王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~

しおしお

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第21話 料理が生きている

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第21話 料理が生きている

 晩餐会の空気は、最初の一皿で明らかに変わっていた。

 それまでは、異国の王子を迎えるための、どこか張りつめた緊張が食堂を支配していた。誰もが礼を失さぬよう、失敗せぬよう、慎重に呼吸をしていたように思う。

 けれどハンス王子が「料理が、生きている」と口にした瞬間、その緊張の質が変わったのだ。

 警戒ではなく、期待へ。
 様子見ではなく、本気の観察へ。

 少なくとも、リリアーヌにはそう見えた。

 隣の席で国王は上機嫌にグラスを傾け、向かいのハンスはまだ皿を見つめている。視線が料理だけでなく、食堂のあちこちへ伸びていくのがわかった。火床、鉄板、給仕の位置、扉の角度、さらには料理長の立ち位置まで、何ひとつ見逃すまいとしているようだった。

 やっぱり変な人ですわね、とリリアーヌは思う。

 いや、変というより、少し似ているのかもしれない。

 普通の人なら、ただ「おいしい」で終わる。
 でもこの人は、そのおいしさがどうやって生まれているのかまで見てしまう。

 それは少しだけ、今の王宮の人たちに似ていた。

 給仕長が次の皿の準備に入る間、ハンスは静かに口を開いた。

「先ほどの料理ですが」

 国王が嬉しそうに身を乗り出す。

「どうだ」

「おいしい、という表現だけでは足りません」

 それは、かなりの賛辞だった。

「味そのものも見事でした。ですが、驚いたのは温度が味の一部になっていたことです」

 料理長の指先がぴくりと動く。
 それに気づいているのは、たぶんリリアーヌだけだった。

「温度が、味の一部」

 リリアーヌが小さく繰り返すと、ハンスはうなずいた。

「はい。肉そのものの旨み、ソースの濃度、香草の香り、そのすべてが、あの温度であることによって完成していた」

 そして彼は、少しだけ目を細めた。

「冷めていたら、まったく別の料理になっていたでしょう」

 その言葉に、料理長が深く一礼する。

「お見事なご慧眼にございます」

「慧眼というほどではありません。食べればわかります」

 ハンスの返しは淡々としていたが、そこに嫌味はなかった。ただ、事実を述べているだけだった。

 国王は気分を良くしたらしい。声まで少し大きい。

「そうであろう、そうであろう! 我が王宮は今や、温度まで供する!」

 やっぱり言い方がおかしい。

 しかしハンスは、そこに笑って合わせることなく、真面目な顔で続けた。

「しかも驚くべきは、これが単なる“熱い料理”ではないことです」

 食堂が静まる。

 ハンスはゆっくり視線を巡らせた。

「火を強くすれば熱くはできます。ですが、それでは雑になる。焦げ、硬くなり、香りは飛ぶ」

 料理長が、かすかにうなずく。

「ですが先ほどの一皿には、焦りがありませんでした。火力は強い。けれど、仕事が急いでいない」

 その表現に、リリアーヌは少しだけ目を見張った。

 仕事が急いでいない。
 なんて綺麗な言い方をするのだろう。

 たしかにそうなのだ。
 この王宮の食卓は、最近どんどん速くなっている。搬送は早く、連携も無駄がない。けれど不思議と“慌てている感じ”は減ってきていた。

 急いでいるのに、雑ではない。
 速いのに、乱れていない。

 たぶんそれは、地下のリフターも、アンナたち搬送係も、リーゼも、みんながそれぞれの持ち場で技術を磨いたからだ。

 ハンスはさらに言った。

「運搬と仕上げが喧嘩していないのです」

 それを聞いた瞬間、給仕長が目を見開いた。

 今、この場でいちばん刺さったのはたぶんその人だ。

 だって今の王宮で、運搬と調理の間にどれだけ綿密なやり取りが積まれているか、いちばん知っているのは給仕長だろうから。

「厨房からここまで、どのように連携しておられるのですか」

 ハンスの問いは自然だった。

 だがその内容は、普通の晩餐会で交わされる会話ではない。

 リリアーヌはつい口元を押さえた。
 やっぱりこの人、食べに来たというより見に来ている。

 国王はむしろ嬉しそうだった。

「聞きたいか!」

「はい」

「よかろう!」

 父はそう言うと、得意満面で説明を始めた。
 地下厨房からの人力昇降機。専用レーン。上階搬送。扉の開閉タイミング。食堂内での仕上げ。席順にまで及ぶ香りと熱の設計。

 途中から、説明役は完全に侍従長へ移っていた。国王は勢いはあるが、細部の説明に向いていない。

 侍従長が淡々と説明し、給仕長が補足し、料理長が仕上げの意図を加える。
 ハンスは、そのすべてを真剣に聞いていた。

 しかも時々、とんでもないところへ質問を挟むのだ。

「リフト停止時の揺れはどう制御していますか」

「搬送係の減速は感覚ですか、それとも歩幅の規律ですか」

「扉の開放で生じる気流は、開度と速度の両方で調整を?」

 そのたびに、バド団長、アンナ、リーゼがそれぞれ答える。

 リリアーヌはその光景を、少し不思議な気持ちで見つめていた。

 晩餐会なのに、会話の中心が温度管理と動線設計である。
 おかしい。どう考えてもおかしい。
 でも、誰もそれを変だと思っていない。むしろ全員、少し誇らしそうですらある。

 ハンスは途中でふと、リリアーヌのほうを見た。

「王女殿下」

「はい」

「あなたは最初から、ここまで見えておられたのですか」

 その質問に、リリアーヌは一瞬だけ固まった。

 見えていたわけがない。
 ただ温かいご飯が食べたかっただけだ。
 地下の男たちがあんなに本気になるとも、廊下の絨毯が剥がされるとも、食堂に火が入るとも思っていなかった。

 だから彼女は、正直に答えた。

「いいえ、まったく」

 ハンスが少しだけ目を見開く。

「ただ、温かいものが食べたかっただけですわ」

「だけ、ですか」

「はい」

 リリアーヌは少し困ったように笑った。

「けれど、皆さまが本気になってくださって。わたくしも途中から、そんなに大ごとなのかしらと思いながら見ておりましたの」

 その言葉に、食堂の何人かがかすかに視線をそらした。
 たぶん、自覚はあるのだろう。
 だいぶ大ごとだと。

 ハンスはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。

「なるほど」

 また、その“なるほど”だ。
 この手の人がそう言う時は、たいてい何かを深く理解した時である。

「だからこそ、ここまで来たのでしょう」

「……と、申しますと?」

「最初から大事業として始めたのではなく、たったひとつの率直な願いから始まった」

 ハンスの声は落ち着いていた。

「それが、技術を育て、人を動かし、食卓を変えた。私はそこに、強さを感じます」

 リリアーヌは、少しだけ息を止めた。

 そんなふうに考えたことはなかった。

 けれど、そうかもしれないとも思った。

 温かさは、ホッとさせてくれる。
 その気持ちは、たぶんとても個人的で、小さなものだった。
 でも小さいからこそ、誰かの心に入っていったのかもしれない。

 その時、次の皿の仕上げが始まった。

 鉄板の上で、また音が立つ。
 香りが広がる。
 会話は一度切れ、食堂の全員が自然にそちらへ意識を向ける。

 ハンスは、その流れすら見逃さなかった。

「……見事ですね」

 ぽつりと、彼は呟いた。

「何がですの?」

「誰も命じられていないのに、全員が同じ方向を向いている」

 リリアーヌは、少しだけ笑った。

 それはたぶん、この王宮の食卓が今いちばん得意としていることだった。

 温かいものが、ひとつの方向をつくる。
 湯気が立つだけで、人は自然とそちらを向いてしまう。

 そして、そういう時間は嫌いじゃない。

 ハンスが次の皿を受け取りながら、静かに言う。

「この食卓を、もっと知りたいと思いました」

 その一言に、国王の目がきらりと光った。

 やめて、とリリアーヌは思った。
 その顔は、絶対に何か次の段階を思いついた顔だ。

 けれど、止める間もなく、父はにやりと笑った。

「よかろう。ならば、もっと見せてやる」

 ああ、始まる。

 リリアーヌは心の中でそっとつぶやいた。

(温かいご飯が欲しかっただけなのに……なんでこんなに話、広がるのよ)

 でもその一方で、少しだけわかってきてもいた。

 温かいものは、ホッとさせてくれる。
 そしてその“ホッとする感じ”は、言葉より先に、人を動かすことがあるのだと。
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