかけるなら、俺の私兵を派遣して秘密裏に様子を探らせることもできる。どうする?」
「えっ、そんなこと、私なんかのために……いいんですか?」
「構わん。お前は俺の客人だ。それに、事態によってはルーヴェル王国側にも悪影響が及ぶ可能性が高い。調査する価値はある」
ゼインの申し出に、スカーレットは思わず目を伏せる。正直、すぐにでも両親の安否を知りたい気持ちはある。しかし、彼女が深く関わるほど、ゼインやルーヴェル王国を危険に巻き込むことになるのではないか――そんな不安も拭えない。
するとゼインは、まるで彼女の心を見透かしたかのように、どこか柔らかい声音で言った。
「俺が勝手にやろうとしているだけだ。お前が気に病む必要はない。むしろ、こういうときこそ活かせるのが“公爵の権力”というものだからな。お前さえ嫌でなければ、すぐに手配を始める」
「……ありがとうございます。お言葉に甘えさせてください。ヨーク伯爵家、ひいては王都で苦しんでいる人がいるなら、何とか助けたいんです。私ができることは少ないかもしれませんが……」
「よし。では早速、動いてみよう。使者にはとりあえず“検討する”と伝えておくが、裏では別動隊を送り込んで内情を探らせることにする。お前はしばらくここで待機していろ。安全を確保するのが第一だ」
その言葉に、スカーレットは大きく頷いた。まだ自分に何ができるか分からない。だが、ゼインの存在があれば、きっと両親や王都の人々を救う道筋も見えてくるかもしれない。少なくとも、あのまま絶望に浸るだけの人生からは抜け出せる――そんなかすかな光を感じるのだった。
3.ヨーク伯爵家の危機
ゼインは書斎で騎士を呼び、秘密裏の調査を命じた。数日後、手配された数名の私兵がグランフォード王国へ潜入していく。スカーレットは祈るような気持ちで日々を過ごしながら、邸の雑用をこなし、図書室で時間を潰していた。
どれほど待っただろう。ある晩、ゼインが急ぎ足で別邸へ戻ってくると、そのままスカーレットの部屋へやってきた。彼の表情は険しく、何か深刻な知らせを抱えているのが明白だった。
「スカーレット、少し話がある。……悪いが、来客用の応接室まで来てくれ」
「はい……!」
昼夜を問わず政務に追われるゼインが、わざわざこんな時間に呼びに来るなど、よほどの事態だろう。スカーレットは胸の奥がざわめくのを感じながら、急いで身支度を整え、応接室へ向かった。
そこには数名の私兵が待機しており、いかにも遠路はるばる帰還したばかりという様子で埃まみれの装いだ。彼らがグランフォード王国へ潜入していた調査隊なのだろう。スカーレットが部屋に入ると、彼らは一斉に頭を下げた。
「スカーレット様……無礼を承知でお伝えいたしますが、どうか落ち着いてお聞きください」
その口振りに、嫌な予感が走る。スカーレットは震える声で言葉を返した。
「……はい。教えてください。父と母、ヨーク伯爵家のことが何かわかったのですね」
隊長格と思しき男は、苦渋に満ちた表情で報告を始めた。
「はい。まず前提として、王都は現在、アメリア嬢を中心に不気味な雰囲気が漂っています。人々の間では、“アメリア様を崇めれば幸せになれる”“彼女に逆らうと呪われる”などと囁かれ、貴族の中にも彼女を盲信する者が多数出始めている。……スカーレット様の両親であるヨーク伯爵ご夫妻は、それに疑問を呈しているらしく……」
「両親が……何か反対意見を示したのですか?」
「恐らく、伯爵ご夫妻はスカーレット様が追放された真相を探ろうとし、アメリア嬢に直接質問したり、裁判のやり直しを求めたりしていたようです。その結果……ヨーク伯爵家は、王宮から“反逆の疑いあり”として監視を強められているとのこと」
「監視……っ」
スカーレットの呼吸が浅くなる。両親が王太子に睨まれてしまえば、どれだけ伯爵家が名門だろうと危うい。場合によっては家名剥奪だけでは済まないかもしれない。
「さらに、先日、何者かがヨーク伯爵家に放火を試みたとの噂もあります。大火事にはならなかったようですが、これは明らかに“警告”のつもりでしょう。今は伯爵家の使用人たちも怯え、邸には訪問者もほとんど来ない状態だとか……」
放火。血の気が引くような事態だ。スカーレットはぎゅっと拳を握り締め、唇を噛む。父と母が無事なのが不幸中の幸いだが、いずれそれ以上の危害が及ぶ可能性が高い。
「なぜそこまで……? 何も罪を犯していないのに、両親が命を狙われるなんて……」
「さだかではありません。ですが、アメリア嬢の取り巻きや、彼女に取り入る貴族たちが、“伯爵夫妻がアメリア嬢を誹謗している”と糾弾しているのは確かなようです。王太子殿下もそれを黙認しているか、もしくは裏で煽っている可能性があります」
スカーレットは怒りと恐怖で身体が震える。アルバートにとって伯爵夫妻はかつての婚約者の両親であり、本来なら味方であるはずだ。それをこんなにも簡単に切り捨てるなど、どう考えてもおかしい。アメリアに操られていると言っても、あまりに酷い。
「公爵様……私、どうすれば……。両親が危ないなんて、そんな……」
震えるスカーレットの声に、ゼインは苦悩に満ちた眼差しを向ける。しばし沈黙が流れた後、彼は深く息をついてから断言した。
「俺が、なんとかしよう。……ヨーク伯爵夫妻を、こちらの領地に匿う手段を探る。ただし、そうなれば本格的に“グランフォード王国への内政干渉”とみなされる可能性がある。戦争の火種になるかもしれない。……それでも構わないか?」
「戦争……!」
スカーレットは思わず息を呑む。隣国の公爵であるゼインが、他国の伯爵夫妻を匿う――それは外交的に見れば、かなり際どい行為だ。王太子が激怒し、武力衝突へと発展してもおかしくない。しかし、ゼインはそんなリスクを承知の上で、自分の頼みを聞こうとしてくれているのだ。
「ただちに開戦という事態まではいかないよう動くが、アメリアや王太子が激昂すれば、どう転ぶかわからない。今のグランフォード王国は正常な判断力を失っている節があるからな。……それでも、お前は両親を救いたいか?」
問いかけられたスカーレットは、涙目になりながらも、はっきりと応える。
「はい。救いたいです……! 両親は何も悪くありません。私を信じて、真実を追おうとしてくれているだけなんです。どうか……お願いします」
ゼインは小さく頷き、私兵の隊長に指示を出した。
「伯爵夫妻を密かに保護する作戦を立てる。今すぐ動くのは危険が大きいから、まずはヨーク家と接触して、意思を確認した上で計画を練ってくれ。細心の注意を払ってな」
「はっ。承知いたしました。次の機会に、適任の者が潜入してご夫妻をお守りいたします。続報をお待ちください」
こうして、伯爵夫妻救出への作戦が動き出す。スカーレットは安堵と不安に包まれつつ、ゼインに何度も頭を下げた。自分の力ではどうしようもできなかったことが、彼の力と決断で動き始めている。それがどれほど救いになるか、言葉では言い尽くせない。
4.王太子の焦りと、アメリアの野望
一方その頃、グランフォード王国の王都。
王宮の奥深くにある謁見の間では、王太子アルバートが苛立ち紛れに玉座を睨んでいた。通常、玉座には国王が座るものだが、病床に伏せっている王の代わりに、アルバートが代理として政務を取り仕切っているのだ。
その隣には“聖女”アメリアが侍り、愛想を振りまいている。金髪碧眼の王太子と、柔らかな茶髪に穏やかな笑みを浮かべる聖女。見た目は美男美女の組み合わせだが、その場には妙な殺気じみた空気が漂っていた。
「アルバート様、先ほども申し上げましたが、どうにも王宮の財政が逼迫しているようですわ。私のために用意してくださる資金も、もう少し増やしていただけませんか?」
「……アメリア、先月も大金を下賜したばかりだぞ。何に使っているのか把握していないわけではないが、さすがに度が過ぎる。領主たちが増税に反対し始めているし……」
アルバートは頭を抱える。アメリアを庇護するための費用が莫大になっており、さらに奇妙な病の蔓延で生産力が落ち、税収が減っている。その補填として新たに課税を強化すれば、貴族や平民の反発は必至。国内の不満が高まれば、自らの立場も危うい。
「うふふ。私はただ、病んだ方々を救うための“薬”を作る資金が必要なだけ。アルバート様だって、私がみんなを助けたい気持ちを分かってくださいますよね?」
「そ、それは……確かに、お前の奇跡がなければ、この国の人々は救われない。わかっているが……」
アメリアは潤んだ瞳でアルバートを見つめる。その瞳には不自然なほど甘い光が宿り、王太子の心を溶かすかのようだった。
(そうだ……アメリアは聖女だ。この国を救うために、多少の犠牲は仕方ない……)
アルバートは頭の奥で声が響くような感覚に囚われ、再び疑念を押し殺す。かつては穏やかで理知的な一面もあった彼だが、今は完全にアメリアに心酔し、まともな判断ができない状態に陥っている。
「とにかく、増税の件は慎重に進めよう。反乱でも起こされたら……」
「反乱……たとえば、ヨーク伯爵家のような? あそこはどうも私を嫌っているようですし……。先日はわざわざ私に嫌がらせめいた言葉を投げかけましたわ。私としては、ああいう方々こそ粛清すべきだと思いますが」
くすっと笑いながら、アメリアは王太子の肩を撫でる。その手つきは一見甘美な愛撫のようでいて、まるで蛇が獲物を絡め取るような不気味さを伴っている。
「ヨーク伯爵家……。確か、スカーレットの実家だな。あの娘はもう追放したが、親はまだ王都に残っている。……ちっ、あの夫妻はスカーレットの潔白を信じているからな。もし余計な証拠を掴んで騒ぎ立てられたら面倒だ」
「そうですわ。ですから、なるべく早く手を打たないと。放火くらいではきっと懲りないでしょうから……うふふ」
アメリアの口元には邪悪な笑みが浮かぶ。その表情を見ながら、アルバートは微かな罪悪感を覚えるものの、すぐにかき消されてしまう。
「わかった……。近衛兵にでも命じて監視を強化する。もし伯爵夫妻が謀反の証拠を見せるようなら、即刻捉えるまでだ」
かくして、王太子とアメリアによる暴走は止まる気配がない。グランフォード王国の闇は深まり、やがて“隣国”の耳にも届くのは時間の問題だった。
5.決断と、揺れ動く心
ゼインの別邸。調査隊からもたらされた報告と、王太子とアメリアの内情を断片的ながら掴んだゼインは、ついに腰を上げる時が来たと判断した。ヨーク伯爵夫妻が本気で命を狙われる可能性が高まるにつれ、悠長に構えてはいられない状況なのだ。
ある日の夕方、ゼインはスカーレットを迎えに行き、館の一室へ案内した。そこは執務室とも違う、少しこぢんまりとした応接間だったが、暖炉が焚かれ、柔らかい椅子が並ぶ落ち着いた空間である。
「スカーレット。今後の方針を決めたいと思う。俺としては――ヨーク伯爵夫妻を救うために、極秘裏に国境を越えて保護作戦を実行するつもりだ。具体的には、伯爵夫妻を“亡命”させる形になるだろう」
「亡命……。それって、やはりグランフォード王国とルーヴェル王国の間で、大きな問題になりませんか?」
「なるだろうな。だが、もう悠長にしていれば伯爵夫妻は危ない。お前はそれでも構わないのか?」
スカーレットは真剣な眼差しで頷く。内心の葛藤はあるが、両親を守るためには背に腹は代えられない。
「私のせいで両親に危険が及んでいる部分もあります。私を信じてくれているからこそ、アメリアの陰謀に立ち向かおうとしている。それならば、私にも責任がある。……どうか、力を貸してください」
「わかった。もうすでに手筈は整え始めている。作戦の実施時期が近づいたら、俺から改めて知らせる。そのときはお前にも協力してほしい」
「はい、何でもします」
スカーレットの返事を聞き、ゼインは静かに息をつく。彼の表情には、どこか苦渋の色も混じっているようだ。
「ただし、これは“覚悟”のいることだ。お前が王都へ戻りたいと思っていたとしても、下手をすれば永遠に戻れなくなるかもしれない。……それでもいいのか?」
「ええ。私にはもう、戻る場所なんてありません。王太子にも婚約を破棄され、伯爵家もこうなってしまった以上、王都グランフォードは私にとって安息の地ではないんです」
そう答えながら、スカーレットは自分の胸に湧き上がる寂しさと決別する。かつては王妃として国を支えるはずだった。でも今は違う道を行かなければならない。両親とともに生きていくために。
ゼインはそんなスカーレットの横顔を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……もう一つ、大切な話がある」
「はい……?」
彼の声色がやや低く、いつになく重々しい。スカーレットは胸の鼓動が高まるのを感じた。ゼインの真剣な表情が、自分へ向けられている。
「スカーレット、もし伯爵夫妻がこちらに来ることになり、お前もグランフォード王国を完全に離れるのなら……その後の身の振り方はどうする? ルーヴェル王国で貴族の庇護を受けながら暮らすのも悪くはない。だが、いずれ周囲の目が“元・王太子妃候補”に向けられ、不審を抱く者も出るだろう。……正直、政治的にも微妙だ」
「それは……やはりそうですよね」
自分の存在が、また新たな問題を引き起こしかねない。隣国の民衆から見れば、いつ“王都のスパイ”になるかもわからない存在だと疑われるかもしれないのだ。
「そこで、俺から提案がある。――お前が、俺の“婚約者”としてルーヴェル王国に留まるという形をとるのはどうだ?」
「……っ!?」
一瞬、スカーレットの思考が止まる。ゼインが口にしたのは、あまりに衝撃的な言葉――“婚約者”として迎えるという提案だった。
「もちろん、形だけの婚約でもかまわない。俺は公爵として、これまで縁談を幾つも断ってきたが、そろそろ周囲が黙っていない。だが、お前を庇護する口実としては、最高に都合がいい。……お前が俺のフィアンセであれば、誰もが易々と手出しはできなくなるからな」
ゼインの瞳は真剣だ。スカーレットを利用してやろうという雰囲気はなく、むしろ彼女を守るために必死に考えて出した答え――そう感じられた。スカーレットの胸は激しく動揺する。かつてアルバートと婚約していた自分が、今度は隣国の公爵と婚約するなんて。そんなことが本当に許されるのだろうか。
「で、でも……私、もう“婚約”というものに対して、正直怖いんです。アルバート様とのことがトラウマで……それに、公爵様にとって私は政治的リスクでは……」
「リスクなら、もう引き受けている。今さらお前を放り出すわけにもいかないし、そもそも俺がこんなに口を出す時点で、すでにルーヴェル王国内で何らかの憶測は生まれているだろう。だったら、堂々と“俺の婚約者”として紹介したほうが安全だ」
ゼインの言葉には、一点の迷いもない。むしろ、どうすればスカーレットを一番守れるか、それだけを最優先にしているようだ。スカーレットは心が揺さぶられる。アルバートのときには感じなかった――“自分を無条件に守ろうとする”意志の強さ。
(私はこの提案を受け入れてもいいの……? ゼイン様を巻き込むことになる。でも、彼はそれを承知で……)
再び沈黙が落ちる。暖炉の火がパチパチと小さくはじける音だけが部屋に響く。やがて、スカーレットはそっと瞳を閉じ、浅く息をついてから口を開いた。
「私……正直に言うと、ゼイン様のことを尊敬しています。助けられた命を、大事にしたいと思う。それに、この国で生きるなら、やっぱりゼイン様のそばが一番安心できる……。でも、もし“形だけの婚約”ならば、いずれ私が邪魔になるときが来るかもしれません」
「邪魔にはならない。お前は賢いし、礼儀や教養もある。ファーガス家にとって、むしろ大きな力になれるはずだ」
「……そうでしょうか」
スカーレットは自嘲気味に微笑む。かつては“王太子妃”と目されていた自分が、今は追放者。“形だけの”と聞くと、どこか寂しさも感じる。だが、ゼインが自分を傷つけないように配慮してくれているのだろうとも思う。
「わかりました。私でよければ、どうかお役立てください。私も、ゼイン様に助けられたことへの恩返しがしたいんです。……ただ、“婚約”という言葉を聞くと少しだけ胸が痛むのは、どうかお許しください」
「いいんだ。お前が少しずつ慣れてくれれば。それに……形だけ、というのは俺の建前だ。もしお前が本当に望むなら、いつか……“本物の婚約者”になってくれたら、俺は嬉しいがな」
不意に、ゼインはどこか照れ臭そうに視線を外す。スカーレットはその様子を見て、胸がきゅんと締め付けられるような感覚を覚えた。アルバートと婚約していた頃には感じなかった――言葉にできない温かさ。
そうして二人は、不思議な“約束”を交わすことになった。伯爵夫妻救出の作戦が成就し、無事にルーヴェル王国へと逃れてきた暁には、公爵ゼインとスカーレット・ヨークが婚約を結ぶ――政治的にも、互いを守るためにも必要な手段。だがそこには、たしかな情も芽生え始めていた。
6.嵐の予感――そして、第4章へ
その翌日から、ゼインはルーヴェル王国の王宮とも連絡を取り始めた。表向きは「グランフォード王国との国境の治安維持に関する相談」などを理由に挙げつつ、裏では伯爵夫妻の救出作戦を極秘裏に進める。幸い、ファーガス家は王家から絶大な信用を得ており、大がかりな人員を動かしても疑われる可能性は低い。
一方、スカーレットは自分にできる限りの協力をした。ヨーク伯爵家の邸宅構造や、伯爵夫妻の交友関係、家臣たちの性格などを細かく伝え、救出時の連絡方法や合流場所を想定していく。もし王都近くで騒ぎが起これば、アメリアや王太子の警戒が強まるだろう。だからこそ、迅速かつ密やかな作戦が求められる。
そんな慌ただしい準備の日々の中でも、ゼインとスカーレットの間には微妙な空気が生まれ始めていた。先日の“婚約”の提案以来、二人の距離感はぎこちなくも甘やかなものになっている。図書室で顔を合わせれば言葉少なに笑みを交わし、夕食の場では自然と話題が途切れず続く。いつの間にか心の奥底で、お互いを意識し始めているのを感じる。
もっとも、今は伯爵夫妻を救うことが最優先だ。恋愛感情を自覚するには、あまりに緊迫した状況が続いている。それでも、些細なやり取りや目線の交差にドキリとする瞬間は増え、スカーレット自身、自分がゼインに強く惹かれていることを否定できなくなっていた。
(私とゼイン様が、もし本当に結ばれるとしたら……。そんな未来が、あるのかしら)
まだ、わからない。でも、もし両親を救うことができて、新しい人生を歩むなら――きっと、自分は彼を好きになるだろう。いや、既にその想いは始まっているのかもしれない。
こうして、スカーレット・ヨークの運命は再び大きく動き出す。かつての婚約者アルバートが自滅への道を進み、偽りの聖女アメリアが王宮を掌握する中、彼女は隣国ルーヴェル王国の公爵ゼインと奇妙な縁を結び、伯爵家の家族を救おうと決意したのである。
嵐の前の静けさにも似た、不穏な空気が漂い始める両国。果たして、伯爵夫妻の運命はどうなるのか。そして、ゼインとスカーレットの想いは真実の愛へと育つのか――。
すべては、これから始まる作戦の成否にかかっているのだった。
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それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
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