悪役令嬢の天然メイドは壺といっしょに婚約者の侯爵家を壊してしまいました

しおしお

文字の大きさ
10 / 31

第十二話 丸焼きの戴冠式

しおりを挟む
第十二話 丸焼きの戴冠式

 その日の晩餐会は、やけに華やかだった。

 王都からの客人を迎えるということで、侯爵家は威信をかけている。

 壺は固定された。
 本棚は補強された。
 額縁は釘を打ち直した。

 そして何より――

「今夜は、何も起きません」

 レオンハルトは静かに宣言した。

 まるで自分に言い聞かせるように。

 長い食卓。

 銀器が並び、燭台の火が揺れる。

 ヴィオレッタは微笑みを絶やさず席につく。

 エルマは給仕係の一人として立っている。

 使用人たちの視線が、ほんの少しだけ彼女を警戒している。

「落ち着いて」

 ヴィオレッタが小声で言う。

「はい」

 エルマは真剣にうなずく。

 前菜は無事。

 スープも問題なし。

 客人の機嫌も上々。

 レオンハルトの肩から、わずかに力が抜ける。

(やはり偶然だ)

 そのとき。

 メイン料理が運ばれる。

 香ばしい香りの、丸焼きのチキン。

 給仕が順に皿へ取り分ける。

 エルマが慎重に、侯爵の後ろへ回る。

 ナイフを渡そうと、ほんの少し手を伸ばす。

 その瞬間。

 隣の給仕の肘が、わずかにエルマの腕に触れる。

 ぐらり。

 チキンが皿から滑る。

 空中へ。

 全員の視線が、ゆっくりと追う。

 そして――

 ぽすん。

 レオンハルトの頭の上に、丸ごと乗った。

 完璧に。

 皿は無事。

 ソースも飛ばない。

 ただ、丸焼きが王冠のように鎮座している。

 沈黙。

 客人の目が見開かれる。

 使用人の呼吸が止まる。

 エルマが青ざめる。

「申し訳ありません!」

 ヴィオレッタは、静かに立ち上がる。

「まあ」

 一拍。

「お似合いですわ」

 レオンハルトは動かない。

 動けない。

 客人がいる。

 威厳がある。

 ここで怒鳴れば、負けだ。

 ゆっくりと、ゆっくりとチキンを頭から持ち上げる。

「……問題ない」

 声は冷静。

 だが額に、ほんのわずかな脂。

「小さな事故だ」

 客人が無理に笑う。

「豪快ですな」

「ええ」

 ヴィオレッタは優雅に微笑む。

「侯爵たるもの、その程度でお怒りになるものではありませんわ」

 静かな圧。

 レオンハルトは頷く。

「当然だ」

 椅子に座り直す。

 頭頂部は、ほんのり温かい。

 エルマは震えている。

「わたし、落としました……」

「落ちただけよ」

 ヴィオレッタは穏やかに言う。

「壺のように、はまってはいませんもの」

 客人の一人が咳払いをする。

 晩餐会は続く。

 だが空気は、完全に変わった。

 威厳は保たれた。

 だが、笑いを堪えている者が何人かいる。

 宴が終わる。

 客人が去る。

 扉が閉まる。

 レオンハルトの拳が、ぎしりと鳴る。

「……」

 だが怒鳴らない。

 怒れない。

 怒れば、“度量がない”と言われる。

 ヴィオレッタは優雅に礼をする。

「本日は素晴らしい宴でございました」

「……ああ」

 短い返答。

 エルマが小声で言う。

「お嬢様、怒られませんでした」

「ええ」

 ヴィオレッタは静かに頷く。

「だから面白いの」

 自室へ戻る。

 扉が閉まる。

 一瞬の沈黙。

「……っ、ふ……」

 肩が震える。

「戴冠……!」

 もうだめだ。

「あははははは!」

 椅子に倒れ込む。

「完璧に乗りましたわ……!」

 涙を拭う。

「怒れない……怒れないのですもの……!」

 ノック。

「お嬢様……」

 エルマの不安な声。

「わたし、やっぱり疫病神ですか?」

「いいえ」

 ヴィオレッタは笑いを堪えながら言う。

「あなたは、正確なだけ」

「正確?」

「ええ」

 一拍。

「屋敷の重心を、正確に突いているの」

 エルマはわからないまま頷く。

 廊下の向こうで、レオンハルトはまだ頭を拭いている。

 威厳は保った。

 だが、客人の前での“戴冠”。

 それは確実に、ひびを入れた。

 壊しているつもりはない。

 ただ、乗っただけ。

 そして侯爵の王冠は、少しだけ軽くなった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子様への置き手紙

あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯ 小説家になろうにも掲載しています。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?

ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」 その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。 「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました

相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。 ――男らしい? ゴリラ? クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。 デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

処理中です...