婚約破棄は致しません。ただ、あなたを主語から外しただけです』

しおしお

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第三十六話 余白のない史書

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第三十六話 余白のない史書

 王立史料院では、新国王即位に伴う公式史書の改訂作業が進められていた。

 王家の年代記は分厚い。

 戦争、同盟、改革、災害――あらゆる出来事が記録される。

 だが記録とは、全てを残すことではない。

 整理することだ。

「継承再編の記述は、年表準拠で」

 院長が指示を出す。

「詳細は不要。政策的意義を簡潔に」

 筆は迷わない。

 『継承体制の再構成により、財政と外交は安定化。後の即位へ円滑に移行』

 それだけ。

 個人の葛藤も、議場の緊張も、
 市場の急落も、新聞の見出しも。

 全ては削られ、整形される。

 余白は与えられない。

 史書は完成形だけを残す。

 一方、新国王は即位後初の閣議を開いていた。

 議題は次年度成長戦略。

「過去の混乱は」

 側近が言いかける。

 王は静かに遮る。

「混乱はない。移行があっただけだ」

 言葉は穏やか。

 だが明確。

 過去は問題ではなく、工程。

 その瞬間、物語の色が消える。

 隣国使節館。

「史書が改訂されました」

 報告に、オルフェリウスは頷く。

「余白は」

「ありません」

「ならば完全だ」

 余白がなければ、再解釈は生まれない。

 再解釈がなければ、復活もない。

 夜。

 セドリックは書庫で史書の改訂版を手に取る。

 自分の時代の章。

 短い。

 淡白。

 否定も賞賛もない。

 ただ移行。

 彼はゆっくりと頁を閉じる。

 怒りはない。

 むしろ妙な静けさ。

 自分の物語は、国家の物語ではなかった。

 国家は常に前進し、
 個人は通過点。

 それを理解するのに、長い時間はかからなかった。

 グラシアス公爵邸。

「史書が完成しました」

 エルネストが告げる。

 レティシアは静かに頷く。

「余白は」

「ありません」

「当然ですわ」

 彼女は言う。

「物語を残せば、感情が残ります。制度は感情を嫌います」

 彼女は窓の外を見る。

 王都は静か。

 混乱の名残はどこにもない。

 翌日、史書は各国へ送付される。

 外交官たちは目を通す。

 再編は一工程。

 即位は自然な帰結。

 疑問符はない。

 最強のざまぁは、断罪でも排除でもない。

 あなたの物語に余白を与えないこと。

 再解釈の余地を消すこと。

 王都の空は澄み渡る。

 制度は完成し、
 歴史は整形され、
 未来は滑らかに続く。

 セドリックは静かに歩き出す。

 史書に自分の名はある。

 だが物語はない。

 それが最終段階の静かなざまだった。
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