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第22話 我国にも力を貸していただきたい
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第22話 我国にも力を貸していただきたい
晩餐会の後半に入る頃には、食堂の空気はすっかり変わっていた。
最初にあった“隣国の王子を迎える正式な場”としての張りつめた緊張は、もうほとんど残っていない。代わりにあるのは、ひどく妙で、けれど悪くない熱気だった。
料理長は次の皿の仕上げに集中し、給仕長はいつも以上に静かな動きで皿を流し、アンナたち搬送係は一歩も乱さない。リーゼは扉の前で相変わらず無表情だが、その無表情の奥にある緊張は、前より少しだけやわらかいように見えた。
そして、ハンス王子はというと。
食べるたびに、食堂のどこかを見ていた。
最初は皿。
次に火床。
その次は給仕の位置。
その次は扉と搬送路。
ときどき、食堂全体をひとつの仕組みとして眺めているような視線になる。
リリアーヌは、斜め向かいのその横顔をそっと盗み見た。
やっぱり変な人だ。
でも、嫌な感じはまったくしない。
むしろ、自分が「作っている時の音も匂いもごちそう」と思ったように、この人は「どうやってこの一皿が成立しているのか」まで含めて面白がっているのだろう。
たぶん普通の人より、ちょっとだけ食卓の見方が細かい。
やがて、最後の温かい料理が出されたあと、ほんの短い間があった。
給仕たちが次の皿の準備へ移り、会話の音量が少しだけ戻る。
そういう、“正式な話を差し込むなら今だ”という空気だった。
そして、ハンス王子はその空気を逃さなかった。
「陛下」
その一声で、国王がにやりとする。
はい、来た。
リリアーヌは内心でそう思った。
「なんだ、ハンス殿」
「先ほどから、貴国の食卓を拝見し、考えておりました」
「うむ」
「これは、単なる料理ではありません」
国王の口角がさらに上がる。
お父様、その顔はやめて。勝ちを確信した時の顔になっている。
ハンスは、しかしまったく浮ついていなかった。落ち着いたまま、まっすぐ言葉を重ねる。
「火力、導線、搬送、給仕、席配置、温度管理、香りの扱い」
「それぞれ単独ではなく、ひとつの体系として成立している」
侍従長が、わずかに胸を張った。
給仕長も、すました顔のまま耳だけは完全にこちらへ向いている。
「我が国でも、これに近い試みが不可能ではないかと考えたことはございます」
ほう、と国王が喉を鳴らした。
「ですが、本日わかりました。似た形を作ることと、同じものを実現することは違う」
その一言に、料理長の目が細くなる。
リリアーヌにも、その意味はなんとなくわかった。
見よう見まねで炉を置くことはできる。
カートやレーンを真似ることも、たぶんできる。
でも、この王宮の今の食卓は、そういう表面だけではできていない。
地下で綱を引く人たちの呼吸。
アンナの重心移動。
リーゼの扉を開く一瞬。
料理長の仕上げの秒読み。
そして、その全部が噛み合うように調整してきた日々。
ハンスは、そこまで見ているのだ。
「陛下」
彼は静かに頭を下げた。
「我国にも……この技術を、お貸しいただけないでしょうか」
食堂が、一瞬だけ水を打ったように静かになった。
その“技術”の中に何が含まれているのか、今ここにいる人間はもう知っている。ただの料理ではない。ただの厨房設備でもない。人の技量まで含めた、王宮そのものの新しいかたちだ。
国王は、待ってましたと言わんばかりに椅子の肘掛けを叩いた。
「よかろう!」
即答だった。
「お父様」
リリアーヌは思わず小声で呼んだが、父は止まらない。
「よかろうとも! 我が国の熱々は、もはや誇りである! 見せるだけでなく、共に育てるのもまた一興!」
たぶん今この人、だいぶ気分がいい。
料理長は少しだけ目を見開いていたが、すぐに真面目な顔に戻った。給仕長と侍従長は一瞬だけ視線を交わし、たぶん同時に「どこまで出すべきか」を考え始めている。
ハンスは深く頭を下げた。
「感謝いたします」
「ただし!」
国王が指を立てる。
ああ、条件があるのだな、とリリアーヌは少しだけ安心しかけた。
こういう時の条件なら、まだ話がきれいにまとまる気がする。
だが国王の口から出たのは、予想と少し違うものだった。
「これは、ただの台所仕事ではない!」
「はい」
「人をホッとさせるための技術である!」
「……はい」
「よって、半端な気持ちでは困る!」
そこでハンスは、まっすぐうなずいた。
「承知しております」
国王もまた、まっすぐ見返す。
「ならばよい!」
なんだこの会話。
妙に噛み合っているのがまた困る。
リリアーヌは、少しだけ息を吐いた。
話が大きい。
すごく大きい。
本人は王女としてこの場に座っているが、中身としては、ちょっと熱いごはんが欲しかっただけの一般人感覚がまだ抜けていない。
(温かいご飯が欲しかっただけなのに……なんで国際技術協力みたいな話になってるの)
そう思った時、ハンスがこちらを見た。
「王女殿下」
「は、はい」
「あなたのお考えがあってこそ生まれた食卓だと、先ほど伺いました」
やめて。
そんなふうに真正面から来られると困る。
「いえ、そんな……大した考えではありませんの」
「ですが、始まりだった」
静かな言い方なのに、なぜか逃げ場がない。
「私には、そう見えます」
その言葉に、リリアーヌは少しだけ言葉を失った。
始まり。
そう言われると、たしかにそうなのかもしれない。
でも、自分としては本当にそんなつもりではなかったのだ。豪華だけれど冷たい食卓が、ちょっと寂しかっただけ。温かいものがほしかっただけ。
だから彼女は、少し困ったように笑って言う。
「ただ、温かいものが食べたかっただけですわ」
「それで十分です」
ハンスの答えは、迷いがなかった。
「十分?」
「はい。人を動かすのは、必ずしも壮大な理想ではありません」
そう言って、彼は食堂を見回した。
「むしろ、率直で小さな願いのほうが、まっすぐ伝わることがあります」
その言葉に、リリアーヌは胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
この人は、わかっているのかもしれない。
ただ料理が熱いとか、システムが見事だとか、そういうことだけではなく、その始まりにあった“ホッとしたい”という気持ちまで。
国王は腕を組んだまま満足そうにうなずく。
「うむ。ますます気に入ったぞ、ハンス殿」
やめて、お父様。
その言い方は何か危ない。すごく危ない。
けれど、まだこの時点では、誰もその先の言葉までは口にしなかった。
口にしなくても、なんとなく空気が漂い始めているだけで十分に怖いのに。
晩餐会はその後も続いたが、リリアーヌはどこか落ち着かなかった。
目の前では料理が仕上がり、香りが立ち、温かい皿が行き交っている。いつもなら、それだけで少し幸せな気持ちになれるはずだった。
けれど今日は、その幸せの上に、また何か大きなものが乗りそうな気配がある。
それが何なのか、まだはっきり言葉にはなっていない。
でも、こういう時の王宮はだいたい、その“まだ言葉になっていない何か”のほうが本番なのだ。
リリアーヌはスプーンをそっと置き、胸の中でつぶやく。
(お願いだから、今日はこれ以上広がらないで……)
しかし、その願いがこの王宮で通ることは、たぶんあまりない。
晩餐会の後半に入る頃には、食堂の空気はすっかり変わっていた。
最初にあった“隣国の王子を迎える正式な場”としての張りつめた緊張は、もうほとんど残っていない。代わりにあるのは、ひどく妙で、けれど悪くない熱気だった。
料理長は次の皿の仕上げに集中し、給仕長はいつも以上に静かな動きで皿を流し、アンナたち搬送係は一歩も乱さない。リーゼは扉の前で相変わらず無表情だが、その無表情の奥にある緊張は、前より少しだけやわらかいように見えた。
そして、ハンス王子はというと。
食べるたびに、食堂のどこかを見ていた。
最初は皿。
次に火床。
その次は給仕の位置。
その次は扉と搬送路。
ときどき、食堂全体をひとつの仕組みとして眺めているような視線になる。
リリアーヌは、斜め向かいのその横顔をそっと盗み見た。
やっぱり変な人だ。
でも、嫌な感じはまったくしない。
むしろ、自分が「作っている時の音も匂いもごちそう」と思ったように、この人は「どうやってこの一皿が成立しているのか」まで含めて面白がっているのだろう。
たぶん普通の人より、ちょっとだけ食卓の見方が細かい。
やがて、最後の温かい料理が出されたあと、ほんの短い間があった。
給仕たちが次の皿の準備へ移り、会話の音量が少しだけ戻る。
そういう、“正式な話を差し込むなら今だ”という空気だった。
そして、ハンス王子はその空気を逃さなかった。
「陛下」
その一声で、国王がにやりとする。
はい、来た。
リリアーヌは内心でそう思った。
「なんだ、ハンス殿」
「先ほどから、貴国の食卓を拝見し、考えておりました」
「うむ」
「これは、単なる料理ではありません」
国王の口角がさらに上がる。
お父様、その顔はやめて。勝ちを確信した時の顔になっている。
ハンスは、しかしまったく浮ついていなかった。落ち着いたまま、まっすぐ言葉を重ねる。
「火力、導線、搬送、給仕、席配置、温度管理、香りの扱い」
「それぞれ単独ではなく、ひとつの体系として成立している」
侍従長が、わずかに胸を張った。
給仕長も、すました顔のまま耳だけは完全にこちらへ向いている。
「我が国でも、これに近い試みが不可能ではないかと考えたことはございます」
ほう、と国王が喉を鳴らした。
「ですが、本日わかりました。似た形を作ることと、同じものを実現することは違う」
その一言に、料理長の目が細くなる。
リリアーヌにも、その意味はなんとなくわかった。
見よう見まねで炉を置くことはできる。
カートやレーンを真似ることも、たぶんできる。
でも、この王宮の今の食卓は、そういう表面だけではできていない。
地下で綱を引く人たちの呼吸。
アンナの重心移動。
リーゼの扉を開く一瞬。
料理長の仕上げの秒読み。
そして、その全部が噛み合うように調整してきた日々。
ハンスは、そこまで見ているのだ。
「陛下」
彼は静かに頭を下げた。
「我国にも……この技術を、お貸しいただけないでしょうか」
食堂が、一瞬だけ水を打ったように静かになった。
その“技術”の中に何が含まれているのか、今ここにいる人間はもう知っている。ただの料理ではない。ただの厨房設備でもない。人の技量まで含めた、王宮そのものの新しいかたちだ。
国王は、待ってましたと言わんばかりに椅子の肘掛けを叩いた。
「よかろう!」
即答だった。
「お父様」
リリアーヌは思わず小声で呼んだが、父は止まらない。
「よかろうとも! 我が国の熱々は、もはや誇りである! 見せるだけでなく、共に育てるのもまた一興!」
たぶん今この人、だいぶ気分がいい。
料理長は少しだけ目を見開いていたが、すぐに真面目な顔に戻った。給仕長と侍従長は一瞬だけ視線を交わし、たぶん同時に「どこまで出すべきか」を考え始めている。
ハンスは深く頭を下げた。
「感謝いたします」
「ただし!」
国王が指を立てる。
ああ、条件があるのだな、とリリアーヌは少しだけ安心しかけた。
こういう時の条件なら、まだ話がきれいにまとまる気がする。
だが国王の口から出たのは、予想と少し違うものだった。
「これは、ただの台所仕事ではない!」
「はい」
「人をホッとさせるための技術である!」
「……はい」
「よって、半端な気持ちでは困る!」
そこでハンスは、まっすぐうなずいた。
「承知しております」
国王もまた、まっすぐ見返す。
「ならばよい!」
なんだこの会話。
妙に噛み合っているのがまた困る。
リリアーヌは、少しだけ息を吐いた。
話が大きい。
すごく大きい。
本人は王女としてこの場に座っているが、中身としては、ちょっと熱いごはんが欲しかっただけの一般人感覚がまだ抜けていない。
(温かいご飯が欲しかっただけなのに……なんで国際技術協力みたいな話になってるの)
そう思った時、ハンスがこちらを見た。
「王女殿下」
「は、はい」
「あなたのお考えがあってこそ生まれた食卓だと、先ほど伺いました」
やめて。
そんなふうに真正面から来られると困る。
「いえ、そんな……大した考えではありませんの」
「ですが、始まりだった」
静かな言い方なのに、なぜか逃げ場がない。
「私には、そう見えます」
その言葉に、リリアーヌは少しだけ言葉を失った。
始まり。
そう言われると、たしかにそうなのかもしれない。
でも、自分としては本当にそんなつもりではなかったのだ。豪華だけれど冷たい食卓が、ちょっと寂しかっただけ。温かいものがほしかっただけ。
だから彼女は、少し困ったように笑って言う。
「ただ、温かいものが食べたかっただけですわ」
「それで十分です」
ハンスの答えは、迷いがなかった。
「十分?」
「はい。人を動かすのは、必ずしも壮大な理想ではありません」
そう言って、彼は食堂を見回した。
「むしろ、率直で小さな願いのほうが、まっすぐ伝わることがあります」
その言葉に、リリアーヌは胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
この人は、わかっているのかもしれない。
ただ料理が熱いとか、システムが見事だとか、そういうことだけではなく、その始まりにあった“ホッとしたい”という気持ちまで。
国王は腕を組んだまま満足そうにうなずく。
「うむ。ますます気に入ったぞ、ハンス殿」
やめて、お父様。
その言い方は何か危ない。すごく危ない。
けれど、まだこの時点では、誰もその先の言葉までは口にしなかった。
口にしなくても、なんとなく空気が漂い始めているだけで十分に怖いのに。
晩餐会はその後も続いたが、リリアーヌはどこか落ち着かなかった。
目の前では料理が仕上がり、香りが立ち、温かい皿が行き交っている。いつもなら、それだけで少し幸せな気持ちになれるはずだった。
けれど今日は、その幸せの上に、また何か大きなものが乗りそうな気配がある。
それが何なのか、まだはっきり言葉にはなっていない。
でも、こういう時の王宮はだいたい、その“まだ言葉になっていない何か”のほうが本番なのだ。
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