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第三十一話 王妃は、ついに王太子を切り分けました
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第三十一話 王妃は、ついに王太子を切り分けました
王宮では、その日の朝から空気が張っていた。
理由は明白だった。
前日、カイルが自分から席を立ったことが、もう隠しきれない形で内側に広がっていたからだ。
しかも、それはただの気分の問題では済まない。王妃付きの補佐官が確認を求め、関係各所の整理が必要な場で、王太子が自分から席を外した。つまり、王太子本人が整理を拒んだのだ。
それは王宮にとって、かなり重い。
軽率な婚約破棄も問題だった。
その後の実務の混乱も問題だった。
だが今度のそれは、もっと直接的だった。
責任の席から、本人が逃げた。
その事実は、王宮の内側で働く者たちに、言い訳のしようもなく伝わる。
朝一番で小会議室へ入ったロザリアの顔は、いつも以上に静かだった。
怒っているようには見えない。
だが、その静けさがかえって怖かった。
長机の上には、昨日の未処理案件がそのまま残っている。補佐官の報告書、会計係の追加確認、王太子本人の判断待ちだった項目の一覧。
女官長が一礼して告げる。
「王妃陛下。昨日の件につきまして、記録をまとめました」
「読み上げて」
「はい」
女官長は淡々と述べた。
「午後、関係各所の照合にあたり、殿下ご自身のお言葉を必要とする案件三件について確認を求めました」
「その後」
「殿下は、本日中の判断をお求めした補佐官に対し、“今日はもう知らん。好きにしろ”と仰り、自ら中庭より退出なさいました」
部屋が静まり返る。
記録として読み上げられると、なおさら酷かった。
好きにしろ。
王太子が、判断を求められた場でそう言って席を立つ。
子どもの癇癪ですら、もう少しましに見えるだろう。
ロザリアは何も言わなかった。
だが指先が、紙の端をゆっくり押さえる。
「補佐官は?」
「即時記録のうえ、処理を保留に」
「正しい判断ね」
短くそう言ってから、ロザリアは視線を上げた。
「カイルは」
「まだお部屋に」
「呼びなさい」
女官長が下がる。
そのあと、小会議室には少しだけ長い沈黙が落ちた。
会計係も補佐官も、誰も口を開かない。
何を言っても無駄だと分かっているからだろう。
今の王妃に必要なのは慰めでも同意でもない。
切り分けることだ。
どこからどこまでが王太子の責任で、どこから先が王家全体の損失なのかを。
やがてカイルが姿を見せた。
顔色はよくない。
昨夜もろくに眠れなかったのだろう。
だが今のロザリアには、そんなことはどうでもよかった。
「座りなさい」
カイルは反発するかと思われた。
だが、妙に静かに座った。
それがかえって不穏だった。
「昨日、席を立ったそうね」
ロザリアが言う。
「……はい」
「なぜ」
短い問いだった。
だが逃げ場がない。
カイルは一瞬、視線を逸らした。
「同じことばかりだったからです」
「同じこと?」
「確認、整理、支払い、切り分け……」
吐き捨てるように言う。
「何もかも、急に私の前へ積み上げられる。以前はそんなことはなかった」
「ええ」
ロザリアは静かに頷いた。
「以前は、誰かがあなたの前で整えていたもの」
カイルの表情が硬くなる。
触れてほしくないところを真っ直ぐ突かれた顔だった。
「だから何です」
「今、それがなくなっただけでしょう」
「なくなった、ですって?」
カイルの声が少し尖る。
「母上は簡単に仰るが、そのせいで王宮じゅうが騒いでいるではありませんか」
「ええ、騒いでいるわ」
ロザリアの返答は即答だった。
「でも、騒がせたのは誰かしら」
カイルは黙った。
だが沈黙の顔が、反省のそれではないのがロザリアには分かった。
まだどこかで、自分だけが追い詰められていると思っている。
周囲がうるさすぎると思っている。
そこが駄目なのだ。
「カイル」
ロザリアは低く言った。
「私は、あなたをもう“未熟な王子”として扱うのをやめます」
その一言に、カイルの目が動く。
予想していなかったのだろう。
「……何ですって」
「聞こえなかったの?」
「そういう意味ではなく」
「では、どういう意味です」
ロザリアは視線を逸らさない。
「あなたが未熟だから、いずれ育つだろう。あなたが軽率でも、周囲が整えれば何とかなるだろう。そういう甘さで見ていた時期は終わりです」
「今後は違う」
「違う、とは」
「あなた個人の未熟さと、王家全体の損失を切り分けて扱う、ということよ」
その言葉は、かなり重かった。
母としてではない。
王妃としてでも、半分は違う。
もっと冷たい場所から言っている。
あなたはもう“庇うべき息子”ではなく、“管理すべき損失源”に近い、と。
カイルの顔から血の気が引いていく。
「母上は……私を切り捨てるおつもりですか」
「切り捨てる?」
ロザリアは、そこでほんのわずかに目を細めた。
「言葉を選びなさい。私は王家を守ると言っているだけよ」
「それは同じことではありませんか」
「違うわ」
ロザリアの声がさらに低くなる。
「王家はあなた一人ではない」
その一言は、刃のようだった。
カイルは口を開き、閉じた。
もう何を言っても、自分が“王家そのもの”として扱われていないことだけは分かったのだろう。
ロザリアは机の上の一覧へ手を置いた。
「これより後、あなたの名で曖昧に動いていた便宜は、一つずつ整理します」
「支払いも、後援も、社交上の便宜も、全部よ」
「そして、あなた自身が判断を放棄した案件については、王妃権限の下で処理するわ」
「……私を通さずに?」
「ええ。昨日、自分から席を立ったのでしょう?」
その言葉に、カイルの顔が歪む。
恥と怒りが一度に込み上げたようだった。
だが反論はできない。
立ったのは事実だ。
逃げたのも事実だ。
「あなたが責任の席に残れないなら、こちらは残れる者で進めるしかないの」
ロザリアはそう言ってから、最後にもう一つだけ付け加えた。
「これは罰ではありません。切り分けです」
切り分け。
何度も繰り返されるその言葉が、今度こそカイルには本当に痛かった。
怒鳴られた方がまだよかったかもしれない。
怒りには熱がある。
だが切り分けは冷たい。
冷たいまま、人を外へ置く。
「……もうよいでしょう」
ロザリアが言う。
「あなたは下がりなさい」
「母上」
「下がりなさい」
三度目には、カイルも従うしかなかった。
立ち上がる足取りは重く、怒っているのにどこか力がない。
扉が閉まる。
そのあと、部屋の中には長い沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは女官長だった。
「よろしかったのですか」
「何が」
「かなり明確に、殿下を切り分けられました」
ロザリアはしばらく答えず、窓の外へ視線を向けた。
朝の光は明るい。
けれど、眩しいとは思わなかった。
「ええ」
やがて短く答える。
「もうそうするしかないでしょう」
それは諦めにも似ていた。
息子を見限ったわけではない。
だが、息子に王家全体を預けたままではいられない。
その段階へ、ようやく来てしまったのだ。
その頃、本邸ではミレイユが礼法教師から出された課題に向き合っていた。
ただ挨拶の形をなぞるだけではない。
どうしてその姿勢が必要なのか。
なぜ相手を見るのか。
なぜ声を曖昧にしてはいけないのか。
そういう理屈まで問われている。
頭が痛かった。
面倒だった。
けれど、分からないなりに考えていた。
「ミレイユ様」
リナがそっと声をかける。
「少しお休みになっては」
「まだいいわ」
ミレイユは首を振った。
「今やめたら、また元のわたくしに戻りそうで嫌なの」
その言葉を、扉の外で立ち聞いてしまったヘレナは、思わず足を止めた。
元のわたくし。
それはつまり、“可愛いだけで押し切ろうとしていた自分”のことだろう。
娘は、それをもう恥だと思っている。
その変化は、母にとって痛い。
なぜなら、その元を作ったのが自分だからだ。
娘が前へ進むほど、自分の空虚さだけが取り残される。
その事実が、日に日にきつくなっていた。
別邸では、夕方、グラントが静かに報告していた。
「王妃陛下ですが」
「ええ」
「とうとう、殿下を“未熟な王子”として扱うのをやめたようです」
リディアナは顔を上げた。
「そう」
「はい。殿下個人と、王家全体の損失を、明確に切り分けると宣言なさったとか」
マリアベルが小さく息をついた。
「そこまで来ましたか」
「ええ」
リディアナは少しだけ黙っていた。
驚きはない。
けれど重い一歩だとは思った。
王妃が息子を叱るのをやめる。
その代わり、王家と切り分けて扱う。
それはもう、感情ではなく処理の段階だ。
「王太子は、かなり堪えたでしょうね」
「はい」
グラントが低く答える。
「母君に守られる立場から、管理される側へ移されたようなものですので」
「そうね」
リディアナは窓の外を見た。
夕方の光が、庭をやわらかく照らしている。
「義妹様の方は、まだ苦しそうではありますが、課題に向き合っておられるようです」
「へえ」
「“元の自分へ戻りたくない”と」
その言葉に、リディアナはほんのわずかに目を伏せた。
「本当に変わり始めたのね」
「そのようです」
一方は、切り分けられた。
もう一方は、ようやく自分で変わろうとしている。
同じ騒ぎの中にいた二人が、まるで逆の方向へ進み始めているのが分かった。
「王妃は、ついに王太子を切り分けたのね」
「はい」
「それなら、次はもっと早いわ」
マリアベルが問う。
「何がでございますか」
「王太子の周りが、完全に“扱いを変える”のよ」
リディアナは静かに答えた。
「今まではまだ、殿下に対する遠慮が残っていた。でも王妃が切り分けたなら、周囲も安心してそうするわ」
それは残酷な話だった。
けれど本当だった。
王太子はまだ肩書きを持っている。
だが、その肩書きに対する扱いが変わる。
守られる側ではなく、注意して扱う問題として。
そこへ落ちれば、以前のような空気はもう二度と戻らない。
「そして殿下は、たぶんそこから立て直せない」
リディアナは小さく言った。
「今のあの方には、自分から席に戻る力がないもの」
それは断罪ではなかった。
ただの観察だった。
誰かが切ったのではない。
自分で席を立ち、母に切り分けられた。
その先でなお、自分から戻るだけの芯があるかどうか。
今のカイルには、それがない。
それだけのことだった。
王宮では、その日の朝から空気が張っていた。
理由は明白だった。
前日、カイルが自分から席を立ったことが、もう隠しきれない形で内側に広がっていたからだ。
しかも、それはただの気分の問題では済まない。王妃付きの補佐官が確認を求め、関係各所の整理が必要な場で、王太子が自分から席を外した。つまり、王太子本人が整理を拒んだのだ。
それは王宮にとって、かなり重い。
軽率な婚約破棄も問題だった。
その後の実務の混乱も問題だった。
だが今度のそれは、もっと直接的だった。
責任の席から、本人が逃げた。
その事実は、王宮の内側で働く者たちに、言い訳のしようもなく伝わる。
朝一番で小会議室へ入ったロザリアの顔は、いつも以上に静かだった。
怒っているようには見えない。
だが、その静けさがかえって怖かった。
長机の上には、昨日の未処理案件がそのまま残っている。補佐官の報告書、会計係の追加確認、王太子本人の判断待ちだった項目の一覧。
女官長が一礼して告げる。
「王妃陛下。昨日の件につきまして、記録をまとめました」
「読み上げて」
「はい」
女官長は淡々と述べた。
「午後、関係各所の照合にあたり、殿下ご自身のお言葉を必要とする案件三件について確認を求めました」
「その後」
「殿下は、本日中の判断をお求めした補佐官に対し、“今日はもう知らん。好きにしろ”と仰り、自ら中庭より退出なさいました」
部屋が静まり返る。
記録として読み上げられると、なおさら酷かった。
好きにしろ。
王太子が、判断を求められた場でそう言って席を立つ。
子どもの癇癪ですら、もう少しましに見えるだろう。
ロザリアは何も言わなかった。
だが指先が、紙の端をゆっくり押さえる。
「補佐官は?」
「即時記録のうえ、処理を保留に」
「正しい判断ね」
短くそう言ってから、ロザリアは視線を上げた。
「カイルは」
「まだお部屋に」
「呼びなさい」
女官長が下がる。
そのあと、小会議室には少しだけ長い沈黙が落ちた。
会計係も補佐官も、誰も口を開かない。
何を言っても無駄だと分かっているからだろう。
今の王妃に必要なのは慰めでも同意でもない。
切り分けることだ。
どこからどこまでが王太子の責任で、どこから先が王家全体の損失なのかを。
やがてカイルが姿を見せた。
顔色はよくない。
昨夜もろくに眠れなかったのだろう。
だが今のロザリアには、そんなことはどうでもよかった。
「座りなさい」
カイルは反発するかと思われた。
だが、妙に静かに座った。
それがかえって不穏だった。
「昨日、席を立ったそうね」
ロザリアが言う。
「……はい」
「なぜ」
短い問いだった。
だが逃げ場がない。
カイルは一瞬、視線を逸らした。
「同じことばかりだったからです」
「同じこと?」
「確認、整理、支払い、切り分け……」
吐き捨てるように言う。
「何もかも、急に私の前へ積み上げられる。以前はそんなことはなかった」
「ええ」
ロザリアは静かに頷いた。
「以前は、誰かがあなたの前で整えていたもの」
カイルの表情が硬くなる。
触れてほしくないところを真っ直ぐ突かれた顔だった。
「だから何です」
「今、それがなくなっただけでしょう」
「なくなった、ですって?」
カイルの声が少し尖る。
「母上は簡単に仰るが、そのせいで王宮じゅうが騒いでいるではありませんか」
「ええ、騒いでいるわ」
ロザリアの返答は即答だった。
「でも、騒がせたのは誰かしら」
カイルは黙った。
だが沈黙の顔が、反省のそれではないのがロザリアには分かった。
まだどこかで、自分だけが追い詰められていると思っている。
周囲がうるさすぎると思っている。
そこが駄目なのだ。
「カイル」
ロザリアは低く言った。
「私は、あなたをもう“未熟な王子”として扱うのをやめます」
その一言に、カイルの目が動く。
予想していなかったのだろう。
「……何ですって」
「聞こえなかったの?」
「そういう意味ではなく」
「では、どういう意味です」
ロザリアは視線を逸らさない。
「あなたが未熟だから、いずれ育つだろう。あなたが軽率でも、周囲が整えれば何とかなるだろう。そういう甘さで見ていた時期は終わりです」
「今後は違う」
「違う、とは」
「あなた個人の未熟さと、王家全体の損失を切り分けて扱う、ということよ」
その言葉は、かなり重かった。
母としてではない。
王妃としてでも、半分は違う。
もっと冷たい場所から言っている。
あなたはもう“庇うべき息子”ではなく、“管理すべき損失源”に近い、と。
カイルの顔から血の気が引いていく。
「母上は……私を切り捨てるおつもりですか」
「切り捨てる?」
ロザリアは、そこでほんのわずかに目を細めた。
「言葉を選びなさい。私は王家を守ると言っているだけよ」
「それは同じことではありませんか」
「違うわ」
ロザリアの声がさらに低くなる。
「王家はあなた一人ではない」
その一言は、刃のようだった。
カイルは口を開き、閉じた。
もう何を言っても、自分が“王家そのもの”として扱われていないことだけは分かったのだろう。
ロザリアは机の上の一覧へ手を置いた。
「これより後、あなたの名で曖昧に動いていた便宜は、一つずつ整理します」
「支払いも、後援も、社交上の便宜も、全部よ」
「そして、あなた自身が判断を放棄した案件については、王妃権限の下で処理するわ」
「……私を通さずに?」
「ええ。昨日、自分から席を立ったのでしょう?」
その言葉に、カイルの顔が歪む。
恥と怒りが一度に込み上げたようだった。
だが反論はできない。
立ったのは事実だ。
逃げたのも事実だ。
「あなたが責任の席に残れないなら、こちらは残れる者で進めるしかないの」
ロザリアはそう言ってから、最後にもう一つだけ付け加えた。
「これは罰ではありません。切り分けです」
切り分け。
何度も繰り返されるその言葉が、今度こそカイルには本当に痛かった。
怒鳴られた方がまだよかったかもしれない。
怒りには熱がある。
だが切り分けは冷たい。
冷たいまま、人を外へ置く。
「……もうよいでしょう」
ロザリアが言う。
「あなたは下がりなさい」
「母上」
「下がりなさい」
三度目には、カイルも従うしかなかった。
立ち上がる足取りは重く、怒っているのにどこか力がない。
扉が閉まる。
そのあと、部屋の中には長い沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは女官長だった。
「よろしかったのですか」
「何が」
「かなり明確に、殿下を切り分けられました」
ロザリアはしばらく答えず、窓の外へ視線を向けた。
朝の光は明るい。
けれど、眩しいとは思わなかった。
「ええ」
やがて短く答える。
「もうそうするしかないでしょう」
それは諦めにも似ていた。
息子を見限ったわけではない。
だが、息子に王家全体を預けたままではいられない。
その段階へ、ようやく来てしまったのだ。
その頃、本邸ではミレイユが礼法教師から出された課題に向き合っていた。
ただ挨拶の形をなぞるだけではない。
どうしてその姿勢が必要なのか。
なぜ相手を見るのか。
なぜ声を曖昧にしてはいけないのか。
そういう理屈まで問われている。
頭が痛かった。
面倒だった。
けれど、分からないなりに考えていた。
「ミレイユ様」
リナがそっと声をかける。
「少しお休みになっては」
「まだいいわ」
ミレイユは首を振った。
「今やめたら、また元のわたくしに戻りそうで嫌なの」
その言葉を、扉の外で立ち聞いてしまったヘレナは、思わず足を止めた。
元のわたくし。
それはつまり、“可愛いだけで押し切ろうとしていた自分”のことだろう。
娘は、それをもう恥だと思っている。
その変化は、母にとって痛い。
なぜなら、その元を作ったのが自分だからだ。
娘が前へ進むほど、自分の空虚さだけが取り残される。
その事実が、日に日にきつくなっていた。
別邸では、夕方、グラントが静かに報告していた。
「王妃陛下ですが」
「ええ」
「とうとう、殿下を“未熟な王子”として扱うのをやめたようです」
リディアナは顔を上げた。
「そう」
「はい。殿下個人と、王家全体の損失を、明確に切り分けると宣言なさったとか」
マリアベルが小さく息をついた。
「そこまで来ましたか」
「ええ」
リディアナは少しだけ黙っていた。
驚きはない。
けれど重い一歩だとは思った。
王妃が息子を叱るのをやめる。
その代わり、王家と切り分けて扱う。
それはもう、感情ではなく処理の段階だ。
「王太子は、かなり堪えたでしょうね」
「はい」
グラントが低く答える。
「母君に守られる立場から、管理される側へ移されたようなものですので」
「そうね」
リディアナは窓の外を見た。
夕方の光が、庭をやわらかく照らしている。
「義妹様の方は、まだ苦しそうではありますが、課題に向き合っておられるようです」
「へえ」
「“元の自分へ戻りたくない”と」
その言葉に、リディアナはほんのわずかに目を伏せた。
「本当に変わり始めたのね」
「そのようです」
一方は、切り分けられた。
もう一方は、ようやく自分で変わろうとしている。
同じ騒ぎの中にいた二人が、まるで逆の方向へ進み始めているのが分かった。
「王妃は、ついに王太子を切り分けたのね」
「はい」
「それなら、次はもっと早いわ」
マリアベルが問う。
「何がでございますか」
「王太子の周りが、完全に“扱いを変える”のよ」
リディアナは静かに答えた。
「今まではまだ、殿下に対する遠慮が残っていた。でも王妃が切り分けたなら、周囲も安心してそうするわ」
それは残酷な話だった。
けれど本当だった。
王太子はまだ肩書きを持っている。
だが、その肩書きに対する扱いが変わる。
守られる側ではなく、注意して扱う問題として。
そこへ落ちれば、以前のような空気はもう二度と戻らない。
「そして殿下は、たぶんそこから立て直せない」
リディアナは小さく言った。
「今のあの方には、自分から席に戻る力がないもの」
それは断罪ではなかった。
ただの観察だった。
誰かが切ったのではない。
自分で席を立ち、母に切り分けられた。
その先でなお、自分から戻るだけの芯があるかどうか。
今のカイルには、それがない。
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