「女王陛下の侍女、価値を見抜けない無能王子は流刑、秘密を知った王妹は赤子にして口と記憶を封じます

しおしお

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第7章 動き出す王妹レーベンブルグ

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7‑1 動き出す王妹レーベンブルグ――欲望は香水よりも濃く

 王都から西へ一五〇リーグ。豊かな小麦畑とぶどう畑が広がる温潤の地《エルトラン》。その中心に建つレーベンブルグ公爵家の離宮は、白壁に茜の瓦を頂く優雅な姿を夜空に浮かび上がらせていた。
 だが宵の帳が降りれば、薔薇の回廊には人影が絶え、噴水の水音だけがやけに大きく響く。離宮主――女王の実妹マルガレーテ・フォン・レーベンブルグは、ここ数週間ほとんど公の場に姿を見せていない。
 理由は簡単だ。“鏡の中の自分”が耐え難いほど衰えを見せ始めたのだ。

 その夜、暖炉を焚いた化粧間で、女王妹は宮廷一と謳われた艶やかな金髪をとかしながら、長椅子に虚ろな目を落としていた。
 鏡台に置かれた香水瓶はヴェネツィアガラス、白粉は東方産真珠の粉末。数え切れぬ若返り薬が並び、燭台の火が瓶底に怪しい輝きを落とす。それでも頬のかすかなたるみ――髪際に現れた細い皺は、いっこうに隠れない。
 「姉上はなぜ十七の頃のままなの……?」
 呟きは、硬い真珠の粉より脆い。

 そのとき扉が静かに開き、黒装束の侍女ルイーゼが跪いた。彼女は王宮の女官だったが、二年前に主へ転じた“密偵”だ。
 「姫君。北領公殿下による刺客は失敗、王宮の守りは鋼のごとく強化されました」
 「知っているわ」レーベンブルグは櫛を跳ねさせ、黄金の髪を肩へ滑らせた。「夜鷹が討たれたという噂は鏡以上に憂鬱よ。でも、ここからが本番」
 彼女は机から一枚の見取り図を取り上げる。王宮下層の配膳回廊――だが赤いインクで印されているのは、それよりずっと外縁の“家族棟”だった。
 「アーデルハイドは若返りの魔法を毎朝、姉上の私室で行う。でも“夜”は家族棟の居室で眠る。親衛騎士が交代する午前零時前後、隙ができるわ」
 ルイーゼは眉を寄せる。「しかし親衛の副衛ユストゥス隊に加え、アルトハイム隊長自らが巡回を……」
 「本人を仕留めるのは難しい。でも“連れ去る”なら一瞬の隙で足りるわ」

 鏡の中の女王妹が妖しく笑みを浮かべる。
 「私は王位も金も要らない。ただ永遠に咲く花がほしいの。彼女はその種。ならば花壇ごと自分の庭へ植え替えるだけ」

 火扉が弾け、炎が揺れた。匂い袋から立ち上がる沈丁花の甘さが、欲望の粘膜を通して室内に広がる。
 ルイーゼは視線を落とし、小声で囁いた。「“孔雀団”を招きましょう。舞踏を装い、公爵府で興行を開く名目なら、多少の人員も荷車も怪しまれません」
 「良いわ。手配を――ただし今度は失敗は許さない。北領の愚か者と違い、私は裏切り者にも手厚い報酬を用意するけれど、同時に“沈黙”の薬も抱かせるわ」
 ルイーゼの背に冷気が走る。それでも主命に逆らえる者はいない。

 月が高く昇り、鏡台の銀装が冷たい光を跳ね返す。レーベンブルグは輪郭を搔きむしるように頬へ手を添えた。
 「若さは才能。姉上も、あの侍女官も、不公平なほど与えられた才能を独占している。なのに私は……」
 嫉妬と恐怖が壊れた髪飾りのように胸を刺す。彼女はついに決断した。
 「奪うのよ。美しさは育むものですって? 笑わせないで。私は奪う、美しさのためなら」

 その声を遮るかのように、外廊下で衛兵の金属靴が鳴る。王妹は顔を歪め、手鏡を投げつけた。ガラスが砕け、欠片が床に散る。その鋭い破片に映った月は血色のように揺らめいていた。


---

◆ 王宮の“白百合”は知らぬまま

 一方その頃、王宮ではアーデルハイドが夜回廊の灯を確かめ、窓を閉じる支度を整えていた。北の脅威は去ったと皆が口にするものの、アルトハイムの眼差しは昼も夜も剣のように鋭い。
 「油断は禁物」彼は常にそう言う。アーデルは頷きつつ、護衛の厚さで却って緊張が解けない自分に苦笑した。

 だが、彼女はまだ知らない。
 北の氷刃ではなく、西の薔薇が、静かに茨の蔓を伸ばし始めていることを。
 花の香より甘く、毒の棘より鋭く──美を欲する王妹の計略は、この夜を境に表舞台へ歩を進めたのだった。


7‑2 孔雀団の仮面――王宮への“舞踏”という名の侵入作戦



 それから十日後。
 王都西門に色鮮やかな旅芸人の一行が到着した。団名は《孔雀団》。かつて大陸南方で評判を呼んだ大道芸集団だと名乗り、許可証には公爵家レーベンブルグの印が押されている。
 荷車は四台。先頭は黒塗りの幌馬車で、車体側面には孔雀の羽根を模した瑠璃色の彩色。外を飾るほど内部は厳重で、扉には三重の錠が掛けられ、団員でさえ中身を知らぬという。──その正体は、夜鷹が残した暗具を改修した“密仮眠箱”だった。内側は毒矢、拘束鎖、睡眠香で満たされ、標的を生きたまま運ぶための檻である。

 団長ヴァシリ・ディルクは痩せたピエロ姿で入城管理官へ笑いを振りまく。
 「拙者どもは西方エルトラン侯の依頼で、公爵令妹マルガレーテ様の慈善舞踏会を賑わせるために参上つかまつった!」
 支払われた手数料と豪奢な衣装が後押しし、検問は通過。練兵場近くの仮設テントが与えられ、孔雀団は堂々と王都へ巣を張った。

◆ 仮面の下の計画図

 夜、娯楽用のドラムが静まったテント奥。
 羊皮紙に描かれた王宮の家族棟と配膳通路の図を囲み、ヴァシリと黒装束の副官トゥーアが耳を寄せる。
 「侵入は舞踏会当日深夜。王妹様は“頭痛を理由に中座”と表向きに告げ、宮廷楽師の控室を空ける手はずだ」
 「家族棟へ続く渡り廊下は親衛二名と魔符師が輪番だと聞くが」
 副官は鴉のように嗤う。「魔符の結界は《翡翠破り》で十分。二十秒あれば穴が開く」
 ヴァシリは地図上の一点を指で叩く。アーデルハイドの居室窓。
 「問題はあの侍女官の目覚めだ。眠りが浅いらしい。ゆえに催眠香煙筒を同時に二本。あとは檻へ──“白百合の花”を摘むだけ」

 テーブル脇の箱には、若返りや解毒の草名が書かれた羊皮紙束が山と積まれる。それらはレーベンブルグが独自の錬金師に書かせた実験式。目的は明快だ。
 《若返り魔法を“抽出”し、自分に移植する》

◆ 王宮の微かな異変

 一方、王宮側も無警戒ではなかった。
 女王エレオノールは文化局を通じて舞踏会の情報をつかむと、日中の祝儀侍女に稽古を命じた。──名目は「侍女官たるもの、正式舞踏は心得よ」。しかし本当の狙いは警戒網の強化。
 アルトハイムは侍女官稽古場の地下に控室を設け、毎夜巡回を増やす。加えて魔符師二名の交代を兵科術師に置き換え、外部の魔具に対し敏感な“気配探知符”を貼り回った。

 それでも、孔雀団の動きは巧みだった。
 舞踏当日の前夜、団員数名が中央市場で見事な火吹きを披露し、王都新聞のコラムに取りあげられる。王宮侍女らが口々に〈素敵だったわ〉と噂する頃、黒馬車はこっそり増員された馬匹と荷台を納屋に隠していた。

◆ 舞踏会当夜──香り立つ薔薇の檻

 エルトラン離宮。客間には灯油ランプの光が揺れ、床を埋める薔薇色のカーペットに貴族と豪商が集う。
 開宴を告げるファンファーレの後、孔雀団は華やかな仮面舞を披露。パイプオルガンの音に合わせ、孔雀羽が扇のように咲き、観客の歓声が天井画を震わせた。
 しかし幕裏では、黒外套が機敏に舞台袖を出入りする。レーベンブルグは頭痛を訴え、侍医を下がらせると、控室奥の小扉へ黒外套を招き入れた。そこには王宮配膳通路の鍵の写し。──三年前、王妹が文化使節として王宮の内装視察に同行した折、密かに鋳型を取っていたのだ。

 「明日未明、白百合はここへ」女王妹は囁き、化粧台の奥の箱を開ける。中には氷銀色の拘束具。
 「生きたまま運び、体組織を解析しろ。若返り魔法は術式ではなく“血と魂”に刻まれているのだから」

 黒外套たちはうなずき、舞踏会が最高潮に達した刻、密かに裏門を抜けて王都の闇へ溶けた。
 そして深夜二時──配膳回廊の石窓に翡翠色の符が貼られる。魔術回路が鳴りを潜め、鉄格子が微かに熱を帯びた。孔雀団“実働班”が忍び込み、家族棟の渡り廊下へ向けて静かに進んでゆく……。

◆ 気づき

 しかし王宮は完全な眠りには落ちていない。
 侍女クララは夜更け、アーデルの寝室へ静かに近づいた。——お菓子を作り過ぎた王子が「ねーちゃんに渡して」と頼んだチョコレートが余ったからだ。
 扉を叩こうとして、廊下の空気に妙な香が混じっていることに気づく。沈丁花とも、夜香木とも違う、むせ返るような甘さ。
 (薔薇でもない、何か薬草の……)
 クララは訝しんで階段方向を振り向く。冷たい風が吹くはずの石窓──そこに微かに漂う翡翠色の微光を見た。

 胸騒ぎが大きく跳ねる。彼女はチョコレートの箱を床に落とし、階下の親衛詰所へ駆け出した。錠が軋む音が、夜の王宮で鋭く響く。
 遠くで甲冑が揺れ、アルトハイムの短い号令が夜気を切り裂いた――。

 薔薇の香より甘い欲望は、ついに王宮の扉をこじ開けてしまったのだ。
 だが白百合は、まだ眠りの中。守る盾と剣が間に合うか、夜の時計がざわめきながら時を刻み始めていた。


7‑3 白百合消ゆ――王宮、暁の騒擾

 夜明け前、東塔の時計が四つを指した刻。
 いつもなら若返りの儀の準備に忙しい侍女控室に、人影はなかった。小窓から淡紫の黎明が差しこみ、卓上の銀燭台が細長い影を落としている。
 ――アーデルハイドが戻ってこない。

 最初に異変を覚えたのは、見習い侍女クララだった。
 「おかしいわ、用具室にも執務記録室にもいない……」
 ほんの十分前まで、彼女は前日分の洗濯リストをまとめるアーデルの背を見ていた。その背が、用具室へ道具を返しに行くと告げて姿を消してから、帰ってこないのだ。

 不安な胸を押さえ廊下へ走り出ると、階段の踊り場に淡く漂う沈丁花の香。春の王宮では珍しくもないが、妙に濃い。
 「嫌な匂い……」
 足元の石床に、乾いた薄革片が落ちている。拾い上げると指先にとろりとした樹脂が付着した。

 ――瞬間、胸が凍った。北領公の夜鷹騒動の夜、親衛詰所で聞いた「歩音を殺す闇草履」の説明が脳裏を掠める。身体が勝手に階段を駆け下り、扉を叩いた。

 「開けて、アルトハイム隊長! アーデル様が……いないの!」



 親衛隊長アルトハイムが部屋を飛び出したのは報を受けてから三秒後だった。鎧を着ける暇もなく長衣のまま剣を抜き、侍衛二名に短く命じる。
 「第三渡り廊下を封鎖、家族棟側へ走れ。魔符師は結界圧を最大に」
 ――間に合え。

 家族棟の回廊。冷たい空気が流れ込む開け放たれた窓と、欄干に残る靴の擦過痕。窓枠に引っ掛けられた細い麻縄は二階下へ垂れ、その先は切り落とされていた。
 床には白亜の手鏡。細い鎖がちぎれ、鏡面に微かな血の筋。アーデルが抵抗した痕だ。

 「追撃隊を南中庭へ! 外郭壁の監視塔へ赤焔弾を撃て!」
 銀鈴のような号令が闇を裂く。階下から剣の抜け合う音、鎖の軋む音。だが犯人の姿はどこにもない。



 暁六つ――鐘楼の第一鐘。
 王宮の朝が始まるはずの刻、玉座の間へ集められた大臣たちは互いの顔を見合わせた。
 普段は若返りの儀を終えたアーデルハイドが「おはようございます」と柔らかく一礼して現れる。今日、その姿はない。
 最後に入室した親衛隊長は、鎖骨が見えるほど胸元を開けたまま膝をつき、宣言した。

 「白百合勲伯――誘拐されました。痕跡から見て複数犯。南中庭から壁外へ抜けた可能性が高い」

 女王エレオノールは王錫を握りしめたまま微動だにしない。蒼の双瞳に冴えた光が宿る。
 「命の安全は」
 「奪取の形跡なし。拘束具の痕と血は最小。生存を優先した攫取と判断」
 「ならば狙いは若返りの魔法そのもの……」
 その瞬間、王妹マルガレーテの名が大臣たちの喉奥に浮かんだが、誰も口には出さなかった。

 女王は立ち上がり、声を低く響かせる。
 「いま一度、白百合勅令を上位改訂する。――王都封鎖、親衛全隊を動員し城下の荷車を一台残らず検めよ。犯人が国外へ向かうなら、北方砦と西境関所に赤報を送れ」

 軍務卿が唇を噛む。「国境を閉ざせば商流が……」
 「白百合が折れれば王家の未来が折れる。その損失と比べれば些事だ」
 凍てつく宣言に誰も逆らえなかった。



 同刻、寝所を抜け出したエレイン王子は廊下でクララの腕を掴む。
 「ねーちゃんはどこ!?」
 クララは涙を堪え、微笑んだ。「必ず戻ってくるわ。だって王子が待っているもの」
 少年はぎゅっと拳を握り、「ぼくが大きくなるまで、ねーちゃんを守る!」と叫ぶ。その声が回廊にこだまし、沈んだ侍女たちの瞳に灯をともした。



 夕刻――王宮上空を、烽火よりも高く赤い気球が昇った。
 「白百合救出願い」と書かれた布が垂れ、城下の民が一斉に空を仰ぐ。
 食卓に載った麦粥の湯気が揺れ、子どもが小さく手を合わせた。「白百合のお姉ちゃん、はやく帰ってきて」

 王宮の時計塔が八つを打つ頃。アルトハイムは青い夕靄の城壁を走りながら、遠く西方に沈む赤い陽を見た。
 薔薇の匂いを運ぶ風が頬を撫でる。
 「必ず見つける。必ず――」

 その誓いが刃のように研ぎ澄まされ、夜の王都へ静かな戦の気配が満ちていった。
 白百合が闇に消えた日――王国の命運をめぐる最終幕の扉が、きしみを上げて開いたのである。

7‑4 薔薇は笑い、王は凍る――“白百合捜索令”発布

 ――月が雲へ沈み、夜半と暁の境がぼやける刻。
 王都外縁、舗装の途切れた田園路を一台の黒幌馬車が疾走していた。御者台で手綱をとる黒外套は、時おり背後の箱に耳を澄ませる。中には縦一〇〇センチ、横六〇センチの檻型木箱。厚手の毛布に包まれたアーデルハイドが横たわり、首筋には淡い痣──睡眠香の注入痕。
 「呼吸一定、脈弱いが問題なし」
 箱の蓋が隙間ほど開き、副官トゥーアの嗄れ声が乗り込む。
 「安心しろ嬢ちゃん、薔薇の姫は慈悲深い。若返りを差し出せば、笞と鎖で済むそうだ」
 低い笑いが馬車の揺れに溶け、再び蓋が閉じられる。輪が石を弾き、露のぬかるみを巻き上げた。



 その頃、王宮・玉座の間。
 外界の暗さを照らす複数のシャンデリアが依然として燃え、宰相以下の重臣が深紫の外套のまま立ち尽くしていた。
 「――二重の鉄門、南北監視塔、街道の烽火に連絡済み」
 軍務卿の報告を背に、女王エレオノールは床に落ちた鏡片を掌で包む。黄金の装飾は剝ぎ取られ、血の筋が乾きかけている。
 「これは妾の失策だ。侍女官殿の部屋を“安全地帯”と慢心した」
 声を聴いた者たちは戦慄した。王が自らに刀を向けた瞬間、誰の弁明も許されない。
 親衛隊長アルトハイムはひざまずく。「責任は拙者に。命を賭して奪還を」
 「ならば賭けよ。妹が動いたかは断定できぬが、薔薇の香が西風に乗っているのは事実だ」

 女王は壇を降り、紅の封蝋が付いた文書を宰相へ差し出した。
 > 白百合捜索令
 >  一、王都八門を封鎖し、出入りする荷車・旅人を一日とて見逃さぬこと。
 >  二、家族棟と外郭壁を結ぶ暗渠・排煙路・井戸を再調査し、侵入痕跡を洗い出すこと。
 >  三、女王妹マルガレーテを含む王族親衛の動静を監視下に置き、当人より弁明の文が届くまで入城を禁ずること。

 宰相が震え声で読み上げるあいだ、王子エレインが両目を真っ赤にして立っていた。
 「母上! ぼくも探しに行く!」
 女王は小さな肩を抱く。「王子は城に残り、祈りを絶やすな。それが白百合を導く光になる」
 少年は唇をかみしめ、涙をこらえて頷いた。手にはアーデルに教わった九九の木札が握られている。



 王宮西門を出たアルトハイム隊は、通用街道を六つの分隊に散開した。
 月明かりは既に失せ、鉛色の夜気が馬の吐息を白くする。副衛が指差す先、畑に続く泥道に浅く抉れた車輪跡。
 「幅一四二センチ、荷重二本。貴族用密輸馬車の規格です」
 跡は途中で消えたが、茂みには麻縄の切れ端と甘い沈丁花を染み込ませた布片が残る。
 騎士は剣を握り直す。「薔薇は香で獲物を包む。追い風を読め」
 黒馬が嘶き、追跡は農道を西方へ向かった。



 同刻、エルトラン離宮。
 瑠璃のシャンデリア下、マルガレーテ・レーベンブルグは煌めく絹衣のまま地図を俯瞰していた。壁際には黒外套の副官が土埃を払う。
 「姫様、白百合確保の報。馬車、夜明け前には第一区域へ」
 王妹は息を吐き、鏡へ視線を移す。ライトアップされた顔は白粉を塗っても隠せぬ皺が陰る。
 「若返りを手に入れたら、まずこの皺を撫でるわ……。姉上は白百合竈で民を抱き込み、私は白百合そのものを抱き込む。どちらが勝つか、答えは明白」
 ルイーゼが囁く。「女王は封鎖を強めるでしょう」
 「封鎖が何? 美のために城を空腹にすれば、民は薔薇に手を伸ばす。昼には噂を流しなさい――“白百合は永遠に帰らない”と」

 窓の外、黒雲が月を隠し、離宮の薔薇庭が夜露に濡れた。
 王妹は唇を艶やかに歪める。「花は闇で咲くのよ、姉上」



 夜明け。
 王宮の尖塔では烽火がなお赤く燃え、侍女控室の鏡台は空席のまま朝陽を受けている。
 クララは祈祷台に手を合わせ、声なき誓いを立てた。
 「必ず戻って。転ばないで。あなたのいない若返りなんて、誰も望んでいないから」

 鐘楼が六を打ち、若返りの儀の刻を告げる。
 女王は侍女官不在のまま鏡前に立ち、初めて自らの手で頬に魔力を流した。
 光が肌を撫で、皺一つない顔が鏡に映る。しかしその瞳は冬の湖より深く凍え、背後に誰もいない事実だけが映っていた。

 白百合がいない王宮で、王は若さを保てるのか。
 薔薇の棘が迫る足音だけが、石壁にこだました。

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